第2話 預言者

 赤魔術十字軍では、その頃、宗教団体としての力の方が強かった。そこにカリスマと言われる女性が誕生したからで、降天女帝と呼ばれていたという。もちろん本名などは誰も知らず、軍団の間、そして世間一般にもその名で呼ばれるようになった。

 彼女の名が世間一般で呼ばれるようになってから、彼女の名前の前置きとして、

「預言者」

 という言葉が付くようになった。

 彼女はいわゆる「預言者」であって、「予言者」ではない。この言葉の意味を自ら語ることで、彼女を崇拝する人間は増えていったという。つまり、

「『予言者』というのは、ただ、先のことを予知し、それを語るものであり。私のような『預言者』は、自己の思想やおもわくによらず、霊感により啓示された神意(託宣)を伝達し、あるいは解釈して神と人とを仲介する者です」

 と言っていた。

 つまりは、自分が預言したことは人間に対しての啓示であり、これからの未来を暗示させながら、正しい道へと導くお告げのようなものだというのである。

 普通の予言ではなく、神の名を出されると、この時代のように、神も仏もないと思われているくせに、実際には神や仏の到来を待ち望んでいるかということを示しているようなものであった。

 女帝と名乗っているのは、あくまでもその前の「降天」、つまり、

「天から降ってきた神の使いだ」

 と言いたいのだろう。

 今のように新興宗教の恐ろしさや、過去の犯罪が公になっていると、警戒する人も多いだろうが、まるで世紀末のような時代に、

「いまさらこれ以上悪くなることはない」

 と思っている人から見れば、頼りたくなる気持ちも分からなくもない。

 そんな彼女に目を付けたのが、赤魔術十字軍の、反社会集団の方だったというのは皮肉なことだった。

 どのようにして彼女を発見し、そして仲間に引き入れたのかそのあたりはよく分からないが、彼女の力、いわゆる預言とカリスマ性は信者に絶対の信頼があり、世間の人をも魅了していったことは事実だった。

 彼女は年齢的にまだ三十歳にも満たないくらいだったが、その容姿たるや、年配の男性から見れば、まだ幼い少女のような純潔さを見出していたが、逆に若い男たちから見れば、頼りがいのあるお姉さん、いや、崇拝する教祖様にしか見えなかったに違いない。

 さらに彼女には見られると、石になってしまうのではないかと思われるほどの目力があり、彼女こそ現在のギリシャ神話における「メドゥーサ」なのではないかと目されていたのだ。

 ギリシャ神話における「メドゥーサ」というと、頭髪がヘビになっている神話上の女性のことだが、見たものを石に変えてしまう力があったとされる。その血液は毒を持っていて、その頭をまともに掴むことはできないともされている。しかし、彼女の力は果てしないものであり、その証拠が、彼女の武器である見ると石に変えてしまう魔力は、彼女の死とは関係なく、殺された後でも、石に変えることができるという。もちろん、石に変えることができるのは人間だけではない。見たものすべてを石に変える。どんな大きな怪獣であってもそれは同じことだった。

 しかし、説としては、右側の血管から流れ落ちた血は。死者を蘇生させる力があるという。つまり人を殺す力を持っているのは、左側の血液ということになるのだが、なかなか知られていることではなかった。

 教祖である後天女帝は、そのことはもちろん知っていた。そして、それを巧みに使って、自分の信者を増やしていき、

「アメとムチ」

 のようなやり方で、秩序を守っていたのではないかと言われていた。

 もちろん、これは軍団内の話であり、世間一般には、世間を幸福に導く女神が君臨しているという宣伝をしていたのだ。

 彼女の言葉は一般的な予言ではないので、世の中を恐怖のどん底に陥れるようなものはあまりなかった。だが、時々世間があっと思うような預言をした。それはそれまでの甘いやり方に慣れている人々に刺激と驚愕を与え、より自分たちを印象付けるための演出であったことは言うまでもない。

