145話 侯爵令嬢シャーロットの婚約 4
「買って良かった、三段のお皿! ティースタンド! ……ついつい可愛さに買っちゃったけど、使い道がなかったんだよね」
「あら! 作ってくれてもいいのよ、私に!」
アフターヌーンティーはイギリスで18世紀に、ある公爵夫人が始めたことがきっかけで広まったと言われる。その後、紅茶の広がりと共に食器や三段重ねのティースタンド、スコーンなどを食す形が定着していった。
今、日本で知られているアフターヌーンティーで提供される料理は、ケーキなどのデザート、スコーン、そしてサンドウィッチだ。
このサンドウィッチは店によって具材も異なるが、当時のイギリスで注目を浴びたのはきゅうりのサンドウィッチである。
夏に収穫できるきゅうりは輸入か温室で栽培することでしか入手できず、それを提供できることはその家の豊かさを表した。
祖母の話をきっかけに恵真はアフターヌーンティーの菓子を作ったのだ。
「スコーンに、グラスデザートのムースに、そしてきゅうりのサンドウイッチで出来上がりっと」
焼きあがったスコーンは割れが入っている。これは失敗ではなく、「狼の口」と言われる焼き上がりの割れである。ここを手で割って、ジャムやクリームを塗って食べるのだ。
恵真はクロテッドクリームと手作りのブルーベリージャムを用意した。
グラスデザートは道の駅で熟し過ぎた苺が安くなっていたのをピューレにして、ムースにしたものだ。上には苺のピューレを甘く煮て冷やしたものをかけた。
もちろん、どの料理にも卵は使わない。シャーロットのアレルギーに配慮した料理である。
「食器はこれしかないけど、スコーンも苺のムースもおばあちゃんたちの分も用意しているから大丈夫だよ」
「あらまぁ! なんて気が利く孫娘なのかしら。あとでお茶しましょうね」
「あとはサンドウィッチだね。もうそろそろ、オリヴィエくんたちが来るはずだから」
不承不承と言った様子ではあったが、リアムと共にオリヴィエが来る予定だ。
それを冒険者ギルドのセドリックに届け、任務は完了する。
しかし、大事なのは届いた先でのことだ。
スコーンもグラスデザートも味はしっかり確かめた。
クロテッドクリームの濃厚さとジャムの甘酸っぱさ、スコーンのさっくりとした風味に紅茶も進むだろう。
甘酸っぱいといえば苺のグラスデザートも見た目も可愛らしい上に、さっぱりとして爽やかである。食べやすく上品で令嬢にも好まれるはずだ。
婚約者のルーファスが好きだというきゅうりのサンドウィッチで、会話は弾むだろうか。
なぜかそわそわと落ち着かない思いで、恵真はリアムたちの到着を待つのだった。
*****
爽やかな青空が広がり、涼しい風も頬を撫でる。
外で食事を摂るにはちょうど良い天候の中で、シャーロットは紅茶を一口こくりと飲む。
侍従のエイダンが気を利かせて用意した料理はシャーロットも初めて見るものだ。
三段重ねの愛らしい食器には下から、軽食のパン、焼き菓子、生菓子と凝っている。会話の少ない自分たちに食事を通じて、きっかけを与えようとしているのだろう。まだ若いにもかかわらず、エイダンは心遣いが出来る。
じっとルーファスが料理を見つめていることからも、会話のきっかけには十分な料理である。
「――こちらは下から順番に召し上がっていくそうです。まずはきゅうりのサンドウイッチをお召し上がりください。こちらは直接手に取ってお召し上がりください」
「……面白い料理だね。それにきゅうりを使っているなんて」
側について説明するエイダンが、ルーファスの言葉ににっこりと微笑む。
きゅうりがルーファスの好物であることは、エイダンから聞いていた。
彼が好む食材を使いつつ、シャーロットが食せない卵にも配慮している料理は繊細で美しい。
直接、手に取って食べるのは些かカジュアル過ぎるが、きゅうりというまだ入手しにくい食材を気取らずに食べるためなのだろう。
そっとサンドウィッチを手に取って口にしたルーファスに笑みが浮かぶ。
初めて見るその笑顔に、シャーロットはなぜか胸が高鳴る。
「美味しいですね。僕は幼い頃は食が細くて……。果物や野菜、水分が多いものしか食べられなかったんです。父には良く叱られたものです。それでも、そういった食事が僕の命を繋いだのだと今は思います」
「……そうだったのですね」
体調や体質によって、食べられない食材もある。
卵を食べなければ自分とは異なり、時には命の危険もあったであろうルーファスに軽々と何か言う事は憚られ、曖昧な言葉をシャーロットは返した。
「こうして今、婚約者であるあなたと食事を共にしているのは信じられない思いです。この季節、きゅうりは手に入りにくいものだったことでしょう。――ありがとうございます」
そう言って微笑むルーファスはいつもよりどこか柔らかい。
今までに知らずにいた彼の心に、シャーロットは少し触れたような気がした。
瑞々しいきゅうりとふっくらとしたパン、塗られたバターは香り高い。
気恥ずかしさもあり、下を少し向きつつきゅうりのサンドウィッチを食べるシャーロットは、頬が赤くなっていないかと少し不安になるのだった。
*****
きゅうりのサンドウィッチをきっかけに、少しずつルーファスとシャーロットは互いのことを話し合う。些細なことばかりなのだが、小さなことでもルーファスという人を知れるようでシャーロットは心が弾む。
