167話 季節の果実と乙女心 3
店を案内するたびに少女の表情が険しくなっていくのはファルゴレの気のせいではないだろう。
最近、マルティアで流行っている服に装飾品、雑貨などファルゴレなりに気を配っては見たもののマチルダの表情はどんどん不機嫌になっていく。
大通りを歩く三人であったが、とうとうマチルダは歩みを止めてファルゴレに向き合う。
「子ども扱いしないで! 私は王都での流行りも調べているわ。商人として学ぶためにもこの街独自のものを見たいのよ!」
「そうであったのか……」
少女が好むものをと配慮した結果が却って裏目に出てしまったようだ。
であれば、無理をしてあのような店に入る必要はなかったとファルゴレは少々後悔に似た思いを抱く。大柄で武骨な印象を持たれるファルゴレとしても、先程までの店は少々居心地が悪かったのだ。
さて、それではどうしたものかと考えるファルゴレだが、ナタリアはマチルダの求めるものを察していたようだ。
「では、ちょうど大通りに来たのだから街の者に人気の店や、自由市を見て貰うのはどうだろう? まずは自由市に行ってはみないか?」
「えぇ! そういうマルティアの街らしいもの、人々の好みを知りたいの!」
「なるほど、では向かうとしよう」
自由市であれば、多くの店が並び、何かマチルダの気に留める店もあるだろう。ナタリアの機転にファルゴレは成長を感じる。
美点であるはずの生真面目な性格が時として欠点ともなり得るのがファルゴレとしては心配であった。しかし、マルティアの街でナタリアも成長したらしい。
「商人として学ぶためにも街の人々の生活を実際に見て、学ぶことが大事よね!」
マチルダは嬉しそうに呟き、目を輝かせる。
外見や威圧感から大人でも恐れる自分に堂々と意見を述べたマチルダに、ファルゴレは気概を感じた。
少女の将来に直接何かをできるわけではない。せめてマルティアの街を見て、人々の暮らしを知り、新たな発見があるようにとファルゴレは願うのだった。
*****
「ルース、久しぶりだな」
「ナタリアさん! ご無沙汰しています」
ナタリアが声をかけたのは米を販売しているルースである。
その販売されている品をマチルダはもちろん、ファルゴレもまた興味深そうに見つめる。ルースの他にも数人の者がいて、忙しく働く様子からも米の販売が順調なことが明らかだ。
「忙しそうだな。今日はルースだけなのか?」
「ア、アルロは最近は忙しくって。自由市での販売は僕が任されています。コメ粉の販売も順調なんです。皆さんのおかげです」
「私たちではない、エマのおかげだ。だが、何よりお前たちの努力だろうな」
「きょ、恐縮です」
自由市で販売をした経験や恵真たちとの交流のせいか、ルースは以前よりも緊張せずに人と話を交わすことが出来るようになったらしい。
米粉の販売も順調に進み、アルロは商人として多忙な日々を送っているのだろう。
マチルダは米を熱心に見つめた後、真剣な表情でルースに問いかける。
「このコメっていうのは穀類? どうやって食べるの?」
「これは煮て食べますね。……リゾットにしても美味しいですし、そのまま茹でて何かかけて召し上がってもいいかと思います。最近ではコメ粉として、うちで販売しているんですよ」
「リゾット? コメ粉ってこれを粉にするの? それってどんな味かしら」
「え、えっと……」
「マチルダ、ルースが困っているだろう」
矢継ぎ早に質問をするマチルダに圧倒されるルースに、ナタリアが助け舟を出す。
ファルゴレはというと、先程までとは異なるマチルダに少々驚いたようだ。
目を瞬かせたルースだが、くすりと笑う。フードに隠されて周囲からは見えなかっただろう、その笑みはリリアを思い浮かべたためだ。
「……それなら、大通りに行ってみるといいと思います。今、マルティアの多くの店で出しているものにコメ粉を使ったものもあるんですよ」
「本当!? 教えてくれてありがとう! ねぇ、すぐに行きましょう。あ、あとこのコメっていうのも買えるかしら?」
「えぇ、もちろんです。ありがとうございます」
布袋に入った米を受け取ったマチルダは、笑顔でファルゴレとナタリアに振り返る。その表情は雑貨や小物を扱う店を見ていたときとは異なるものだ。
この国スタンテールの流行は多くの場合、王都から生まれる。ならば、雑貨や服などをマルティアで見ても、それを調べているマチルダが満足しないのは当然のことだ。
ファルゴレとナタリアは視線を交わし、軽く頷く。
この街マルティアで起きている食の変化、それをマチルダもきっと気に入るだろう。そんな確信が二人にはあった。
*****
「何これ! サクッとしてて、いくらでも食べられちゃいそう!」
「食べながら歩くと危ないだろう」
初めて食べる味に目を輝かせながら、もぐもぐと食べ歩きをするマチルダをファルゴレが注意する。
しかし、マチルダは臆する様子もなくファルゴレに言葉を返す。
「自分の街では出来ないことがしてみたいの。ねぇ、こういう風に新しい料理って他にもあるかしら」
「……そうだな。ホロッホ亭という酒場があるが、年齢的にどうかと――」
「行きましょう! 大丈夫よ。そのためにあなたたちがいてくれるんだもの!」
「――仕方がないか。いいか、必ず俺たちの言うことを聞くんだぞ」
