163話 酒と酸味とホロッホ亭 2
いつも通り賑やかなホロッホ亭では、アメリアがふぅとため息を溢す。
昼間、恵真の元へ行ったアメリアだが、料理に携わる彼女につい先日のことを話してしまったのだ。
結果、めずらしく怒った恵真は酢を使った料理を作り、先日の冒険者にその味を認めて貰うのだと奮起していた。
日中は恵真と同じように張り切ったアメリアであったが、何やら面倒なことに恵真を巻き込んでしまった気がしてきていたのだ。
そんなアメリアにリアムは笑って否定する。
「料理をなさることをトーノさまは楽しんでおられると見受けられます。マダムが気に病んでは却ってトーノさまが気になさるか。きっとまた新たな料理の形を示してくださるはずですよ」
そう言って笑うリアムに、アメリアは片眉を上げる。
リアムの言う通りだと思うと同時に、子どもであったリアムが大人となり、宥められているというのがなんとも気恥ずかしいのだ。
そんなアメリアの気持ちを知ってか知らずか、リアムは言葉を続ける。
「私は料理に明るくはありません。マダムの御力添えがあれば、トーノさまも安心なさるかもしれませんね」
「そもそもがあたしの問題だからね。愚痴を溢したからお嬢さんが協力してくれるけど、あたしだって料理人だよ」
いつもの態度に戻ったアメリアにリアムは口元を緩める。
実際、アメリアは先日のピクルスを他の者にも試食してもらった。その結果、確かにいつもより酸味が気になるという意見もあったのだ。
おそらく夏の暑さもあって、酸化が進んだのだろう。あの男が言ったことも一理あったのだ。
悔しさも感じながら、アメリアは野菜を変えたり、はちみつを加えたりとピクルスの試作を重ねている。恵真に頼ってしまうのはアメリアとて承知出来ない。
「ほら、これ見てごらん。ワインで作った酢らしいよ。これを明日、お嬢さんのところに持って行こうかと思っているのさ」
「それはきっとトーノさまも喜ばれることでしょう」
小ぶりな瓶に入ったそれはなかなかに質の良い物だということが、見た目からも十分わかる。これを受け取った恵真の喜ぶ顔が、リアムには思い浮かぶ。
アメリアはもちろん、恵真があの男の態度に憤るのも無理はない。
だが一方で味覚は人それぞれ、生まれた国や地域に育った家、生活や体質にもよるだろう。口に合わないことがあっても当然なのだ。
料理をするアメリアや恵真だからこそ、そのことは重々承知であり、酢を使った好まれる料理を作ろうとひたむきになるのだろう。
その証拠をリアムは一つ知っている。
「――あの男を出禁にはしなかったのですね」
「だって悔しいじゃないか。それにね、わかってほしいんだよ。あのときも言ったけどね、冒険者や兵士こそ食の重要性は知っているはずだよ」
近くにいた冒険者たちがうんうんと頷いてその言葉に賛同する。
その手元にはエールやサワーと共にアメリア手製のピクルスが置かれ、それをつまみに彼らは酒を楽しんでいる。
酸味の差はあれど、その味に間違いはない。あのときも他の客たちも不平を言ってきた男と同じように、ピクルスを口にしていたのだ。
「アメリアさん、あんまり気に病むなよ。なぁ、皆」
「あぁ、女将さんの味にはいつも感心してるよ!」
「なんだい、あんたたち急にそんなさぁ……」
馴染みの客たちに突然褒められたアメリアは少々たじろいだが、ふっと笑って胸を逸らす。その様子に、にやりと笑った客たちはそれぞれにアメリアに声を掛ける。
どんどん騒がしくなっていく周囲に釣られたように、アメリアもまたいつもの快活さを取り戻していく。
店の名の由来となった魔獣ホロッホの名に恥じないように、今夜もまた夜明けを迎える頃になっても賑やかにアメリアの店の時間は過ぎていくのだろう。
*****
「うわーっ、ワインビネガーですね。お酢でも素材によって風味が違いますもんね。ありがとうございます! これは何に使おうかなー」
