SS 秋彼岸と菊の花
夏の暑さもすっかり過ぎ去り、吹く風にも湿度を強く感じない。どこか遠くなった空を飛んでいるのはアキアカネだろうか。
窓の外を見た瑠璃子の前には新聞紙が敷いてある。その上に一面に広がるのはこんもりとした黄色の花の山だ。
テーブルの上に広がった黄色の花は食用菊である。
「食用菊って全国的に食べられているものなのかな?」
「どうかしら、東北では一般的だけどねぇ。ほら、お刺身にある小さな菊もあるけど、こうして菊だけを食べるのは地域性もあるんじゃないかしら」
冷涼な土地を好む菊の栽培は北日本が多い。
主な生産地であることから、秋になるとスーパーなどにも菊の花が並ぶ。
菊の花だけをそのままパック詰めしたものである。
「これは黄色だけどね、紫の食用菊もあるのよ」
「へぇ、他の食材にはない色だから、食卓に並ぶと綺麗だろうね」
瑠璃子の前には恵真が座り、共に作業を進めている。
菊の花弁と苦みのあるガクを分けているのだ。
ソファーの上ではクロが座り、うとうととし始めた。
昨年から瑠璃子の家には孫の恵真がいる。
旅行中に家の管理とクロの世話を頼んだのだが、それは恵真と瑠璃子の生活を一変させた。
クロが訪れたとき以来、閉ざされていたはずの異世界へと続くドアが再び開いたのだ。
恵真からその話を打ち明けられたとき、瑠璃子は目を瞠ったが、同時に孫娘の知らなかった一面にも驚かされた。
突然の異世界からの来訪者に、恵真は柔軟に対応し、新たな道を自身で開いたのだ。
年齢の差ももちろんあるが、同じ状況で瑠璃子は逃げるという選択をした。
そこには突如現れたのが虎だったという事情もあったのだが、その張本人は今は小さな黒猫になり、心地よさそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
「そうなのよ。恵真ちゃんはおっとりしているけど、なかなか大したものなのよね」
「ん? 何の話?」
「恵真ちゃんのおかげで私の生活も変わったってことよ」
そう、恵真とクロ、そして裏庭のドアから訪れる人々によって瑠璃子の生活も一変した。
今までは隣人や周囲の人々とかかわりを持つくらいで一人静かに暮らしていた。
しかし、裏庭のドアから訪れるアッシャーやテオの笑顔、バートの軽口、リアムの誠実さ、今は日々に彩りがある。
何より、恵真の存在が瑠璃子にとっては助けになっている。
だが、当の本人はその自覚はないらしい。
「最近、エディブルフラワーっていってお料理やお菓子に食べられる花を使うんだよ」
「へぇ、昔もバラのジャムなんかあったけれど今はそんなのがあるのね」
こうした何気ない会話も瑠璃子にとっては新たな発見がある。
何より、季節の味を共に楽しみ、分かち合う人がいるのだ。
今までも料理を季節の折々で楽しんできた瑠璃子だが、その味の感想を食べたときに言い合えることはささやかな幸福であった。
したことではなく、しなかったことが瑠璃子を変えた。
あの日、突然現れたドアから逃げ出さなければ、どのような未来になっていただろう。そんな思いはいつも迷ったとき、瑠璃子の背中を押してくれたのだ。
進学すると言う道を選んだのもそのような理由からである。
その進学が夫との出会いを生む、今こうして恵真との時間を得られている。
選んだ道、選ばなかった道、その積み重ねで今の人生があることに今更ながら瑠璃子は不思議な感覚になる。
「今年のお彼岸はどうする?」
「え、お彼岸?」
作業をしながらもつらつらと今までの事柄を考えていた瑠璃子は、恵真の言葉にすぐには反応できない。
「うん、お墓参り。お盆は忙しくって、私行けなかったでしょう?」
恵真は写真でしか見たことがない瑠璃子の父母、そして夫の墓参りである。
父や母は今、瑠璃子が異世界と交流を持っていると知ったらどんな顔をするだろうか? 夫は信じてくれるだろうか? そんな想像に瑠璃子はついくすっと笑う。
「どうしたの? おばあちゃん、急に笑ったりして」
「ううん、なんでもないわ。私は今、幸せなんだなって実感してたのよ」
その言葉に恵真は不思議そうに目を瞬かせる。
菊の花の香りは瑠璃子に母の手伝いをした、幼い日を思い起こさせる。
そんなときから長い月日が経ったことを感じながらも、瑠璃子の心は寂しさよりも今までの日々への感謝とこれからの日々への期待が溢れる。
「本当に恵真ちゃんがいてくれてよかったわ」
「もう、さっきからどうしたのよ。おばあちゃん」
「だって、私一人でこれだけの作業するの大変だもの」
冗談めかして話しながらも、瑠璃子の言葉には恵真への感謝がある。
窓から見える高い空を見つめ、今は会えなくなった人々へも感謝する瑠璃子であった。
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