159話 見習い薬師と未熟な豆 2


「ステファンという若い薬師見習いなのですが、非常に熱心で素質もある青年です。しかし、まだ若く薬師ではなく商家の家の出なのです。今まで暮らしてきた生活もあって、見識が足りない部分がある」


 薬草や薬を扱うには細心の注意、繊細な配慮が必要なのだ。

 少し目を伏せ、ため息を溢すサイモンだが、オリヴィエは何とでもないという風に肩を竦める。足を組み、カウンターに肩肘をつけ、口にしたのはその外見に反して悟ったような事だ。


「若いのなら仕方がないさ。大抵の人っていうのはそういうものだしね」

「ふふ、オリヴィエ君の言う通りかもしれないね。若いっていうことは、まだまだ成長途中なんだもの」


 まだ子どもなのに大人の会話に入ってきた少年を見る恵真の目は優しい。背伸びしたい年頃なのだろうとその眼差しが恵真の心を伝えており、リアムは吹き出しそうになる。見た目は愛らしい10代前半の少年だが、ハーフエルフであるオリヴィエは今年で157歳になっているのだ。

 そんなリアムを不満げに睨むオリヴィエに、サイモンは頷く。


「ふむ、一般的には確かにそうです。ですが、薬師はそれではいけないのです。薬や薬草ばかりを見ていては大事なことを見失いますからね」

「そんな真っ当な考えを持っていて、あの普段の言動なのは信じられないけどね」


 オリヴィエが疑うような視線をサイモンに送るが、彼は薬師としては非常に優秀である。彼は風変わりであると皆は認識しているが、一方で振る舞いや態度は紳士的であり、仕事への姿勢は誠実である。


「そもそも、サイモンさんはどう導いていくつもりだったんですか?」

「あぁ女神、そこもまた問題なのです。皆、家系に薬師が多いものがまた薬師の道を志す。彼のように全く違う家から薬師を目指すのはめずらしいのです」

「あぁ、なんとなくわかるっす。身近な人の影響でその道を知ったり、憧れたりするもんすよね」

 

 後輩の指導など、今までサイモンはここまで熱心になることがなかった。そもそも薬師を目指す時点で、多くの者は身近な者が薬の知識を持っていることが多い。

 薬師の家系の者が薬師になるのが一般的なのだ。多くの者が読み書きや計算が出来る上、ふさわしい環境に身を置き、既にある程度の知識を修めて薬師ギルドの門を叩く。そういった者たちにサイモン自ら指導を行う必要などなかった。

 その点、商家生まれのステファンは他の者に比べて、薬草を扱う知識や感覚的な部分で差が大きいのだ。

 バートの質問に答えず、迷う様子を見せるサイモンにリアムが尋ねる。


「では、サイモンさんにとって良き上司、あるいは雇用主はどんな方ですか?」

「なるほど、自分の身に置き換えて考えるのですね。私にとって――」

「実力だね。ボクを越える能力がある者しか、このボクの上には立てないね」


 なぜか、サイモンが答えようとする前に自信満々でオリヴィエが答える。それに続いてバートも腕組みしながら考えている。口にしたのは彼らしい言葉だ。


「奢ってくれる人っすね! それに越したことないっす!」

「バート、お前は上司でなくとも奢ってくれれば良いんだろうに」

「もちろんっす! しっかりばっちり、リアムさんのことも慕ってるっすよ!」

「バート、離れろ! 暑苦しい」


 そんな大人たちの会話に加わりたくなるのが子どもである。

 アッシャーとテオも腕組みをしながら、理想の上司、または雇用主というものを真剣に考えている。

 しかし、答えは意外にもすぐに出た。二人とも今の状況に満足しているからだ。


「エマさんだよね」

「うん。俺もエマさんが良いと思う!」


 二人の声に、少々脱線気味だった大人たちもはたと気付く。

 恵真は日頃から薬草を扱い、サイモンも彼女を薬草の女神と讃えている。

 そんな彼女が営む喫茶エニシは様々な立場や職業の者たちが訪れているのだ。何より接客業というのは、薬師と異なり、常に人とかかわりを持つ。

 サイモンが興奮した様子で立ち上がり、恵真の手を取る。

 

