144話 侯爵令嬢シャーロットの婚約 3


 喫茶エニシに訪れたセドリックの表情は優れない。

 この珍しい事態に不思議そうに視線を合わせる恵真とアッシャーたちに、セドリックと同行したリアムとオリヴィエは肩を竦める。

 オリヴィエなどは自分には関係のない話というように、いつもの定位置であるソファーへと腰を掛けた。

 リアムと共にカウンターの席へと座ったものの、申し訳なさそうな様子でセドリックは俯くばかりである。


「えっと……お腹でも壊していらっしゃるとか、体調が優れないんですか?」

「これ自身の問題であれば、そう大した問題ではないのですが、場合によってはトーノさまにご迷惑をおかけする可能性もあり、こうして参ったのです」

「はは、そんなに繊細な人間じゃないもんね。セドリックは」


 少々辛辣な友人たちの言葉にも、セドリックはしょぼくれたままである。

 大きな体を小さく丸めた姿はどこかユーモラスになってしまうので、あまり悲壮感はないのだが、本人はどうやら悲嘆に暮れている模様だ。

 アッシャーとテオが水と氷の入ったグラスをそれぞれの前に用意するが、セドリックは口を付けず、もごもごと恵真に何か伝えようとする。

 そんな弱々しい態度のセドリックの背中をぽんとリアムが叩くと、ふぅとため息を吐いたのち、恵真の方をじっと見る。

 恵真もまた、そんなセドリックをまじまじと見つめると大きな声で彼は頭を下げた。


「申し訳ありません!」

「え、え? なんですか? 何かあったんですか、セドリックさん」

 

 突然の謝罪に戸惑う恵真だが、頭を下げるセドリックにリアムとオリヴィエは当然だという視線を送る。

 だが、謝罪と同時に説明も必要であろう。

 セドリックがただただ頭を下げ続ける理由を、隣にいたリアムが説明をし出した。


「実は先日お話したシャーロット侯爵令嬢の婚約者の食事の好みですが、少しわかったことがあるのです」

「わ! 好きな食材とか、好みの味付けですか?」


 それとセドリックの謝罪とがどう関係しているのかは不明だが、ルーファスの情報を得られることに恵真は嬉しそうな様子を見せる。

 だが、リアムは表情を崩さないまま、恵真に告げる。


「――きゅうり、だそうです」

「きゅうり、ですか?」

「あぁー! 本当に申し訳ない!」


 少々戸惑った様子の恵真の声に、顔を伏せていたセドリックが大きな声で再び謝罪を口にする。

 きゅうりでなぜ謝罪するのかと困惑する恵真だが、アッシャーとテオもきょとんとしている。

 

「実は、ここに来る前にジョージさんの店にも顔を出したのですが、やはりいくら顔の広い彼でも、まだこの時期にはきゅうりは入手が困難なそうなんです」

「そっか、きゅうりは夏の食材ですもんね」

「…………はい」


 どうやら、わざわざここに来る前にジョージの店に尋ねて来たらしい。

 せっかく仕入れたシャーロットの婚約者ルーファスの食の好みも、入手出来ないのであれば生かすことは出来ない。

 セドリックが落ち込んでいる訳を理解できた恵真に、気遣うようにリアムが言葉をかける。


「今の時期ではまだきゅうりは質の良い物は入手が難しく、こちらの喫茶エニシので用いられているような品は用意できないのです」

「でも、きゅうりがお好きというのは珍しいですね」

「お恥ずかしい話ですが、貴族というのは希少性に重きを置きますので、野菜でありながらきゅうりを好む方もいらっしゃいます。もちろん、ルーファスさまがそういった事情で好むとは申しません」


 野菜を好む人が少ない印象を受けていた恵真としては新鮮に感じられるが、入手しにくいのであれば納得だ。

 昨年、恵真はバート達の差し入れに夏野菜のピクルスを作った。

 人参やパプリカ、そしてきゅうりも入れて好評だったのだが、どうやら価値のあるものだったらしい。夏休みを企画した際にはきゅうりの一本漬けまで用意した。

 皆、恵真が貴族の出であると知っていたため、何も言わなかったのだろうが、恵真は自分の国の文化とマルティアの違いを改めて実感する。

 ハウス栽培が普及していないスタンテールや近隣国で、夏を前にしたこの時期、きゅうりが入手しにくいというのも無理はない。

 恵真が暮らす世界でも旬の前の食材は価値があり、値段も張るものなのだ。

 

「――でも、きゅうりはあった方がいいですよね」


 会話が弾まないというシャーロット達の食卓にもしも、ルーファスの好きな食材があれば会話のきっかけに繋がる。何より、自身の好みを用意してくれた気遣いはきっとルーファスにも伝わるはずなのだ。

 そう考えたため、セドリックもジョージの店に顔を出したのだろう。


「ですが、入手は困難で……」

「ありますよ。ウチに」

「は?」


 冷蔵庫の野菜室を開けて恵真が取り出したのはきゅうりである。

 少々時期は早いのだが、ハウス栽培や温かい地方ではきゅうりは既に採れるのだ。これは恵真が蒸し暑いこの時期に、さっぱりしたきゅうりを食べようと先日買い求めたものだ。


「あぁ! ありがとうございます! これで二人の食事に相応しいものが出来ますね! 流石、トーノさまです!」


 立ち上がったセドリックは恵真の手を握ろうとして、その手をリアムにはたかれた。結構な強さであったにもかかわらず、満面の笑みを浮かべ続けるセドリックにオリヴィエはげんなりした表情だ。

