119話 春の訪れとそれぞれの成長
買い物帰りの恵真と祖母の瑠璃子の髪を温かな風が撫でていく。
雪も解け、季節はすっかり春である。日も長くなってきており、風の香りには土のにおいも混じる。
足元に舞い落ちた花弁に恵真は上を見上げた。塀越しに木があり、白い花が咲いている。それはこの時期によく見かける花木である。
「えっと、これはハクモクレン、それともこぶしかな」
「これはこぶしの花ね。こぶしは花の根元に葉が一枚必ずついているのよ。何事にも見極め方があるのよね」
青い空に白い花が咲いてる様子はなんとも清々しい。息を吸うと爽やかな花の香りも感じられた。
「庭に植える植物もそろそろ考えたいなぁ。でも、花もいいかもしれないね」
「あら、食べられるものにも花が咲くわよ。意外と可愛いんだから。まぁ、そっちのほうが恵真ちゃんには良さそうね」
「もう、おばあちゃん! ……それはそうなんだけどね」
せっかく植えるのであれば、愛らしいだけはなく美味しいほうがいい。
可愛らしい小さな苺やトマトの花には、しっかりと美味しい実がなるのだ。楽しみは多い方がいいはずだ。恵真は心の中で、育てる野菜やハーブを選んでいくのだった。
*****
雪が降る長い冬を終えると、街には春の喜びが溢れる。芽生えの季節でもある春は食材も増え、温暖な気候が続くため、冒険者にも農業に携わる者にも安定が訪れる。また、市場や商店の者も仕入れも天候の影響を受けず、商売ができる。何よりも、雪が降らないことで人の往来も賑やかになるのだ。
春の訪れは自然と街の雰囲気を明るく、活気に満ちたものにしていた。
「春になると旬の野菜も増えますから、楽しみですね。春キャベツに新玉ねぎ、新じゃが、甘くなるし美味しいんですよ!」
恵真が嬉しそうに語る姿に、訪れたバートもリアムも目を合わせて微笑む。
恵真と彼らが出会ったのはちょうど、一年ほど前の春であった。キャベツやじゃがいもといった野菜の旬を喜ぶ姿に二人はもう驚くことはない。むしろ、それが恵真らしいとすら思う。
魔道具に囲まれて暮らす高貴な生まれであろう黒髪黒目のこの女性は、世情に疎いが半面、その生活は穏やかで地に足がついている。時折、予想外の行動で驚かされるのは高位さゆえのものであろうとリアムたちは考えていた。
「キャベツっすかー……、懐かしいっすね。トーノ様が初めて作ったのはキャベツを使った料理だったっすよね。ミネストローネにコールスロー、あとザク切りにしたキャベツをホロッホ亭で出すことになったんすよね」
「ホロッホ亭で出すことになったのはお前のせいだろう」
「うっ! まぁ、そうなんすけど、トーノ様も拡げていいって言ってたっす!」
バートが胃が弱ったときにはキャベツがいいと得意げにホロッホ亭で語ったことから、キャベツのザク切りは酒のつまみとしてホロッホ亭では定番となった。肉料理などではなく、軽く食べられる野菜のつまみは今も好評なようだ。
「ミネストローネと言えば、あのルイスって男のホロッホの卵、無事に孵ったんっすかねぇ」
「あぁ、あの卵か。今思えば、やはりクロ様がなさったことなのだろうな」
まだ喫茶エニシを開く準備段階のある雨の日、ルイスという男が尋ねて来た。卵を冷やしたくないという男が大事そうに抱えていたのはホロッホの卵であった。だが、それは無精卵であることを告げるとルイスは衝撃を受けた。
彼は病に苦しむ息子に栄養のあるものを与えたかったのだ。そこに恵真の一言がさらに彼を怒らせることとなったのだが、代わりに恵真は栄養価の高い食事が他にもあることを伝え、彼は喜んで店を後にしたのだ。
その間にクロが転がして遊んでいたホロッホの卵が、無精卵の薄い青色から有精卵の薄緑色へと変化していたのだ。
「たまーにそういうことをするんですよねぇ」
あのときは恵真もクロを猫だと信じ切っていた。いや、今でも魔獣であるかは半信半疑ではあるのだが、あれをクロ以外に出来たものはいないだろう。森に訪れたリアムたちの幸運もクロの力であれば納得だ。
いつものようにソファーに寝転ぶ姿は完全に猫ではあるが、先程からしっぽが得意げにパタパタと動く様子からもこちらの話は理解しているようである。
「それで、トーノ様。私に伺いたいお話というのはなんでしょうか」
「あ、すみません。話がそれてしまいましたね。実は商品の仕入れについてリアムさんにお聞きしたくって。ギルドで頂いたお金を仕入れに使おうと思っているんですが、どこか商店に頼むべきか、買いに行くべきか迷ってるんです」
恵真の言葉にリアムは形の良い指を顎に当てて何やら考えているようだ。
「現在の出入りの業者では問題があるのでしょうか」
「え、あぁ! そうですね、岩間さんに来ていただいているのですが、ギルドのお金を動かすことも必要かなって思ったんです」
「なるほど。そのようなお考えなのですね」
冒険者ギルドにある金銭をそのまま動かさずとも、恵真と瑠璃子の生活は問題がないようにリアムの目には映る。だが、信頼できる出入りの業者ではなく、あえて地元の業者を使うという恵真の考えは上に立つ者としての判断だろうとリアムは推測した。その土地に還元し、経済を回そうという視点は高位の立場についたことのある者ゆえのものだ。
この地で得た利益を自身のみのものとするのではなく、この地に還元する。そんな恵真の判断を好もしく思ったリアムは恵真に微笑む。
