168話 季節の果実と乙女心 4


 夕暮れも近くなった喫茶エニシのドアをファルゴレはそっと開く。

 カウンター席にはアッシャーとテオが座り、恵真がその向かいに立っている。

 ファルゴレたちに気付いた恵真がにこやかな笑みを浮かべた。


「あ、ファルゴレさん。ちょうど良かった! 今、試作品を二人に食べて貰おうと思っていたんですよ。え、えっと、お約束していたんですが、これは味見! そう味見なんです!」


 アッシャーとテオに試作したデザートを食べて欲しくなってしまった恵真は、ファルゴレとの約束を思い出し、慌てる。

 店に出す前に試食させるという約束なので、特にそれを破ったわけではないのだが、恵真としてはなんとなく気まずい思いであったのだ。

 だが、ファルゴレは歓喜で瞳を輝かせる。


「それはなんたる幸運でしょう! 良いときに私は足を運んだものです」

「そ、そうですね! ファルゴレさんたちのご試食分もご用意します! あ、皆さんどうぞお座りください。今、お水を用意しますね」


 ファルゴレたちに気付いたアッシャーが立ち上がろうとするのを、恵真は手で合図して止める。

 もう夕暮れも近いのだ。二人はもう仕事を終え、服装も私服へと着替えている。接客をするのは恵真の仕事だ。

 ファルゴレとナタリア、そして目を瞠り、辺りを見回す少女に恵真は水を用意するのだった。



 黒髪黒目の女性が氷の入った冷たい水をコトリと自分の目の前に置いたのを、マチルダは信じられない思いで見つめた。

 教会に飾られた絵やそこでの講話、おとぎ話で知った存在が今、マチルダに微笑みかけているのだ。

 だが、ファルゴレやナタリアは気にした様子もなく、どんな菓子が出てくるのかと話し合う。マチルダからすれば、その女性の存在の方が重大に思えるのだが、二人は自然にエマと呼ばれる女性と接する。


「では、マチルダさんは他の街からいらっしゃったんですね。今日、マルティアの街は楽しめましたか?」

「は、はい! 自由市でコメと呼ばれるものを見たり、フライドポテトを食べたりと自分の街とは違う流行を知ることが出来ました!」


 二人がマチルダの紹介をしたらしく、黒髪の女性が声をかけてくる。

 少々慌てたものの、マチルダは今日見聞きしたことを伝えた。

 ファルゴレとナタリアのおかげでマチルダは得難い経験をすることが出来たのだ。

 そんな感謝の想いで二人を見つめていると、ナタリアが衝撃の事実を口にする。


「あのコメの調理法を広めたのはエマなんだ。あとフライドポテトもエマが考えたんだぞ。あの果実のサワーもそうらしいな」

「え、両方ともこちらの方がですか!?」

「広めてくださったのはアルロさんやルースさんの努力の成果ですし、それにフライドポテトはギルドの方々の考えじゃないですか」

「だが、考えたのはエマだ。エマの功績は大きい」


 ナタリアの言葉に恵真は微笑むが、マチルダは目を見開く。

 今日、マチルダがマルティアの街で感銘を受けたものは全て目の前の女性が行ったことなのだ。衝撃の事実と共に、ファルゴレがこの店へと案内してくれた理由とその優しさも悟る。

 同時にマチルダは自分の至らなさにも気付かされる。

 黒髪黒目の女性の存在に狼狽えたマチルダは、それを態度に出してしまった。

 置かれた調度品や質の良い衣類、目の前のグラスもまた高価なものだろう。

 エマと呼ばれるこの女性が高貴な身分であることは明らかなのだ。

 外見上からわかる相手の事柄、生まれや育った国、文化の違いなど、それを情報として察するのは商人として重要なことである。そして、それを態度に出すのは無礼であることもマチルダは重々承知していたはずだ。