 その預言が当たるか当たらないかというよりも、彼女がいつその預言をするかということの方が世間では関心を買っていた。

 実際に彼女が行っていた預言というのは、人が死ぬことへの預言であった。ただ、実際にはこれは預言ではなく、予言である。予知とも違う、予見でもなかった。

 彼女は統計学から割り出した内容で、実際に殺害されている人がいるのを確認してから予言をしていたからである。当時はどこで何が起こるか分からない時代であったが、中には犯罪者心理を知り尽くしていれば、次の殺人がどこでいつ行われるかというのは、ある程度まで予見することができるだろう。彼らの経済力を持ってすれば、その主要のところに見張りを置いておき、犯行が行われるのを実際にこの目で見させて、殺害が遂行されたのを見て、警察に通報する前に本部に知らせるのが役目だった。

 彼らには、人間としてのモラルも、そして正義感などまったくなかったと言ってもいい、それこそ、教祖のマインドコントロールによって、そのようにされていたのだ。殺害現場を平気で見られるようにするのだから、正義感やモラルのどというものを持っていると、邪魔になるだけだからだ。彼らは見たことを忠実に本部に連絡する、ただそれだけの役目だったのだ。

 それこそ、この軍団の一番恐ろしいところなのかも知れない。殺人が行われているところをまるでテレビドラマをお茶の間で見ているような感覚で見て、一番注意することは、自分たちが見つからないようにすることだけだった。

 そして、見たことで必要最小限の情報を教祖に送る。そして、教祖はまるで今自分が心理眼で見ているような芝居を打つ。それくらいは朝飯前のことだった。

 種を明かせば何ということのないトリックなのだが、何が恐ろしいと言って前述のように目の前で人殺しが行われているにも関わらず、それに対して何ら恐怖心も抱かず、正義感も持たずに、冷静に見ることのできる人間、そして、それを自分たちの利益のためだけに平然と使う、軍団のすべての人々。

 もちろん、その人々を洗脳しているのは、この教祖であるが、実は本当に恐ろしいのかここではない。

 本当に恐ろしいのは軍団の中でのことではないのだ。むしろ一般市民の方が恐ろしいと言える。

 なぜなら、こんなにあからさまな陳腐な手品の種を誰も看破する人がいないということだ。

 世間にはこれだけたくさんの人がいて、そのほとんどの人は、この軍団の全体像は知らなくても、この教祖と、教祖が所属している表向きの教団は知っている。そして、その教祖が恐るべき、預言をして、的中させているということをである。

 普通であれば、これだけたくさんの人がいるのだから、その半数近くは、

「こんな胡散臭いのは信用できない」

 と思ってしかるべきだろう。

 最初に出てきた頃は、世間でも批判的な意見も多かったはずだ。

「出る杭は打たれる」

 というではないか。

 それなのに、預言がどんどん的中し、教祖が、

「これは事実だけを語る予言ではなく、私が神から啓示された預言なのだ」

 と言えば、いかにもそのように聞こえてくるとしても、それは当然のことなのかも知れない。

 占い師ではできない大予言を、この教祖はやってのけるのだ。

 占い師の占いというのは、よく言われることとして、

「当たり前のことをさもその人にだけ当て嵌まるように言って、心理的にこちらの言っていることがすべて正しいと思わせる」

 という、いわゆる「バーナム効果」というもので形づけられていると言われているが、誰もがこの教祖は、そんなことはなく、やはり神のお告げを伝えてくれているんだと思い込んでいる。

 これこそが、本当の「バーナム効果」をはるかに凌ぐ、マインドコントロールではないだろうか。

 神という言葉を口にすると、ある程度までの信憑性がないと、胡散臭いと思われて終わりだが。ここまで的中してしまうと、胡散臭いどころか、本当に神はいるのではないかと信じてしまう心理が働くのだ。

 それこそが教団の狙いで信者を増やすとができるというものだ。

 そして、ここで信者になった連中に、さらなるマインドコントロールを与え、今度は軍団の兵隊として利用しようという方法が企てられていた。

「信じる者がいるから、信用させることさえできれば、マインドコントロールなど簡単なことだ」

 と教団に言わしめた世間が、本当に恐ろしいことなのではないだろうか。

 これは時代が、教団を望んだのか、教団が望んだ時代だったのか、そのどちらもが合致したことで神様をも巻き込んだ大掛かりな集団として君臨することになる。

 しかし、時代が教団の望んでいた時代から離れていったのは、時代としては当たり前の頃だったが、彼ら教団にとって、予期していないことだったというのは、何とも皮肉なことだった。

