第19話 誤解だ! 誤解!
俺は失敗を犯した。
それは完全な不意打ちだったのだ。
「あ、オーナー。お客さんですよ。わたしの弟のお友達なんです」
「へえ、そうかい。宣伝ありがとねって、つばさくんに言っといてよ」
オーナー――つまり、マスターとも呼ばれるべき、カフェの主人がドアの向こうから出てきた。
なんの特徴もない……男だ。
白髪のまじった、なでつけられた髪。
ノンフレームの眼鏡、口元には髭。
中肉中背。黒基調のスラックスとベストを着用している。
コーヒーを入れる人、といわれて、はいそうですよね、という感じの――俺はヤツの目を見た。
向こうも、俺を見た。
がっちり交差した視線の中に――俺は異常な執念のようなものを見た。
あ、こいつオカシイな……そういう確信と共に、それは、ある種の異常者同士の共感を呼んだらしい。
「……っ!?」
人生の大先輩といえるほどに年の差の離れた男が、俺から視線をそらした。
それはいじめっ子たちがした反応に似ていた。
捕食者と、餌。
そういう力関係を一瞬で理解する、そっち側の人間。
それは接客上の技術だとか、そういう話ではなく、完全に、俺に対しての警戒心から逸らしたのだ。
俺は直観的に悟る。
こいつ、まさか……犯人なのか?
だが、決定打はない。
異常者とはいえ、なんの異常者かもわからない。
俺が黙っていると、羽風さんがじれたように言う。
「それで、景山くん。ご注文は?」
「あ、ああ……じゃあえっと、コーヒーで」
「ブレンドでいいの?」
「ま、まかせます」
苦いのかな……。
でも甘いのってどれだ?
ふふ、と羽風さんは微笑んだ。
「……甘くする?」
「はい……」
「じゃあ少し待ってね」
ブルン、と何かが揺れ、俺はそのブルンと揺れた何かに「お子様だねえ♡」などと言われている気分になった。
*
コーヒーを入れている間のオーナーさんとやらは、実に自然にふるまっているようだったが、俺の方をチラチラ見ているのは明白だった。
コーヒーを持ってきてくれた羽風さんは、本物のメイドみたいだったが、どうもトレーで物を運ぶときに危なっかしさを感じた。
熱湯を頭からかぶるのだけは避けたい。
「羽風ちゃん、オレちょっと、また倉庫にいるから」
「はーい。お客さんきたら、呼びにいきます」
オーナーは足早に倉庫へと消えた。
俺は即座に理解した。
きっとそこに何かある……たとえばカメラ、とか……?
だが、ここでツッコんで、仮にカメラを見つけても、警察に突き出すほどの証拠にはならないだろう。そもそも盗撮写真は外のものだし。
俺は気配が消えてから、羽風さんへ尋ねた。
「コーヒー待ってる間に、さっき、少し聞こえたんですけど……オーナーさん、俺が『ストーカーの件できた』って思ってるみたいですね」
羽風さんが目を丸くした。
「え? カウンターの向こうの小声の話、聞こえたの?」
「あ、いえ……地獄耳ってやつで……」
地獄耳っていう、スキルです。
「すごいねー――そうだね。つーちゃんも、マスターに『姉をよろしくお願いいたします』って何回も伝えてるし、わたしの関係者だから、そう思ったんじゃない?」
「なるほど」
「違うのにね?」
「え?」
思わず聞き返してしまったが、もしかすると、羽風さんは何も知らないのだろうか。
早見くんが伝えていないのかもしれない。
まあ、それは正しいだろう。身辺調査で、相手に何かを伝えると、逆にぎこちなくなって犯人が気が付くかもだし――とはいえ、マスターが犯人なら俺は、ちょっと失敗したかもしれないが。
聞きづらかったが、この際だ、と俺は決意した。
おっぱい枕とか言ってるメイドだったのが幸いした。
「羽風さん……早見くんが、心配してたんですけど、盗撮されてるんですよね」
「そうだね~、でも昔から、あるよ、カメラ向けられること」
何かに同意するように、何かがブルンと揺れた。
「う……あの、でも、手紙が届くんですよね?」
「それも、高校生とか、中学生の頃に、経験あるよ~」
「け、経験」
さすが、SSS級メイド女子大生。
戦歴が異世界帰りみたいだ。
「で、でも! 今回は、お風呂場の盗撮もあったとか……!」
「ないよ~」
「ですよね、全部写ってましたもんね……え? いまなんて?」
「全部って……あの写真、見た? 景山くん」
あ。
俺は羽風さんの顔を見た。
にっこりと笑っている彼女の顔にあわせるように、先日ちらりと見た肌色率の高い写真が浮かび上がってきた。
嘘はつけない。
「……見ました、すみません」
「なんで謝るの? だから、あれ、わたしじゃないって~」
羽風さんじゃない?
