169話 赤毛の花嫁と黒髪の聖女
収穫祭も近付き、マルティアの街はいつもより活気に満ちている。
当然、人々の表情も笑顔が増えるこの時期なのだが、喫茶エニシにいるアッシャーとテオは眉を下げて不安そうな表情である。
いつもなら食事入りのタッパーが入ったエコバッグを手にして、笑顔で帰っていく二人が、今日は恵真に相談事をし始めたのだ。
「私にお仕事の依頼をしたいの?」
「はい。でも、エマさんへの依頼ってギルドを通さないといけないんですよね」
不安そうに自身を見上げるアッシャーの質問に、恵真は少し考えると首を振る。
冒険者ギルドを通すのは恵真を守るという意味が大きい。
薬草である香草などは必ずギルドを通す必要があるだろう。
しかし、料理などであれば話は別だ。恵真としても興味が湧けば、気軽に依頼を受けてしまう節がある。
「うーん、どうだろう? そのときによるかも。実際に私がお話を聞いて受けた仕事もあると思うよ。あとはその内容にもよるかな? 重要なことならセドリックさんにもお話した方がいいからね」
恵真の答えにアッシャーの表情が少し明るくなる。恵真と兄とのやりとりを心配そうに見つめていたテオも笑顔を浮かべる。
どうやら、二人は恵真に何か仕事を依頼したいらしい。そう察した恵真はアッシャーが話しやすいようにと軽く微笑む。
恵真に気を遣うアッシャーの不安を少しでも取りのぞきたかったのだ。
「あの、たとえば料理を考えてもらったり、教えてもらうのって難しいんでしょうか?」
「なにか相談したいこととかあるの? 二人が料理したいなら、私はいつでも教えるよ」
それでも言いづらそうにしている兄を助けようと、いつの間にかアッシャーの隣にいたテオが恵真に話しかける。
「あのね、結婚するお姉ちゃんがいるんだ」
「え! 二人にお姉さんがいたの!?」
ハンナは恵真より若いだろう。一体どういうことなのだろうと目を瞬かせる恵真に、テオはぶんぶんと首を振りながら説明をしてくれる。
「ううん、昔近くに住んでいたお姉ちゃん。今度結婚するんだって!」
「まぁ、それはおめでとうございます……ん、じゃあ、そのお姉ちゃんに料理を教えてほしいってことかな? あ、新しい料理を覚えたいとかそういうこと?」
「はい、そうなんですが少し複雑な事情があるんです……」
恵真の問いかけにアッシャーは下がっていた眉をさらに下げ、軽くため息をこぼす。大体の内容は恵真の言葉と同じなのだが、その規模や問題の根本に複雑な事情があるのだ。
頼ってしまっていいのかと迷うアッシャーの様子に口元を緩めつつ、アッシャーとテオのお姉さんの事情に耳を傾けるのだった。
*****
「他の地域から嫁いだ花嫁が村の人々に郷土の味を振舞う習慣……ですか」
リアムの問いかけに頷きながら、恵真は紅茶をカップへと注ぐ。
紅茶の香りに満足げに頷いたバートはハチミツをカップへと入れ、スプーンでかき混ぜる。
アッシャーとテオから聞いた花嫁ジュリアの嫁ぎ先の村にはそういった風習があると言うのだ。
「えぇ、そういう風習のある村にそのジュリアさんは嫁ぐようで……それ自体は凄くいい習慣だと思うんです」
「あぁ、料理を通じ、互いの文化を知ることが出来ますし、自然と打ち解けていくきっかけになりますね」
「そう! そうなんです。……ただ、ジュリアさんは早くにお母様を亡くされて、信仰会で育ったそうなんです。ですからご実家や郷土の味を知らないそうで、そこで困っているのをアッシャー君とテオ君がなんとかしたいと私に相談しに来たみたいなんです。二人は昔、彼女によく面倒を見て貰ったそうで……」
恵真の言葉にリアムとバートも頷く。他国から来た恵真は知らないことだが、信仰会やディグル地域で育ったことで差別を受けることがある。
花嫁のジュリアがどこまで嫁ぎ先の村に事情を話すかはわからないが、振る舞う料理にも気を遣うことになるだろう。
アッシャーとテオが世話になったジュリアのために、力を貸したいと思うのは自然なことである。
「で、新しい料理をトーノ様に依頼したいってことなんすね」
「はい、実際にジュリアさんに会ってお話を聞いてみないとわからないんですが、アッシャー君達もお世話になったみたいですし、私としてはご協力出来たらいいなと考えています」
相変わらず人の好い恵真に少々困ったような表情を浮かべたバートは、赤茶の髪を掻く。アッシャーとテオの知人とはいえ、恵真を利用しようと近付く可能性も考慮する必要があるからだ。