 当然、時代の変革がないなどということはなかったのだろうが、教団としては、その変革のスピードを見誤っていたのかも知れない。

 彼らとしては、軍資金を蓄えるまで、教祖の力をどれくらいまで持続すればいいかを当然計画として持っていたのだろうが、そこに達する前から時代背景が変わり、社会が次第に豊かになっていったのだろう。

 そこには、朝鮮戦争の特需や、その後のいろいろな電化製品の開発が後押ししたのだろう。

 朝鮮戦争に限っては、その特需から得られた財産が今の教団を作ったのだから、恨むとしてもそれは本末転倒であるのは分かっている。しかし、こんなに皮肉なことがあるだろうか。実際の計画をもう少し謙虚に考えていれば、ここまで焦ることはなかったのだろうが、彼らは計画をギチギチに考えていた。それによって、軍団員の士気を高めようという意識もあったのかも知れないが、それによって締め付けられたことで、今度はその締め付けが表に出ようとして無理をすることになる。

 その煽りは教団に向けられたことは間違いない。

 この団体は、悪事を働く団体に漏れることなく、自分たちの中を引き締めることに力を注いでいた。徹底的な情報統制を行い、余計なことを吹き込まず、マインドコントロールを行う。まるでソ連を中心とした共産主義にありがちのことではないかと言われていたのだ。

 そんな彼らをマインドコントールしていたのが、この教団だったので、今度は自分たちが崖っぷちに立つなどということは考えていなかっただろう。何と言っても予言がいかさまである以上、予知すらできないということになる。

「自分たちが考えたことで予知などできるはずはない」

 それこそが、まるで、

「鏡に写った自分の顔を見た時」

 に似ているのかも知れない。

 自分の顔というのは、鏡などの媒体がなければ普通であれば見ることはできない。自分の声を聞くというのも同じことだ。

 だから、

「自分のことを一番知らない人間は、その本人なのだ」

 という禅問答のような話も出てくるのだろう、

 さて、時代が変わったことで、人々が豊かになると何が起こるか?

 それは今までのように、陰惨な事件が、いつどこで起こるかということの予測がつかなくなったことだ。

 絶対的に陰惨な事件が少なくなってくる。それまでパターン化しているのを、

「見る人が見れば分かる」

 という感じで、何とか予測することはできた。

 そういう意味で、この教祖も、

「見る人側だった」

 と言ってもいいかも知れないが、明らかにまやかしであったことには違いない。

 それがまったく予想ができなくなると、預言にならなくなる。

 かといって、人々にいい預言をしたとしても、そこから教団に入る人はそんなにいないだろう。

 あくまでも混乱した時代に、助けを求めるために入ってくるのであって、その方が洗脳しやすいというのもあった。しかし、今いいことを言って団員が増えたとしても、果たしてマインドコントロールができるかと言えば、難しいとしか言いようがない。

 そもそも、いいことであっても預言は不可能だった。それこそまっやくデータが存在していないからだ。

 動物でも二元も同じだが、

「その人にふさわしい場所というものが存在する」

 ということである。

 教団にもふさわしい時代が存在したのだが、その時代が過ぎ去ってしまった。いずれはそうなるかも知れないと予見していた人もいたかも知れないが、時代の流れは容赦なく過ぎ去るだけだったのだ。

 何とも皮肉な話だが。それでも死活問題を何とかしなければいけない。その手段の中で一番安易で簡単なことは、一番してはいけないことであり、まさに一種の「パンドラの匣」を開けてしまうのと同じことだった。

 実際の実行グループは三つほど存在する。一つのグループには六人がいて、それぞれ実行の他に、見張り、運転手、もし見つかったりした場合の、

「仮の犯人」

 すら用意していた。

 見張りは必ず二人、運転手は戯鳥、場合によっては二人、二人の場合は、もし追跡者があれば、二手に分かれて逃げて、相手を煙に巻くため。そして仮の犯人としては、あくまでも逃げ遅れたという設定で、警察の目を欺いて、本体が逃げるために用意された。いわゆる戦国時代などで言われる「しんがり」である。

