第4話 幸助
旦那の幸助が妻の桜子に不倫の疑問を感じるようになったのはいつからだったのだろうか。桜子も細心の注意を払っていたし、旦那である幸助もそんなに強く疑念を持っていたわけでもない。そもそも幸助という男は、そういうことには疎い方で、猜疑心もさほど強い人間ではなかった。
桜子が彼と結婚しようかと思ったのは、彼のそんな天然なところに惹かれたのであって、天真爛漫に見える性格からは、
「少々のわがままは許してくれそうだ」
という自分中心の考えがあったことは否めない。
しかし、結婚相手を決める理由に、そんな理由が悪いというわけでもないと思う。消去法で言っても、彼は性格的に悪いこともないし、収入の面でも安定している。容姿も女性受けしそうな雰囲気に、結婚を決めたと同僚に話した時、
「あの人なら間違いないわ」
という声を聞いたことで、自分の考えが間違っていないという確信めいたのを感じていた。
幸助としては、最初から桜子のことが好きだったわけでもなかった。幸助には中途半端な自尊心のようなものが存在し、
「僕は女性にモテるんだから、焦って結婚することはないんだ」
とも思っていたほどだ。
天真爛漫に見える性格も、彼からすれば自尊心の賜物だと思えた。自尊心が中途半端であることを自分でも分かっていた幸助にとって、まわりに媚びを売ることは、その中途半端な自分をまわりに見誤らせようというような腹積もりだったと言ってもいいだろう。そうでもしなければ、せっかく今は信用してもらっている人たちから、信用されなくなると思ったからだ。
それはもちろん、仕事上でのことで、ただ、そんな天真爛漫さが、
「軽い男だ」
と、いうことを相手に誤解を与えるのではないかというのが、唯一気になるところであった。
天真爛漫であるが、仕事は真面目で、ぬかりがないことで、幸いにもまわりの人は幸助のことを中途半端だなどと誰一人思っていなかった。幸助が自分に感じている中途半端な性格だという思いは、幸助だけが感じている気のせいだったのかも知れない。
幸助は、大学時代から結構モテていた。一時期は数人の女の子と付き合っていることがあったくらいで、その時は、
「結婚を考えているわけではないので、数人の女性と付き合うのは、別に悪いことではない」
というおかしな考えがあった。
恋愛は恋愛だという思いを持っているくせに、心のどこかで、恋愛を結婚までの予行演習のように考えているところがあり、数多くの女性を知ることで、いい結婚相手に巡り会えるのだと真剣に考えていた。
だから、結婚するまでであれば、一度に数人と付き合ったとしても、悪いことではないと思ったのだ。
だから、彼は好きになった相手であっても、決してのめりこだ恋愛をしていたわけではない。それは、
「決して相手を好きにはならない」
という思いがあったからだろうか。
ひょっとすると彼の中で、大学生と付き合っている分には、本当に好きになる相手は現れないという確信があったからなのかも知れない。
実際にその通りで、大学時代に付き合った女性は、女の子として付き合う分にはいいが、その延長として結婚を考えることはなかった。彼女たちと一緒にいると癒されるし、自分も彼女たちに対して男の魅力を与えることで、お互いにフィフティ―フィフティーな関係だと思っていたのだ。
大学時代に付き合った女性たちのほとんどは、幸いにもほとんどドライな関係でいけたのだが、最後に付き合った女性だけはそうではなかった。初めて彼が本気で好きになった女性だった。
「どうしたんだ? この僕が大学生の女の子を本気で好きになるなんて」
と、一番信じられなかったのは幸助自身だった。
ちょうどその頃就職活動をしていたので、女性と付き合うということは考えなかった。だから、フリーであったし、就職が決まるまで誰かと付き合うということはないと思っていた。
もっとも、一度に複数の女性と付き合うということは二年生の頃までで、三年生以降ではそんなこともなかった。三年生以降になると落ち着いてきたというよりも、女性に対して少し考え方が変わってきたのかも知れないと思っていた。
