第5話 運命
それまで幸助は、
「運命」
などという言葉を信じたことはなかtた。
運命などという言葉は、後からこじつけてつけるものだと思っていたのだ。
それは神様を信じられないというレベルのものに似ている。彼が神様を信じられなくなったのは、高校生の頃のことだった。
大した理由があったわけではない。信じられなくなった神様の方が気の毒なほどの理由であるが、あれは、友達から誘われた宗教団体の集会があった時のことだった。
人から誘われると、とりあえずはいってみることにしていたその頃の幸助は、実際に下心がなかったとは言えない、
それまで女の子と話をするなどということは皆無に近く、そういう集会だったら違和感なく話ができるのではないかという多いがあったからで、実際に集会に参加してみると、話をしてみたいと思う女の子が結構いた。
相手も幸助のことが気になるようで、それは自分も人と話をするのが苦手で、こういう場所であれば話せるかも知れないという思いがあったからだろう。
女の子の中には積極的に話しかける子もいたが、半分以上は誰とどのように話していいのか戸惑っているようだった。友達が自分の友達を紹介するようなこともあったが、話が弾むようなことはないようだった。基本的に話題が噛み合わないのだろう。
それとも、
「こんな話をすれば、引かれてしまうかも知れない」
という思いが強いのかも知れない。
だが、そう思っている女の子ほど、本当にカルトな話題にしか反応しない女の子であり、男性に引かれてしまうのは仕方のないことかも知れない。
それでも、そんなことは分からなかった当時の幸助は、果敢にも一人の女の子に話しかけてみた。彼女の態度は正直、幸助の好きなタイプのリアクションであったが、やはり話がどうしても噛み合わない。そのうちに話しかけた自分が悪いのではないかと思うようになり、その感覚が彼女に伝わったのか、今まで話をしていたかと思うと、急に無口になっていった。
――まずい――
と思ったが、どうしようもない。
それ以降、会話が続くわけもなく、彼女の顔が次第に青ざめていくのを感じた。その雰囲気は過呼吸にでもなっているかのように、息切れしているのが感じられた。今にも倒れそうである。その様子を見ていた他の女の子が急いで飛んでくると、わざとなのか分からないが幸助を突き飛ばすようにして、そのことに謝罪など何もなく、目の前の女の子を助け起こそうとする素振りを見せた。
「大丈夫?」
と声を掛け、その雰囲気は尋常ではなかった。
まったく幸助の存在はないものにされて、ただオタオタしているだけの幸助は、その場から消えてなくなりたかったくらいである。
「ええ、大丈夫よ」
と、何とか意識を取り戻した彼女は、やはり気を失っていたようだ。
二人はそのまま奥に入り込み、その時、幸助のことをまったく見なかった。幸助の方とすれば、
――一体何が起こったんだ?
としか思えず、その場から離れて行った彼女たちを目で追いながら、自分がその場にいるという意識すらなくなってくるくらいだった。
幸助を連れてきてくれたやつは、その場にはおらず、どこか別のところにいたようだ。本当はそいつを探して、この場をどうするか相談するのが当然のことなのだろうが、何もかもが嫌になってしまった幸助は、その場から何も言わずに帰ってしまった。友達にメールも電話も入れることなくである。
もっとも、この会場では、携帯電話は電源を切ることが決まりとなっていたので、すぐには連絡はできなかっただろう。それでも後で見れば分かるようにしておけばよかったのに、それもしなかった。友達として重大なルール違反であったことに違いはないだろう。
友達を放って帰ってきてしまったことで、友達とはそれ以降疎遠になってしまった。そいつから他の友達に話が漏れたのだろう、一時期、幸助はクラスの中で浮いてしまった。
元々目立つ方でもなかったので、それほど気にすることではなかったのだが、連れていかれたところが、どうも新興宗教の布教道場のようなところだったので、友達からいじめに遭ったり、ひどい目に遭うことがなかったのは幸いだった、
神様をそんなことで信じられなくなったというと、お門違いな気もするが、もし神様がいるのだとすれば、彼女が意識を失うなどありえないと思ったのだ。
それ以来、神様だけではなく、運命という言葉も信じられなくなった。その思いがあるから、本当に女性を好きになることもなく、同じ時期に複数の女性と交際するなどということができたのかも知れない。
一人の時間を三年生の頃に持つことができるようになると、そんな自分が小さな人間に思えてきた。別に大きな人間にならなくてはいけないとまでは思っていないので、小さくても別に困ることはないと思っていた。
