SS 戻る場所、帰る場所
「じゃあ、もうそろそろリアムさん戻られるんですね」
「今日あたり戻ってくるんじゃないっすかね」
リアムが任務中を受け、マルティアの街を離れてからというもの、ナタリアやファルゴレは喫茶エニシへと足を運び、恵真達の様子を見に訪れてくれている。
実際のところ、喫茶エニシには魔獣であるクロ、そして防衛魔法のかかったドアがある。危険を感じたことなどないのだが、それでも気にかけてくれる人々の存在は恵真にとって心強いものであった。
「リアムさん、元気にしてたかな?」
「どんな依頼だったんだろうな」
「あー、大きな商家や貴族の護衛だと思うっすよ。そういうの任せられる冒険者って少ないっすからねぇ」
冒険者の感覚や態度は貴族や商家の価値観には当然そぐわないものだ。
同時に、冒険者からしても貴族達の様々な注文に頭を悩ませることになる。
その点、貴族の生まれであるリアムであれば、問題を起こさずに依頼主を納得させる仕事ができる。
セドリックと懇意にしていることもあり、そういった依頼がリアムには舞い込むことが多いのだ。
「リアムさんだとお人柄もあって、信頼して任せられますもんね」
「うん、リアムさんだと安心できるよねぇ」
「優しいもんな、リアムさん」
恵真の言葉にテオとアッシャーも賛同するが、バートは赤茶の髪を掻いて困ったような表情を浮かべる。
三人の意見には同意できるのだが、依頼者が同じような視点でリアムを見ているとは言い切れないのだ。
「んー……依頼主がトーノ様達みたいに純粋にそう思ってくれれば、リアムさんの護衛仕事も負担が少ないんすけどねぇ」
実際には家督こそ引き継がないものの、侯爵家の血筋であるリアムと娘を近付けたいと願ったり、自身の商売や人脈を広げる期待ですり寄る者もいる。
護衛の仕事ではあるが、違う意味で神経を使い、気疲れすることも多いとバートはリアムから聞いているのだ。
リアムの苦労を知るバートは赤茶の髪を掻いて、ため息を溢す。
「じゃあ、なにか温かいものを作っておこうかな……。もし、今日ここに足を運ばなくっても私の夕食にすればいいですし」
恵真の言葉に目を大きく開いたバートは口元を緩める。
リアムが足を運ぶかはわからない。そもそも、今日任務が終わるとも限らないのだ。それでも、恵真はリアムのために食事を用意すると言うのだ。
「うん、リアムさんきっと喜ぶと思うよ」
「早く会いたいよな、リアムさんに」
テオとアッシャーが皿を拭きながら話し合う姿に、バートはついつい笑みを深める。三人がこんなに温かく待ってくれていることを当然リアムは知らない。
この店、喫茶エニシに足を踏み入れたリアムの表情を想像すると、自然に自身までなぜか嬉しくなるバートであった。
*****
冒険者ギルド長室では、めずらしく不機嫌さを隠さないリアムの姿がある。
ギルド長であり、今回の仕事内容を詳しく知るセドリックが困ったように笑いながら接し、そんな二人の様子にオリヴィエは肩を竦める。
「――護衛対象の令嬢からは熱意ある対応を受け、その父親からは兄であるシリル殿を紹介して欲しいという話があったんだな……それはその……すまん」
「……別にセドリックに謝罪して欲しいわけではない。どちらも丁重に断ってはあるが、このようなことがあると護衛の任務自体に支障が出てくる」
深いため息をつき、疲労を滲ませるリアムにセドリックも申し訳なさそうな表情を浮かべている。
冒険者の中で依頼を任せられる人物は限られてくる中、どうしてもリアムには負担がかかる。どんなに能力があろうとも精神的な疲れというのは必ずあるものなのだ。
「冒険者としても、貴族としても中途半端にもかかわらず……俺自身を知らぬからそのような声もかかるのだろう。いずれにせよ、兄に迷惑をかけるわけにはいかない。次からこの依頼者は他の者に任せてくれ」
「あぁ、もちろんだ。おい、リアムもう行くのか?」
「悪いが、なるべく早く行きたいところがあるんだ」
セドリックに必要なことだけ伝えると、リアムは席を立ち、足早にドアへと向かう。その後姿に声をかけるセドリックだが、リアムは用事があるとそのまま部屋を出て行ってしまう。
バタンと閉まったドアを見て、セドリックはため息をこぼしつつ、ソファーの背もたれに寄りかかった。
「まぁ、そうだよな。こんな早く宿に戻ってゆっくり休みたいのが本音だろう」
「そうかな? ボクなら違う場所に行くと思うけどね。きっとリアムもそうじゃないかな?」
「常宿以外にどこに戻るって言うんだ?」
ソファーから身を起こすことのないまま、セドリックが尋ねるが、オリヴィエはその察しの悪さにため息をつく。
