148話 潮の香りとセドリックの別れ 3
シュワシュワとグラスから上がる気泡が涼し気で、シャロンはそれに見入っている。
今日の果実のサワーはブルーベリーを使ったもので、紫のグラデーションが美しい。甘みと柑橘類の爽やかな香りが、アルコールが入っていなくとも不思議とシャロンの心を弾ませた。
先程から部屋には恵真が調理する良い香りが漂ってくる。
誘ったものの、職場以外で二人っきりという空間にシャロンはどこかそわそわと落ち着かない心持ちになった。
何か会話のきっかけをと探すシャロンに、セドリックが突然話しかけた。
「その……すまなかったな」
「え?」
セドリックの謝罪にシャロンは驚いて彼を見る。
気恥ずかしそうに髪を掻いたセドリックは、体をシャロン側に向けるとまっすぐ彼女を見つめた。
両の膝に手を置き、シャロンを見るとセドリックは頭を下げる。
そんな姿にシャロンは困惑して、首を振る。
「ギルド長、そんなことなさらないでください」
「いや、ギルド長として不甲斐ないところを見せた。私情を挟み過ぎだ。副ギルド長であるシャロンにも迷惑をかけたしな」
セドリックが落ち込むことは滅多にない。
どんなことがあろうと、豪快に笑い飛ばす彼がいるからこそ、マルティアの冒険者ギルドはいつも活気があり、秩序も守られているのだ。
そんなセドリックの頭を小さな手が優しく撫でる。
触れる手の慈しむような温かさにセドリックが顔を上げ、その手の持ち主に驚く。
柔らかな薄茶の髪と瞳を持つその人は穏やかな目でセドリックを見つめた。
「仕方ないよ。失敗は誰にでもあることなんだって! エマさんが言ってたよ」
「テオ! えっと、でも俺もセドリックさんは気にし過ぎだって思います。もし、俺たちが失敗したら、セドリックさんは叱らないと思うし!」
どうやら喫茶エニシの小さな店員たちは、日頃世話になっているセドリックを慰めようとしているようだ。
夏が近づくこの季節、日が暮れるのも遅い。
外はまだ明るいため、二人は残って恵真を手伝っていたのだ。
いつも自分がそうして貰うようにセドリックの頭を撫でたテオ、大人に失礼だと止めたアッシャーも懸命にセドリックを気遣う。
二人の少年に大柄なセドリックが慰められる様子はなんともユーモラスであり、同時にこの街のギルド長として慕われていることもわかる。
ついくすくすと笑ってしまうシャロンに、セドリックも気恥ずかし気に笑顔を見せた。
「ふふ、なんだか皆さん楽しそうですね! 料理も出来ましたよ」
魚介とトマトの香りが漂う料理を恵真がテーブルに置く。
大きな魚をメインに貝と刻んだトマトと色鮮やかなその料理に、セドリックもシャロンも目を引き付けられた。
「アクアパッツアです。リアムさんが持ってきてくださった魚介類を使ったものです」
「でも、それは数日前じゃ……」
「あぁ、鮮度がいいうちに冷凍していたんです。明日の料理に使おうと解凍しておいてよかった」
「……冷凍?」
「ここには冷蔵と冷凍の魔道具があるからな!」
先程の氷はどうやらその魔道具から生みだされたものだったらしい。
なぜか得意げなセドリックだが、シャロンは驚きに目を瞠る。
アクアパッツァの大きな皿と取り皿、バゲットが二人の前に置かれ、恵真がにこりと微笑んだ。
「温かいうちにどうぞ。パンをスープに浸すと美味しいですよ」
「しみしみのパンだね!」
「あぁ、そうだな!」
「……しみしみのパン?」
シャロンの言葉に再びセドリックは得意げに笑う。
いつものセドリックの調子が戻ってきたようで、シャロンも少し笑みを浮かべた。
魚介類とにんにくの香りが食欲をそそる。
空腹の二人は早速、アクアパッツァという初めての料理を分け合うのだった。
*****
「旨いな! 魚の身がほろほろと崩れて、トマトの酸味とにんにくの香りがたまらん! スープにパンをしみ込ませるとまたいいな!」
「貝の味もぎゅっとスープに染みてていいですね」
セドリックとシャロンの言葉に、なぜかテオも嬉しそうに頷く。
しみしみのパンの良さはテオも良く知っているのだ。
ほろりとほぐれる魚の身と、貝の濃厚な出汁、トマトににんにくと一緒になった料理に自然とセドリックとシャロンの表情も緩む。
酒は入らずとも、美味しい料理には人の気持ちを高揚させる。
先程までと打って変わって、二人の間には会話が弾んだ。
道の駅で買ったトマトに、リアムがシグレット地域から土産に持って来た海産物、鮮度が高いまま持って来られたのはオリヴィエの魔法のおかげだろう。
「まだ、もう一品用意できますよ」
「おお、それは楽しみです。なぁ、シャロン」
「えぇ、どんな料理ですか?」
「――タコライスっていうんですけど……」
恵真の一言にセドリックは驚き、シャロンは思わず立ち上がる。