強面のファルゴレに全くひるまず、マチルダは自分の意見を言う。
大人ですらその風貌や威圧感に臆してしまうのを知っているナタリアからすれば、マチルダの態度は興味深い。
ナタリアはその考えを直球でマチルダに尋ねる。
「なぁ、マチルダ。師匠を恐ろしくは思わないのか?」
「え、どうして? 全然。だって、この人優しい人でしょう?」
「…………な、俺がか」
師匠と仰ぐ人物を「恐ろしくないのか」と尋ねる不躾さを嗜めようと思ったファルゴレだが、マチルダの回答に驚き、そのタイミングを失う。
今までその姿や雰囲気で恐れられてきたファルゴレが、出会って間もない少女に「優しい」そう評されたのだ。驚くのも無理はない。
「そうよ。そんなの見ればわかるでしょ? 視線とかちょっとした言葉とか、そういうものに人の本質って出るものだもの」
「――では、ナタリアはどう見える?」
「そうね。外見は華があるし凛々しいけど、意外と生真面目で不器用ね。そういう面で損をしていると思うわ。本人に自覚はないでしょうけど」
「そ、それは……褒められているのか?」
「ほら、そういうところよ」
突然の人物評に狼狽えるナタリアだが、ファルゴレはマチルダの視点を興味深く思う。ファルゴレもナタリアも、初めて出会った者にここまで内面を当てられることはない。特にファルゴレはまずは第一印象から圧倒され、交流を持てない者の方が多いのだ。
商人として必要なのは物を見る目、これは経験に伴って身についていくものでもあり、人から教わることも可能である。
だが、商人として必要なもう一つの目、それは人を見る目である。
こちらは経験だけで身につくとは言い切れないうえに、教えることも出来ない。
内面というのは、当然目に見えないものなのだ。
それを小さな事柄から気付くことが出来るマチルダには、商人としての才があるといえるだろう。
「なるほど、興味深い。いいだろう、ホロッホ亭に向かおう。あそこには果実のサワーがあるぞ」
「えぇ、行きましょう!」
「生真面目で、不器用……私は損をしているのだろうか?」
「ほら、ナタリアも早く!」
「腕を引っ張ると、剣が持てぬだろう! 私は護衛だぞ」
マチルダにぐいと腕を引っ張られ、ナタリアも歩き出す。
先程、この道を通ったときとはマチルダの表情は全く違うものになっている。
そんなマチルダにファルゴレは口元を緩めるのだった。
*****
「はぁ……素晴らしい経験だったわ! 酒風水? あれって風の魔法使いが生み出したのね。同じ飲み物なのに喉越しがあんなに変わってしまうなんて!」
「そうだな。だがマチルダ、親御さんには言うんじゃないぞ」
「わかってるわよ。私だって叱られたくはないわ」
ホロッホ亭で果実のサワーを味わった感激を口にするマチルダに、ナタリアが念を押す。もちろん、中身に蒸留酒は入っていない。果実と酒風水、それとほんの少しのハチミツを混ぜたものをアメリアが出してくれたのだ。
だが、街案内で酒場に連れて行ったなどと耳に入れば、マチルダの両親がどう思うかわからない。ナタリアとしては気を揉むところである。
「でも、ありがとう。素敵な一日を今日は過ごせたわ。もし、またこの街に来ることが出来たら、あなたたちにまた案内を頼みたいくらいよ」
「そうか。では、また会えたら良いな」
満足そうに笑っていたマチルダは、ナタリアの言葉に一瞬悲し気な表情を見せる。
再訪の約束を交わすことはマチルダには難しい。
今回、父がマルティアに訪れることを許したのはガス抜きの意味が大きいのだとマチルダは悟っていた。
家を継ぐ兄とは違い、他家に嫁ぐであろうマチルダに今後もそのような経験をさせる必要はないのだ。
つい弱音を吐きそうになったマチルダだが、ぐっとこらえて笑みを作る。
今日、素晴らしい経験をさせてくれたこの二人には感謝している。マチルダの要望に合わせ、予定を変更してくれたのだ。
おかげでマチルダは得難い経験をこの一度限りの冒険で味わえたのだ。
「――もう夕暮れが近いわね。そろそろ、時間だわ。本当にありがとう、二人のおかげで最高の体験が出来たわ」
街を忙し気に歩く人々は家路を急いでいるのだろう。
活気のある街、そこに生きる人々、それは実際に体験しなければわからないものだ。マルティア独自の米に食べ歩きの体験、酒場にまで足を延ばしたのだ。
マチルダにはもう思い残すことはない。
満ち足りた思いで笑みを浮かべ、冒険者ギルドへと戻ろうと思ったマチルダにファルゴレの声が届く。
「――まだだな。この街、最高の体験はまだ味わってはいないだろう」
「師匠……! まさか?」
「あぁ、そのまさかだ」
話がわからず、二人の顔を交互に見るマチルダにファルゴレは向き合うと笑みを浮かべた。大柄な体躯が長い影を作るファルゴレだが、その笑みは柔らかい。
マチルダはじっとその瞳を見つめる。
「この街、最高の店にあなたをお連れしよう。それが我々に出来るあなたへのせめてもの餞になるだろう」
ファルゴレが言うこの街最高の店がどんな店なのか、マチルダはまだ知らない。
だが、その店で過ごした時間、体験がマチルダの人生を変えるのだ。
驚きに目を瞠り、瞳を輝かせる少女は今日最高の笑顔を浮かべた。
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