「喜んで貰えてよかったよ。あたしもね、この前のピクルスをもう一工夫してみようと思ってるのさ」
「私は今、考え中なんです。まずはこのワインビネガーを使った料理を試作してみようかな」
アメリアからワインビネガーを受け取った恵真は相好を崩す。その様子を見て、アメリアも安堵したようだ。
リアムもまたジョージの店で購入した野菜を幾つか持って来た。これも恵真は喜んで受け取った。
調味料や食材に喜ぶ恵真の姿からは、料理が好きであるのが伝わってくる。
「エマさん、そのお酢だとどんな料理が合うの?」
「うーん、そうだな。前に作ったドレッシングなんかもきっと合うよ。たくさん野菜も頂いたし、幾つか作ってみよっか?」
「うん! ドレッシングだと野菜も美味しくなるもんね」
「そうだね。でも、それだけじゃないかもよ?」
そう言ったテオに恵真は意味ありげに笑う。ドレッシングは野菜だけに合うものではないのだ。アッシャーもまた不思議そうに恵真の顔を見る。
恵真の言葉にアメリアも強い関心を抱く。恵真が作る料理には、アメリアにとっても新しい発見がいつもあるのだ。
「ちょっとだけ、時間を頂きますね」
キッチンへと向かう恵真の背中はどこかうきうきとした雰囲気が伝わってくる。
その姿を口元を緩めながら、リアムは見送るのであった。
恵真はまず、人参にたまねぎを別々にすり下ろしていく。
今回作るドレッシングは以前作ったフレンチドレッシングのアレンジ版だ。
酢と塩こしょう、サラダ油、基本はこの材料で作れるフレンチドレッシングは、加える食材によって味わいも変わってくる。
フレンチドレッシングにすりおろした人参、玉ねぎをそれぞれ加え、しっかりと攪拌すれば二種類のドレッシングが完成する。
そのうえで、恵真はドレッシングに合う料理を作っていく。
先程、テオはドレッシングは野菜に合うと言っていたが、それ以外の食材にも使えるのだ。
「冷蔵庫の中に……あった、あった。豚肉にささみ、ブロッコリーも使おうかな」
「おや、本当に野菜だけじゃないんだね」
「はい。お肉にも魚にも、茹でた野菜にもドレッシングは合うんですよ」
そうアメリアに答えながらも、恵真は作業を止めることはない。
まずは鍋に湯を沸かし、小分けに切ったブロッコリーを茹でていく。茹ですぎると食感が悪くなるため、見極めが大事である。
ざるにあげたブロッコリーをそのまま置いて、自然に冷めるのを待つ。
その間に、鶏ささみを湯がいていく。鶏肉はしっかりと火を通すことが重要なので、その点も注意する。
薄切りの豚肉はさっと湯がいて、水に晒して熱を取る。
鶏ささみを食べやすいように割いて、茹でて水けを切ったブロッコリーと共に皿に盛る。そこに人参のドレッシングをかけて完成だ。
「はい、鶏ささみとブロッコリーのサラダです。どうぞ召し上がってみてください」
「こりゃ、彩りも綺麗だね! 肉を入れることで満足感も増すし、体を動かす冒険者や兵士も気に入るはずだよ」
恵真はサラダを人数分盛りつけるとフォークと共に手渡していく。
皆がサラダを口にしている間に、恵真はもう一品を仕上げていく。
洗ったキャベツを千切りにし、サッと茹でてしっかりと水けを切って置き、それを皿に敷いた。そこに千切りにした人参、かいわれ、先程茹でた豚肉を乗せて、最後に玉ねぎのドレッシングをかける。
「これは玉ねぎドレッシングの豚しゃぶサラダです。どちらもシンプルなんですけど食べ応えがあると思いますよ」
「さっきエマさんが言った通り、サラダは野菜だけじゃないんだね」
「うん。それに茹でたものでもサラダって言うんだな。新鮮な生野菜が手に入りにくい場合でも、これなら作れるな」
こちらのサラダも恵真が取り分けて、皆に渡す。
生野菜とはまた違った肉と野菜を使ったサラダには満足感もある。