 きゅうりでこんなに喜んで貰えたことはない恵真は困ったように微笑む。

 材料は入手出来るものの、きゅうりを使った貴族の食事に合う料理など、心当たりがないのだ。

 

「――ですが、シャーロット嬢の指定した日に間に合うかが問題です。鮮度は落ちてしまうのがきゅうりの扱いの難しいところです」


 確かに冷蔵庫のないこの世界ではきゅうりの瑞々しさは失われるのも早いだろう。そんな事情もきゅうりの価値を高めている一因なのかもしれない。

 だが、恵真にはきゅうりを購入する伝手なら幾らでもある。

 最寄りのスーパーに道の駅、新鮮なきゅうりはありがたいことにいつでも手に入るのだ。


「あ、私に入手する伝手があるので。問題は作った料理をどのようにして運ぶかですね」


 以前、依頼されたときはクーラーボックスを使うことを恵真が提案したが、魔道具の提供は安全ではないと却下された。

 そのときに力を貸してくれたのが他でもない。

 今日、この場で他人事のようにこちらを眺めているオリヴィエである。


「案ずるには及びません。我々にはスタンテールで最も優秀な魔術師であるオリヴィエがいるのですから!」

「ボクは魔導師だよ! あとこの国どころかこの世界中探したってこんな優れた魔導師はいないんだからね!」

「あぁ、そうだ! 我が友オリヴィエは史上最高の魔導師だ!」


 そう笑ったセドリックはオリヴィエの元に駆け寄るとぎゅうぎゅうと強く抱き着く。げんなりした表情になるオリヴィエだが、抵抗すれば更に面倒だと思ったのか、生気のない目をしてされるがままになっている。

 そんなオリヴィエの様子にアッシャーとテオは吹き出し、リアムはやや安堵した様子だ。

 運搬の問題は解決した。

 次はきゅうりでどのような料理を作るかということだ。

 オリヴィエとセドリックの様子に微笑む恵真だが、きゅうりで華やかな場に合う料理を作るという難問を抱えることとなったのである。



*****



 夕食を祖母と食べつつ、恵真が考えるのはきゅうりの料理である。

 恵真にとって、きゅうりは気軽で身近な食べ物であり、貴族に提供する料理に使うイメージが今ひとつ湧かないのだ。

 先程からカリカリと良い音を立てるきゅうりのごま酢あえを食べつつも、気持ちはシャーロットへの料理を考えてしまう。

 そんな恵真の様子に気付いたのだろう祖母の瑠璃子は、くすりと笑いつつ、話題を振る。


「ねぇ、恵真ちゃん。アフタヌーンティーをこの間、梅ちゃんと食べてきたのよ! 食事中なんだけど、写真も見てくれる?」

「梅ちゃん……岩間さんとアフタヌーンティーに行ったの? おしゃれだね」


 最近はホテルやカフェでのアフタヌーンティーが人気である。

 三段重ねのスタンドを使用したり、華やかな見た目の愛らしい菓子の写真を撮ったり、その味わいをゆっくり楽しむのが気軽に楽しめるようになったのだ。

 イギリスが発祥とされるこのアフタヌーンティーは今、日本で楽しまれている。

 どうやら祖母の瑠璃子もそんな時間をお隣の岩間さんと味わってきたらしい。

 嬉しそうにスマートフォンの写真を見せながら、その味を語り出す。


「サクッとしたスコーンに、クリームとジャムを塗って食べたり、ケーキも美味しかったのよ」

「クロテッドクリームだね。スコーンも今、人気があるもんね」


 素朴さが魅力のスコーンだからこそ奥深い。

 スコーンと一緒に紅茶を飲むのはイギリス風、一方でチョコやドライフルーツを入れた三角形のアメリカ風のものもカフェでは最近見かけるようになった。

 恵真の言葉に嬉しそうに写真を見せていた瑠璃子だが、ふと気付いたように恵真に問いかける。


「どれから先に食べるか、恵真ちゃんは知ってるかしら?」


 得意げな瑠璃子だが、恵真はもちろん答えを知っている。


「下から順番に、サンドウィッチ、スコーン、そして最後にケーキだよね」

「なんだ、知ってたのね。でも、正直に言うと好きに食べたいなんて思っちゃったわ。梅ちゃんもね、わかるわって言ってくれたのよ。それが乙女心よねぇ」

「ふふ、確かにそうだよね」


 甘い物を食べたらしょっぱい物、しょっぱい物を食べたら甘い物を食べたくなるのが乙女心なのだと恵真と瑠璃子は同意し合う。

 ここに他の誰かがいたら乙女心ではなく、食い意地ではないかと言うだろう。

 だが、ここにいるのは料理好きな恵真と祖母の瑠璃子、そして一番食い意地の張った黒猫のクロのみだ。

 繊細な乙女心を持ち合わせる恵真は、祖母の撮った写真の中で気になるものを見つけた。


「これ……生かせるかもしれない! ありがとう、おばあちゃん!」

「え、何? 仕事の話かしら? よくわからないけど、恵真ちゃんが元気になってよかったわ。じゃあ、食べましょ」

 

 きゅうりのカリカリとした食感が先程より軽快に聞こえるのは、恵真の心持ちの変化だろう。

 自然と笑みが浮かぶ恵真の様子に、瑠璃子もまた口元を緩める。

 ソファーの上で寝転ぶクロが大きなあくびをして、また眠りへと落ちていく。

 祖母と孫、二人きりの夕食は穏やかに和やかに過ぎていくのだった。

 

 

 

 

 


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