161話 見習い薬師と未熟な豆 4
早朝、今日はクロに起こされるより前に目覚めた恵真は、朝食を手早く済ませるとバゲットサンドの準備に取り掛かる。冒険者ギルドに卸す分と店前で販売する分を作らねばならないのだ。
鶏肉をこんがり焼き上げてバジル、こちらでは薬草として扱われるそれをバゲットに挟んでいく。肉汁溢れる鶏もも肉とバジルはよく合う上に、ボリュームも満点である。手早く仕上げていく恵真の耳に、ノックの音が聞こえた。
いつもより早い時間ではあるが、アッシャーとテオが訪れたのだろうと恵真はドアに向かって声を掛けた。
「どうぞ、入っていいよ」
その声に反応して開いたドアの向こうに立っていたのは、薬師見習いのステファンである。前回のこともあり、恵真は少し驚くが、ステファンの態度や表情からは今までの焦りは感じられない。
どこか申し訳なさそうに、所在なく立つ姿からは反省の色が見られる。そんな彼の変化に目を瞬かせた恵真は彼に声を掛けた。
「ステファンくん、おはよう。今日は早いね」
「……はい、おはようございます」
アッシャーもテオもまだ来ていない。それよりも早く店に訪れたことに、ステファンの心の変化が現れていると恵真は思う。
手を洗ってくるように促すと、素直に従ったステファンだが、恵真の横を通り過ぎようとして目を瞠る。
そこに何気なく置かれている薬草の何と鮮度の良いことだろう。薬師ギルドで扱っているものと遜色のない薬草がテーブルの上には置かれていたのだ。
「こ、これを一体どこで入手なさったのですか!? 薬師ギルドと同じような上質なものが入手できるなんて……!」
恵真の服装や置かれた魔道具から、裕福なのであろうと推測していたが、ここまで状態の良い薬草を入手するには財力だけでは足りない。
だが、それ以上に驚いたのは恵真がそれを無造作にパンに詰めていく光景である。よく見れば、並んだパンには全て薬草が入っているではないか。
「えっと、これをどうなさるんですか?」
「そうだね。冒険者ギルドに卸す分があって、残りはここでアッシャー君とテオ君が販売してくれてるの。このお店の前でいつも二人が販売してくれるんだ。私はこの見た目だし、残念だけど外には立てないんだよね」
「…………それはそうですね。この薬草と黒髪黒目では魔獣がいない屋外は危険でしょう。いや、それよりも、これを庶民に販売しているんですか? このマルティアの街では……」
サイモンがこの店を紹介した理由がようやくステファンにも理解出来た。これだけの品質の薬草をこの店主は庶民へと販売すると言う。
冒険者として名を挙げる者もいるが、それは一部の者だけだ。怪我を負い、その職を失う者も多い。庶民の多くは病気や怪我になっても、治癒師の治療を受けるのを躊躇う。それだけの金銭的余裕がないのだ。
しかし、それをここではごく当然のように庶民に販売するという。それ自体は良いが、ステファンには一つ考えがあった。
「それは寛容で素晴らしいことです。ですが、これを薬師ギルドに販売することでより多くの人が救われるのではないでしょうか?」
「あぁ、実はしてるんだよね。サイモンさんに言われたから冒険者ギルドを通じて、販売して……ってこれ、言っちゃいけなかったかも? あれ、ステファンくんは薬師の人だからいいのかな? ど、どっちだったっけ……」
毅然とした態度で恵真に言い放ったステファンは、目を丸くする。彼が薬師ギルドで目にした薬草の一部はここから卸されたものであったのだ。道理で薬師ギルドの薬草と遜色がないわけである。
サイモンがこの店を強く支持する理由、そしてまだ至らない自分を紹介してくれたことにステファンは胸を熱くする。
黒髪黒目であり、魔獣を従える店主の恵真は薬草を薬師ギルドに卸せるくらいの人物なのだ。
しかし、薬師ギルドに卸していることは秘匿すべきことであろう。それにもかかわらず、サイモンはここを紹介し、何より恵真自らがこうして打ち明けてくれたのだ。
「――大丈夫です。僕も見習いとはいえ、薬師の端くれ。このことは絶対に口外しませんから! 喫茶エニシとあなた方のために尽力致しますので」
「そ、そう? それは助かるなぁ。うんうん、これからもどうぞよろしくお願いしますね」
「はい、ぜひこちらこそよろしくお願い致します!」
一安心した恵真の耳にアッシャーとテオの声と元気な姿が聞こえた。バゲットサンドの準備は二種類とも問題ない。さっそく、二人に販売して貰おうと恵真はカゴにバゲットサンドを詰めていく。
「エマさん、おはよう! 今、支度をするね」
「おはようございます! ステファンさんもおはよう!」
パタパタと身支度を整えた二人はスカーフを巻き、カゴを手にして再びドアの方へと向かっていった。その後ろを慌ててステファンも追う。貴重な薬草を使ったパンがどのように販売されているか、じっとしてはいられなかったのだ。
意欲的な姿と先程の約束に安堵した恵真は、今日の昼食を思い浮かべる。
未熟な豆は今日の彼の目にどのように映るだろう。
賑やかになるドアの向こうに目を細めた恵真は、店の支度を始めるのだった。
