158話 見習い薬師と未熟な豆
じりじりと日差しの強い日であるが、マルティアの人々は今日も仕事に専念している。そんなマルティアの薬師ギルドでめずらしく笑顔を見せる男がいる。薬師ギルド長のペレグリンだ。
薬師ギルド中央支部のサイモンが来てからというもの、仕事は順調であるがギルドは多忙さを極めている。ギルド長であるペレグリンは頭を悩ませることも多かったのだ。しかし、そこに期待の新人が訪れた。
ステファンという青年なのだが、優秀で勤勉で商家の生まれである。薬師見習いである彼は、このギルドで学びながら経験を積み、資格を取る予定だ。
「年に二度ある試験ですが、彼なら最速で見習いから薬師になるかもしれませんね! いやぁ、楽しみなことです」
「……だからこそ、心配だね」
薬師ギルド長のペレグリンを差し置き、その椅子に足を組んで座るサイモンがめずらしく何か悩んだ様子でため息を吐く。
ペレグリンはサイモンの表情にも言葉にも驚いて、眼鏡を直す。
喫茶エニシを訪れるようになって日々、機嫌の良いサイモンがこんな表情を浮かべるのは今までにないことである。
それが有望な新人ステファンのことであり、ペレグリンも少々不安になる。
「確かに彼は才能があり、努力もしているね。だけど、それだけじゃダメなんだよ」
「へ? 若く将来有望で努力家の青年なんですよ?」
「有望な新人だからこそ、今のままではダメだと言っているんだよ」
眼鏡の奥の目を瞬かせて、ペレグリンはサイモンの言葉を自分の中で反芻する。しかし、その意味が今一つピンと来ない。
一方、サイモンは困ったように紅茶を飲んでため息を吐くばかりだ。
「いやいやいや、商家である実家を出て、わざわざあなたがいるこの街で薬師になろうというそんな情熱を持った青年ですよ? ステファンは!」
裕福な商人の息子であるステファンが家族の反対を押し切り、このマルティアの薬師ギルドを選んだのはサイモンがいるからだ。正確にはここの所属ではないのだが、このマルティアにサイモンは滞在し続けている。
そんな彼を追ってこの街に来た青年を否定するような言葉を口にするなど、少々冷たいのではないかとペレグリンには感じられた。そのため、ついつい強い言い方になってしまうが、サイモンには気にした様子もない。
「さてさて、どうしたものか」
「はぁ……」
めずらしく考え込むサイモンだが、悩むその理由はペレグリンには理解できない。仕方なく、曖昧な返事をしたペレグリンは下がった眼鏡を直す。
目の前の中央支部長サイモンは些か風変わりではあるが、非常に優秀な薬師である。自分には気付かない点も彼には見えるのだろうとペレグリンには思い直す。
紅茶を口に運んだサイモンのアンバーの瞳は、 めずらしく憂いを帯びていた。
*****
喫茶エニシのキッチンに立つ恵真は、枝豆をキッチンばさみで切り分けていく。
こちらはお隣の岩間さんに頂いた物である。
ぱちんぱちんと切っていく恵真の前には、リアム、バートが座り、ソファーにはオリヴィエがゆったりと寛いでいる。彼らの話題はこの前の肉祭りだ。
「冒険者も兵士も暑さも忘れて盛り上がってたっすねぇ。あ、冒険者の狩りもその影響できちんと行われたみたいっすよ。こう暑いと外での仕事は辛いっすもんねぇ。おまけに祭りの余韻か、夜に飲み歩く習慣も戻ったみたいっす」
「集会所でのレモネードの販売も好評で、夏の間は続けることになったようです」
「それはよかったです! 熱中症対策にもいいですね」
レモネードは夏の間の収入源の一つになり、販売する子どもたちの自信にも繋がった。日中の販売のみだが、暑いこの時期にぴったりの飲み物は順調に売れ行きを伸ばしていた。
昼夜行う肉祭りというイベントは好評のうちに幕を下ろした。だが、その余韻か人々が再び街に出るようになったのだ。一日のみの行事ではこうはならなかっただろう。昼夜、そして連日行ったことが人々の足を外出へと導いたのだ。
「まったく、なんでボクが手伝わなきゃいけなかったんだろうね」
ソファーに腰かけたオリヴィエは携帯食を齧りながら、冷たいポタージュを口にする。そんなオリヴィエの言葉に不思議そうにアッシャーとテオが首を傾げた。
「でもさ、オリヴィエのお兄さんが来てくれて凄く助かったよな」
「うん、僕たちだけじゃ、きっと大変だったもんね。だから手伝いに来てくれたんでしょ?」
「…………いや、ボクはその」
もごもごと言い淀むオリヴィエに必死でバートは笑いを堪え、リアムは口元を緩める。素直になれないオリヴィエがアッシャーとテオを気にかけているのは、皆が知っていることなのだ。
こちらを睨むオリヴィエの視線を背中で感じたバートは、慌てて話題を変える。
