SS クロの反抗期


 魔獣として長い年月を生きるクロではあるが、猫としての生活も板についてきた。

 実際、猫としてはかなりの長寿猫である。

 初めの頃は小さなこの姿で良いのかと思ったクロではあるが、この小ささにもメリットがあると気付いたのだ。

 恵真が抱きしめられるサイズであり、家中どこにでもついていける。おまけに恵真は「可愛い」と常に言ってくれるのだ。

 これは他の動物では不可能であっただろう。

 最近クロは知ったが、どうやら人の世ではこのような存在をペットと呼ぶらしい。

 人間という生き物の生活は未だ理解出来ぬ点が多いクロだが、現状には十分満足していた。



 だが、事件というものはそんな穏やかな日常の中、突然起こるものなのだ。

 朝のパトロール帰りのクロは岩間さんと恵真の何気ない立ち話が耳に入った。


「可愛いペットがいると癒しがあっていいわね、恵真ちゃん」


 隣人の言葉にクロも内心で「そうだろう、そうだろう」と思う。

 何しろ自分は愛らしく優秀でもあるのだと胸を張る。

 得意げなクロの耳に次に入ってきたのは、恵真の予想外の言葉だ。


「うーん。でも、クロはペットと呼ぶのはしっくりきませんね」

「あらそう?」


 その言葉に強いショックを受けたクロは固まる。

 魔力も膨大にあり、長きを生きた優秀な自分は恵真にとって最高のペットではないかとクロは自負していた。

 何より恵真は日々、クロに「可愛い」と愛らしさを称賛する言葉をかけてくる。

 この最上級に愛らしいであろう自分は恵真の最高のペットではなかったのか。

 そんな激しい衝撃に動揺したクロだが、すぐに決意をする。

 何やら最近知った情報で人の世には「反抗期」なるものが存在するという。

 未だその権利を行使したことのないクロは、行動に移すことにしたのだ。

 にこやかに隣人と会話する恵真の姿をじとりと見ながら、クロはどのような反抗をしようかと知恵を働かせるのだった。


 翌日の朝、クロは恵真を起こさずにいた。反抗期の第一歩である。

 しかし、恵真はいつも通りの時間に起きると自分で目覚ましを止めた。

 起き上がる恵真の姿に、見ていたクロは目を見開く。

 そんなクロに気付いた恵真がにこりと微笑んだ。


「あ、クロもいたんだ。おはよう」

「……みゃ」


 てとてとと恵真の部屋を後にするクロは、騒がしいあの道具に苛立ちを覚えた。

 おのれ、あの騒がしい道具めとクロはあとで目覚まし時計を小突いておこうと考える。

 ふんと鼻を鳴らしたクロだが、きゅるきゅると鳴る腹にこの作戦の問題点を再び感じる。恵真が起きるのが遅くなれば、当然クロの朝食の準備も遅くなってしまう。

 不愉快極まりないクロは階段を降りつつ、次の反抗を考える。

 今日は喫茶エニシの定休日、時間は存分にあるのだから。


 朝食を終え、満足してついウトウトとし始めたクロはハッとする。

 これでは普段と何も変わらない。何か、反抗期としての行動を起こさねばならぬのだ。

 そう気付いたクロの目に掃除機を用意する恵真の姿が目に入る。

 動き出したその掃除機にクロはえいやとばかりに飛び掛かる。

 ぶううぅん、びし! びし! ぶううぅん、びし! びし!

 

「クロはこの遊び、好きだねぇ。いつもしてるもんね」

「んみゃ!」


 恵真に言われてクロは気付く。そうだ、これはいつもの遊びではないかと。

 騒がしく動くこの道具を恵真が動かすのを邪魔しているつもりが、いつの間にか遊ばれていたとは不覚である。この道具もまた、あとで制裁を加えよう。

 そう思うクロは再び、びしびしと掃除機に攻撃を加えるのだった。

 

 

 次にクロが思い立ったのは読書中の恵真の邪魔をすることである。

 ちょうど恵真が料理の本をめくっていた姿に、ひょいと椅子に飛び乗ったクロはそのままテーブルへと上がる。料理本を読んでいる恵真の手元に寝転がった。

 さぞかし恵真は困るだろうと腹を出したクロだが、心地よさにぐるると喉を鳴らす。恵真の手がクロの腹を撫でているのだ。


「もう、クロ。これじゃあ、本が読めないよ」

 