「……なるほど! なぜ、私はそこに気付かなかったのでしょう! 薬草の女神であれば、彼を正しく導けるはずです! どうか、どうか彼をお願い致します!」


 そう言って恵真を見つめるサイモンのアンバーの瞳は、真摯な光がある。

 才能があり、何より努力する若者を応援したいサイモンの気持ちに嘘はないのだろう。握られたサイモンの手をリアムとバートが引き剥がし、オリヴィエは肩を竦める。一方の恵真は、何やら真剣に考え込んでいる。

 リアムとバートは顔を見合わせた。熱心なサイモンの願いに、それを真剣に受け止める恵真の姿、嫌な予感しかしないのだ。


「……私に何が出来るかはわかりません。でも、ここで様々な人と出会う機会は作れるかもしれません。いろんな方がここにいらっしゃいますから。あ、育てる……のは出来ませんよ? それはサイモンさんたちの職務ですし」

「いえ! こちらに身を置けば彼もまた学ぶことが多いはずです。女神の寛大な御心に感謝致します!」


 喫茶エニシの店主は恵真である。その彼女が決めたことならば、リアムたちもそれ以上口を挟むことは出来ない。リアムはため息を溢し、バートは赤茶の髪を掻く。

 だが薬草の質、そしてその薬草をこの店ではどう扱っているのかは、学ぶべきてんがあることは事実である。

 なるべく、その薬師見習いがいる間は喫茶エニシに足を運ぼうとリアムは思うのだった。


*****


 翌日、サイモンに連れられて喫茶エニシに訪れた薬師見習いステファンは、見てわかる程に不機嫌であった。

 少し長めの薄茶色のカールした髪の青年は、黒髪黒目に目を瞠ったものの不服そうな態度である。

 その態度や表情に恵真ではなく、なぜかオリヴィエが不満げに彼を睨む。

 既に昼は過ぎていたが、オリヴィエはソファーでゆったりと寛いでいた。この場所はオリヴィエの定位置なのだ。

 簡単な挨拶をお互い済ませた後、サイモンは喫茶エニシを出る。彼としては後ろ髪を引かれる思いであったが、薬師ギルドではまだまだ仕事が残っていた。


「じゃあ、ステファンくん。数日間だけど、どうぞよろしくね!」

「…………よろしくお願いします」


 言葉には問題ないが、視線を逸らしたその態度は彼が本心ではここに居たくないことを伝えるには十分である。

 少し目を瞬かせた恵真だが、くすっと笑うと彼に黒いエプロンを手渡す。服が汚れないようにと用意しておいたのだ。不承不承それを身に着けるステファンと、そんな彼を待つ恵真を見たオリヴィエが呟く。


「誠意がまったく感じられない。なかなか生意気じゃないか」

「おい、オリヴィエ。どの口が言うんだ、どの口が」

「ボクは魔導師として、それだけの経験と研鑽を重ねているからね。あんな見習いと一緒にしないでよ、セドリック!」


 年齢と経験を重ねたオリヴィエの近くにはセドリックがいて、薬師見習いと恵真を見つめている。

 先日の肉祭りの礼を言いに来たセドリックだったが、それを言い出せる雰囲気ではない。アッシャーとテオは静かにいつもの仕事をし、クロはステファンに興味がないのか、オリヴィエの横でくわぁっとあくびをした。

 だが、ステファンの態度が悪いのも彼なりに事情がある。

 薬師として他の見習いよりも知識も少ないステファンは、より多くのことを実際に見聞きし、学ぶつもりで日々過ごしていた。

 憧れのサイモンから声を掛けられ、期待しながら訪れたのが飲食店ではさらにステファンの焦りは増すばかりだ。

 しかし、恵真は気にせず説明を続けた。


「こちらがアッシャー君とテオ君、兄弟なの。私が手が離せないときはこの二人に聞いてね」

「え……この子達ですか? え、見習いとか研修の子ですよね?」


 ステファンが慌てるのも無理はない。実家の営む店では入ったばかりの見習いでおかしくない年齢の兄弟、この二人が既に店に立っているというのだ。

 敬語や礼儀作法、そういったことを学んだ上で、やっと店に立つことが出来る。 

 まだ幼い兄弟がそれを身に着けてるとはステファンには思えない。

 

