男だよな?



「……え? おい、高橋って、男だよな?」


 ひそひそと聞こえる噂話。

 困惑に満ちた騒めきが耳に届く。

 まだ朝のチャイムは鳴っていない。

 下駄箱を抜けて、階段を上がって、校舎を進んでいく。


 股の間がすーすーして、涼しいな。

 夏はこういうのも、たまにはアリかもな。


 名前のわからない同級生が、すれ違うたびにギョッとした顔を俺に向けてくる。

 他学年の担当をしている先生が立ち止まって、何か言いたげに俺の方を向いているが、それを無視して自分のクラスに足を踏み入れる。



「うーす。おはよー、蕗——ってえ?」



 自席に向かう俺に最初に声をかけたのは、やっぱり藤田だった。

 最初俺の顔だけを見て、いつものように和やかに手を振ったが、視線が顔から下に移動したところで、緊張に強張るのがわかった。

 藤田は、何を思っているだろう。

 俺たちが初めて会話を交わした時のことを、思い出しているだろうか。


「は? 高橋、なにその格好?」


 そして俺の目当ての相手が、思わずといった感じで言葉を漏らす。

 朝のこの時間帯は、いつも藤田に会いに来ている弓削だ。

 俺の姿を見つけた弓削は、露骨に嫌悪を見せる。

 すぐ近くに藤田がいるにも関わらず、いつもの素の口調が出てしまうほどには驚いてくれたらしい。


「よう。おはよ。藤田、弓削」


 なんでもないように、俺は挨拶を返す。

 クラス中が不自然に静まり返り、全員の視線が俺たちに集まる。

 目的はこの二人だ。

 他の奴らはどうでもいい。

 この二人に、今の俺を見せることに意味がある。



「……高橋くん、どうして女子の制服着てるの?」



 ——かかった。

 最初の動揺を落ち着かせたのか、普段の口調に戻した弓削が興奮を押し殺した表情で俺を見る。

 そうだよな。

 嬉しいよな。

 いつもいつも、どうにかして藤田から俺のことを引き剥がしたかったお前にとっては、こんなに嬉しいことはないよな。

 

「え? ただの女装だけど。なんか問題あるか?」


 そう、今の俺は、女子の制服を着て学校に来ている。

 きっとほとんど奴にはこの行為の意味が全くわからないだろう。


 どうして。


 その答えに辿り着ける奴は、いないと思う。

 学校でも友達がほとんどいない根暗が、いきなり女装して学校に来た。


 痛いよな。

 キモいよな

 面白いよな。

 

 これ以上ない見せ物だ。

 目の前の違和感と拒絶反応に支配されたお前なんかはもう、その攻撃性を抑えられなくなるよなきっと。


「……ううん。全然問題ないと思う! べつにうちの高校で二種類の制服あるけど、たしかどっちを着るかは自由だもんね! でも、ただ、一つだけ言ってもいい?」


「おう。なんだ?」


 弓削があくまで普通の会話みたいな雰囲気で、俺に絡んでくる。

 明るく、笑顔で、敵意はありません、みたいな顔をして、俺を傷つけようと企んでいる。

 嬉しいだろうな。

 これほど分かりやすい的をぶら下げている俺を、藤田の目の前で断罪できる。

 気持ち良すぎて、他に何も考えられなくなるはずだ。

 理由は考えずに、目の前の結果にだけお前は齧り付く。


「その、率直な意見なんだけど……あんまり、似合ってないよ?」


 静寂に満ちたクラスに、響き渡る大きくはないが通りの良い弓削の声。

 数秒の沈黙。

 そして、教室が哄笑に爆発した。



「——あははははははっ! おいおいどうしたどうした! 高橋いまさら高校デビューかよっ!」

「ぎゃははははっ! やべぇー! さすがにイキリすぎ!」

「きゃはっ! 三智花ちゃんのツッコミ鋭すぎでしょ! たしかに似合ってはない!」

「おいおい! 動画撮ろうぜ動画! これバズんじゃね!?」

「いや、普通にキモくね? 陰キャって目立ちたがる時の方向性がズレてんだよなー」

「うっわ。まじ無理なんだけど。ただの変態じゃん。ああいうのなんか女子バカにされてる感じしない?」



 弓削の一言で、教室の総意が決まる。

 高橋蕗は頭のおかしな女装癖の変態で、いくらでもイジっていい対象。

 まあ、こうなるよな。

 目の前の少数弱者を叩き潰す快感に乗っ取られて、こいつらは思考停止をしてしまう。

 どうして俺がいきなり女装なんてし出したのか。

 その理由を考えようとする奴は、多分ほとんどいない。

 でも、それは仕方がないことなんだ。

 俺は、ただ知っているだけだから。

 “あいつ”が、怒ることを想像できるのは、俺だけだから。



「やめろよ」



 べつに大きな声では、なかった。

 それどころか、ほとんど囁き声に近かった。

 だけど、伝わった。

 教室が水を打ったように静まり返る。

 集まっていた視線が、俺から藤田に移る。


「こ、小雨くん。べつに私は——」


「僕だってあるよ」


「え?」


 弓削の表情が、固まる。

 そうだろうな。

 意味がわからないよな。

 知らなかったら、そうなるよな。

 

 でも、もう手遅れだ。


 お前は女装をした俺を、否定してしまった。

 もう後戻りはできない。

 弓削は俺だけを否定したつもりだろうけど、実際は違う。

 もう一人、お前が最も否定したくない相手も、否定してしまったんだ。



「僕も女装したこと、あるよ……行こうぜ、蕗。たまには二人で、バックれようぜ」



 そう言って藤田は、少し寂しそうに笑う。

 一応言っておくが、俺はべつに女装癖なんてない。

 ただ、この状況を作り出したかっただけだ。


 本当に思うよ。

 自分でも自分が信じられないくらい性格が悪いって。

 だって、俺は知っていたから。


 誰にも言っていない、俺と藤田が友達になったきっかけ。

 初めて俺と藤田がきちんと喋った日、こいつもスカートを履いていた。


 女装癖があるのは、俺じゃなくて、藤田の方なんだ。

 

 


 

 

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