164話 酒と酸味とホロッホ亭 3


 カウンター席に着いたリアムとアメリアに、自信ありげな恵真は胸を張る。

 昨日の夜に仕込んだ料理を二人にも味わって貰うつもりなのだ。

 昼食時間を過ぎた喫茶エニシには今、他に客がいない。

 そのため、アッシャーとテオも席に座り、恵真の料理を待っている。


「皆さんにも馴染みのある食材とお酢を使った料理を昨日作ってみたんです」

「あたしたちに馴染みのある食材……ってなんだろね」


 恵真の言葉にアメリアは首を傾げる。

 昨日の恵真の料理で肉や魚、そういった物と組み合わせていいと知ったときは新たな視点に驚かされた。

 今まで思っていた以上にさまざまな食材が酢と組み合わせることが出来るのだ。

 そうなると思い浮かぶ食材も増えるわけで、アメリアもすぐにピンと来ない。


「じゃがいも!」

「じゃあ、僕は豆にする! 合ってる? エマさん」

「ふふ、確かにそういうのも合うんだよ。サラダの具にすることがあるもの。でも今回はマルティアの街やスタンテールの国らしい食材かな。昨日、リアムさんに頂いた野菜の中にあったの」


 恵真の言葉に皆の視線が一気にリアムに向く。

 だが、その言葉に驚いたのはリアムとて同じである。

 アメリアがワインビネガーを持っていくと言うので、鮮度の良い野菜をジョージの店で買い求めたのだが、その中で何を恵真が選んだのかは想像がつかない。


「――降参です。まったく思いつきません」

「実は私も昨日、クロが教えてくれるまでは気付かなかったんですよ。クロのおかげですね」

「んみゃう」


 得意げに胸を逸らすクロであるが、実際にはただ構って欲しくていたずらをしていただけである。

 だが、そんなクロにアッシャーとテオからは尊敬の眼差しが注がれる。やはり魔獣は違うのだという思いが、二人の目の輝きからも伝わってくる。

 その光景に恵真は微笑みながら、冷蔵庫の中で冷やしておいた品々を準備する。

 人数分を皿に取り分けていく様子をアメリアがじっと見つめた。

 その見た目からはマルティア特有の食材が何かはわからない。


「どれも美味しそうな料理だねえ。揚げた鶏肉に、こっちは揚げていない鶏肉だね。……ってことは、マルティアの特産の鶏ってことかい?」

「いえ、きっと召し上がってみるとわかると思いますよ」


 受け取った料理は揚げた鶏肉に何やら野菜やソースが掛かっているもの、もう一品はシンプルに煮込んだ鶏の手羽元である。

 かすかな酸味のある香りはするが、それは酢を調味料として使っているからのようにアメリアには感じられた。

 不思議に思いつつ、アメリアはまず揚げた鶏肉の方から口にする。


「――これは、トルート? トルートの酸味じゃないかい?」

「流石、アメリアさんですね。正解です。これはお酢と一緒にトルートを使っているんです。マルティアの皆さんに馴染みのある柑橘類、トルートを調味料として使っているんです」

 

 二つの料理に使われていたのはサワーにも使われているトルートである。

 柑橘系の酸味を酢と合わせることで、爽やかさを足し、何よりマルティアの街やスタンテールの国に住む人々にとって馴染みのある風味にしたのだ。

 

「じゃあ、こっちのお肉にも使われているの? 確かに甘いけど、ちょっと酸っぱい味がするね」

「煮た肉でも固くなくって、ほろほろした食感なんですね!」

「そうなの。お酢の酸味が火を通すことで減って、でもたんぱく質のお肉は柔らかくなるんだよ。で、カルシウムも解けて吸収しやすくなるみたい!」


 夜に酢を使った調理法を考えた結果、恵真は加熱することを思いついた。

 一品目は鶏もも肉のマリネである。千切りにしたピーマンやたまねぎ、薄切りにした人参も加え、揚げた鶏もも肉をマリネにした。

 冷めることでより味が馴染み、酒にもよく合う一品だ。

 もう一品が鶏手羽元のさっぱり煮である。シンプルに酢と醤油、ハチミツで味付けをし、柔らかくなるまで煮込んだものである。

 もちろん、どちらにもマルティアの柑橘類、トルートを使っている。


「なるほど、調理法によってトーノさまが仰る栄養というものも変わってくるということですね。何よりこの味付けになると食べやすいですね」

「難しいことはあたしにはわかんないけどさ、馴染みのある酸味に変わると食べやすいもんも増えるんじゃないかい。おまけに肉料理だろ? うちの客で肉が嫌いなもんはいやしないよ!」


 大人であるリアムやアメリアの口にも合ったことに、恵真は相好を崩す。

 だが、この料理はまだ完成しているとは言えないと恵真は考えている。

 調味料として醤油を使っているため、マルティアで広める際に問題があるのだ。

 恵真はアメリアの手をがしっと握り、その目を見つめる。


「この二つの料理を完成させるのは私じゃなく、アメリアさんです。この料理には私の国特有の調味料が使われていて、私の国の味付けなんです。でも、マルティアの人が調理していくにはその調味料は使えません。ですから、アメリアさんにこのマルティア流の料理に仕上げて欲しいんです」


 恵真の言葉にアメリアの目が大きく見開く。恵真の手をアメリアはぎゅっと力強く握り返した。その表情は輝き、笑みも浮かぶ。

 

「ありがとう、お嬢さん。大事な料理をあたしに任せてくれるなんて、ありがたいことだよ。――この料理をマルティア風に仕上げて、皆に広がっていく料理にしてみせるよ。任せとくれ!」