だが、それは自分がまわりの女性の目に気が付いたというのが本音かも知れない。
「今までのお互いの利益になるという考えが違うような気がする」
というもので、つまりは、彼女たちから癒しがもらえないような感覚になってきた。女性の側でどこかリアルさを求めてきたというべきか、付き合っている女性がどこかドライに見えてきたのだ。
だが、これは今までの自分の視線を相手が見せるようになったということで、それまでどうしてそんな思いを感じたことがなかったのかというと、それは幸助が付き合う女性が性格的に融和でよかったというだけのことだった。決して相手に疑いを持つこともなく、お互いに好き合っているということを、信じて疑わないような、相手も天真爛漫な女性だったということである。そういう意味では本当に幸運だったとしか言いようがなかったのであろう。
今度は三年生になると、幸助の方が、そんなまわりの女性の目を怖がるようになってきた。別にまわりの女性の目が変わったわけではない。今まで気付かなかったことに自分が気付いてきただけのことだった。そのことを分かってくると、
「僕のことを好きになってくれる女性って本当にいるのかな?」
という、今までとは極端とも言えるくらいの違いを感じるようになってきた。
今まで自分が好きだと思っていた女性たちに対して、好きだという錯覚をしていたことを棚に上げて、今度は自分が被害妄想に陥ってしまった。そうなると、もう女性も自分に近づいてくることは合いと思えたのだ。
実際に付き合うような相手は現れなかった。今まで付き合ってきた女性は、中には遊びの女性もいたが、そのほとんどは真面目に好きになってくれた。それを癒しだと思い、さらには役得のように感じてしまっていたのを、まだ恋愛には疎かった女性たちもよく理解できなかったのだろう。
お互いにウブなもの同士が付き合っているのは、傍から見ていると微笑ましくも見える。幸助も付き合っていた女の子たちも、お互いにそんな傍から自分たちを見ていたのであろう。
そんな感情の中、三年生の頃はそれまでと違って、あまり女性と付き合うことはなかった。
幸助自身は、
「自粛していた」
と後になって回想するようになったが、実際には今までまわりにいて、手を伸ばせば届いていたはずの女性が、手の届くところにいなくなったというのが一番の理由だった。
元々女性に対してはドライな気持ちを持っていた幸助なので、手の届くところにいれば手を差し伸べるし、いなければいないで、別に探してまで手を差し伸べるようなことはしなかったのだ。
ちなみに幸助は、
「手を出す」
という表現が嫌いで、
「手を差し伸べるものだ」
と思っていたのである。
自分が好きになった女性というのが果たして三年生までの間にいたのかどうか、その頃には分からなかった。本当に女性を好きになるとどうなるのかということを思い知ることになるのは、四年生になってからで、それが就職活動中だった。
就職活動は、それほど困難なものではなかった。成績もそんなに悪くもなかったので、自分の予想でも、いくつかの会社に内定がもらえるのではないかと思うようになっていた。だが、たくさんもらえれば選択肢は増えるのだろうが、それゆえに、どこにするべきなのかで悩むことにはなる。他の人から言わせれば、
「そんなの贅沢な悩みだ」
と言われるだろうが、その選択を間違えてしまうと、せっかく選択肢が多いだけに、その後悔は果てしないものとなり、トラウマとしても残るレベルではないだろうか。
それを思うと、就職活動というのを決して甘く見ることはできないと思うのだった。
彼女と出会ったのは、就職活動も佳境に入っていて、一日に数社の訪問をしていた時だった。
すでに二社で面接が行われ、まだ一次面接の時期ではあったが、就職活動が本格化してきたことを示すものだった。
「面接も大変ですよね」
と、隣にいた女性が急に話しかけてきた。
その雰囲気は今までに付き合った女性たちにはないもので、しかも久しぶりの女性との会話だったので、思わずタジタジになっている自分がいるのに気が付いた。
話しかけられた時は、その言い方があまりにも機械的だったので、
――この女性は何者だ?
