149話 喫茶エニシと謎の男
「喫茶エニシに出入りする不審な客?」
「あぁ、最近噂になっているんだ」
冒険者ギルドを訪れたリアムは、ギルド長セドリックの言葉に耳を疑う。
防衛魔法と幻影魔法の重ね掛けされたドアを通れる人間であれば、恵真に害意がなく安全な人物という認識をリアムは持っていたからだ。
自身の腹心の部下であるコンラッドにはアッシャーとテオの帰宅時の護衛を任せ、喫茶エニシには魔獣であるクロがいる。
恵真はもちろん、働く兄弟も安全であると言えた。
しかし、ドアが不審な者を通すとなると話は変わってくる。
そんなリアムの考えは表情にも出ていたのだろう。セドリックが両の手でリアムを制する。
「まぁ、待て。何か問題が起きているわけではないんだ」
「問題が起きてからでは遅いだろう。よし、これから喫茶エニシへと――」
「ドアを通れるってことは不審なだけじゃないかな?」
冒険者ギルド長室のデスクに携帯食を広げ、ギルド長の椅子でオリヴィエは悠々と寛ぎながら語る。
頻繁に喫茶エニシへと通うオリヴィエは、ドアの防衛魔法も幻影魔法も興味深く観察している。しかし今のところ、その効力が切れた様子はない。
あれだけ長い間、守るその魔力と技術、何よりその目的にオリヴィエは毎度不思議に思っているのだ。
「不審なだけって言うのはどういうことだ?」
「んー、見た目で判断してるっていうか。実際は安全でも、人の目から見たら不信感を抱かせる雰囲気や怖く見えたりさ」
「……なるほど。それは言えるな。だが、冒険者が多くいる街で、怖がられる人物か」
「問題はトーノさまやあの子たちが安心して過ごせているか、危害はないかだな」
行動や外見が人の目にはどう映ろうと、実際に恵真たちに危害を加える人物でないのなら、ドアが受け入れることはあるだろう。
そもそも、喫茶エニシに通う者は個性的な者ばかりだ。
ハーフエルフで長い年月を生きながら、見た目は少年の元王宮魔導師のオリヴィエ、薬師ギルドの中央支部長であるサイモンは風変わりであるが紳士でもある。
多少、個性が強くとも恵真たちの安全に害がなければ問題ない。
「まぁ実際に、働いている子たちに聞いてみるのがいいんじゃない?」
「なるほど、それは一理あるな」
不審な人物と言っても恵真たちが危険を感じていない場合もある。
リアムは立ち上がると、出された紅茶にも手を付けず、早々にギルド長室を後にする。そんな彼の後姿を見てながら、セドリックは笑いながら肩を竦める。
喫茶エニシのこととなるとどうにもリアムは感情を優先させがちなのだ。
けれど、それが悪いこととも思えない。
貴族と冒険者との間で揺れていたリアムは、自分の想いを優先するようになったということだからだ。
可愛い弟を見守るようなセドリックの眼差しに、オリヴィエは「どちらが兄か弟なんだかね」と内心で呟くのだった。
*****
「うーん。特にいらっしゃいませんねぇ」
「……そうですか」
恵真の回答にリアムは少し安堵する。
喫茶エニシは既にこのマルティアの中でも名が知れた店である。
防衛魔法と幻影魔法がかけられたドアのせいか、冒険者が多いこの街で客層も悪くない。酒を置かず、女性店主と少年の店員というこの店は女性冒険者や街の人々でも足を運びやすいのだ。
少々街の料理店よりは値が張るが、背伸びすれば鮮度の良い食材を使った料理と心地よい時間が過ごせるこの店は人気店なのだ。
「変わったお客様なら結構いらっしゃいますし」
「……否定はできませんね」
薬草のこととなると目がないサイモン、恵真たちは気付いていないがハーフエルフのオリヴィエ、最近では元商業者ギルド長のジョージが出入りし始めた。
どうしてこうも個性の強い者ばかりと思うリアムとて、侯爵令息であり、冒険者としても街では名が知られている。
何より店主である恵真自身が黒髪黒目とこの世界では聖女と思われる容貌をしているのだ。
そこに目を付けて彼女を悪用するような人物であれば、ドアが決して通さない。
また、小さき魔獣がそれを許しはしないだろう。
リアムがクロを見つめると、「任せておけ」というようにみゃうと一声鳴く。
やはり、杞憂なのかと思い始めたリアムに恵真が今気付いたかのように声を上げた。
「あ、一人だけお客さんが怖がる人がいますね」
「な、どんな人物なのですか?」
「ちょっと強面で無口で、大柄なお客さんなので、他のお客さんはちょっとびっくりしちゃうかもしれません」
「……その人物が不審な人物なのでは?」
恵真は何事でもないように話すが、周囲が怖がるくらいの威圧感があるのだろう。それを不審だと考えた者がいてもおかしくはない。
しかし、当の恵真はその人物に特に恐れを抱いた様子は感じられない。
「そんな人じゃないと思いますよ」
「そう思う理由があるのですか?」
「いえ、勘です! それよりもこれ、試食してみてください」
