171話 赤毛の花嫁と黒髪の聖女 3


「引き受けることにしたのね、いいじゃない」

「野菜も育てている地域みたいだし、トマトとジュリアさんの思い出にあるミルクスープでなにか作りたいんだ。トマト、今は採れない時期だけど、ジョンさんが思い入れがあるみたいだし、夏になったら地元のもので作れるでしょ?」


 夕食の支度をしながら、今日喫茶エニシで会ったことを恵真は瑠璃子へと報告する。今夜の献立は牛肉とえのきだけのオイスターソース炒め、大根と人参のきんぴら、じゃがいものカレー炒めにわかめの味噌汁である。

 手際よく大根を切りながらも瑠璃子は恵真の話に賛同する。


「そうね、今回トマトは持たせてあげたらいいのよ。あら、トマトの赤とミルクの白で紅白ね。縁起がいいじゃない? そうだわ、所以も考えましょ!」

「え、所以っているのかな?」

「おせちだって所以があるでしょう。おめでたい料理になるんだもの。せっかくだし所以も考えて、ジュリアさんが思い出の味なんですって胸を張れるものにしたっていいじゃない」


 瑠璃子のおせちの所以という言葉に、恵真は昨年のことを思い返す。

 季節の流れというのは大人になると早く感じるものだ。今年もあと残すところ、一か月と少しなのだから。

 皆と思い出を作りながら今年を過ごせたことに、恵真は心の中で静かに感謝する。

 周囲の人とは異なる日々を送る自分は『普通の生き方』からは外れてしまっているのかもしれない。しかし、今の自分は確実に数年前よりも笑顔が増え、自分らしさを取り戻しているのだ。

 

「ほらほら、恵真ちゃん。お湯が沸いているわよ」

「あぁ、本当だ。火を弱くしてお味噌入れなきゃ」


 ソファーで微睡むクロにはふんわりとしたハーフケットがかけられている。朝晩は肌寒い季節になったため、恵真が購入したのだ。

 料理をする温かな室内の蒸気で窓には少し結露が出来る。

 秋も少しずつ終わりが近付き、冬の気配がし始めていた。



*****



 数日後、喫茶エニシのキッチンには気を引き締めた表情のジュリアがエプロン姿で立っている。恵真が貸したエプロンは瑠璃子のものであり、花柄の少々華やかなものである。

 そんなジュリアの姿をカウンター越しに真剣な表情で、アッシャーとテオも見守っている。恵真だけがどこか楽しそうに材料の準備を始めた。

 じゃがいもに玉ねぎ、トマトにミルク、そしてチーズといったジュリアもよく見る食材ばかりだ。

 だが、並べられた品の中にジュリアが驚きを隠せないものがある――ディグル地域でよく食べられる余り肉である。

 信仰会の食事でもよく使うものだが、村の人々に受け入れられるかとジュリアの胸にかすかな不安がよぎる。

 依頼をしておいて失礼なことだと、頭を振るジュリアの結んだ三つ編みまで揺れた。

 

「――それじゃあ、料理を始めるね。材料の野菜は好きなものや季節の野菜に置き換えても大丈夫だよ。まずは玉ねぎを薄く千切りにしていきます」

「は、はい! こうでしょうか?」

「あ、上手! これならすぐにジュリアさんの得意料理になりそうだね。そうして薄く切ったら、今度はじゃがいもも薄く切ります。で、先にたまねぎを次にじゃがいもを炒めていくんだ」


 恵真の言葉にジュリアはまた戸惑う。

 本来、じゃがいもを炒めるときは水に晒して使うことが多い。その手間を省くということだろうかと思っているジュリアに恵真は頷く。


「そう、今回はわざと水にさらさないの。小麦粉は高いし、米粉を使ってもいいんだけど、村で手に入るかまだわからないから。じゃがいもを一緒に軽く炒めて、こうしてミルクを加えて煮込むことでとろみをつけます」


 本来ならバターで炒めた玉ねぎに小麦粉をふるってさらに火を通し、そこにミルクを加えることでホワイトソースが出来上がる。これはフランス式の作り方で、バターと小麦粉を炒めるアメリカ式の作り方よりは失敗しづらい。