「しんがり「とは「殿」と書いて、撤退線になった時、本体を逃がすために、最後尾に設置され、全滅を恐れずに、追手の矢面に立つことを使命づけられた部隊だった。一番危険ではあるが、名誉ある部隊でもある。出世を夢見る下級武士の中には、名乗り出るような勇ましい武士もいたことだろう。

 しかし、あくまでも囮であり、全滅することも宿命とされた部隊だ。普通ならば嫌がるもので、戦争中であれば、神風特攻隊の覚悟に近いものがあるだろう。

 それを、いくら自分が身を寄せた軍団のためであるとはいえ、それに成功したからと言って、褒美や名誉が受けられるわけではない。戦国時代なら名誉であり、神風特攻隊でも、二階級特進などと一緒に、明らかにお国のために死ねたとして、残された家族の名誉にはなったことだろう。

 しかし、こんな裏の団体で、しかも世間から暗黒の団体と目され、まるで国家反逆罪に匹敵すると言われている団体を守るための行動に、何の、どこから栄誉などがあろうことか、せめて釈放されて戻ってくれば、団体内で特進できるかも知れないが、それも確約されたわけではない。少し傾きかけ、時代に翻弄されかかっている団体である。しかも数年前までは国家もその実態すら掴めないという天下無敵と目された団体が、ちょっとした時代の変化でここまで脆くも時代という見えない力に飲み込まれそうになっている中、自分たちだけが人柱になることで、どこまで助かるというのだろう。

 やっていることは、今でいえば、完全にマスコミによる、

「やらせ行為」

 である。

 団体が隆盛を極めている時であれば、世の中を欺くことは、世間への嘲笑となり、自分たちの力を見せつけることで、やりがいもあったが、今のように負のスパイラルを背負ってしまうと、下手をすると、

「何か行動を起こすことが余計に自分たちの首を絞めることになるかも知れない」

 という懸念を持っている人は実は下っ端に多く、本来であれば持たなければいけないはずの幹部連中には見えていないという最悪の状態になっているのかも知れない。

 この団体の中には、元軍部にいた人が幹部として君臨している人も少なくない。彼らにはそのことが分かっていないのだろうか。

 彼らの目的は、

「とにかく、預言ができるところまで持って行って、どんどん会員を増やさなければならない」

 というところにあった。

 いわゆる宗教団体の方は、経営でいうところの、

「自転車操業」

 なのだった。

 自転車操業をするには、会員制の商売であれば、会員を増やさなければ、そこで終わってしまう。会員を増やすには、宣伝や広告で募集するのが一番だ。今であれば、新聞広告などの折り込みチラシ、テレビCM、さらにネットでの広告などになるのであろう。

 しかし、彼らのような宗教団体に、新聞広告などの広告が打てるはずもない。そうなると、いわゆる「実演販売」つまりマネキンさんがスーパーの角で試食サービスなどを行うようなやり方だ。

 それが、この団体でいえば、

「預言を行い、それを的中させること」

 でしかない。

 そのために、今その預言的中という今まではそんなに苦もなかったことが、今はできなくなっているという状況を打破するしかなかったのだ。

 そのためには何をするか、答えは簡単である。もちろん、それは一番安易な発想でしかないが、他に妙案があるとも思えない。つまりは、自分たちで犯罪を起こして、それを預言して見せるという、

「自作自演」

 という一種の茶番でしかないのだ。

 ここまでしなければいけないわけだが、さすがに見つかってしまうと、すべてが気泡に帰するだけではなく。団体自体の存続が危なくなるという、本末転倒の結果になってしまうのだ。

 何かをするとしても、建前は、

「教祖は何も知らぬこと」

 として、済まされてしまう。

 実際に行動するのは、部隊があって、彼らはそれなりのエキスパートで形成されているのだが、そこをさらに訓練する。元々は軍隊出身で、気持ちとしては、再軍備を目指している連中なので、テロやクーデターは望むべき考えを持っている連中であった、

