147話 潮の香りとセドリックの別れ 2


「その後、セドリックさんの様子はどうなの?」

「んー? あんまり変わらないんじゃない?」


 恵真の問いかけに気のない返事をしたのはオリヴィエだ。

 魔道具エアコンの効く喫茶エニシの室内には客が集まってくる。

 店に漂うのは食欲をそそる香り、今日のメニューは貝を入れたスープ、鶏肉のソテーにトマトを刻んだもの、千切りのキャベツと人参のサラダにパンと色鮮やかである。

 料理の味、落ち着いた店の雰囲気、この涼しさ、少し周囲の店より高いがその価値には十分見合うものばかりだ。

 いつもの定位置であるソファー席も先客がおり、オリヴィエは少々不機嫌である。

 しかし、喫茶エニシへと向かった理由は他にもある。

 冒険者ギルドがバタバタと落ち着かないのだ。


「セドリックは相変わらずだし、問題はシャロンかな」

「え、副ギルド長さんって凄くちゃんとした方だって聞いているけれど」


 恵真の疑問にオリヴィエは頷く。

 確かに副ギルド長であるシャロンは責任感もあり、頼りになる存在であろう。 

 しかし、今回に至っては空回りしているのだ。


「うーん、確かに気落ちしたセドリックを助けようと気を回しているね」

「凄い、流石ですね」

「で、それが空回りしてるかな」

「……そ、そういうこともありますよね」


 副ギルド長としてのシャロンの評価はすこぶる高い。

 だが、そこにセドリックが絡むと話は別である。

 そのことを知る者は決して多くはないだろう。

 ゴリゴリと携帯食を齧りながら、オリヴィエはぼやくがそうなった原因が自身の発言がきっかけであることは口にしない。

 そもそも、オリヴィエなりにシャロンの背中を押したつもりでいたのだ。


「――大人になってからの方が恋愛って言うのは難しいのかもしれないね」


 ぽつりと呟き、アイスティーをマドラーでかき混ぜると、氷がからりと崩れる。

 子どもであるオリヴィエの言葉に恵真は何度か目を瞬かせ、アッシャーは目を輝かせた。


「格好いい! なんかオリヴィエのお兄さんが格好いい!」

「オリヴィエのお兄さんは子どもなのにたまに凄く大人っぽいよねぇ」

「ふふ、そういう年頃なのよね」

「…………そろそろ、ボク帰るから!」


 憧れと尊敬の眼差しと、成長途中の子どもを見守る温かな眼差しに気恥ずかしくなったオリヴィエは、携帯食を口にほおり込むと硬貨を置くと早々に店を後にするのだった。



*****

 


 ここ数日、セドナがいなくなって落ち込んでいるセドリックをカバーしようと、シャロンは気合を入れて仕事に励んでいる。

 しかし、そんな気持ちがどう作用したのかシャロンは、普段の有能振りを発揮できずにいた。気付くのはシャロンとオリヴィエくらいであろう。

 周囲の目にはいつも以上に気合を引き締めて、職務に励むシャロンがいるだけなのだ。

 

「ギルド長……その、申し訳ありませんでした」

「――誰にでも上手くいかない日はあるさ。気にするな」


 冒険者ギルド長室でシャロンはセドリックに謝罪した。

 今日のシャロンは空回りばかりで、その失敗を全てさりげなくカバーしてくれたのがセドリックだ。最後には連絡ミスがあったのを、セドリックが笑って自分がし忘れたのだと言い出した。

 ギルド職員はいつもと変わらぬセドリックのミスに呆れた表情だったが、シャロンは自分を庇うその優しさに何と言葉を返せばいいかと内心、かなり動揺した。

 そんなシャロンに目配せをして、セドリックは自分の失敗だと豪快に笑い飛ばす。

 その姿にさらにシャロンの心を揺れ動かすことに、セドリックも皆も気付かないだろう。


「まぁ、俺なんかいつも失敗ばかりでシャロンに助けられているんだ。たまにはこんな日もなきゃ、世話になりっぱなしじゃあ格好つかないからな」

「……ギルド長」


 広い背中をこちらに向けたセドリックの表情には、窓から差し込む午後の日差しが影を作る。哀愁の漂うその表情に、シャロンの胸は締め付けられる。

 おそらくセドリックの心はセドナの不在で傷付いていることだろう。

 それにもかかわらず、自身を気遣うその優しさにシャロンはセドリックに出会ったあの日を思い起こす。

 自分が危険であるにもかかわらず、初めて出会った少女を守ろうとするその勇敢な姿に惹かれ、シャロンはこの街に再び訪れたのだ。

 そんな彼が今、見せる表情にシャロンは自分に何が出来ないかと焦る。

 焦った結果が、先程までのミスに繋がったのだが、そんな理屈よりも感情がシャロンを動かす。

 そこで思い浮かんだのが先日のオリヴィエの言葉だ。


「あの、お礼を兼ねて食事に行きませんか? き、気分転換は必要だと言いますし、その、そうですね。喫茶エニシなどいかがでしょう?」


 頭に浮かんだのはオリヴィエの言葉と、彼らが通う店、喫茶エニシである。

 以前よりセドリックが訪れているその店に関心があったシャロンであったが、今日までそこに足を運ぶことはなかったのだ。

 どう返事が戻ってくるかと緊張でセドリックのことを直視できないシャロン、そんな彼女に優しく穏やかな声がかけられる。

 