就職活動も何とかうまく行ったのは、少し自分が大人になれたからではないかと思ったが、そう感じると、気持ちにどこか余裕のようなものが出てきたことに気が付いた。何をもって余裕というのかが分からなかったが、
「何となく自分が感じていることが現実となって起きるのではないか」
と感じるようになったからである。
大学生としていよいよ最後、もう遊ぼうという学年ではない。就職も決まり、あとは卒業を待つばかりである。まわりの皆は、友達同士で卒業旅行などを計画しているが、幸助にはそんな相手もいない。大学在学中に友達はたくさんできたが、どのグループに属するということもなかった幸助は、中途半端であるために、誰かから誘われるということもなかった。
「久しぶりに、一人であの湖に行ってみるか」
と思い立った。
あの湖というのは、最初に絵を描こうと思って赴いたあの湖である。あそこでは何とか一枚の絵を描きあげたが、自分で満足のいくものではなかった。もちろん、初めて描いた絵だということで思い入れはあるのだが、もう一度うまくなってあの場所で絵を描いてみたいという思いを持っていた。
絵がうまくなったかどうか自分ではよく分からなかったが、あれから一年以上経っているわけだし、就職も決まったということで精神的な余裕も感じられることで、
「今までと違った絵が描けるかも知れない」
と思った。
その思いがあったことで、
「さて、どこに行こうか?」
と考えて、すぐに浮かんできたのが、この場所だった。
他の場所は他の場所で、それなりに思い入れはあるが、やはり再度訪れる十なると、最初のあの場所を思い浮かべるのは当然のことだろう。
「僕にとっての卒業旅行だ」
と思い、すぐに計画した。
その頃はまだ秋口だった。卒業までにはまだまだ期間はあったが、なぜここで卒業旅行だと自分で思ったのかというと、けじめをつけたいという気持ちがあったのだ、
ギリギリまで大学生気分でいることを幸助は望んでいなかった。
「どうせ卒業すると、すぐに社会人として気持ちを新たにしなければいけないんだ」
と、分かり切っていることを先延ばしすることを、彼はよしとしないところがあったのだ。
予約を入れてみると、
「大丈夫ですよ、十分空いています」
ということだった。
秋口だったらもう少し人が多いのかとも思ったが、考えてみれば、紅葉の時期が多いという。晩秋に多くなるということで、まだまだそこまでには時期があるのだ。それに、秋と言ってもまだ暑さが残る時期、逆に夏のように暑い時期の避暑にしては中途半端なため、客はそんなにいないという。
さっそく予約を入れ、滞在期間は一週間にした。
夏の間にアルバイトしたお金で十分足りる。他の人から言わせれば、
「そこで一気に使ってしまうのは、もったいなくないか?」
と言われるかも知れないが、幸助にとってそんな感覚はない。
一つのことに特化してのお金の使い道というのは、ちょっとずつ使うよりも、有意義であり、何よりも計画性に富んでいるだろう。却って、
「もったいない」
という連中の気が知れないと思うほどだった。
幸助はその宿に着くと、前に来た時と同じ場所に腰を掛けてみた。
それはホテルの前にあるベンチで、最初にそこから湖畔を見た時のイメージを鮮明に残したまま、少し離れたところに腰を落とし、スケッチを始めたのだ。
絵を描くと言っても、油絵などの大げさなものではなく、鉛筆描きを中心にしたスケッチがほとんどだった。本当は、そのうちにスケッチから水彩画や油絵に移行するつもりでいたが、スケッチをやってみれば、これが結構奥深いことを感じるようになった。それからは、
「もう少しこのまあスケッチでやっていこう」
と思った。
「ひょっとすると、このままスケッチばかりを描いていくことになるかも知れない」
という思いも強く、その日も、まずベンチに座り、スケッチを始める前に、瞼に今見ている光景を焼き付けていた。
人の顔を覚えるのが極端に苦手な幸助だったが、なぜか風景などを忘れることはなかった。それは絵画でも同じことで、一度美術館で見た絵を、他の美術館で見た時、
「初めて見る絵ではないような気がする」
と感じたものだった。
絵に既視感を感じると、風景迄既視感を感じてしまうことがある。初めていったはずの場所で、
「前にも来たことがあったような気がする」
と感じるからであって、その思いを特に感じるようになったのが、最近のことだった。
それは、どこかのタイミングの記憶を思い出したい一心だったのかも知れない。もしそうだとすると、それは今から現実となる前触れを感じることで、偶然という言葉が運命に結び付いてくると思うのだ。
前のように今回の絵は、最初に筆をどこに落とすかということを意識することはなかった。
そういえば、幸助は自分が何かをする時、
「それは選択するのではなく、考えることだ」