 そういう恵真だが、その声からは苛立ちは感じられない。

 むしろ嬉しそうに自分を優しく撫でているようにクロの目には映る。

 これもまた失敗なのではと思うクロだが、恵真の手の心地よさにそのままウトウトと眠気に誘われる。

 そして、気付けばソファーの上に寝かされ、窓の外は赤い夕陽で染まっていた。

 これでは反抗期が不十分であるとクロは機嫌を損ねる。

 そんなクロの様子に何やら思うことがあったのだろう。祖母の瑠璃子が声を掛けて来た。


「ねぇ、今日は一体どうしたのよ?」

「みゃうみゃ」

「はぁ、反抗期ねぇ。でも、それも恵真ちゃん困らないんじゃない?」

「みゃう!?」


 やはりそうであったかとクロは魔獣として忸怩たる思いになる。

 恵真を起こすのが遅くなれば、自分の腹が減る。恵真の掃除を邪魔すれば、なぜか自分も恵真も楽しくなってしまう。恵真の読書を邪魔していたのが、いつの間にかこんな時間まですやすやと眠ってしまったのだ。

 そんなクロに呆れたように瑠璃子が話しかける。


「そもそもなんでそんなことになったのよ。反抗期ったって、恵真ちゃんに気付いて貰わなきゃ意味がないじゃない」

「みゃうみゃ……」


 何がきっかけであったかなど、クロは口にしたくもない。

 恵真のペットとして、自分は至らない存在であるなど認めたくはないのだ。

 気落ちしたクロは、ただでさえない肩を落とす。

 そこに買い物を終えた恵真が帰宅した。しょんぼりとしたクロの姿に恵真は心配して駆け寄る。クロの落ち込む様子など、恵真は見たことがなかったのだ。


「え、何、どうしたの? もしかしてクロ、体調が悪いんじゃない? どうしよう、病院に行った方がいいかもしれないね。あ、でも魔獣って動物病院に行けるのかな……?」

「みゃうみゃ!!」


 恵真に抱き上げられたクロは腕の中で必死に訴える。

 ただの反抗期で病院に連れて行かれるのはクロもごめんである。

 笑いを堪えつつ、クロの意志を瑠璃子が恵真に伝える。


「嫌だって言っているわ。大丈夫みたいよ、行かなくっても」


 何しろただの反抗期である。クロ自体は健康そのものだ。

 瑠璃子の言葉に内心で頷くクロだが、それでも恵真は心配そうにクロの顔を覗き込んだ。そして、瑠璃子の方をじっと見て言う。


「でも、何かあったらどうするの? クロは大事な家族なのに」

「みゃう……?」


 そう言って恵真はクロを撫でて気遣う。

 数度瞬きをしたクロは、恵真の言葉にハッとする。

 恵真が先日、クロをペットではないと言ったのはこのような意味が込められていたのだろう。恵真はクロを軽んじたわけではなかったのだ。

 

「みゃうみゃうみゃ!」

「なんだか元気が出て来たみたいよ。大丈夫だって」

「本当に? あまり無理はしちゃダメだよ」

「んみゃう!」


 機嫌を直したクロは恵真の手に額を擦り付けた。

 クロの居場所は間違いなくここにある。十分な食事、優しくかけられる声、撫でる手のひらはいつも温かい。

 魔獣であり、猫でもあるクロだが、ここでは家族として恵真と瑠璃子と共にいる。

 そのことに気付いたクロの喉は自然とゴロゴロと鳴る。

 こうして、クロの反抗期は一日で終了することとなったのだ。


 翌日から恵真はまた普段通りに、みゃうみゃうと激しい鳴き声で目を覚ますこととなる。

 恵真にとってもクロにとっても当たり前の日常がまた始まるのだ。


 

 あとがき


 先日世界猫の日があり、書いたものになります。

 猫ちゃんに限らず、大切なご家族と皆さんが穏やかに過ごせますように。

 

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