 この街に来てからというもの、新たな発見と共に自身の至らなさにもマチルダは気付かされていた。


「では、試作品のデザートをお持ちしますね。この前のお菓子をさらに華やかにしてみたんです」

「あのときですら、素晴らしいものでしたのに……!」

「アイスクリームや氷菓など、なかなか口には出来ないからな」


 アイスクリームや氷菓など、耳にしたことはあるもののマチルダは口にしたことがない。それは上流階級で魔術士がいなければ、口にすることなどないものなのだ。

 キッチンへと向かう恵真の後姿を、マチルダはただ唖然として見送るのだった。


*****


「こちら秋ぶどうのパフェと、洋ナシのパフェです。溶けないうちにお召し上がりくださいね。パフェ……パルフェっていう名前は『完璧』からきているんです」


 差し出された菓子に、マチルダはもちろんファルゴレやナタリアも言葉を失う。

 美しい色合いのアイスクリームと氷菓、クリームと共に飾られた果実がその小さなグラスに収まっているのだ。

 秋ぶどうのパフェをファルゴレとマチルダが、洋ナシのパフェをナタリアが選び、スプーンでそっと口に運ぶ。


「凄いな……! 口の中でするりと溶けて消えていく。華やかな見た目だけではなくその味もまた衝撃だ」

「――あぁ。二種の違うアイスクリーム、そこにクリームの濃厚さが加わり、食べる場所によって全く異なる味わいになる。新鮮な果実の瑞々しさもあって、季節を十分に味わえる一皿だ……な、下にも何か入っているぞ!」


 下に入っているのは少しだけ入っているのはスポンジ生地だ。溶けていくアイスクリームや氷菓の水分を吸い、クリームと合わせて最後までパフェを食べられるように恵真が配慮したのだ。


「ね! その秋ぶどうのパフェ、おいしいでしょ? ちょっと酸っぱいのがソルベっていうんだって!」

「いや、こっちの洋ナシだって美味しいだろ? ほら、テオ食べてみろよ」

「本当だ……! 大変、どっちも美味しいよ」


 アッシャーとテオのやりとりを見ていたファルゴレとナタリアは互いのパフェを確認したあと、視線を交わす。

 旧知の仲の二人はパフェのグラスを交換し、口に運んだパフェの味わいに何度も頷く。テオの言葉が真実だとファルゴレもナタリアも実感していた。

 そんな中、恵真はマチルダの表情が優れないことに気付く。

 味や状態に問題があったかと思う恵真に、マチルダの小さな呟きが届いた。


「これは本当に完璧ね……私は本当に至らないんだわ。こんな食べ物があることを今日まで知らなかったんだもの。よその街に頻繁に足を運ぶ兄さんには敵わないはずよね」


 マチルダの言葉に恵真は首を傾げる。

 他の街の事情は知らぬ恵真だが、これは今回初めて出したものだ。

 

「え、いえ、これは試作品なのでこの街では皆さんが初めて食べるはずですよ。他の街では……どうなんでしょう?」

「あるわけないだろう! 普通の者は口にすることも出来ない。だからこそ、私やリリアも心配して、師匠にいて欲しいと思っていたんだ!」

「で、でも裏庭のドアがありますし、それにほら、魔獣のクロもいます!」


 その魔獣はソファーの上に座り、まったりと寛いでいる。

 今、その存在に気付いたマチルダは目を大きく見開いた。

 だが、マチルダにとっての驚きはこの菓子を考え出し、作り上げたのが目の前の女性だということだ。


「あの、失礼ですが、本当にあなたが考えてお作りになったのですか?」

「はい。このお店の料理は全て私が作って出しています。この喫茶エニシの店主は私なので。あ、この子たちにも手伝って貰ってますし、いろんな人に助けて貰っていますけどね」