と感じ、思わず尻込みしたほどだったが、そこにいたのはセリフから感じた何も知らないような捉えどころのない女性とは正反対の、しっかりした顔立ちの女性だったことで、ビックリしてしまった。
今まであどけない表情で、時々何を考えているか分からないタイプの女性が多かっただけに、どうしていいのか分からない自分がいたのだ。自分が天真爛漫なように相手に見せていたので、相手も天真爛漫であれば気が楽になる。自分がどうして天真爛漫になるように相手に見えていたのかというのは、その時には分からなかったが、やはり今思えば、複数の女性と付き合っているということを相手に対してではなく、自分に対して正当性を求めるための言い訳に過ぎなかったのであろう。
何を考えているか分からなく見えた女性の中にも、しっかりと自分を見ている女性もいた。気が強く見えた女の子だったが、彼女はきっと幸助が他の女性とも付き合っていることを知っていたに違いない。
知っていて何も言わなかったのだから、ひょっとすると彼女も同じように、他に男性がいたのかも知れない。彼女の強気な態度は、そのあたりから見えていたのかも知れない。
そう思うと、それは自分にも言えることではないかと思い、付き合った女性のほとんどは、幸助のことを強気な男性だったように思っているのではないだろうか。その思いが天真爛漫な自分の性格を抑えてくれていると思ったことが、付き合ってこれた最大の理由だったのかも知れない。
だが、幸助には不思議と罪悪感はなかった。正当性を求める気持ちはあるのに、罪悪感がないというのはおかしなものだが、お互いに結婚するつもりのない相手だと思っていたので、許されるとでも思っていたのだろう。
四年生になって声を掛けてきた女性の雰囲気は、本当に
「お姉さん」
という雰囲気だった。
今までは友達に連れられてスナックなどに行くこともあったが、スナックでも高いレベルの端正な顔立ちの女性として人気があるであろうと思われるような女性であった。
友達に連れて行ってもらったスナックでは、ほぼモテたのではないかと思う。多分にお世辞が混じっていたのは否めないが、それでも皆が褒めてくれるところが共通していた。それは偶然だとしても、まったく知らない数人の女性から、同じ褒め言葉を貰うというのは、もう疑うことなく、そう思われているということであろう。
その褒め言葉というのは、
「頼れる雰囲気なんだけど、それは女性の私たちが癒されるイメージを感じるような気がする」
というものだった。
皆が同じ言葉ではないが、概ね似たような表現である。パッと聞いて、理解できる内容ではないが、よく聞いてみると、褒め言葉に思えた。
「それって褒め言葉だよね?」
と聞くと、
「もちろんそうですよ」
と真剣そのものという表情が返ってくる。
取って付けたような褒め言葉ではなく、難しい言い回しを自分独自にアレンジしていってくれるのは、男としては嬉しい限りである。
それから、幸助は自分を、
「女性に癒しを感じさせることができるタイプだ」
と思うようになった。
だから、しっかりしている女性とは自分は合わない気がした。お互いに磁石で言えば同極のような関係で、反発しあうのではないかと思ったからだ。しかし、逆に反発しあわないのであれば、
「これ以上の惹き合う関係もないのではないか」
と思うようになっていた。
それから、それまで意識したことのなかった、
「大人の女性」
を意識するようになったのだが、意識し始めると、やっぱり相手が自分を相手にしていないということに気付かされた気がして、
「やはり自分は大人の女性との付き合いは難しいのかも知れないな」
と思うようになっていた。
彼女とはそれからその日は話をすることはなかった。お互いに初対面だったし、少し彼女の方が幸助を避けている雰囲気があったからだ。それまでもそうだったのだが、幸助はいつも、自分から女性を追いかけたことはない。それは自分がモテるということへの自信から来ているものだが、
「ダメなものはダメ」
という早めの判断があったからなのかも知れない。
それを今まで付き合ってきた女性は最初、
「この人は頭がいいんだ」
と思ってきたようだ。
しかしそのうちに彼の性格がドライであるということが分かってくると、彼に対して最初に感じる疑問は皆そこだった。だから、自然消滅も多かったが、女性の方から彼との別れを口にする場合もあった。その場合の相手はかなり悩んでのことであろうが、ハッキリさせないと自分的に前に進めないという性格がハッキリした女性だっただろう。自然消滅というのは、お互いに傷つかずにいいのかも知れないが、理由が分からないというだけに、モヤモヤした感情だけが残るという意味では決していいことではないような気がした。
三年生になって、それまであれだけいつも幸助のまわりにいた女性がパッタリといなくなったのかということを考えると、おのずと分かってくることもあったであろう。
幸助は別に絶えず自分のまわりに女性がいなければ我慢できないというような性格ではない。寂しがり屋というわけでもないので、いないならいないで、自分の好きな生活をするだけだった。
三年生になってから一人になり、一人での時間を大切にするようになると、一人の時間が楽しくなった。三年生の頃はそういう意味でやりたいことをやっていたと言ってもいいだろう。