 しかし、小麦粉や米粉が入手しづらい場合を考慮して、恵真はじゃがいものでんぷんを使い、とろみをつけるつもりなのだ。

 そのため、じゃがいもは水にさらさず、火も通し過ぎないことが重要になる。


「本当だ。じゃがいもでとろみがついてるね!」

「あぁ。スープみたいにサラサラだったのが、もったりしてきてるな」


 テオとアッシャーがカウンター越しに、ぐんと姿勢を良くし、鍋を覗き込んで驚きの声を上げる。

 茹でて食べるだけであったじゃがいもは、喫茶エニシやアメリアの店でも出すようになってから風向きが変わった。今ではマルティアの街では様々な店でフライドポテトが食べられているのだ。

 恵真は塩で味を調えると、次の作業へと移る。


「今度はこっちの玉ねぎを切ってほしいの。これはみじん切りにしてほしいな。それをこのお肉と一緒に炒めていくから」

「は、はい。わかりました」


 余り肉をどう使うのかと思いつつ、ジュリアは玉ねぎをみじん切りにしていく。

 横にいる恵真はジュリアの包丁さばきに微笑んで頷き、彼女が刻んだ玉ねぎと余り肉を油を引いたフライパンで炒めていく。

 肉と玉ねぎの甘い香りが広がり、アッシャーとテオは小さな歓声を上げた。

 その中に、恵真は刻んだトマトを加える。缶詰のトマトではなく、生のトマトを使うのは村で作るときと同じ形にするためだ。

 

「こうして水分を飛ばしながら、とろりとするまで煮込んでいきます。で、味は塩で整えるの。このミルクソースとトマトソース、二つを使った料理になるんだ。で、あと使うのはこのカチカチになったパンだよ」

「え、硬くなったパンですか?」


 恵真が取り出したのは水分が飛び、硬くなってしまったパンである。

 ただでさえ硬いパンがより、硬くなったものを振舞う料理に恵真は使うと言う。

 だが、驚いているのはジュリアだけでアッシャーもテオも不思議に思った様子はない。


「しみしみのパンにするんでしょ」

「テオ君、正解! スープと同じように水分がしみ込むから食べ応えが凄く出るの。もちろん、パンじゃなくって季節の野菜でも問題ないよ」

「あの、野菜はどんなものでもいいんでしょうか」

「うーん、あまり水分が出ないものがいいと思う。ソースが薄くなっちゃうから。あ、赤と白はね、私が生まれた国ではお祝いの色なんだ。ジュリアさんがこれから住むところは野菜を育ててるから、季節に合う素材で作るのがおすすめ」


 恵真の言葉にジュリアはただただ頷く。

 村でそのとき限り、振舞う料理ではなく、今後も村で作っていける料理を恵真は提案してくれたのだ。

 自分の思い出にあるミルクのスープ、ジョンの思い出にあるトマト、そして村で作り育てる季節の野菜を使った料理――そして赤と白は恵真の国では祝いの色だと言う。これはジュリアの門出を祝うだけではない。これから家庭の味となる料理なのだ。

 胸がいっぱいになり、何も言えなくなるジュリアにアッシャーが頷いて微笑む。

 少し前まで面倒を見ていたアッシャーの成長したそんな姿に、堪えていた涙が溢れでるジュリアであった。

 


 テーブルの上には焼き上がり、良い香りを立てる料理がある。

 恵真が考えたのはパングラタン、ラザニアに着想を得たものだ。

 先程のソースをパンと交互に重ね、チーズを乗せてオーブンで焼き上げた。ジュリアが村で作るときはかまどを使うことになるだろう。

 今回、祝いの席でジュリアが振舞う料理になるが、今後も季節を問わず作りやすいものである。

 熱々のパングラタンを恵真が皿に取り分けていく。スプーンは木製のものを用意した。アッシャーやテオがやけどしないようにである。


「ミルクのソースはコクがあって優しい味で、トマトのソースは酸味があるけどすっきりしてる。チーズもとろっとしてて美味しいな。パンも全然固くない」


 はふはふと熱いパングラタンを美味しそうに食べるアッシャー、テオはその横でじっと羨ましそうに見ている。もう少し冷めてから食べるようにと恵真に言われたのだ。やけどをしないためなのだが、少々テオは不満げである。

