160話 見習い薬師と未熟な豆 3
薬師ギルドでは眉間に深く皺を寄せたサイモンが、ギルド長の椅子に深く腰掛けながらため息を溢す。額を手で押さえたその様子に、唇を噛み締めるステファンだがぎゅっと手を握ったまま立ち尽くす。
そんな二人の間で、その部屋の本来の主である薬師ギルド長ペレグリンは汗をハンカチで拭う。夏ではあるが暑さからの汗ではなく、心理的なものである。
先に口を開いたのはステファンだ。
「僕にはわかりません。確かにあの店で提供されている物は品質が優れていました。ですが、一方で豆を出したりとちぐはぐです。まだ未熟な豆すら出すんですよ? 商業を学んでいないからでしょう」
「未熟な豆……」
サイモンは記憶を辿るが、今まで喫茶エニシでそのようなものが提供されたことはない。少々気にはかかるが、そんなサイモンにステファンは必死で訴える。
「何より僕が学びたいのは薬師としての知識や経験なんです! このままでは他の見習いと、どんどん差が開いてしまいます! お願いします! 元の配置に戻してください!」
そう言ってステファンは深々と頭を下げる。その態度は必死なもので、言っていることも薬師見習いであれば当然の考えだ。彼の気持ちがわかるペレグリンは、眼鏡越しにじとりとサイモンを見る。
そもそもが彼の突飛な発想のせいだとペレグリンには思えたのだ。
しかし、当のサイモンは意見を変える様子はない。
「君は先を急いている――答えというものはすぐに得られるとは限らない。薬の配合もそうだね。全てがかつての人々の努力の結果、君は君が思う以上に若く時間があるんだよ。落ち着いて目の前にあることをきちんと見て学ぶべきだ。そのため、僕はあの店に君をお願いしたんだ」
期待していた返答が得られなかったことに、ステファンは悲し気に目を伏せる。
一方、サイモンは何か考えるようにステファンを見ている。
何かギルド長として役に立とうと思い切ってペレグリンが口を開こうとした瞬間、ステファンがぽつりと呟いた。
「僕には兄がいて……非常に優秀な人なんです。僕と違って商売の才がある。昔の僕の夢は家を継ぐことでした――もちろん、それは叶いませんでしたけど。今、やっと自分の夢を、目指す道を見つけました。あなたの元で少しでも多く学びたい、そのために時間を使いたいと思うのは間違っていますか……?」
苦し気に眉を寄せて話すステファンの姿に、ペレグリンの視線が責めるようにサイモンに向かう。だが額を押さえたサイモンが一瞥すると、ペレグリンはスッと目を逸らした。再びステファンを見つめたサイモンはテーブルの上に手を組み、真剣な眼差しで彼を見る。
サイモンとしてはステファンに視野を広げて欲しいと考えていた。薬師を長く続け、知識や経験を十分に収めたサイモンだが、喫茶エニシの存在には大きな影響を受けた。そんな驚きや感銘を才気あるステファンにも体感して欲しかったのだ。
「私はあの店の存在も、店主である御方の在り方も君とは異なる見方をしている。――君はいつ頃あの店に顔を出しているんだい?」
「え、えっと、忙しくなる昼食前頃です」
「では、明日からは開店前に足を運んで、そこにあるものをよく見聞きするように。私からは以上だよ」
「……わかりました。失礼します」
「あぁ、ステファン」
ドアを開き、廊下へと一歩足を踏み出していたステファンはサイモンのその一言で振り向いた。ギルド長の椅子に腰を掛けたサイモンのアンバーの瞳が、ステファンを見つめる。
薬師として以外の業務に納得出来ないステファンであったが、それを命じたサイモンの眼差しは穏やかだ。感情的になる自分にも動じることはなく、柔らかな表情のサイモンに、ステファンは先程の「まだ若い」という言葉を思い出す。
彼に憧れて薬師ギルドの門を叩いたというのに、今の自分はなんと未熟な態度を取ってしまったのだと苦い思いが胸に広がる。
「僕は君の兄には会ったことはない。幼い日の君の夢も今日、初めて知った。僕は薬師見習いであるステファン、君に頼んでいるんだ。――色々と学んでおいで」
「…………はい」
静かに閉まったドアを確認した後、それまで会話に口を挟めずにいたペレグリンがサイモンを見る。彼からすれば、素質のあるステファンを薬師ギルドで学ばせない理由がわからないのだ。