幸助は今までしてこなかったことを自由にしようと思っていた。そのため、誰かが一緒ではできないような趣味をすることはなかった。やってみたいと思ったのは、釣り、絵を描くこと、などであった。
釣りは初めてであったが、最初は釣れる釣れないは関係なく、道具を揃え、本でそれなりに勉強し、そして実際にどこかの漁場に数日フラッと出かけるということを楽しみにした。釣れる釣れないは本当に関係ない。
「一人で釣り糸を垂らして、何が楽しいのか?」
というのがずっと疑問だった。
今までに一人で何かを考えるということが非常に少なかったと思っている幸助は、一度味わってみたいち思ったのが、釣りへの興味の発端だった。さらに、これは本に載っていたことであったが、
「釣りが好きだという人は、短気な人が多い」
と書かれていたことだった。
「釣り糸を垂らしているだけで、いつ釣れるかも分からない状況に短気な人が追い込まれて、それで我慢できるという感覚が分からない」
という思いである。
釣りというものが我慢するものだという感覚はない。釣れた時は感無量の喜びであることは分かるのだが、そこに行き着くまで我慢できるか、というのは、幸助にとっての最大の疑問だったのだ。
ただ、我慢というレベルの感覚ではないとすれば、釣り糸を垂らしている間、絶えず何かを考えているのではないかと思ったのも事実である。何かを考えているから、我慢できるできないの問題ではないという思いだが、では、絶えず何かを考えているその考えは、果てしないものなのかという疑問にぶち当たった。
果てしないものであれば、そこには、限界があるわけではない。限界のないものが何かを考えると、
「同じ考えを繰り返す」
というものであり、結論が生まれる寸前で、もう一度元に戻って、そこから考えるのではないかと思うのだ、
そうなると、自分が
「繰り返している」
という感覚があるのか、ないのか、幸助の考えでは、もし繰り返していると思っているのであれば、考えるという行為はそこで終わってしまうような気がしたからだ。
あくまでも果てしなく考えているという思いは、継続性のあるものだと、思うことだろう。
釣り糸を垂らしながら、海に浮かぶ浮き輪を見ながら、浮いたり沈んだりするたった数秒の出来事が繰り返される視界の中、頭の中ではどの程度の繰り返しが行われるのであろう。それを思うと、早くやってみたいという衝動に駆られるのだった。
釣り糸を垂れていると、なるほど、浮きが軽くではあるが浮き沈みした際にできる波紋が年輪のように見えてきて、切り株を思うように感じた。
「海にいるのに、山を思い浮かべるなんて」
という思いから、頭の中では不思議な感覚が浮かんできた。他の場所にいるのに、思い出すのは決まっているという感覚。それが釣り好きの人にはあるのだと思うと、何かを考えるということも、最終的に一か所に戻ってくるように感じると、何が楽しいのか分かった気がした。
かといって、釣りがそんなに単純なものだとは思えなかったので、そのまま趣味として続けることにしたのだが、釣りだけでは満足できない何かが感じられた。それは、
「何かを作る」
という感覚が釣りでは味わえないと思ったからだ。
幸助は小さい頃から何かを作ることへの創作というものに造詣が深かったのである。特に芸術的なもの。絵を描くのも一つであるが、小説やポエムなど、その時々で興味を抱くのだが、やってみるところまではいっていなかった。
ただ、絵画に関しては、以前からやってみたいという意識はあった。本当は小学生の頃から美術の時間が嫌いだった。なぜなら、
「汚れるのが嫌だ」
という思いがあったからだ。
特に絵画などは、学校の外に首からぶら下げる木の板に画用紙を敷いて描くというのをしていたが、いつも絵の具塗れになって、それが嫌だった。
別に綺麗好きというわけではないが、自分が不器用なだけで汚れてしまうことを、自分のせいだということを意識として持たなかったからである。
「図工や絵画なんて授業がなければいいんだ」
という思いが先に立っていて、それだけわがままだったとも言えるのだが、そう最初に思ってしまうと、その後絵画に興味を持ったとしても、やってみようと考えることはなかった。
それは性格的に、
「一度思い込んだら、ブレることはない」
というものがあったからだ。
それはいいことに違いはないが、自分を成長させるという意味ではマイナス面が大きかったのかも知れない。
だが、大学三年生になり、釣りにも出かけるようになると、汚いことへの抵抗はいつの間にかなくなっていた。絵具と釣り餌などでつく汚れのどちらが気持ち悪いかといえば、比較にならないほどであることから、却ってこの二つを結び付ける感覚がなかったのだ。
だから、釣りを趣味にしている時に、一緒に絵画をしてみようという思いにならず、釣りに対して嫌いになったわけではないが、飽きを感じてくるようになると、それまで頭の中で燻っていた、絵画というものが急にクローズアップしてくるようになったわけである。
絵画をするにも、どこか静かな自然あふれるところで何を描くかということを考えてみた。
今までの釣りはすべて海釣りだったので、もう海はいいという思いに至っていた。そうなると山になるか、それともどこかの高原になるか、それを考えるようになった。