喫茶エニシにはさまざまな年齢、職業の人々が訪れ、食事を摂る。
今日のプレート料理には大豆と野菜のスープ、とうもろこしと枝豆のキッシュ、鶏もも肉の照り焼き、パンとずんだプリンである。
先程まで鮮度の良い薬草を挟んだパンを販売していた店で、豆を使った料理を提供していることにステファンは戸惑いを隠せない。それ以上に驚いたのは皆がそれを美味しそうに食べている姿だ。
ステファンのいた街では豆料理など、格下に扱われていたものであった。
そんなステファンに気付いた恵真が声を掛ける。
「まかない料理もあるんだ。あとで食べてみてね!」
「……豆を、それも未熟な豆をなぜ使うのですか?」
ステファンの言葉に恵真は首を傾げる。そのようなことを恵真は今まで考えたことがなかったのだ。
確かに素材の多くは熟した方が味わいや香りも増し、味が良くなると言えるだろう。しかし、枝豆には大豆と違う風味や栄養素もあるのだ。
「未熟っていうか、成長途中だね」
「――成長途中……?」
「若い時期の良さもあるんだよ。ちょっと待っててね。あぁ、あった、あった! ほら、一粒食べてみて! 食べたらきっとわかるから」
ゆがいた枝豆の残りを冷蔵庫から持って来た恵真は、ぐいぐいとボウルをステファンに押し付ける。その勢いに圧倒されたステファンは渋々、まだ未熟に見えるその豆を摘まんで口に運んだ。
「……凄く甘い? まだ未熟な豆なのに、香りもこんなに良いなんて」
「でしょう? 熟した豆とは違う味わいと良さがあるんだよ」
そんな二人の会話を聞いていたアッシャーとテオも頷く。
安く手に入る豆は腹も膨れる。今まで二人も世話になってきた食材である。おまけに恵真に教わった話によれば、栄養も十分にあるのだ。
ソファーにゆったりと腰を掛け、無言で様子を見ていたオリヴィエも自分の手柄のような表情をする。その手元にあるのは携帯食と枝豆の冷製スープである。
ある程度裕福であったがためにステファンは食べてこなかった豆、だがこのマルティアの街では薬草を扱える店でも提供されているのだ。
その味わいは今、ステファン自身がしっかりと確かめた。
サイモンの案じていたとおり、自分はまだ若い。未熟であったのは豆ではなく、自分自身であったとステファンは気付く。
「――それを食事を通じて教えてくださったのですね。そして豆同様、僕は未熟なのではなく成長途中であると背中を押してくださった。僕は皆に後れを取っている訳じゃない。むしろ、実体験として学ばせて貰ったんだ……!」
そう呟いて、接客している恵真の背中を見つめるスタファンの瞳は心なしか潤んでいる。そんな若者の姿を見たいつものソファーに座るオリヴィエは、怪訝な表情で見つめる。
おそらくそこまでのことは恵真は考えていないであろうと彼には思えたのだ。
だが、ステファンの生意気な態度が収まるならいいかと、携帯食をガリッと齧って見なかったことにする。
こうして、見習い薬師ステファンは喫茶エニシで、今までの価値観を覆す体験をしたのだった。
*****
「それで、その後の彼……ステファンくんの様子はどうだい?」
夕暮れの薬師ギルドでサイモンに尋ねられたギルド長ペレグリンは、複雑そうな表情で答える。サイモンが気にかけている人物は、ここ数日で変化を遂げたのだ。
「――以前より熱心な青年でしたが、なんでも今は多くの者を見て、知り、学びたいとマルティアの街を出歩くことが増えてしまいました……。せっかく、向上心のある若者でしたのに、悪影響を与えたのではありませんか?」
眼鏡を直しつつ、ペレグリンがサイモンに尋ねると、サイモンは気にした様子もなく足を組んで外を眺める。街を行き来する人々は、上から見れば同じような人の群れである。
だが、そこにはそれぞれ異なる生活があり、それぞれに事情を抱えている。
それは当然のことなのだが、視点を変えねば気付くことは出来ないのだ。
「ふむ、場所を変えれば見方も変わる。――成長のきっかけをステファンくんは掴んだようだね。流石、女神の薫陶だよ! ねぇ、君。そうは思わないかい?」
最近入った見習いであるステファンの名は覚えたようだが、相変わらず薬師ギルド長のペレグリンの名を覚えてはいないようだ。
変わり者でありながら、優秀な目の前の男を見て、ペレグリンは再びズレた眼鏡を直すのであった。
未熟な豆もいつの日か熟す。
庶民の生活を知り、多くを学んだステファンがその知識と経験を発揮するのはそれほど遠い未来ではないだろう。
そして一粒の豆を植え、育てることは再び多くの豆が育まれることに繋がる。
ステファンを筆頭に数々の優秀な薬師を生みだした冒険者の街マルティアは、例えるなら肥沃な土壌と言えるだろう。
それにはこの街を気に入った中央ギルド長サイモンの優れた才覚、鮮度の良い薬草を入手する人脈が大きな影響を与えたと考える者が多い。
だが、そのサイモンが深く信奉している存在がいたことを知る者は少ない。
大きな影響を与えた彼女、トーノ・エマは今日もまた自ら腕を振るうのだ。
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