起きてる?



「起きてる? 着いたよ、蕗」


 とんとんと肩を優しく叩かれ、そこで俺は目を開く。

 どうやら知らない間に眠り込んでしまっていたらしい。

 気づけば電車内はほぼ満員になっていて、ちょうど目的地である鎌倉に着いたところだった。


「おー、懐かしいな。相変わらず、人が多い」


「なんかちょっとテンション上がってきたかも!」


 観光客の波に乗って、俺と藤田は改札の外まで押し出される。

 意外にも蝉の声はそれほど聞こえない。

 熱気を帯びた風にもまだ潮の香りは乗っていなかった。

 

「どうする? 先に海? それとも飯? あ、僕、シラス食べたい! 生シラス有名なんでしょっ!? あ、というか江ノ電は!? 江ノ電乗ろうぜ!」


「落ち着け落ち着け。鎌倉は逃げないさ」


 わりと落ち着いている印象の強い藤田が、珍しくはしゃいでいる。

 最近なんとなく悩んでいる様子が見えていたから、少しだけ俺はほっとする。


「とりあえず海まで歩くか。江ノ電は乗らない」


「えぇー! なんでだよ! 乗ろうぜ!」


「鬼のように混んでるから嫌だ。まあ乗るとしても帰りだな」


「そうなの? まあ、仕方ない。今回は蕗に任せるか」


 あっさりと引き下がる藤田は、笑いながら、よっ、湘南ボーイ、なんてくだらないことを言っている。

 鶴岡八幡宮とは反対の由比ヶ浜方面に向かって、俺はゆっくりと歩き出す。

 

「でもこんないいところに住んでたことがあるなんて、羨ましいな」


「まあ、実際には俺が住んでたのは北鎌倉だから、どっちかっていうと山寄りだけどな」


「そうなんだ。じゃあ、実は海より山派だったりすんの?」


「いや、山よりは海だな。海よりは家派でもあるけど」


「ははっ。なんだそれ」


「海はもっぱら雨の日によく行ってた気がするな」


「雨の日に? なんで?」


「ほら、海って、ベタベタするだろ? 雨の日は、海から上がったら、すぐそのベタベタを洗い落とせるから」


「なるほどな。蕗らしい」


「それ、褒めてる?」


「微妙なとこ」


 微妙かよ。


「僕は雨が苦手だから、雨の日に海行くとか基本ないなー」


「そうだっけ? あれ。前に雨の日は結構好きみたいなこと言ってなかった?」


「そんなこと言った?」


「なんか初恋がウンとかスンとか」


「……ああ、なるほど。初恋、ね」


 最初は不思議そうな表情をしていたが、藤田は納得と言わんばかりに大きく頷く。


「そういう意味なら、そうかも。知らんけど」


「知らんのかい」


 俺のツッコミに、藤田は困ったように笑うだけ。


 段々とアスファルトに黄色い砂粒が混じり出す。



 海はもう、すぐそこだった。

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る