と考えるようになっていた。
どちらが正しいかを選択するということと、考えるということは、根本的に違うののだと思っていた。だが、よく言われることとして、
「もっと考えろ」
だったり、
「何も考えていないじゃないか」
などと言われることというのは、そのほとんどが選択肢の中の一つを間違えた場合である。
それを考えると、何か新しいことをしようとして考えることと、基本的に違う気がする。
選択肢を考えるとして表現する場合は、人生の中の生き方であったり、何かのハウツーのようなイメージが強い。
しかし、それは先駆者と呼ばれる人がいて、前に道を築いてくれてはいるが、実際に人それぞれで生き方が違うので、選択肢一つをとっても、人によって道が違ってくる。選択はほぼ毎日、そして、いついかなる場合にも潜んでいると言ってもいいだろう、
何もないところから選択というものはないわけで、新たに創造するということになる。幸助はそれが好きだった。先駆者に学ぶわけではなく、自分が先駆者になりたいという思いである。
「何をするにしても、最初に始めた人が一番偉いんだ」
という思いを常に持っていて、いくら優秀なものをそれ以降に誰かが作ったとしても、絶対に先駆者を超えることなどできないという考えであった。
絵を描くというのがその発想に結び付くのかどうか疑問であるが、幸助は少し違った考えを持っていた。
確かに絵を描くというのは、何か被写体があり、それを模写して描くのだが、まったく同じ絵を描かなければいけないという決まりはない。時には大胆に省略したり、何かその場所にあって違和感のあるものを付け加えることで、特徴を出そうという人もいるだろう。
それが芸術というもので、絵を描く時、最初にどこに筆を落とすという選択肢から入るとしても、実際に描く絵は、目の前の風景とは違ったものになっていた。
最初は恥ずかしくて、
「下手だから、綺麗に模写できなくて」
とも言っていたが、それは自分が絵を下手くそだと思っていて、その言い訳であったのだが、そのうちに、言い訳が本心に近づいていると思うと、描いた絵に魂が籠っているかも知れないと思うのだった。
以前、ここに来た時は三日間の滞在予定だったが、絵ができていなかったこともあって、五日間に変えた。それでも完成することはできなかったので、家に持って帰ってから、写真だけは撮っておいたので、何とか完成させることができた。
だが、実際に完成した絵と写真を見比べてみると、どこかが違っている。下手をすると自分で描いた絵の方がいいような気がしてきた。実際に写してきた写真には載っていないものが、自分で描いたものには描かれていた。ただ、それを描こうと意識したわけではなく、無意識のうちに描かれていたものだった。
それでも、最初は、
「どこが違うんだろう?」
と自分で描いたにも関わらず、よく分からなかった。
無意識の意識が描いたとでも言えばいいのか、それは偶然という言葉と似ているような気がした。
「無意識であれば偶然と言えるが、それを意識してできたのであれば、それはもうすでに偶然ではなく、運命というものではないか」
と思うようになった。
少しの間、ベンチに座って湖畔の景色を見ていたが、目に焼き付けた気分になると、すぐに前に描いた時のポジションに移動してみた。
「前の時よりも、何か狭くなったような気がする」
と思ったが、気のせいだと思うには、あまりにもリアルな感じがした。そう思ってスケッチブックを膝の上に置いて描き始めたが、それからどれくらいの時間が経ったのだろうか、視線を感じてふと鉛筆画止まってしまった。時計を確認すると、結構な時間が経っていると感じたのは、目の前の絵が思ったよりも完成していたからで、時間の感覚がマヒしていて短く感じられたということは、それだけ集中して描いていたという証拠なのかも知れない。
確かに腰も痛くなってきた気がする。ずっと就職活動をしていたので、趣味をする時間がなく、ずっと面接などで出払っていたこともあり、じっとする時間がなかったことが、余計に身体を緊張させるのかも知れない。
背中に突き刺さるような視線を感じたが、その視線が強すぎて、目を移すことができなかった。それを腰の痛さとして言い訳することは難しい気がする。
だが、視線を確認しないわけにはいかない。まさか、後ろを振り向いて、誰もいないなどというホラー系の結末が待っているかも知れないなどと、おかしなことを考えたりもした。
視線を感じた瞬間、振り向けなかったことが、これほど後ろを振り向かせるのに、躊躇することであろう。思いもよらないことだった。
だんだんと視線が強くなってくる気がする。そう思うと余計に後ろを振り向くことができなくなり、視線だけを感じていると、背中が熱くなってくるのだった。