山奥というよりも、そこか森の中にある湖畔が頭に浮かんできた。ちょうど自分の部屋に飾られているカレンダーを見つめていると、そこにはちょうど、遠くの方に山が見えていて、少し近づけば森に囲まれている。その中央には湖がまるで太古の昔からまったく風景を変えずに佇んでいるかのように見えるのだった。
それを見た時、
「ここだ」
と思った。
さすがにカレンダーに描かれている場所が分かるわけではなかったので、そこに近い場所ということで探してみることにした。図書館や旅行会社のパンフレットなどを見たり、旅行センターで聞いてみたりした。今までであれば、自分から旅行センターに入って、実際に話をするなど考えたこともなかったが、話をしてみると結構話す内容もあって、充実していたような気がする。ちょうど、そういうリゾートに詳しい人がいて話を聞くことができ、大いに興味を持ったので、
「ちょっと検討してみます」
と、前向きに考え始めた。
実際にその場所への興味が薄れることもなかったので、自分の中で変わるはずはないと思っている気が変わらないうちにということで、その場所に行ってみることにした。
絵画の道具はそれなりに揃えていた。そこまでかさばるものでもなかったのはよかったと思う。
絵画を目的にやってきた高原のような場所だったが、大きな池に浮かんでいるボートを見ているだけで、創作意欲が湧いてくるという心理状態の方が不思議な気がした。実際にキャンバスを広げてプロの絵描きにでもなったかのようなやり方が、幸助には向かなかった。どちらかというと、ひっそりと描きたいというイメージがあり、上手でもないのに、まるでプロのように見られるのは嫌な方だった。
そのくせ、注目を浴びたいタイプだということに気付いたのも、実はこの時で、ちょうどその時、数組のレジャーを楽しみにきていた人たちがいたが、絵を描く人が自分だけしかいないということに、悦に入っていた。
家族連れもいれば、カップルもいた。都会で見ればただそばを通り過ぎるだけの人たちなのに、こうやってそれぞれの存在感を強く示すことができているのも、壮大な自然環境が、そうさせているのではないかと思えた。
絵を描くことに関してはまったくの素人で、まずどこに筆を最初に堕としていいのかすら分からない。しかし、筆を落とさないわけにはいかないので、あくまでも感性で落としてみた。
「最初からプロのようなうまい絵が描けるわけではないので、最初はいろいろやり方を自分で試してみようという気持ちでやればいいんだ」
と考えていた。
その思いがあったので、最初にどこから描き始めるかということに悩むこともなかった。今回は左端から描いてみようと思ったのだ・
絵画の感覚、つまり画用紙を埋めていくという感覚は、自分の意識の中で、将棋という競技と、ジグソーパズルという遊びに似ているような気がした。
将棋というのも、最初にどこから動かすかというのが一番の肝になるものだということを聞いたことがあったからで、ジグソーパズルも同じように最初が肝心だという思いと、もう一つは、最後になればなるほど難しいという感覚である。
最後になってピースが残り少なくなってくると、
「一つ間違えればうまくいかない」
という思いが残るからで、それは双六にも同じことを感じた。
最後にうまくゴールに入るだけの数字を引かなければ、行き過ぎて戻ってきてしまうのだからである。
そんな幸助だったが、三年生の間は、釣りと絵画に嵌ったのだが、それまでに感じたことのなかった充実した一年を過ごせたという気分になっていた。
四年生になると、少し趣味は封印して、就職活動に勤しむようになった。成績には自信があったので、何とかなるだろうという楽天的な発想を持っていたのは事実で、少し調子に乗っていたのも事実であった。
最初は少々の大手企業も視野に入れながら就職活動を行っていたが、思うようにいかないというのが実情だった。
「こんなものなのか?」
と自分に疑問を持ち、少し自信喪失していたのだが、地場大手企業などから少しずつ内定がもらえるようになると、少し安心できてきた。
自分の成績や、まわりが見るレベルから考えると、決して成功と言える就職活動ではなかったかも知れないが、まったくの失敗でもなかったという意味では、それなりによかったような気がした。何が悪くて何がよかったのか、後で反省をしてみる気にもならなかったので、あまり考えることはしなかったが。安心すると、他で内定をもらった友達と、一緒に食事に行こうと誘われた時、別に断る理由のなかったので、ごく簡単にオーケーを出した。
中華料理のバイキング形式のお店で、バイキング専門のお店ではなく、少々高級に思えていたお店が、百貨店の催しとしてバイキング形式を試みるというものだった。
「普段バイキングをしない高級店なので、ひょっとすると他の食い放題の店と違って、本当においしいかも知れないぞ」
と言われて、幸助もその気になって店に行ってみる気になった。
それが、まさかの再会を及ぼすとは思っていなかったので、自分でもビックリした幸助だったのだ。
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