「――そうだな。それもいいな、シャロンは行ったことがないしな」

「はい! 以前から気になってはいたのですが、なかなか機会がなく……」

「シャロンは仕事熱心だからな、たまには気分転換も必要だ」


 そう言って歯を見せて笑うセドリックの姿は、普段の様子に近いものだ。

 少し安堵したシャロンは、帰り支度を済ませてくるとセドリックに伝え、足早にギルド長室を後にする。

 めずらしくバタバタとしたシャロンの姿に、セドリックはかすかに口元を緩める。副ギルド長であるシャロンがミスをした理由は、セドナを海に返してからすっかり落ち込んでしまった自分のせいだろうとセドリックは薄々気付いていた。

 気を遣わせるほど、憔悴していたことを反省をしつつ、いつも少し杓子定規な態度を崩さない部下シャロンとの食事を楽しみにするセドリックであった。




*****



「ここが喫茶エニシですか……」

「ああ。バゲットサンドでも依頼でも、最近は世話になってる店だな」


 仕事を早めに切り上げて訪れた喫茶エニシには少年二人と黒髪黒目の女性がいた。

 少年たちは制服なのだろうか、同じ白いシャツに色違いのスカーフを巻いて、黒いエプロンと小さな料理店にしてはきちんとした印象だ。

 白いブラウスの女性はにこやかに微笑むが、緊張もあってぎこちなく口を引き締めて、シャロンは目礼をする。

 すると、セドリックが大事なことに気付き、大声を上げる。 


「あ! もしかしてもうすぐ閉店時間か!?」

「そうなのですか!」

「うちは日が暮れる前に閉めるんですよ。アッシャー君とテオ君が安全に帰れますし、私とクロしかいなくなるので」

「みゃう!」


 クロと呼ばれた小柄な深い緑の動物が話に聞いていた魔獣であろう。

 「自分がいれば問題ないのに」と抗議するようにみゃうみゃうと鳴いている。

 何気なく目を向ければ、置かれた調度品も繊細なガラス製品、瀟洒なレースとこの辺りでは見られない品々ばかりだ。

 おまけに黒髪黒目の女性に魔獣がいるこの店に、少々圧倒されるシャロンだが、同時に興味も沸く。

 残念に思いつつ、興味深そうに店内を見回すシャロンに気付いた恵真は、セドリックの困った顔を見ると仕方なさそうに笑った。


「いいですよ、まだ日は落ちませんし。でもアッシャー君たちは先に帰って貰うので、私一人での接客になりますけどね」

「すみません。よかったなぁ、シャロン! ここの料理は本当に旨いんだぞ」


 まるで自分が作ったかのように自信満々で笑うセドリックに、シャロンもくすりと笑い、店主の恵真に軽く会釈をする。

 会話を聞いていた少年たちが、席へとセドリックとシャロンを案内する。

 置かれた家具や店内のしつらえとは裏腹に、どこか懐かしさや安心感を与える接客にシャロンも緊張がほどけていく。

 

「うーん、そうだなぁ。料理は鮮度のいい海鮮があるのでそれを使って、お二人に合うものを作ってみますね。お酒はないんですけど、ジンジャーエールとか果実のサワーが用意できますよ」

「あー、じゃあそのジンジャーエールで。シャロンは果実のサワーでいいか? アイスティーとかもあるとは思うが」

「では、果実のサワーを」


 少年たちがグラスを持って現れて、二人が座るテーブルへと置く。

 置かれたグラスには水と透明度の高い氷が入っていて、シャロンは驚きでセドリックに目を向ける。

 そんなシャロンの表情をちらりと見たセドリックはにやりと笑う。

 どうやらここが特別な店というのは本当のようだとシャロンは思い始める。

 少女のように目を輝かせ始めたシャロンの表情は、セドリックにとって意外なものだ。日頃見せない素の表情に良い気分転換になるのではと、閉店時間を遅くしてくれた恵真に内心で感謝する。


 興味津々といった様子のシャロンが、後ほど、顔を真っ赤にして怒るとは、この時点では恵真もセドリックも、そしてシャロン自体にも想像できないことであった。



 




 

 

 

 


 


 

 



 

 


 

 

 

 

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