だが、さすがに少し慣れてくると後ろを振り向くこともできそうになり、今度は瞬間を捉えなくても振り向けるような余裕があった。余裕に任せてゆっくりと振り向くと、そこには一人の女性がこちらを見ているのを感じた。
彼女は幸助が振り向いたことを意識して視線を逸らせるようなことはなかった。むしろ振り向いたことを意識していないほどに顔はこちらを向いているのに、目だけが幸助の身体を通り抜け、その向こうを見つめているような気さえした。
「あの」
と、幸助は思わず声を掛けた。
「はい」
彼女は分かっているようだ。
「どこかでお会いしたことありましたよね?」
まるでナンパの常套句のようだが、それは本心だった。
しかも相手も幸助に見覚えがあるようで、
「お久しぶりです」
と声を掛けてくれた。
そう言われても、幸助は初めてではないという意識はあったが、いつどこで会ったのかということまでは、すぐに思い出すことができなかった。逆にすぐに思い出すことができなかったことで、思い出せそうな気がしたのだが、特に深い理由があったわけではない。自分のことを分かってくれている人がいて、その人も思い出してくれるのだと思うと、自然と自分も思い出せるような気がしたからだった。
この時一緒に感じたのが、
「運命」
という言葉だった。
「無意識であれば偶然と言えるが、それを意識してできたのであれば、それはもうすでに偶然ではなく、運命というものではないか」
というのを思い出したからで、背中の視線を感じてからずっと意識していたのですぐに後ろを振り向くことができなかった。
しかし振り向いてみると、そこにいたのは懐かしい顔、すぐに思い出せなかったのは、運命だと感じたからなのかも知れない。
そう、彼女の顔には確かに見覚えがあった。就職活動の時に声を掛けてくれた彼女だった。
――どうしてすぐに思い出さなかったのだろう?
そう思ったのも当たり前のことだが、思い出せなかったわけではない、ひょっとすると、再会を元から意識していたからなのかも知れないと思った。
再会できると思ったから、彼女のことを別の意識が覚えていたということも言えるかも知れない。
記憶の中にはいくつかの倉庫のようなものがあり、中には封印してしまった記憶の置き場所もある。後になって必ず思い出すという確信はないが、根拠のようなものがあって、その思いだけを格納しているような場所である。
格納する脳の場所は、人によってまちまちであり、中にはそれを意識できる人もいるかも知れない。
だがほとんどの人にはそれを意識することはできないだろう。意識するということは脳の場所によって、身体の反応する部分も理解できるということでもあり、意識と理解が相互反応していると思うのではないだろうか。
ただ、この運命という感覚も、偶然では片づけられない上場現象的な発想が意識として理解できれば、それは運命を受け入れるだけの体勢が整っていると言っていいかも知れない。
幸助はその時、自分の頭がどうかしてしまったのではないかと思うほど、頭の回転が早かったような気がする。それは自分が運命だと考えていることに必然性を感じ、確信の気持ちとして言い聞かせるには、それだけ考えなければいけないと思ったのだ。
だが、本当に自分に言い聞かせなければならないものであろうか。相手は無意識にこちらを見ているだけで、ただ視線の強さを感じるというだけである。別に自分に対して意識をしているわけではないかも知れないと思ったのは、彼女の視線が自分よりもその後ろを見ていたからだった。
前を見ていると、自分も彼女の後ろに何かを感じているような気がした。別に彼女が自分の後ろを意識しているから、自分も後ろを見たというわけではない。だが、お互いに意識しないつもりで意識をしていると、まわりに気配があろうがなかろうが、二人だけの世界であることに違いはなかった。
実は彼女は同じ大学だった。その後大学キャンパスで、ばったり出会うことになるのだが、その時にも同じようにまわりをまったく意識しないという感覚を思い出したのだ。
どうやら彼女も同じことを感じたようで、大学では彼女は話しかけてくれた。湖畔も景色を見ながら絵を描いている時、出会ったその時、二人は会話をしたわけではなかった。お互いに自分の後ろを見ていたということで、会話にならなかったと言ってもいい。
だが、会話をしなかったのは、
「同じところにいるのだから、明日にでも遭えるだろう」
という思いがあったわけだが、それから一週間もいたのに、彼女と出会うという機会はなかった。まったく影のように消え失せてしまったという感じである。
それなのに、半分忘れかけていた相手を大学のキャンバスで見かけた。最初に見つけてくれたのは彼女であり、あの時お互いに話ができなかったことを、彼女の方でも悔やんでいたようだった。