 そんな彼らを雇うには、実際に直接交渉する場合もあるし、どこかのやくざな団体に所属していれば、お金で交渉し雇い入れることもあり、さらもひどい時には、人知れず誘拐してくることもあった。身代金を要求するわけではないので、営利誘拐ではない。まるで人身御供のようなものだった。

 彼らの本部は、どこかの島にあるらしい。一つの島がまるで要塞のようになっていて、この時代ならばこそできることだった。

 しかし、支部は都会のいたるところにあり、

「まさか、こんなところに」

 と思うような場所にある。

 しかも、根拠となる場所をちょくちょく変えるので、同じ犯罪を捜査されているとしても、捜査をかく乱させることができる。いくら警察といえど、今までいた連中が入れ替わっていたとしても、入れ替わった相手も同じ集団で、別の事件を画策しているなど、夢にも思っていないだろう。

 それが彼らの狙いであった。この狙いは功を奏して、今まで行った犯罪が露呈したことはなかった。

 ここまで厳重な彼らであったが、一番の懸念は、内部告発だった。

 この組織のことをある程度知っている人間が、クーデターを起こしたり、警察に内部情報を漏らすなどあってしまっては、せっかくここまでの体制と取っているのに、まったくの無駄になってしまう。

 彼らは内部で、自分と同等のクラスの人間を監視する役目も帯びていた。行動監視はもちろん、行動計画までしっかりと本部に報告していたのだ。そして彼らの役目の中での優先順位としても高い位置にあったことで、彼らがどれほど組織運営に対して神経質になっているかが分かるというものである。

 もし、なニア怪しいことが判明すれば、一応の弁明は聞くとしても、最終的には処刑される。弁明を聞くのは、クーデターを起こそうとする人間の心理や、バレた時にどのような申し開きをするかで、その度合いで真剣さを図ろうとしているだけであった。決して相手を許すなどという気持ちは欠片もなかったのである。

 まるで血も涙もない連中だけに、人を殺すなど、何とも思っていない。軍淳出身者が多く、下部組織の兵隊と呼ばれている連中は、そのほとんどが復員兵で、復員兵への差別や誹謗中傷に耐えられなくなった連中が、自ら組織に入ってくることも珍しくはなかった。

 そう考えると、彼らがこの世界に飛び込んできて、工作員として世の中に災いをもたらすのは、世間からしても、自業自得と言えるのではないだろうか。いくら世の中が混乱期であるとはいえ、本人たちは天皇、国民、自分たちの家族のために一度は命を捨てたのだから、それも当然であろう。

 それなのに、復員してくると、

「どうして生きて帰ってきたんだ? 戦死した仲間に申し訳ないと思わないのか?」

 などと言った誹謗中傷を浴びせられ、

「そうか、俺は死ななければいけなかったんだ」

 と思いこみ、かといっていまさら死ぬこともできない。

 そんな状態は、これほど中途半端なことはない。前に進みこともできず、後ろに戻ることもできない。さらにその場にとどまってもいけない。では一体どうすればいいというのだろう?

 そんなことを思っていると、戦場が懐かしくなるのではないだろうか。いつ死ぬか分からない。

「今日は生き残った。じゃあ、明日では?」

 そんな思いを毎日抱いていたのが、何と懐かしく感じられるのだ。

 あの頃思っていたのは、

「どうせ俺は死ぬんだ。でも死ぬなら立派に相手を撃滅して、華々しう散り、そして残った家族は、息子は天皇陛下のために立派に死んでくれたと言って、墓前でこの俺を褒めてくれるだろう。それが一番の望みであり、生まれてきた甲斐があったというものだ」