リアムに視線を移すと彼もまた同じ考えであったようで、バートの視線に軽く頷く。どう忠告するべきかと考える二人は恵真へと視線を移す。
「遠く離れた地域で暮らしていくって、きっと凄く不安なことだと思うんです」
恵真の口から出た言葉にリアムとバートはハッとする。恵真もまた遠く離れた地、マルティアで暮らしているのだ。
店は順調であり、周囲には手助けする者達もいる。しかし、不安になることもあるのだろう。ジュリアという女性に自身を重ねているのかもしれない。
ジュリアに協力したいというのは、そんな恵真の思いが反映されているのではないか――そう二人は考えたのだ。
「まぁ、その実際にその女性に会ってから決めてもいいんじゃないっすかね? その人となりを見てから協力するか決めるとか。ね、リアムさん」
「信仰会とかかわりのある方でしたら、女性の状況など詳しく聞いておきます。実際に女性が話していることと矛盾がないか確認したほうが良いでしょうから」
二人の言葉に恵真は表情をパッと明るくする。
リアムとバートは少々勘違いをしている。実際は人の好い恵真がアッシャーとテオが世話になった女性を放っておけないだけなのだ。
「ありがとうございます! あ、昨日ケーキを焼いたんです。もしよかったら召し上がってみませんか?」
「うん、トーノ様。そういうのは先に食べさせてしまった方が、相手の罪悪感が高まって成功率が上がるんで交渉前がおすすめっす!」
「はい? えっと、参考にします?」
「バート! トーノ様の善意を……お忘れください。ぜひ、頂きたい。な、バート」
賑やかなカウンターキッチンから少し離れた場所で、アッシャーとテオは視線を交わし、安心したような笑顔を浮かべる。
丁寧に皿を拭きながら、テオは嬉しそうに小さな声で歌いだす。ほっとしたアッシャーは小さなため息をこぼした。
ソファーの上にはここが定位置と言わんばかりにクロが寝転んで、ふわふわとしたハーフケットを使っている。
そんな魔獣クロの姿にアッシャーとテオは、再び顔を見合わせて笑うのだった。
*****
「あら、いいじゃない! 楽しそうだし、そのお嬢さんの役にも立つなんて素敵なことだわ」
「よかった、今度実際にお会いして話を聞く予定なの」
祖母の瑠璃子の言葉に、安心したようだ。
今夜の食卓にはごぼうと豚肉のみそ炒めに大根の一夜漬け、出汁巻き卵に秋野菜のさつま汁が並ぶ。それらに引けを取らないのが炊き立ての新米だ。
食事を進めながらも、恵真は少し気になっていることがある。
それは今回花嫁ジュリアの料理を新しく考えるということは、嘘になってしまうのではないかということだ。
「でも、新しい料理を私が考えてもいいのかな、とも考えるんだ。もちろん、協力したい気持ちはあるの。ただ郷土の味や家庭の味を作って、その村の人が私の嘘を信じちゃうわけだから」
今回の話を聞いて恵真が気がかりなのはその点だ。
嫁ぐ先に嘘をつくことが後々、ジュリアの負担になるかもしれない。恵真はそれが気になっているのだ。
「あら、良いに決まってるじゃない。初めて訪れる土地で不安なものよ。料理が不慣れだから出来ないって言うのもありだけど、その習慣を行わないことでご本人が心苦しくなるはずだし」
瑠璃子の言葉は恵真も考えていたものだ。そのため、ジュリアに実際に会うことをバートに薦められ、恵真も同意した。
協力したい思いはあるものの実際に話を聞いて、ジュリアの思いや状況をもう少し詳しく聞けたらと考えたのだ。
「嘘が必ずしも悪いわけじゃないわ。慣れない土地で肩身の狭い思いをさせるくらいなら、美味しい料理を教えた方がいいでしょう?」
「……うん、そうだよね。ありがとう、おばあちゃん」
瑠璃子の言葉と笑みに、ためらっていた恵真も微笑む。
誰かが喜ぶ料理を作ることに違いはない。何より花嫁であるジュリアにとって門出の料理となるのだ。
新たな土地で新たな料理を、花嫁であるジュリアが誇れるものを――彼女に会ってから決めるように言われていたものの、既に恵真の心は依頼を引き受ける方へと傾いている。
秋になり、少し冷える夜ではあるが、新たな目標を前に恵真の表情は明るい。
そんな孫娘と彼女と作った夕食に、瑠璃子も微笑むのであった。
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