 自分の店の問題に恵真が協力してくれることをアメリアは嬉しく思う反面、どこか申し訳なさも感じていた。 

 そこに自分の力を必要とされたのだ。断る理由は何もない。

 お互いを信頼して任せる恵真とアメリアの姿に、リアムたちもまた頬を緩めるのだった。


*****


 その夜、ホロッホ亭に現れた男の姿に、一部の客が視線を向ける。

 アメリアが出禁にしなかったこともあり、またあのときの冒険者が現れたのだ。

 男としてもホロッホ亭には足を踏み入れにくかったことだろう。

 しかし、この辺りで手頃な価格で質の良い料理を出すホロッホ亭に、やはり惹かれて今夜もまた来たのだ。

 眉をしかめたり、怪訝な表情で見る客もいるが、このホロッホ亭のことはアメリアが決めるべきと口は挟まない。


「おや、また来たのかい?」

「来ちゃ悪いかよ?」

「まさか! あたしゃ、あんたが来るのを待ちわびてたくらいだよ」

「は? 何言ってるんだ?」


 男はその意味を理解できないようだが、アメリアの言葉に嘘はない。

 ここ数日、アメリアは恵真に教わった二つの料理をマルティアの調味料を使い、アレンジしたものを必ず用意していた。

 他の客には好評でアメリアも安堵し、恵真との約束も果たせてはいた。だが、出来れば再びこの男に酢を使った料理を試してほしいと考えていたのだ。


「ほら、これが新しい料理だよ。特別に無料にするから、これを食べてごらん」


 皿に盛られた二品を眉をしかめて男は見る。

 どちらの肉料理も美味しそうに思えるが、それを無料で自分に出すアメリアの意図を測りかねているのだ。

 周囲の客は興味深そうにアメリアと男のやり取りを見つめている。

 

「どうしたんだい? 皆に見られて食べるのは気が進まないかい?」

「バカにするんじゃねぇ! ほら、フォークを貸してみろ!」

 

 そう言って男は皿に入った鶏肉のマリネを口にほおり込む。

 予想と違い、酸味のあるその味に目を見開くが周囲の目もあるため、そのまま咀嚼を続ける。

 カリッとした部分を残しつつ、タレが染みた部分からはじゅわっと柑橘類の爽やかな酸味が広がり、爽やかな香りが鼻を抜ける。

 揚げた肉なのだが、後味もさっぱりとしてつい、またフォークが伸びそうになるのをぐっと堪えて男はもう一品に手を伸ばす。

 こちらは手で掴むと、そのまま肉に噛みつく。

 するとどうだろう。肉はほろりと解れて、甘味とすっきりとした酸味が口の中に広がる。こちらもまたほのかに酸味があるものの、まったく不快ではない。

 むしろ、程よい酸味が心地よく食欲が増すから不思議だ。


「どうだい? どっちの料理も酒のあてにぴったりだろう? あんたが言ったとおり、この前のピクルスは酢がきつかったかもしれない。でも、あんたのしたことは間違ってるんじゃないかい?」


 男は無言でアメリアを見る。気まずそうな表情からも、都合悪く思っているのが伝わってくる。先日の行動は酒が入ったうえで、気が大きくなってのものなのだろう。

 だが、アメリアとしても言っておきたいことがある。

 先日、男にも言ったがそのときは彼に伝わらなかった思いである。


「あんたの口に合わないこともあるかもしれないよ。でもね、冒険者や兵士は食べ物の貴重さをその日々の中で知っているはずさ。獲物を狩る者、野菜を育てる人、誰かの努力の日々がある。それを冒険者のあんただって知っているだろう?」

「…………そりゃ、そうだけどよ」


 すっかり大人しくなった男はもごもごと小さな声で答えるが、アメリアの話はまだ続く。それは冒険者を多く見て来たアメリアの老婆心のようなものだ。


「兵士だって冒険者だった、任務中に食べ物を得られないこともあるだろう? そんなときに気付いても遅い。だから今、あんたに知っておいて欲しいんだよ」

「…………わ、悪かったよ。このまえは少し、苛々しちまってよ、あんたと料理に当たったんだ」


 男の言葉に向けるアメリアの目は優しい。

 周囲の者たちの眼差しも幾分か和らいできたようだ。


「ここに来る人たちは危険な目に合うこともある。だからさ、ここでは笑って食事を摂って酒を呑んでほしいんだ。だからこの店はいつでも開いているんだよ。これからはあんたもここに来たときは楽しんで呑んどくれ。さ、これで話は終わりだよ!」


 アメリアがぱんと手を打つと、客たちもまたそれぞれの輪の中に戻っていく。

 再び賑やかさを取り戻したホロッホ亭を見渡して、店主のアメリアは満足げに笑うのだった。




 スタンテールの国で、酢が高級品であったのは一昔前の話である。

 今の子どもたちに話せば、驚きで目を丸くするだろう。

 大量生産が可能になってから、どの家でも酢は一般的な調味料だ。

 酢を使った料理で一般的なのはピクルスだが、肉や魚を使ったマリネや煮込み料理も一般的である。

 そこに柑橘類のトルートも使うのがマルティア流として有名だ。

 食欲をそそる香りとトゲのない酸味が幅広い年代に好まれている。

 また酢を肉や魚と使う調理法も、このマルティアから広がっていったと言われている。

 それを考え出したのが、長年マルティアで愛されるホロッホ亭の女将アメリアという女性だ。しかし、そのことを尋ねると彼女は決まってこう言ったという。


「これはね、あたしだけのもんじゃない。あたしとお嬢さんの共作なのさ。お嬢さんもあんたらが笑顔で食べてくれたら、それで満足だと思うよ」



 今日もまた、喫茶エニシで恵真は皆を笑顔で出迎えている。

 

 

 

 




 



 


 

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