 ということだった。

 それがずっと頭にあっただけに、日本が戦争に負けるなど、まずそこから信じられない。すべてがそこで狂ってしまったのだ。

 戦争に負けるなど、誰が想像していただるか。もちろん、相手を考えれば誰でもそう簡単に勝てるとは思っていない。歴史を知っている人は、

「緒戦で華々しい価値を治めて、相手に戦意喪失したところを狙って、和平を申し込み、こちらの優位な条件を得られればいい」

 ということは分かっていただろう。

 戦前、戦時中の人は分かっていたはずだ。

「バケツリレーや竹槍訓練などまったくの無駄だ」

 ということをである。

 しかし、だからと言って、戦時中の対策が悪かったというわけではない。防空壕を作るにしても、灯火管制にしても、建物疎開にしても、当時の専門家が考えてのことだったはずだ。

 何と言っても、日本の科学力というのは、世界に引けを取らない。明治以降の戦争で活躍した兵器で日本が開発したものもたくさんあり、その甚大な効果は実証されている。

 例えば日露戦争の時の下瀬火薬や、上海事変における渡洋爆撃、さらには真珠湾攻撃における零式戦闘機や最新式魚雷の開発など、日本が開発した兵器から見ればこれもまだ、氷山の一角である。

 戦術が悪かったということもないだろう。戦術に長けていなければ、いくら何でも最初の半年間で、あれほどの全戦全勝などという快挙は成し遂げられなかっただろう。

 そうなると、根本的な戦争に対しての姿勢が間違っていたのかと言えるのかも知れないが、それ以上はここで言及することはよすことにしよう。

 そんな状態で、戦場では地獄絵図が繰り広げられた。戦陣訓の教えに従って、

「虜囚の辱めを受けるくらいなら」

 ということで、自決や玉砕などというものが起こったものだから、戦場では足の踏み場もないほどの死体を見てきたに違いない。

 人が死ぬということや、死体に対しての感情がマヒしてしまっている状態で、さらに自分たちに対して誹謗中傷を浴びせられると、本当に死ぬしかないと思ってしまうだろう。そんなところへ、自分たちの生きる道を示してくれる相手が現れれば、何としてもその人のために命を捨ててでもと思うのは道理である。

 そんな世界に世の中はなってしまったのだろうが、彼らとて、人殺しを楽しみにできるほどの人間ではない。自分たちを誹謗した連中に対しての恨みはあるだろうが、ある特定の人物というわけではない。だから恨みを晴らすと言っても、誰を攻撃していいか分からないし、彼らとて、無駄な血を流したくはないと思っている。

 何か目的でもあれば別だが、その目的をこの団体が与えてくれた。

「もう一度、軍国主義を復活させて、今度こそ、列強に一泡吹かせるぞ」

 と言われると、できるできないは別にしてその気になる人もいるだろう、

 何しろ一度は命を、南方や大陸に捨ててきた連中である、いまさら死を恐れることはない。死を恐れるのは、戦争が終わったということで一息ついてしまい。安堵を感じてしまった人なのだろうが、彼らには一息つく暇も、安堵に胸を撫でおろす暇もなかった。ただ、恨みに燃えているだけで、その恨みの矛先が分からないだけに、大きなジレンマが彼らを苦しめていたのだ。

 そんな彼らが兵隊になり、上層部の手や足となって働くのだから、そんな彼らを洗脳することも難しくはない。

 そこで雇われたのが、教祖となった降天女帝と呼ばれる女だったのだが、戦闘員の専横だけではもったいないと考えた上層部は、彼女を使って、

「総国民、洗脳化」

 を目論んだと言ってもいいかも知れない。

 実際に全国民を洗脳などできるはずもないが、少しずつ洗脳していき、少人数の間は、水面下で進めていき、決して世間で話題になるようなことはなかった。公安が怖いというのもあるが、彼らとしては、同じような団体が存在し、それを知らないということが怖かったのだ。自分たちも秘密裏に、ゆっくりと、そして着実に組織を大きくしているのだから、同じような団体が水面下でくすぶっていると言えなくもない。相手も同じ思いかも知れないが、ここでことを大きくするわけにはいかない。

 かといって、ライバル分子の存在が分かっているのに何もしないというのは、士気にかかわる問題ではないかとも言えるだろう。見て見ぬふりしかできないので、ここも軍団としては存続に対してのジレンマとなって押しかかってくることもあるのだ。