にっこり笑うと恵真は、皿に入れた小さな菓子を差し出す。
「最近、お菓子作りの熱が再燃しちゃって……たまにこうして作って、お客さまにも好評なんです。どうぞ、召し上がってください」
リアムが焼き菓子を口に運ぶ。
ほろりと口の中で崩れる焼き菓子は、バターの豊かな風味と砂糖の甘さが広がる。これほどの腕を持つ菓子職人がいれば、貴族の屋敷でも優遇されるだろうとリアムは思う。
「とても良い味ですね」
「そう言って頂けると嬉しいです。――あ、すみません。これから、注文の料理をお作りするので」
「いえ、お止めしてしまい申し訳ありません」
アッシャーに聞いた客の注文の料理を作り始める。
活気のある店内にいる人々の中に、不審な者は見当たらない。
人を見た目で判断するべきではないという良識と、守るべき者のためには用心深くあるべきだという感情がリアムの中で戦う。
こちらを見つめるアッシャーもテオも、悩むリアムにきょとんとした表情で小首を傾げている。
「出来る限り、顔を出すことでしか対応は出来ないのではないか?」
そう声をかけてきたのはナタリアだ。
恵真とリアムの会話が聞こえたのだろう。恵真に気遣うような視線を送る。
「私もバゲットサンドの販売で顔を出すことが多い。注意しておくよ」
「あぁ、頼むよ」
必要以上に彼らを不安にするべきではないとリアムは判断し、なるべく足を運び、周囲の者へも注意を促すことにするのだった。
*****
「ははは! そりゃあ確かにあそこには変わった客ばかりが来てるね」
「笑い事ではありません。マダム」
「そうっすよ、危機っす」
あの後、店には不審な人物は訪れず、客足も落ち着いた。
恵真は本を見せて、アッシャーとテオに今度菓子を作ろうと思っているのだと嬉しそうに話していた。その様子からも危機感は感じられない。
偶然、訪れたナタリアに自分も足を運ぶようにすると言われ、後ろ髪を引かれるような思いで喫茶エニシを後にしたのだ。
アメリアは少し表情を改めて、リアムとバートを見つめた。
「実はさ、ウチにも来たんだよ」
「え?」
「不審な男って奴がさ」
聞かれたくない話のようでアメリアは二人に近付いて声を潜める。
ホロッホ亭にも訪れたという不審な男は、大柄で無口で、顔が怖いという。
セドリックから聞いた不審な男の情報とほぼ同じだが、冒険者の多いホロッホ亭ではそれだけで不審だと思ったわけではないらしい。
「じゃがいも料理と果実のサワーを頼んで帰っていったんだけどね、このサワーを誰が考えたのか聞いてきてさ」
「教えたんすか!?」
「当たり前だよ! お嬢さんが考えたものだよ? あたしの手柄にするこたぁ出来ないじゃないか!」
少し違う視点で怒るのは料理人としての誇りなのだろう。
その剣幕にバートはすごすごと引っ込む。
だが、リアムが気になるのはその男が恵真のことを探りに来たかどうかだ。
険しい表情になるリアムの横で、バートも一瞬不安な表情になるがそんな考えを振るい落とすかのように明るい声を出す。
まだ、何かが起こったわけではない。
自分たちに出来ることはあるのだ。
「まぁ、ナタリアが言った通り、俺らが今まで以上に喫茶エニシに顔を出すことが第一っすね! クロさまだっていらっしゃるんすから」
「あぁ、そうだな。何も起こらないように、俺たちの誰かが足を運べばいい」
しかし翌日、そんな二人の決意とは裏腹な出来事が起こる。
大柄で寡黙にして、強面の男は、喫茶エニシへと足を運んだバートたちの前に入店していたのだった。
*****
喫茶エニシへと訪れたバート、そしてオリヴィエは人目を引く大柄な男が喫茶エニシへと入っていくのを目の当たりにして立ち止まる。
険しい表情をしたその様子からは何らかの恨みか怒りを持って、その店に入ったかのようにも見えたのだ。
「大変っす! 店にもういるっす、あれっすよね? あの男っすよねー? 危ない空気バリバリ出してるじゃないっすか!!」
「ちょ……落ち着きなよ! 確かにかなりの手練れだね。だが、安心するといいよ。いざとなったらボクがいるからね」
自信ありげなオリヴィエにバートがひしと腕を取る。
愛らしく見える少年だが、彼は元王宮魔導師なのだ。
頑丈そうな大男にも対抗できる能力が彼にはある。
「きゃ! 国最高の魔導師! 心強いっすー」
「でもあまり大規模だと客を巻き込むかもしれないね。ボクの攻撃魔法は強すぎるんだよ」
「とんだポンコツじゃないっすか……。まぁ、とにかく部屋に入るっすよ!」
「は? 引っ張らないでくれない!?」
小さな大魔導師をぐいと引っ張り、バートは急いで喫茶エニシのドアを開ける。
そこに飛び込んできた不審な男と恵真の予想外の光景に、バートは動揺し、赤茶の髪を掻くのであった。
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