170話 赤毛の花嫁と黒髪の聖女 2
数日後、花嫁であるジュリアが夫となるジョンと共に喫茶エニシへと訪れた。
赤毛にウエーブの髪、少し日焼けしたジュリアの隣にいた誠実そうなジョンは、恵真の姿にハッとしたように固まると慌てて居住まいを正す。
「女神様のお導きによって僕達は夫婦となり、新たな人生を踏み出そうとしています! これからも二人で困難を……!」
「ジョン、ジョン! 落ち着いて。言ったでしょう、失礼があっちゃいけないわ! すみません、この人信仰が篤いものでお姿に感動してしまいまして……。ほら、ジョン。謝って!」
「すみません、ジュリアから聞いていたんですがあまりの驚きでつい……」
少々驚いた恵真ではあったが、微笑んで首を振る。
このドアを開けて訪れた人で、こちらに敵意を持つ者や恵真を利用しようと近付いた者はいない。おまけに魔獣であるクロもここにはいるのだ。
「いえ、どうぞこちらの席へお座りください」
頭を下げる二人にカウンターの席へ座るように恵真は促す。
アッシャーとテオは席についたジュリアへと氷の入った水を用意する。小さく驚きの声を上げたジュリアに、兄弟は顔を見合わせて笑う。
ジュリアに格好良いところを見せたいとアッシャーもテオも張り切っていたのだ。
まだ落ち着かないジュリアとジョンに、恵真はリアムに手土産にと貰ったドライフルーツを小皿に入れて出した。
「あ、なにか注文を……えっと、飲み物を頂こうかと」
「そうだ、賄いのスープがあるんですよ。アッシャー君達も食べる予定なんです。よかったらそちらを召し上がりませんか? 体も温まりますし」
「え、ですが……メニューにはないものを頂いていいんですか?」
小皿に入ったドライフルーツが恵真の配慮だと察したジュリアが、慌てて注文をしたいと申し出るが恵真はそれも想定済みだ。二人が来ても良いようにと今日はアッシャー達の賄いを少し多めに作っておいたのだ。
まだ依頼を受けるかもわからないうちに、正当な料金とはいえ金銭を頂くのは気が引けた。内容によってはこの二人の依頼を断る可能性もなくはないのだ。
その場合、自分の性格では断りにくくなってしまうと恵真は通常の注文ではなく、賄いを振舞うことを考えた。
賄いであれば、二人が過剰に気にすることもないだろう。
「ふふ。あのね、エマさんのごはん、おいしいんだよ!」
「なんでテオが得意げなんだよ。エマさんが作ってるんだぞ」
「だって、ぼく達はそのお手伝いをしているんだもん。ジュリアお姉ちゃんも一緒に食べようね! きっと凄くおいしいから」
「あ、ありがとう、テオ君。アッシャー君も素敵なお店で働いて凄いね」
「いえ、その……ありがとうございます」
テオの言葉に気を遣っていたジュリアも少し安心したのだろう。アッシャーとテオに柔らかな笑みを向ける。そんなジュリアの隣でジョンは、彼女を優しく見つめていた。
幸福そうな二人に恵真が目を細めていると、小さな声でテオが「ぼくも凄い?」とジュリアに確認をする。可愛らしい問いかけに恵真は「二人とも頑張ってくれて助かってるんですよ」そう言ってジュリアに目で合図する。
恵真の意図に気付いたジュリアは二人を褒め、その隣のジョンもそこに大きく相槌を打つので、テオは誇らしげに、アッシャーは照れくさそうに笑った。
*****
「ジュリアさんの思い出の味や好きな味ってどんなものがある?」
「そうですね……。母がよく作ってくれたのはミルクスープでした。信仰会でもよく皆さんに振舞うんです。だから私もそれを作ることが多いですね。――ただ、そのときに使うのが野菜とミルクというシンプルな素材なので、私にとっては思い出深い料理ですが、皆さんに振舞うには……」
そう言って不安そうに視線を下に向けるジュリアの肩に、ジョンはそっと手を置く。ジョンの視線や仕草はジュリアを常に気遣うものだ。
環境の変化があるジュリアの不安に、彼はきっと寄り添える人物だろう。
二人の様子を好もしく思いつつ、恵真は次にそんなジョンに尋ねる。
「なるほど……。ではジョンさんの好きな料理や素材ってなんですか?」