 それでも、幸いにも似たような団体の存在は確認できなかった。

 実際には、別動隊がそんな組織を捜索するという任務を帯びて行動していたのだ。もし存在するとすれば、こちらも死活問題に陥るからだ。しかも、相手もこちらを調査しているとすれば、いざ衝突した場合、まったく情報を持たない自分たちが不利なことは一目瞭然だからだ。

 その頃から反社会的な勢力と、宗教団体との二部構成になった。反社会的勢力は、朝鮮戦争の後、どんどん伸びていって、宗教団体を上回る勢いを示し、その差は広がるばかりだった。

 当然、宗教団体側の首脳陣は焦っただろう。自転車操業という地道(?)な会員募集だけではなかなかうまく行かず、次第に会員を洗脳するようになる。洗脳した会員が反社会的組織に流入するということもあったが、どうしても、軍団全体的に見れば、その差は歴然だった。

 そのうちに会員も頭打ちになってくる。自転車操業すらままならなくなってくると、それこそ存続の危機だ。

 何しろ、社会的に許される団体だったわけでもないので、この宗教団体が破綻するということは、彼らの命運も尽きるということだ。

 つまり、

「世に出してはいけない団体だ」

 ということなのだ。

 これが明るみに出ると、社会は混乱し、せっかくの母体までもが、存続の危機になる。

 決して表に出てはいけない団体なのだ。いくら警察と言えども、この宗教団体と、半社会的勢力が同じ軍団だということは分かっていないだろう。

「赤魔術十字軍」

 という名前は知っていても、その実態は、警察の公安でも藪の中のはずだからである。

「警察なんて、しょせんそんなものさ。数年前までの官憲や、さらに特高警察などであれば、恐ろしい力があったのだろうが、今では民主警察などと言って、その権力はほどんど皆無のはずだからな。怖いものはないさ」

 というのが首脳陣の警察への意識であった。

 その意識は政府に対しても同じだった。

 それよりも恐ろしいのは占領軍であったが、彼らも今は日本国に主権を返却うる動きがある。

 社会情勢として、朝鮮戦争で代表されるように、共産主義の力が大きくなってきた。それを防止するためには、日本を防波堤にする必要がある。そのためにはある程度日本に主権を回復させる必要がある。

 というものだった。

 日本に主権は回復させても、基本的に軍事は放棄である。そのため中途半端な自治になり、結局は連合国が許可しないと何もできない国成り下がっていたのだ。

「占領された状態での主権回復と言っても、しょせん、そんなものさ」

 と思っていた、

 しかし、、ここで少し問題が起こってきた、

 兵隊である連中への触れ込みとしては、

「日本を再軍備させる」

 というものだったはずだ。

 その大義名分がなくなってしまうと、彼らがついてくるかどうか難しい。いくら洗脳したと言っても、これだけの人数だ、少しでも歯向かうやつが出てくると、次第に膨れ上がってしまう懸念がある。

 その意味でも、宗教団体が衰退してくるのと時を同じくしていることから、その二つを同時に解決する方法が必要だった。

 それが、

「世間を騒がせる殺人集団の形成」

 だったのだ。

 これは、秘密裏に行ってはいけない。秘密裏に行わなければいけないのは準備段階だけで、実際の行動は派手にしなければいけない。

 犯行声明を出したり、予告状を送りつけたりなどのデモンストレーションが必要だったのだ。

 それを行った中心が、宗教団体だ。

 本当であれば、反社会的勢力の出番なのだろうが、窮しているのは宗教団体の方だった。

 しかも、警察や公安の方が、この活動を反社会的勢力による犯行だと思うだろうから、裏をかけるという意味でもよかった。

 いくら宗教団体の方だと言っても、その上層部は元々軍人で、しかも将校以上の人なので、作戦や行動指針を示すことには長けていた。

 一種のレンジャー部隊としての要素も兼ね備えていたと言ってもいいだろう。

 そんな彼らは次第に、

「殺人集団」

 としての地位を築いていった。

 世間がその力を思い知ることになるまで、それほどの時間は掛からなかった。あっという間に世間を一番騒がせる極悪犯罪として、世間を震え上がらせることになるのだ。

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