どこまで続いてるの?



「うわあ。すっご。砂浜が人で埋まってるじゃん。これ、どこまで続いてるの?」


 ぱっと開ける視界。

 陽光の輝きが、一気に増す。

 ついに辿り着いた鎌倉の海。

 しかし砂浜を埋め尽くすのは、薄着の人々の姿だった。


「まあ夏の湘南の現実なんてこんなもんよ。夏に浮かれたパーリィピィポォが目的もなく欲だけもって彷徨うばかりさ」


「どしたの蕗。急にニヒルに詩的だね」


 困り顔で藤田が笑う。

 ニヒルに詩的。

 それは俺にとっては、どちらかといえば褒め言葉だった。


「もう少し、歩くか。流石にここは人が多すぎて、海水がぬるま湯になってそうだからな」


「いいよー。今日は蕗に着いてくって決めてるから」


「お前から誘ってきたくせに?」


「そう。僕から誘ってきたくせに」


「ずるい奴だな、お前は」


「蕗を見習ったんだよ」


「どう意味だそれ」


「そのままの意味」


 悪戯な表情で、藤田は自動販売機で買ったミネラルウォーターを口に含む。

 差し込む光は季節に応じた熱を帯びているが、頬を撫でる潮風はベタつくけれど心地よいの涼しさ。

 人の波に濡れた海岸線に沿って、俺たちはもう少しだけ歩くことにする。

 

「由比ヶ浜に沿って、長谷の方を抜けるとなんか岩ばったところに着く。そこが結構穴場なんだよ」


「さすが。詳しい。本当に住んでたことあるんだ」


「なんだよ。疑ってたのか?」


「そういうわけじゃないけどさ。なんか、実感するっていうか」


 江ノ電でいえば、駅からはだいぶ遠いけど極楽寺のあたり。

 海に行きたくなって、俺が小さい頃に自転車で泳ぎに来ていたのはもっぱらこの辺りだった。

 今思えば、昔から俺は人のいないところに行くのが好きだった、ナチュラルボーン陰キャだったというわけだ。

 感慨深いね。

 ある意味素直に成長できて偉いね。


「結構かかる?」


「まあ、歩いたら30分くらいか」


「そっか。でも蕗とならすぐかもね」


「確かに。俺って下手な連ドラより面白くて続きが気になるって評判だからな」


「ははっ。それ、言えてるかも」


「なんだと! 舐めてんのかテメェ!?」


「ウケる。情緒不安定すぎでしょ」


 的確なツッコミありがとう。


「……あ、蕗。ちょっと待って」


「なんだ」


 段々と、僅かな差ではあるが減ってきた人々を眺めていると、不意に藤田が立ち止まる。

 手元にはスマホを持っていて、何やらペタペタと誰かと連絡を取っている様子が見て取れた。

 人気者は大変だな。

 俺のスマホは今日も受信の仕方を忘れたのではないかというくらい暇そうにしている。


「ちょっとそこのローソン寄っていい?」


「おう、いいぞ。てか俺も寄ろっかな」


「いや、蕗はダメ」


「なんで!?」


 いや、本当になんで?

 知らない間に俺、全国のローソン出禁になってる?

 

「悪いな。ちょっともう、我慢の限界らしい」


「我慢の限界?」


 我慢の限界。

 コンビニ。

 つまり、アレってことか?


「要するに、うんこだな?」


「便意より、もっと切羽詰まってる」


「それは、相当やばいな」


 うんこより緊急性の高い問題を、ローソン程度で解決できるとは到底思えないが、藤田はどこか覚悟の決まった顔をしている。

 うんこより切羽詰まったものってなんだろう。

 つまり、特大の練り糞ってことか?


「わかった。行ってこい。グッドラック。お前なら勝てる」


「なんの激励かわかんないけど、ありがとう、蕗。お前も、頑張れよ」


 腹に爆弾を抱えたイケメン兵士ソルジャーは、まるで永遠の別れかのような悲壮さを垣間見せながら去っていく。

 親友の便意が収まるのを待ちながら、俺は水平線に視線を泳がす。

 

 ざあざあ、ざあざあ、ざざざあざあ。


 低空飛行のトンビが、海辺でおにぎりを食べる少女の手元を掻っ攫う。

 無性にキリンレモンが飲みたい気分になったが、コンビニ出禁の俺にはまだ手にいれる術がない。


「……お待たせ」


「お、思ったより早かったな——」


 なんとなく懐かしい気持ちになっていた俺の背中にかかる柔らかい声。

 振り返れば、先ほどのローソンの中に吸い込まれ行った藤田の姿があった。

 しかし、なぜか俺は大きな違和感を覚えてしまう。



「今日はいい天気だね、蕗」



 心底嬉しそうな顔で、微笑む藤田に俺は動揺してしまう。


 なんだ。


 なぜだろう。


 やけに、藤田が可愛らしく見える。


 とうとう夏の暑さで、俺の頭がやられたか?


 それとも藤田が、便意の有無でホルモンバランス変わるタイプ?


 おかしいのは俺か? 藤田か?



 ——とにもかくにも、夏の海に佇む藤田は、俺にはもうほとんど美少女にしか見えなくなっていた。


 

 

 


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