傷付いたセドリックに対し、タコを使った料理を出すとはあまりにもデリカシーがなさすぎるではないか。
そう憤るシャロンが顔を赤く染めて、店主に抗議しようとしたその瞬間、幼い声が教えてくれる。
「お肉とお米の料理だから、タコは入ってないよ?」
「え、でも名前がタコって……」
「あの、タコスっていう料理があって! その料理から名前がついたんです!」
恵真が勘違いの理由に気付いて慌てて説明をする。
タコライスは沖縄の料理であり、その名前はタコスに由来しているのだ。
タコスに乗せる味付けした肉、トマトにキャベツやチーズを乗せたこの料理はこの時期に爽やかで良いと今日の賄いでつくったものだ。
魚料理を出した後にと、用意したのだが、確かに名前は良くなかったと恵真も少し反省する。
シャロンは皿を見て、自分の勘違いに顔を赤く染めた。
「も、申し訳ありません。私の勘違いです」
「いえ、こちらこそすみませんでした。もう少し配慮すべきでしたね」
生真面目に恐縮し合う二人にセドリックは笑いながら声をかける。
「しかしそれも旨そうだな。頂いてもよろしいですか?」
「えぇ、もちろん! 添えている柑橘類を絞っても美味しいですよ」
米はアルロに貰ったものを使っている。
昼食に恵真も食べたが、トマトにレモンといったすっきりとした風味にタコミートのチリがスパイシーで暑くなる時期にも合う料理である。
早速食べ始めたセドリックの表情にも驚きと笑みが浮かぶ。
「これも旨いな! シャロンもほら、食べるといい」
「は、はい。そうですね。頂いてみます」
そっとスプーンで掬い、口に入れると濃い目の味付けの肉と、酸味のあるトマト、そこにチーズのまろやかさが加わって何とも言えない一体感がある。
シャキシャキとしたキャベツの食感も心地よい。
「本当ですね。とても美味しいです」
「良かったです!」
先程、感情的になったシャロンにも気を悪くした様子もなく、店主は嬉しそうに笑う。服装や装飾品、艶やかな髪からも一介の料理人とも思えないのだが、詮索は野暮であろうとシャロンはそれ以上は考えない。
今、集中すべきはこの美味しい料理とセドリックと過ごす時間なのだ。
隣に座るセドリックはかなり食べ進めて、満足そうに頷く。
「やっぱり俺は肉が好きだなぁ」
なんとも実感のこもったセドリックの言葉に、皆笑う。
いつも通りのセドリックの笑顔に、安心したシャロンはつい口を滑らせた。
「ギルド長はやっぱり笑顔の方が素敵ですね」
「ん? そうか」
自分で言ってしまってから、少々慌てるシャロンだが、セドリックは気付いた様子もなくタコライスを食べ進める。
気付かなかったことに、安心するような少し残念に思うような、複雑な心境のシャロンは同じようにタコライスを口に運ぶ。
なんとなく察した恵真は不器用なシャロンと鈍いセドリックの様子に、オリヴィエの言葉を思い出す。
「大人の方が恋は難しい」それはこの二人のことを指しているのではないのかと。
少しずつ夕日で赤く染まり始めた空に、恵真はアッシャーたちに帰り支度を薦める。セドリックは二人を途中まで送ると言って、シャロンに謝っていた。
そんなセドリックを見つめるシャロンの眼差しは優しい。
別れの挨拶をしながら帰っていく四人の後姿に、恵真は一日が終わる充実感とセドリックたちが笑顔で帰っていく安心感を抱く。
今日も穏やかに喫茶エニシの一日は終わっていくのだった。
結局、タコライスの販売は残念ながら見送られた。
理由はチリパウダーに入っている香辛料の効果がまだ不明だという点にある。
唐辛子にオレガノ、クミンなど様々な香辛料が含まれたチリパウダーを使うことで、人々に何らかの効果が出れば喫茶エニシが注目を集めてしまうからだ。
薬師ギルドの中央支部長サイモンがチリパウダーを嬉々として回収していき、研究に励みたいとのことである。
恵真としてもこれ以上、騒ぎになることは好まなかったのだ。
しかし、チリパウダーを使わないタコライスを恵真は試作中である。
その理由は冒険者ギルド副ギルド長シャロンにあった。
あれ以降、時折顔を見せるようになったシャロンはタコライスがメニューにないと知って、少々がっかりしたような表情を浮かべたのだ。
おそらく、タコライスはシャロンにとって、セドリックとの思い出の味になったのだろう。
しかし、そんな彼女の想いに気付かぬ振りをするのも店主のマナーだ。
せめて、思い出の味の再現をと試行錯誤する恵真である。
日差しは強くなり、もう間もなく夏が始まるだろう。
眩しさと暑さに、今年の夏はどんな料理を作ろうかと訪れる季節の旬を楽しみにする恵真であった。
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