そこに使われたドレッシングも人参や玉ねぎの甘さで、酢の酸味が和らぐから不思議だ。
「酢に野菜の甘さが加わり、まろやかになって食べやすいですね。これでしたら酸味を苦手にする者にも食べやすいはずです。何より彩りも鮮やかで、食欲をそそりますね」
リアムの言葉に隣に座ったアメリアも頷く。
手間はさほどかかっていないが彩りが良く、一つの料理として完成しており、またアレンジも効く。
おまけにアッシャーの言った通り、火を通すことで食材の安全性も高まるだろう。ピクルスなどに使われるように、酢は保存に良いとも聞くのだ。その相乗効果にアメリアの期待も高まる。
「酒の味を邪魔するどころか、こうした小皿があると酒がよく進むはずだよ。茹でた野菜や肉を使うなら、どこの店でも作れるはずさ」
そう口にしてからアメリアは、ハッとして恵真の方を見る。
彼女はまだこのレシピを公開するとは一切口にしていないのだ。早合点をしてしまったと思うアメリアに、恵真が大きな声で賛同する。
「そうなんですよ! どこのお店でも出せるなら、それが普通になっていくと思うんです。そしたら、マルティアの皆さんの食卓にも広がっていきますよね」
「――トーノさま、こちらの調理法を広げてもよろしいのですか?」
「そうだよ。ギルドに登録すれば……」
だが、二人の意見に恵真は微笑みながら首を振る。
料理に関しての恵真の方針は変わらない。
喫茶エニシのみで提供する料理、これはマルティアでは入手しにくい食材や調理法を使って作ることもある。
もう一つはマルティアの人々にも伝えたい料理である。
こちらは食材も調理器具もこの街で入手しやすいものを考え、調理法は皆に伝えていく。そこに金銭や権利は行使しない。
そうしなければ、食文化は広がっていかないからだ。
「まったく、お嬢さんはなかなかに頑固者だね」
「ふふふ。知らなかったんですか? 料理に関しては譲れないですもん。でも、この料理はまだまだこれだけじゃダメなんです」
「どうして? どっちも美味しく出来てるよ?」
「うん、二つとも食べやすいよ。さっぱりしてて甘みもあるし」
もぐもぐと口を動かしていたテオが、恵真に不思議そうに尋ねる。
隣のアッシャーも食べ進めていたサラダの手を止めて、恵真の方を見た。
「甘味は出たけれど、それでも苦手な人もいるから。出来るだけ、この国や周辺地域の人の味覚により合うものにしたいんだ」
『料理に関しては譲れない』先程の言葉を証明するかのように、恵真は何かをじっと考え出す。そんな様子にリアムとアメリアは目を合わせて微笑む。
恵真のその熱意があれば、皿を跳ね飛ばしたあの男はさておき、多くの人に受け入れられる料理になるだろう。
そんな予感を恵真以外の四人は感じていた。
*****
真夜中、テーブルの料理の本や調味料の本を並べながら、恵真は一人知恵を絞る。
マルティアの人々に慣れ親しんだ味や食材、そのほうが受け入れやすく、またその後料理が広がっていくはずだ。
しかしちょうど良いものが思い浮かばずに、こうして本を何度もめくり、調べている。
そんな恵真の耳に、ガサガサとキッチンからの音が入ってきた。
リアムに貰った食材を要冷蔵ではないものは、そのまま置いていた。
それをクロがなにやらごそごそと探っているのだ。
「クロ? 何してるの! ……あぁ、もういたずらして」
「みゃうみゃ」
「言い訳してもダメだよ……ん? これはもしかして……! そうだ、これが使えるよね! ごめんね、気付かなかった。クロは私に教えてくれたのね!」
「みゃ? ……みゃう、みゃうん!!」
実際は構って貰えない寂しさからのいたずらなのだが、恵真に褒められ満足そうにクロは鳴く。
手の中のマルティアにも馴染みのある食材に、恵真は口元を緩めるのだった。
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