先程から恵真の作業が気になってはいたのだ。
「トーノさま、どうしてまだ若い豆を切っちゃうんすか? 熟してないっすよ?」
「あぁ、私の住んでいた場所ではまだ若い豆も食べるんですよ。熟して乾燥させて保存もするんですけどね」
「へぇー、面白いっすねぇ」
「果実や野菜は熟したものを食べるものだとばかり思っていましたが……」
ぱちぱちと枝豆を切り取っていた恵真はハサミを置いて、バートとリアムを見た。どうやら、こちらでは枝豆は食さないらしい。だが、確かに大豆にしてから使う方が一般的ではあろうと恵真は思う。
現在では枝豆用に多くの品種が育てられているが、元々は大豆の若いうちを枝豆として食べていた。大豆同様、たんぱく質とビタミンB1、そして大豆にはないビタミンCも含まれた夏の味覚であり、江戸時代には枝豆を売り歩く者がいたという。
「ふふ。じゃあ、この美味しさを皆さん知らないんですね? あとで試食してみてくださいね」
「うわっ! 楽しみっすねぇ!」
「アッシャー君とテオ君も食べてみてね。甘くって食べやすいんだよ。あ、オリヴィエ君にはスープにしてもいいかも!」
「……ふぅん。まぁ、別にボクはどっちでもいいけど?」
ソファーに座っていたオリヴィエは恵真の言葉に小さな声で答えた。その表情は不服そうでもあり、困惑しているようにも見える。
だが、その感情を汲み取ったリアムが、にこやかに恵真に答えた。
「――オリヴィエも喜んでいるようです。お気遣い感謝致します」
「ちょっと! ボクはどっちでもいいって言ったんだよ!」
「楽しみだねぇ。オリヴィエのお兄さん」
「豆なのに甘いなんて、どんな味なんだろうな」
ムッとした表情の自分の側でニコニコとアッシャーとテオが笑い、それ以上オリヴィエも口を返すことが出来ない。リアムをじっと睨むばかりだ。
クロは転がったさや入りの枝豆を前足で弾いて、一人戦っている。
そんな喫茶エニシに、再び客が訪れる。恵真はドアを開けたその人物に声をかけた。
「あ、サイモンさん。暑かったでしょう。どうぞ、入ってください」
「えぇ、ありがとうございます。女神」
めずらしくテンションの低いサイモンの様子に、皆が彼に注目する。
喫茶エニシに訪れれば、熱心に薬草の話をし、新たな発見がないかと目を輝かせるサイモンにしては様子がおかしい。
いや、普段の方が様子がおかしいのだが、日頃のサイモンを知る者からすれば、落ち着いた彼に違和感を抱くのだ。
面倒事の予感にオリヴィエは席を立ち、リアムたちの方へと来た。
「どうしたんでしょう、サイモンさん」
「尋ねちゃダメっす! これはなんか面倒そうなんで!」
「ボクも同感だね。わざわざ問題ごとに首を突っ込む必要なんかないよ」
ぼそぼそと呟いて恵真に忠告するのは、バートもオリヴィエも彼らなりの善意からなのだろう。そのことに気付いたリアムは二人に優しい眼差しを送る。それに気付いたバートは赤茶の髪を掻き、オリヴィエは頬を膨らませる。
だが、そんな大人たちの会話を聞いていたのかいないのか、アッシャーとテオは氷の入ったグラスに水を注ぎ、サイモンの元へと届けていた。
「はい、冷たいお水です。さっぱりしますよ」
「ありがとう、アッシャー君」
グラスの水を一口飲んだサイモンだが、目を伏せてため息を溢す。
やはり、いつものサイモンではない。そう感じたアッシャーとテオは目を交わす。
「どうしたの? 元気がないね」
「ああぁ!!」
後ろから複数の大声が聞こえ、アッシャーはくるりと後ろを振り返る。
そこにはバートとオリヴィエが大きく口を開けて、こちらを見る姿があった。
恵真とリアムはサイモンが何を言うのかと、じっと見つめている。
「……正しい人の導き方というものに迷っているのです」
「正しい人の導き方?」
きょとんとして復唱するテオだが、その後ろでは大人たちが顔を見合わせる。
それも無理はない。日頃のサイモンを知るからこそ、彼の口から出た言葉に戸惑うのだ。
「え、彼が薬草のこと以外で悩んでいるってこと?」
「確かに薬草以外のことに関心があるとは思ってもいなかったな」
「正しい人の導き方って……そんなガラじゃないっすよね?」
穏やかに辛辣な言葉が並ぶのは、日頃のサイモンを正しく把握しているからでもある。薬草以外のことに関心のないサイモンがめずらしく、他人のことで悩んでいるらしい。その光景に大人たちは皆、驚きを隠せない。
しかしながら、サイモンの面倒事に首を突っ込んでしまった以上、彼らはその悩みにきちんと耳を傾けることになるのだった。
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