「え、そうですね。僕の思い出にあるのはトマトです。僕が生まれ育ったのは農村地帯で野菜を作っている家がほとんどです。そんな中、僕が生まれる前に祖父がトマトを作り始めたんです。始めは上手くいかないこともあったんですが、街へ売りに行ったりして、今では村の人も育てています」
「じゃあ、ご家族にとって大事な野菜ですね」
「えぇ、多分実家に戻ったらジュリアと一緒に育てていくことになると思います」
言い終えたジョンがジュリアの方を向くと、彼女は彼の目を見て頷く。
その様子を見て、少し後ろにいるアッシャーとテオもなぜかうんうんと頷いている。まるで自分の姉を心配するかのような兄弟の姿、いつもなら口元を緩める恵真だが、彼女の考えはもう既に料理へと向いている。
ミルクスープにトマト、野菜が採れる地域にふさわしい料理、それを考え始めているのだ。
「トマトですか……。ミルクスープ、トマト、野菜を育ててる地域――これから寒くなっていきますし、温かくって皆さんで分けられる料理がいいですよね」
「あの……依頼を引き受けてくださるんですか?」
「えぇ、私の料理でよろしければ」
「お代は必ず僕が支払いますので! 本当にありがとうございます」
頭を下げるジョンにジュリアもすぐに同じように頭を下げる。
テオは自分のことのように素直に喜び、アッシャーは自分達に気を遣って引き受けたのではと心配するような視線を恵真へと向ける。
しかし、料理のあれこれを考える恵真の表情は嬉しそうで、アッシャーはそれが杞憂であったことを知る。
二人を驚かせないようにとカゴの中に入れられたクロは、丸くなってすやすやと眠っている。
温めているスープの香りが満ちた喫茶エニシは、穏やかな時間が流れていた。
*****
一方、リアムはというとクラークに話を聞きに信仰会へと訪れていた。
母を亡くし、信仰会で育ったジュリアをクラークも案じていたようで、リアムが料理の件を話すと彼女の身の上を話し出した。
「あの子は気丈に振舞うし、面倒見がいい。今まで自分を優先することがなかったんだ。そんなあの子に幸せになってほしいと私も思っているんだよ。だが、ちょうど今は収穫祭の時期だろう? 信仰会としてはあの子に支援をする余裕がないんだよ――情けない話だ」
収穫祭には「秋の恵みとその恩恵をもたらした女神に感謝する」そういった考えがあり、人々はその恩恵を周囲の人に振舞うことで女神への信仰を示す習慣がある。そのため、信仰会としてはもっとも資金を使う時期になる。
なにより、冬を前にしたこの祭りを多くの人々が楽しみにしていることを信仰会の修道士であるクラークは目にしているのだろう。
複雑そうな心境のクラークだが、その言葉からはジュリアを思う心が伝わる。
「夫となる方はどのような人柄なのですか?」
「あぁ、彼は信仰会の活動の中でジュリアに惹かれたらしいよ。誠実で信頼できるけれど、生まれ育ちのことであの子が村で肩身の狭い思いをしないかと心配になってしまうんだ」
「親心に近いものでしょうか?」
「そんな立派なものじゃないよ。してやれないことが多すぎるからね」
ジュリアを案ずるクラークの姿につい、そうリアムが尋ねるとクラークは大げさに首を振って否定する。
信仰会で育ったからとはいえ、ここまでジュリアに親身になるクラークに、情を少なからず感じるリアムだが、本人は力になれないことを気にしているようだ。
「あの子は人を頼るのが下手だからね。嫁ぎ先の村にも信仰会があるんだ。そちらによろしく頼むと手紙を出すつもりだよ」
「それを親心と呼ぶのですよ」
人の手助けばかりしてきたというジュリアの新たな門出を祝う料理――恵真は今日ジュリアに会うと言っていた。おそらく恵真は既に引き受けるつもりでいるのだろうとリアムは思う。
父のように案ずる恩師の姿に、リアムは口元を緩める。
恵真が手掛けるのであれば、祝いの場にふさわしい料理になることをリアムは確信していた。
信仰会を後にすると、落ち葉が冷たい風に飛ばされていく。
冬が近づきつつあるマルティア、そんな街を歩くリアムの表情には自然と笑みが浮かぶのだった。
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