 そわそわとこちらを見るため、恵真は視線で良いと合図した。

 テオは嬉しそうに木のスプーンでパングラタンを掬うと口にそおっと入れる。その横でアッシャーが心配そうに様子を見つめる。


「うん、おいしい! パンがしみしみになってるね」

「よかった。この料理でいいかな、ジュリアさん。トマトは今の時期には採れないから、私が渡すものを使ってね」

「もちろんです! ……でも、その、トマトとなると、予定していたお代には合わないかと思うのですが」


 ジュリアが不安になるのも無理はない。

 旬ではない素材は高価なものなのだ。ジュリアとジョンが提案した金額ではトマトの代金にすらならないだろう。

 心配そうなジュリアに恵真は首を振る。季節外れのトマトだが、実際にはそれほど高額なものではない。二人に貰った料金は恵真としては十分なものである。

 しかし、そう説明してもジュリアにとっては信じられないことであろう。


「えっと、ご祝儀。私の生まれた国ではそういう風習があってね、お祝い事がある人にこちらから祝いの品やお金をお渡しするの。だからトマトが私からのご祝儀ね」


 今度はジュリアが首を振る番である。

 ただでさえ、料理を考えてくれたのにそのような祝いの品まで貰うなど、ジュリアは想像していなかったのだ。

 パングラタンを食べていたはずのアッシャーとテオは、スプーンを手にそのやりとりをじっと見つめている。


「これは私からの結婚の贈り物だから。ね、アッシャー君、テオ君」

「うん、お祝いの品を断っちゃいけないと思うよ。ジュリア姉ちゃん」

「ぼくもそう思う!」


 恵真の言葉にアッシャーとテオも賛同するとこちらを見て、いたずらが成功したときのように二人は笑った。

 幼い頃から、ジュリアは心のどこかで不公平さを感じていた。母にも、信仰会で暮らせたことにも、周囲の人々にも感謝をしている。

 しかし、祈りを捧げながらも女神様はなぜ、自分には気付いてくれないのだろう――そんな風に思うこともあったのだ。

 今、黒い瞳と黒い髪を持つ女性がジュリアを見て微笑んでいる。

 恵真はもちろん、女神でも聖女でもないのだろう。

 しかし、その眼差しにジュリアはなぜか幼い頃の自分が報われた思いになるのだた。


 

*****


 生まれ育った地域の料理の調理法、そしてたくさんのトマト、アッシャーとテオからの受け取った一輪の野の花を持ってジュリアは旅立つ。

 その隣には優しく見つめる夫のジョンがいる。

 涙こそ流さないものの、目を充血させたクラーク、アッシャーとテオ、ハンナがその後姿を見送った。


 信仰会に縁があるものの、生まれは決して裕福ではないと聞いた花嫁が季節外れのトマトをカゴ一杯に持って来たことに村の者達は驚く。

 それはこの結婚をどれだけ大切に思っているかがわかるもので、彼女の印象はぐっと良くなる。パングラタンという料理の味わい、この地域に縁があるトマトを使っていることもそれを高めた。

 ジュリアは夫の両親にはこれが恵真に考えて貰った料理であると打ち明けた。

 これから家族となる二人に、嘘をつけなかったのだ。

 しかし、二人は「これから本当にしていけばいい」と笑う。

 その意味がわかるのは数年後、夫やその両親とグラタンをわけあうとき、母となったジュリアが子どもたちにねだられ、グラタンを作るときだ。

 嘘から始まったパングラタンは、ジュリアにとって本当に家族の味になっていく。

 同時に村のお祝い事にはかかせないものとなっていった。



 一方、マルティアではパングラタンが広まっていく。

 恵真がその調理法をアメリアやリリアに伝えたのだ。

 ジュリアのついた小さな嘘は、真実となり、皆を楽しませている。

 



 

 

 


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