「信頼できる者に依頼をしても良いですし、商店を選び、そこの者に届けさせることも出来るかと思います。そうですね、マダムアメリアを頼ってはいかがでしょう。彼女であれば、商品の良しあしから商人の性格まで知っているはずです」
「アメリアさんにですか。お願いしてもご迷惑じゃないですかね」
「アメリアさんに限ってそれはないっすよ。きっと、頼られて張り切るんじゃないっすかね」
恵真の心配をバートが笑って否定する。アメリアの気性からすれば、きちんとした商店を紹介してくれるはずだ。むしろ、なぜ早く自分に相談しなかったのだと怒られる可能性すらあるだろう。
そんなアメリアの姿は恵真にも容易に想像が出来て、くすくすと笑う。同時にこのようにリアムたちにもおそらくはアメリアにも案じて貰えることに感謝をする。
「業者が決まるまではどうするんすか?」
「そうですね。えっと、今までの業者さんに頼みます。香辛料は今まで通り、そちらの方に頼むと思うので」
「そういった重要な案件は今まで通り信頼できる者に頼んだ方が良さそうですね」
「あ、あの」
話がまとまりかけたそのとき、アッシャーが緊張したような声を上げる。その声に三人の視線はアッシャーの元へと集まった。視線に一瞬、肩を竦ませたアッシャーだが、恵真の瞳を見てキリっと表情が引き締まる。
「ぼ、僕たちが買出しに行きます!」
その言葉に驚いたのは恵真だ。アッシャーとテオ、二人で買い物に行かせても大丈夫なのか街に出たことのない恵真にはわからない。ちらりとリアムとバートに視線を移すと二人とも特に驚いた様子はない。
「あ、あの、街で二人で買い物をしても問題ないのでしょうか? ほら!子どもを狙った悪い人がいたり!」
恵真がアッシャーとテオを守るようにぎゅっと抱きしめる姿を見て、バートは赤茶の髪を掻く。恵真の心配はわからないでもないが、流石に人通りの多い商店や市場で狙われる可能性は低い。リアムと視線を交わし、笑いながら肩を竦める。
リアムは恵真にもバートにも話してはいないが、コンラッドに頼み、アッシャーとテオには護衛をつけている。黒髪の聖女との繋がりを望む者が二人に手荒な真似をする可能性を危惧してのことだ。
だが、ドアの力かそういった者を見かけたことはないともコンラッドから伝え聞いていた。
恵真は案じているが、むしろ彼女よりもアッシャーとテオの方がこの街に詳しいだろう。そんな彼らに任せる方が、リアムやバートからすれば安心できる。
「問題ないと思いますよ。彼らならきちんと買い物を果たしてくれるでしょう」
「ふふ。だって、エマさん。大丈夫だよ!」
リアムの言葉に得意げなテオと気恥ずかし気なアッシャー、そんな姿に恵真だけがおろおろとしている。リアムが視線を投げ、バートはそれに頷く。フォローをしろということなのだ。
「トーノ様、二人を信じてるなら挑戦させることも必要っすよ。それに二人ともここに通えてるんっすから買い物なら問題ないっすよ」
「信じているなら……そう、そうですよね! 私、二人に買い物をお願いしてみます!」
雇用している者に買い物を言いつけるのは極めて日常のことなのだが、どうやら恵真は高位の立場にありながら不慣れなようだ。これは本人の気性によるところが大きいのだろうとリアムには思える。
恵真の大きな決断の末、アッシャーとテオは機会を見て、はじめてのおつかいをすることとなったのだ。
喫茶エニシを後にしたリアムとバートは街を歩く。
恵真が訪れてから来月で一年となる。街は再び春を迎え、店頭には新鮮な野菜が並ぶようになった。
「トーノ様の料理の影響か、キャベツや豆を扱う料理店も増えてきたっすねぇ」
「あぁ、市場や商店でも見かけるようになったな」
以前は低く見られていた野菜の価値も少しずつ変わっている。値段に反し、栄養価の高い点や調理法も見直されてきたことで味も評価されているのだ。
これは恵真の行動が大きい。繁盛店のホロッホ亭にキャベツやじゃがいもの調理法が伝わった。そこに通う冒険者や兵士たち、そして他店の者たちにも自然にその味も価値も広がっていったのだ。
「初めに会ったときは驚いたんっすけどねぇ。黒髪に黒目、魔道具に魔獣っすよ」
「それ以上に驚かされたのはその行動だろう」
「はは、そうっすねぇ。いきなり『二人に仕事を頼みたい』なんて言うから俺とリアムさんかと思ったら、アッシャーとテオだったし、薬草もどこからか仕入れてるし、おまけにタコっすよ? もう、本当に驚かされっぱなしっす」
そう語るバートだが、その表情は明るい。自身の赤茶の髪とそれを撫でる母の「よく似ている」その言葉はバートの心に影を落としていた。自身を愛すことのない父と同じ髪の色を指摘されたと思っていたのだ。
だが、恵真とアッシャーたちの指摘で父ではなく、「バートが好むハチミツ入りの紅茶に似ている」その視点に気付いた。以来、バートにとってこの髪の色は父ではなく、母との思い出の時間の色に変わったのだ。
「あぁ、どこかでそれが楽しみでもあるがな」
「違いないっすね」
そう言って笑うリアムの表情は以前より柔らかい。
突然、現れた黒髪の聖女トーノ・エマ、その存在はマルティアの街だけではなくリアムやバート達にも大きな変化を生んでいた。
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