 ごく自然な様子で自身が店主だと口にした恵真に、マチルダは眩しいものを見つめるような思いだ。

 おそらくは父も兄も口にしたことのないだろう特別な菓子、それをマチルダは今日口にすることが出来た。

 そして、その素晴らしい菓子を作り上げた店主は自分と同じ女性なのだ。 

 兄と自分は背負うものが違う。家を継ぐのは当然兄である。それ自体を変えることは不可能だ。

 だが、だからといってマチルダ自身の夢や目標を諦める必要はないのだ。

 目の前の存在が、その活躍がそう教えてくれるようにマチルダには感じられた。


「ありがとうございます。エマさま」

「いえ、え、えっとエマさま?」

「はい! エマさま。どうか私にご教示くださいませ!」

「ご教示……って出来ますかね、私に。ど、どうしましょう」


 じっとこちらを見つめるマチルダの姿は恵真の良く知る人物と重なる。

 目を輝かせるマチルダは恵真に様々なことを問いかけてきた。

 今日、マチルダは多くのことを見聞きし、学んだ。その多くを生みだした存在が目の前にいるのだ。話を聞かない理由はない。

 まだまだ至らない自分だが、この街に足を運ぶ前よりはずっと成長している。

 多くを吸収しようとするマチルダの姿に、ファルゴレはこの店に案内したことは間違いではなかったと口元を緩めるのだった。


*****

 

「はぁ……。ダメでしたか。そうでしたか……残念ですね」

「大変心苦しいのですが、ギルドとしても私たちの安全を一番に考えてのことで……どうぞご理解ください」


 久しぶりに顔を合わせたリアムは、意気消沈するファルゴレの姿と謝罪する恵真の姿に申し訳ない思いになる。アイスクリームの話をナタリアたちから聞きつけたセドリックが、喫茶エニシに訪れ、猛反対したのだ。

 高位貴族であっても容易く口に出来ない菓子を提供することに、流石にセドリックも危機感を抱いたらしい。

 「大変申し訳ない」と平に謝るセドリックの姿と困ったように微笑みながら、了承する恵真の姿が印象的であった。


「……私、思うんですけど、メニューとして提供しなければいいんですよね」

「……どういうことでしょう?」

「アイスクリームや氷菓にも鮮度というものがありまして……。召し上がりませんか? あ、もちろんお代は頂かないので! ほら、今お二人しかいませんし!」


 確かに恵真の言う通り、秘密を守れる者に提供するならば問題は少ない。

 ここにいるリアムとファルゴレがそのことを吹聴することはないのだ。


「素晴らしいお考えです。しかし、このファルゴレ、その恩義にはきちんと向き合う考えでおります」

「じゃあ、マルティアの美味しいものとか果実があったらぜひ」

「お任せください。必ずしやこちらにお持ち致します」

「ふふ、ありがとうございます。では、ご用意しますね。もちろんアッシャー君とテオ君の分もね」


 数日間、依頼でマルティアを離れていたリアムだが、喫茶エニシの光景が変わらないことに不思議と安心感を覚える。

 たった数日であったが以前とは異なり、街を離れたその時間を長く感じたのだ。

 それがなぜなのかと不思議に思うリアムだが、自然とその口元は弧を描くのだった。



 十年後、一人の女性が商会を立ち上げる。

 商家の生まれとはいえ、女性が主となることはまだまだめずらしい。

 まだ若い彼女を兄や父が手助けした、名前だけの存在だと皆、笑った。

 だが、そんな噂とは裏腹に彼女は実績を重ねていく。同時に下に付く者たちにも多くの経験をさせた。

 彼女自身の将来を変えたのが、初めて他の街へと訪れたその一日だったためだ。

 マルティアで冒険者ファルゴレとナタリアに街案内をされたのが、自身の人生を変えたと彼女は公言している。

 だがそのとき、訪れた特別な店とその店主のことは生涯口にすることはなかった。

 ただ、その日を語るとき、必ずマチルダは必ずこう言う。


「それは私にとってまさに『完璧』な一日だったわ」と。

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

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