ここであえてその場所を口にするほど、オリヴィエは無粋ではないのだ。
再び肩を竦めるオリヴィエは、ゴリゴリと携帯食を齧るのであった。
*****
リアムはマルティアの大通りを数日振りに歩く。本来であれば、宿に戻り体を休めるつもりであったのだが、なぜか足は異なる方向へと向かってしまう。
しかし、気がかりなこともあるため、どれもまた良いだろうとリアムは考え直す。
そう、リアムが向かっているのは喫茶エニシである。
魔獣であるクロもおり、ドアは防衛魔法で守られている。そのうえ、ナタリアやバート達が足を運んでくれているのだ。リアムがそこまで案じることはないのかもしれない。
だが、それを理解しても、喫茶エニシや恵真達のことが気になってしまうのだ。
「お、リアムの旦那! おかえりになったんですね」
「リアムさん、たまにゃウチの店にも寄ってくれよ」
街を歩くリアムに、冒険者や商人が声をかけてくる。
冒険者でありながら冒険者の生き方に染まり切れず、一方で貴族として生きることも出来なかった――半端な自分を自覚するリアムだが、この街マルティアはそんな自分を受け入れてくれる。
リアム・エヴァンスは冒険者であり、貴族でもあると皆がすんなり受け入れてくれるのだ。
無論、居心地が良いのは冒険者ギルド長のセドリック、魔導師のオリヴィエの存在、リアムを古くから知るマダムアメリアなどの存在も大きい。
しかし、それを考慮してもこの街マルティアは冒険者が多く、よそ者でも自然に受け入れる土壌が出来ているのだろう。
温かくかけられる人々の声に、疲れていたリアムの心も穏やかさを取り戻していく。
喫茶エニシのドアの前に立ち、リアムはそっと労うようにドアに触れる。
このドアが自身の不在中に、いや、日頃から恵真達を守ってくれているのだ。
「いつもありがとう」
そう呟いたリアムは喫茶エニシのドアを開け、足を一歩踏み入れる――そのときだった。
「おかえりなさい、リアムさん」
「――ただいま戻りました……」
柔らかな声は恵真である。思いがけない言葉に一瞬リアムの返事は遅れる。
パタパタと駆けよってきたアッシャーとテオがリアムを見上げ、嬉しそうに微笑む。テオはぎゅっとリアムの服の裾を掴んでいる。
「おかえりなさい、リアムさん!」
「お仕事、お疲れさま!」
「あぁ、二人も元気にしていたか?」
アッシャーのふわふわとした薄茶の髪、テオのハリのある焦げ茶の髪を撫でると二人は白い歯を見せて笑う。
予想外の歓迎ぶりに少々戸惑うリアムに、バートが声をかける。
「戻ってきたんすね、リアムさん。お疲れさまっす……あれ、どうしたんすか? ぼーっとして。あ、しばらく会わないうちにオレの男ぶりが増しちまったからっすかね?」
いつもと変わらない軽口を叩くバートのにやっと笑った表情にまで、なぜか安心感を抱くから不思議なものだ。
普段と少し違うリアムの様子に、恵真は余程疲れているのだろうとスープを温めだす。来ることを想定して用意した今朝の自分の判断に、少し感謝しながらリアムに声をかける。
「疲れて帰ってくると思って、スープとか軽めの食事を用意しておいたんです。あ、アッシャー君とテオ君もそろそろ休憩しよっか」
「はい! バート君もご相伴に預かりたいっす!」
「ふふ、大丈夫ですよ。ちゃんと人数に入れていましたからね」
アッシャーとテオは準備を手伝おうと恵真の元へと足早に戻っていく。
その様子を見つめ、ぼんやりとしていたリアムにバートが手招きをしている。
キッチンで笑う四人の姿に、リアムはやっと気付く。
リアムの居場所、戻る場所はここにもあったのだ。
「みゃう」
やっと気付いたのか? とでも言うようにソファーで寛ぐクロが鳴く。
アッシャーとテオの笑顔、恵真の料理と気遣い、バートの軽口さえもリアムにとっては安らぎを与えてくれる。
数日離れていたことで、自分が帰る場所、守りたい者達の存在にリアムはあらためて気付かされたのだ。
その日、初めてリアムが口にした食事は温かなミルクスープとバゲットであった。
キャベツにきのこ、鶏もも肉の入った優しい味わいのミルクスープにバゲットという体を気遣った食事は、疲れた体に染み入るような美味しさだ。
なにより、それを皆で食べるという時間がリアムの疲労を溶かしていく。
少々ややこしい任務ではあったのだが、大事なことに気付かされるという意味では価値があったと思うリアムであった。
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