「いや、俺たちここが出来たときから知ってるんで大丈夫ですよ。なぁ、テオ」

「うん、僕らがわからないことは教えてあげるね!」

「……そ、そう。ありがとう」


 にこにこと笑顔を浮かべる幼い二人に、流石にステファンも冷静になる。

 小さくため息を溢したステファンは渋々、店主の指示に従うのだった。


*****


 あれから何日かが経ち、ステファンにもサイモンがこの店を紹介した理由が少しずつ理解出来てきた。

 初めて見る貴重そうな魔道具、小さな動物は魔獣らしく瞳は深い緑である。また、店主の恵真の服装からもその生まれが、貴族の生まれであることも間違いがないだろう。

 しかも黒髪黒目というのがステファンには不思議でならない。幼い頃から教会では女神は黒髪黒目であったと聞かされた。その特徴を捉えた女性を教会や王家が放っておくはずがないのだ。

 そんな店主は今、キッチンに立ち、楽しそうに自ら腕を振るっている。客もまた特に気にした様子もなく、穏やかに過ごしている。

 自分の理解の及ばない状況にステファンは指でこめかみを押さえた。

 

「あ、これをお客さまに運んでください。奥の席のお二人です」


 恵真の言葉に彼女の手元を見たステファンは、眉間に皺を寄せる。幾つか料理が載った皿の中、ステファンの目に留まったのは煮込まれたスープである。

 食欲をそそる香りを漂わせるその料理だが、それには豆が使われていた。よく見れば、店主の手元にはまだ未熟な豆までが置かれている。

 

「豆を客に出すなんて……」

「美味しいですよ! あ、温かいうちに持って行ってくださいね」


 これだけの店であり、それなりに料理の値も張るはずだ。魔道具からは冷風が吹き、その価値もあるのかと始めはステファンも考えた。

 しかしここ数日、店主が出すのは野菜や豆ばかりである。

 おそらくは貴族の出の店主は、冒険者や平民を軽んじているのだろう。そうステファンは判断したのだ。


「いえ、もう帰ります。もう数日ここで過ごしました。確かに立派な店で、質の良いものを置いている。ですが、それだけです。薬師として学ぶことはないと僕は思うので、ではお世話になりました」


 数日世話になったことやサイモンのこともあり、丁寧に一礼をしたステファンだが、その表情には怒りが滲み出る。貴族の傲慢さは実家にいた頃もよく見聞きした。権力に笠を着て、高圧的な態度を取る貴族をステファンは幼い頃から嫌っていた。店主の恵真もまた貴族であれば、同じような人物なのだろうとステファンは店を後にしようとドアを開く。

 そんな彼の背に恵真は声をかけた。


「せっかくだから、お昼を食べていかない?」

「結構です!」


 そう言って出ていったステファンと入れ違いになるように、店内に入ってきたのはリアムである。リアムの目に飛び込んできたのは戸惑うアッシャーとテオ、なぜか怒っている客たち、そしてそれを宥める恵真の姿だ。

 何か問題が起こったことを悟ったリアムはテーブルの上の定食に目を向けた。

 ステファンが訪れるようになり、リアムも普段より喫茶エニシに足を運んでいる。ここ数日のプレート定食も把握しているリアムは、口元を緩める。


「……なるほど。そういうことですか」

「え? リアムさん何かありましたか?」


 料理に問題があったのかと恵真が不安そうにリアムを見る。

 ふっと笑ったリアムは首を振って否定する。アッシャーとテオもそんなリアムが何を言うのかとじっと見つめた。


「いえ、大丈夫ですよ。何の問題もありません。彼はまだ、この店の真価を理解できていないんだと思います」

「しんか、ですか?」

「はい、真価です」


 テーブルの上の料理を恵真もまた見つめた。旬の夏野菜や豆を使った料理で、特に普段と変わったことはない。

 ステファンが出ていった理由も、リアムが言う言葉の意味もわからず、困惑する恵真であった。


 

 

 



 

 

 

 



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