第7話 蒸留酒

 半月と星の夜に、オレンジ色の丸いランプの灯りがゆらゆらと揺れながら近づいてくる。


 クラウスは厨房の窓からそれを確認し、勝手口のドアを開けた。


「夜分遅くに申し訳ない」

「いいえ。こちらこそ、遠いところご足労いただきありがとうございます」


 中背の男を招き入れ、厨房の脇にある鍵のかかる小さな部屋に案内した。


 ここはかつて使用人の休憩場所として使われていた部屋で、今はほとんど使われていないが当時の名残で小さな椅子とテーブル、壁側に戸棚がある。


 その戸棚からクラウスが出したのは高級な蒸留酒だった。


 ショットグラスに注いで乾杯する。


「う、ああーっ、やっぱり美味いな。ばあさん、いい趣味してたな」


 以前、この屋敷で療養していたアレクシアの祖母は、医者から控えるように言われていたにもかかわらず好物の蒸留酒を持ち込んで隠れて飲んでいたという。


 地下の酒蔵にはまだコレクションが残っていて、酒の嗜みがないアレクシアはクラウスに処分を委ねていた。


 雇い主と同僚ハンスが寝静まってから、大事に処分をする夜がこれまでも何度もあった。


「聖女様は第三王子のヨハン様と婚約することを発表したよ」

 男は空のガラスを前に出し、酒の追加を催促する。


「そうですか。まあ、当然の成り行きでしょうね」

 グラスに酒を注いで渡し、自分のグラスにも補充する。


 リヒャルト王子とヨハン王子は歳は同じで、リヒャルト王子は正妻の子供だが、ヨハン王子は愛妾の子供なので王位継承権は下位だった。


「リヒャルト王子は東部の辺境の騎士隊に配属された。まあ、体のいい左遷だな。王位継承権も剥奪だ。領地や王子の称号はそのままだけどな」

「王妃様は?」

「いくら息子溺愛でも、今回のことでさすがに措置はやむなしだと受け入れたらしい」


 第二王子が聖女と婚約破棄になっても、第一王子で王太子の長男と娘が二人いる。

 この国の法律は女系相続もできるので、聖女と成婚しても第三王子の王位継承権は妹王女達の下だ。


「マクシミリアン王太子には昨年男子もお生まれだし、順当にいけばあのお方は国母のままだ」


 男はクラウスの言葉に頷いた。

「聖女様がいれば国に加護があると伝承されているだけだからな。民心を安寧に、王家に敬意を持たせ続けるためにも、他国に聖女様が流れなきゃそれでいいのさ」


 利権を求める輩はヨハン王子の元に様々な甘言を囁くだろうが、王太子のマクシミリアンは実力もあり国民からの親愛も篤いので、それを覆してまでの野心がヨハン王子に芽生えるかどうか。


「ヨハン王子は大人しくしていりゃあ聖女の庇護者の一王族として過不足ない生活が保証されるからなあ」


 聖女が伴侶でも、それで政治が行えるとは限らないと言外に匂わせる。


 恐らく、ヨハン王子もそのことをよくよく承知しているだろう。


「リヒャルト王子は、そこを履き違えたんだろうな」

 男はグラスを再度寄越したが、クラウスはピッチャーの水を別のグラスに入れて渡した。

 あまり酒が回らないように。


「リヒャルト王子は聖女様と婚約するために公爵令嬢と婚約を破棄までしたのに、聖女様の心はヨハン王子にあるとわかって、自分の地位が危うくなると思って焦ったんだろうな。元宰相の影響力を期待してよりを戻そうとしたようだが……」

 実現性の薄い浅慮だった。


 この時点でもう国政に携わる者として適格ではないことを露呈してしまったのだ。


「でもなぜ、リヒャルト王子は公爵令嬢がここへ来ることをご存じだったのでしょうか」

「令嬢のメイドを買収したそうだ。そのメイドは目の悪い弟の薬代を稼ぎたかったらしい。気の毒だが、解雇されたようだけどな」

「信用の問題ですからね」

 事情があるとはいえ、雇い主が危険な目に遭ったのだから仕方ない処遇だ。


「そっちのお嬢様の具合はどうだ」

「一週間経ちましたので、顎の傷は塞がりかけて、足の方もリハビリをしています」

 だが、顔なので跡が残ってはいけないので未だに包帯をして、日差しのあるところでリハビリはさせないようにしている。


 それを聞いた男は、やれやれとグラスの水を一気に飲み干した。

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