「私もあの時、どうして話をしなかったのかって、後から思うと感じたんです」
と彼女が言い出すと、
「それは僕もずっと思っていました。あなたが、私の後ろの方に視線を感じておられるようだったので、最初は誰か僕の後ろにいたのかと思いましたが、そうではなかったようですね」
というと、
「ええ、それは私も同じです。あなたは、私の後ろを見ているような気がしたので、自分の後ろを意識したくらいなんですが、私はあなたが私の後ろを意識しているのが分かりました。そして、その意識を感じたからこそ、最初自分の後ろを意識して、すぐに前を向いたので、その時、私は遠近感がうまく取れずに、あなたの後ろを見るような感覚になったのかも知れませんね」
と言っていた。
「ああ、そうなんですよ。僕も確かにあなたの視線を感じる前は、絵を描こうと思って遠くを見ていたので、視点が定まらなかったのは、それが原因だったのかも知れないと思っています。あの日は、綺麗に晴れ上がっていたので、遠くに見える湖畔の向こう岸が気になっていたので、知らず知らずのうちに、視線が遠くになっていたんでしょうね」
と言った。
別に言い訳をしたわけでもなく、自分なりに彼女の話と自分が感じたことをベースに考えたらそうなっただけで、彼女の方も何か話をしていてぎこちなく感じられたのは、やはりあの時、どうしてお互いに話しかけなかったのかということを自分なりに整理できていなかったからだ。
「これで三度目の対面となるわけですが、覚えていらっしゃいますか?」
と幸助がいうと、
「ええ、一度は就職活動の時でしたよね。あの時は、またどこかでお会いできるような気がしていたので、インパクトを持っていていただこうと思って、思わず声を掛けたんですよ」
といった。
そんな彼女が本当に好きになったのは、それから何度目のデートであったろうか。最初から好きだったはずなのに、どんどんまだまだ好きになっていく。
「このままいけば、もう離れられなくなる」
と思った時、急に彼女の方から別れを切り出してきた。
「どうして?」
と聞くと、
「私、運命だと思っていたの。それだけだったの」
と言われてしまった。
忘れてしまった時期があったのは事実だが、それ以外は彼女のことをずっと気にしてきた。運命だと思ってきたのは自分も同じだった。しかし、そお運命という言葉を自分だけで使い、しかもそれを言い訳にして自分と別れようとするなんて、少しひどい。
しかし、惚れてしまった者の弱みとでもいうか、彼女をどうしても諦めきれない気分になってきた。
今でも、
「一番好きになった女性は彼女だったんだ」
と思うくらいで、その彼女がいきなり自分の前から姿を消すことになるのだ。
だが、考えてみれば、言い訳であっても、ちゃんと理由を言ってくれたのはよかったのではないか。普通なら何も言わずに会うことをやめてしまったりされることもあるだろう。実際に今まで付き合っていた女性の中にもいた。
――彼女はそんなことをする女性はない――
と思ったが、それは自分が女性を甘く見ていたからではないだろうか。
今までに一時期に複数の女性と付き合ったことを棚に上げて、いくら彼女と付き合っている時は彼女だけだと思っていたとしても、今までの自分の素行がバレなかったと言い切れるだろうか。
幸助の態度から察したのかも知れないし、ひょっとすると他の誰かから話が漏れたのかも知れない。彼女の友達に幸助がかつて付き合ったことのある人がいたかも知れない思うのは無理な考えであろうか。
幸助は桜子と付き合い始めて、今まで付き合った女性ということで、四年生のその時に付き合った人だけをあげた。それまで複数の女性と交際していた時期は、短すぎたのと、複数との関係は、まだ手探り状態だったので、本人は付き合ったという意識を持っていたわけではなかった。
幸助の頭の中で、付き合ったおが「運命」を感じた彼女だけだったと思ったのは、自分の極端な感覚が、たぶん理解してもらえないかも知れないと思ったことと、
「運命を感じた女性とうまく行かなかったのだから、他の女性とうまく行くはずなどない」
という思いとが、交差していたからなのかも知れない。
とにかく、この頃からの幸助は、女性との交際では特に、自分のことを棚に上げて、下手をすれば、悪いことであっても、忘れてしまうとこころがある。
彼の性格は、真面目なところと、他人が見て、決して真面目ではないと思うその境目が曖昧だった。そのせいもあってか、急にカッとして怒り出してしまったり、我を忘れるというくせがあった。
このことと、自分のことを棚に上げる性格が、今後幸助にどんな運命を与えるか、その時はまだ分かるはずもなかったのだ……。
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