そんなペレグリンを気にせず、天井を見つめてサイモンは呟く。
「まだまだ僕には人を導くなど荷が重いものだ。学びも成長も一生続くのかもしれないなぁ」
誰に話しかけるでもないその言葉に、気苦労の多い薬師ギルド長ペレグリンは眼鏡を直し、静かにため息を吐くのだった。
*****
冒険者ギルド長に集まったリアムたちの話題は薬師見習いステファンのことだ。
初日に彼の態度を見ていたオリヴィエとセドリックの印象はあまり良いとは言えない。セドリックは恵真たちを案じており、オリヴィエはステファンの態度に不快そうにぼやく。
「生意気っていうか、もう少し素直な態度を取るべきじゃない? あの子」
「そ、そうか……。いや、この間も思ったが、お前にそんな視点があったとは思わなかったな。なら、日頃の態度を改めるんだな」
「はあっ? ボクはね、経験と研鑽を重ねた優秀な魔導師なんだよ? そこを考えるとボクの態度は極めて慎みがあるよ」
「ぶふっ! す、すまん。その視点は俺にはまったくない」
「ちょっと、リアム! なんとか言ってやってよ!」
首を少し傾げたリアムが口にしたのは元々の話題であったステファンのことだ。
すれ違っただけの彼ではあるが、喫茶エニシにいることが不満であるのは十分に伝わってきた。
それはサイモンの意図がまだわかりかねていることと、喫茶エニシの価値を未だ測りかねているのだろうとリアムは思う。
「――トーノさまのお姿、魔獣であるクロさま、魔道具の数々、彼が目にしたのはこれくらいだろう。それではサイモンさんが伝えたかったことは、まだ見えてこないのも仕方のないことだ」
「あぁ! まだ肝心のものを見ていないのか」
「だとしてもさぁ……」
リアムの言葉にハッとして頷くセドリックだが、オリヴィエはまだ不服そうに口を尖らせる。日頃、生意気な態度を取っている彼ではあるが、自分以外の者がそのように振舞うことには納得できないのだ。
ある意味で子どもらしい態度にリアムとセドリックは目を合わせる。
いつの間にか、喫茶エニシという居場所を作った古い友人に二人は優しい眼差しを注ぐのだった。
*****
「あら、恵真ちゃん。まだ起きていたの?」
「あぁ、おばあちゃん……ふふ、クロも来てくれたの?」
「みゃうみゃ」
時計も十二時を過ぎた頃、恵真はキッチンに立ち、明日の料理を仕込んでいる。
とはいっても、茹でた枝豆をさやから出して、さらに薄皮を剥くという地道な作業である。
既に数店の料理は出来上がり、冷蔵庫に入っているのだが、枝豆の下準備をしておくことで明日の調理が楽になるのだ。
恵真は未熟な豆とステファンに言われた枝豆を、明日の料理で数点出すつもりでいる。まかない料理にも枝豆を使う予定である。
実際に口にすることで、ステファンの印象も変わると信じてだ。
「私が教えられることなんてないけど、料理をお客さまに届ける姿勢をきちんと見せないとって思うから。素材の美味しさも伝えられたらいいなって、そう思うの」
ボウルに入った枝豆の数はかなりある。さやから取るだけならば、それほど時間はかからない。だが、薄皮までとっていくため、それなりに時間がかかる。
手伝おうかと声をかけようとした瑠璃子であったが、恵真の表情を見てそれを止めた。これは恵真の仕事であり、それに取り組む彼女の表情はどこか楽し気に見えたのだ。
時として、見守ることも必要なのだと長い人生の中で瑠璃子は知っている。
「それじゃあ、先に寝るわね。おやすみ。さ、行くわよクロ」
「みゃうん」
枝豆の香りにすんすんと鼻を動かしていたクロは、少々残念そうな表情で瑠璃子に抱かれて二階へと向かう。そんな姿を笑いながら見送った恵真は、両腕を高く上げ、胸を逸らした。
腕を下ろした恵真は、「さて」と小さく呟く。ステファンに未熟だと言われたこの豆だが、甘味があって風味豊かな夏の味覚の代表格だ。
きっと、これで作る料理も喜ばれるだろう。そう信じて恵真は再び支度に取り組むのだった。
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