「こちらはスコーンという菓子です。手で割って、ジャムやクリームを塗ってお召し上がりください」
「これも見たことがない菓子だ。シャーロットさまの屋敷の料理人は腕が優れているんだね」
「……お口に合えば嬉しく思いますわ」
サクッとした生地の焼き菓子にクリームとジャムを塗って、ルーファスは口に運ぶ。自然と浮かぶ笑みは味が良い証であろう。シャーロットも同じようにスコーンを横に割り、クリームとジャムを塗って口にする。
サクサクと軽快な食感と濃厚なクリーム、甘酸っぱいジャムが口の中で一体になり、シャーロットの口元も緩む。
そのときである。
シャーロットが突然、咳込んだのだ。
「お嬢さま!!」
侍従であるエイダンが駆け寄るが、がたりと椅子からルーファスが立ち上がった。
咳込みながらも、シャーロットは思う。
せっかく弾んだ会話もこれで終わりだと。
しかし、駆け寄ったルーファスはシャーロットを抱きかかえた。
「誰か! 医者を呼んで! シャーロット、口から出すんだ! 今すぐに」
その様子に周囲の者は皆、驚く。
寡黙で紳士的な印象の少年が大声を上げ、シャーロットの背中をさすりながら、指示を出す姿は予想外のものだ。
必死な様子のルーファスに、真っ赤になりながらもシャーロットは誤解を解こうと声を出す。
「あの! 違うんです。その咳込んだだけなのです……お恥ずかしいことです」
「え、ああ、そうなのですか……てっきり、その体調を崩されたのだと思ってしまい……すみません! 気安く触れてしまうなど失礼なことをしました!」
シャーロットには幼い頃に、卵を口にして体調を崩したことがある。
それ以来、人の前で食事をすることを避けてきたため、体が弱いという噂があったのだ。そのことをルーファスも当然知っていたのだろう。
席に着いたルーファスはシャーロットを気恥ずかし気に見つめた。
「その、お気付きだったかもしれませんが、以前より食事をしているあなたをつい目で追っていました。ご体調を崩すのではないかと不安で……」
「――ですが、私があなたの方を見ると目を逸らされますわ」
非難する気持ちはシャーロットにはない。
自分を案じ、食事中も様子を見ていたルーファスの人柄は誠実である。
先程のように、咳込んだシャーロットをマナー違反だと責めるのではなく、体調を懸念してくれる優しさが彼にはあるのだ。
政略結婚であれど、お互いに尊重し合うことで築ける関係もあるだろう。
そう思い始めたシャーロットの前で、婚約者ルーファスは耳まで赤く染めて指を動かす。
どうしたのだろうと見つめるシャーロットの耳に小さな声が聞こえた。
「そ、それも知っていたのですか……」
「ええ。この婚約自体、急に持ち上がったお話ですし、戸惑うのも無理はありませんわ」
寂し気に目を伏せるシャーロットにルーファスは立ち上がる。
その勢いに、そこにいた全ての者が彼に注目した。
「違います! その、目が合うと言葉がなかなか浮かばず、ですが、ご体調を崩さないか心配ですし。それでも、あなたのことが気になって見つめてしまうんです!」
大声で言い放ったルーファスに、今度はシャーロットが赤くなる番である。
彼が話している内容はシャーロットに好意を持っている。そう言っているようなものなのだ。
人前で、それも大声で言われた初めての告白にシャーロットはなんと言葉を返せばよいのか思い浮かばない。
ただ、心臓だけが早鐘のように鳴り響くだけだ。
話したルーファスの方も、やっと自分の発言の意味に気付いたようで、静かに席に着く。
沈黙が続く二人であるが、それを見つめる人々の目は温かい。
初夏に生まれた小さな恋が育っていくように、何事もなかったかのようにマーサは紅茶を注ぎ、エイダンは次のグラスデザートの説明をする。
お互いを気遣うように少しずつ会話を進めるルーファスとシャーロットは、午後のひとときを穏やかに過ごすのであった。
小国であるマリルドと発展を遂げ続けるスタンテールの間には、吟遊詩人も歌う大恋愛がある。
とある侯爵令嬢が他国の侯爵令息と婚約をした。
そこまではよくある話なのだが、本来大国であるスタンテールに行くのは小国マリルドの侯爵令息であった。
しかし、令息の家が傾き始めたのを知るや、その令嬢は小国であるマリルドに渡る。才気溢れるその令嬢は貴族でありながら商売を始め、数年で令息の家を持ち直させると再び母国に戻ったという。貴族ではめずらしいことではあるが、彼女の部下には商いに通じた者がいたようだ。
それまで屋敷や貴族間で軽んじられていた令息への周囲の評価は一変する。
同時に婚約中の彼女だが、高位貴族の多くから縁談が持ちこまれた。
しかし、その全てを彼女は一笑に付したという。
「私たちの関係は家同士の繋がりではないの。私の人生にルーファスは必要な存在なのよ」と。
多くの令嬢は彼女に憧れ、自分にもそのような相手が出来ることを夢見た。
そんな彼女が残した風習にアフターヌーンティーというものがある。
今では午後のお茶の時間は平民にまで広がっているが、始まりは彼女と婚約者が想いを確かめ合ったときだと言われる。
小さな恋が大恋愛と評されるようになった経緯を知る者は少ない。
だが、そこに喫茶エニシとその店主、トーノ・エマの活躍は確かにあったのだ。
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