断定的な物言いに、ふっと言葉が生まれた。
別人なのに、同じ顔……?
「それって……え、あれ、まさか、合成?」
「たぶんそうだよ。だって、角度とかおかしいじゃない? シャワーのうえあたりからとってるような感じだったでしょ?」
「そう、ですね」
自撮りみたい、だったもんな。
「昔もあったもの。でも、最近の合成はすごいね。えーあい、とか使うんでしょ? でも、ホクロの位置とか、形とか、違うしね。すぐわかるよ。」
俺は、位置とか形とかの話がふくらまないように、話をまとめた。
もしそれがふくらんでしまったら、とんでもない方向に進むにきまってる。
「そうか……合成とか、生成とか、色々とできるのか……」
異世界転移前に見たおぼろげな記憶がよみがえる。
ベースとなる色々な角度の顔写真が必要だとか。
それさえ学習させれば、色々な画像を生み出せるとか。
どこまで本当かわからないが、普通に画像を合成するだけでも、AI搭載のソフトはだいぶ進化しているらしい。
では犯人はそんな多角の映像を、顔のアップを、どこで手にいれるのか……答えは一つか。
「……バイト先だ」
「ん?」
俺の思考は止まらない。
「羽風さん。倉庫って、更衣室とつながってるんですよね」
「つながってるっていうか、同じ部屋だよ」
「着替えるときに、裸になりますか?」
「ならないよ~。これ、下に運動用の短パンとか履いてるしね」
「下着にもならない?」
「うん。ならないよ~。ヨガをやるときの恰好になるくらい?」
俺は彼女の体を見た。
なるほど……。
わかってきた……。
「裸じゃなくても、合成写真のネタにはなるのか」
承認欲求を満たすために、相手に自分の行動を示す手紙――しかし当然、バイト先の盗撮画像は出せない。
でもそれは、素材として使えると。
やっぱりオーナーが犯人なのではないか。
だったら、俺の存在に気づかれたのは、どうなんだ?
全力で逃げられたら、面倒なことになる。
様々に分岐する思考だったが、羽風さんの言葉に、それは一本となった。
「ねえねえ、景山くん」
「はい」
「わたしの……裸に興味があるの?」
「は?」
思考停止。
体を見る。
いや、見ちゃだめだ。
視線を逸らす。
「だって、さっきから、裸、裸っていいながら、わたしの体見てるし……」
「ご、誤解です! 誤解!」
俺は誤魔化すようにコーヒーを飲んだ。
「あ、あつ!?」
で、軽くむせた。
コーヒーがぼとぼとと、俺の股間部におちていく。
「わ、大変大変。拭くね」
優秀なメイドは、即座にしゃがみこみ、タオルで俺の下半身を擦り始めた。
「え、いや、自分で……!」
「こらこら、逃げないでよ、景山くん」
「逃げてないですって!」
体を引くが、背中がボックス席の壁にあたる。
座席に足を投げるように、変な姿勢になるが、羽風さんは止まらない。
「ほら……こすってあげるから、こっちきなさい」
どうやら、お姉さんモードになっていた。何が何でも面倒を見るぞ、って感じ。
懸命にこすろうとするメイドさん。
逃げる俺はボックス席の奥へ。
俺の横にしゃがみ込み、ボックス席のほうに体をあずけるような体勢の羽風さん。
そのとき、ドアについたベルが鳴った。
「おねえちゃん、来たよー。先輩きてますか? ……え?」
早見くんだった。
彼は俺を見つけると、固まった。
そこに居たのは、学校の先輩がボックス席の奥に寄りかかるように背中をあずけ、さらに前傾で相手の下半身あたりに体を預けるような姉の姿。
羽風さんの顔は、おそらくボックス席の背中の陰にかくれ見えず、「んー、こすってもだめかなぁ」という変な声と、なぜか前後上下する、足と腰と、お尻……。
何かが、何かをしている、何かの体勢に見えなくもなくもない……。
「誤解だ! 早見くん!? ちょ、ちょっと! まじで違うんだよ!?」
「せ、先輩、お姉ちゃん……な、なにを……」
「ん、しょ――はい、終わり。たくさん、こすったし、もう平気だよ」
「こ、こすった!?」
「ズボンを! ズボンをこすった!」
「うん。上からこすったよ~」
「うえから、こすった!?」
「それは普通の日本語として処理してくれ!」
誤解が解けるまで、数分を要した。
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