117話 桃の節句とリリアの憂鬱 4
席についたルースは目を伏せながら、どこか不安げな様子でそっとフードを外した。フードを外すとルースの短い髪、そして意外にも幼い顔立ちがよくわかる。
リリアはその姿に驚きつつも、謝罪の言葉を口にする。
「その、ごめんなさい。『女の子だったの』なんて失礼なこと言ったわ」
リリアの言葉にルースは彼女としては大きな声で否定する。
「ち、違います! 僕がそう見えるようにしてたんです。女の子ってわからないほうが安全だと思って。そのために髪も短くして……ローブを着ているのも体型を隠したいっていう理由からなんです」
ルースの髪は短い。この国スタンテールの感覚では女性は年齢問わず、髪は長く伸ばす。ハンナのように経済的な理由で髪を切ることもあるが、それはかなりめずらしい。そんな感覚が皆がルースを男性だと思った原因の一つだろう。
「ただでさえ、力の弱い魔法使いとからかわれるのことが多いのに女性だと知られたら危険なこともあります。小さい頃から僕は髪が短いんです。だから皆は僕のことを女の子だって知らない……その方が安全なんです」
リリアはその言葉に胸が締め付けられる思いがした。リリアは父ポールと共に働いている。周囲の人々も幼い頃からリリアを知る者たちばかりだ。
だが、ルースはアルロと共にいることも多いが、わたあめを売る際には一人なのだ。風の魔法使いはその力を評価されることも少ない。
ルースが少女であることを隠し、青年であるかのように装っているのはその身を守る手段なのだ。
「年齢ももう少し若いのではないのか?」
「は、はい。17歳になります」
フードを外したルースの表情はまだ幼さも残す。成人こそしているようだが、少女で風の魔法使いという特殊な身の上である。年齢も性別も実際のことを告げない方が生きやすかったのだろう。
「エマさまはいつからルースが女の子だって気付いていらしたんですか?」
そんなリリアの問いに、恵真は少し困ったように笑う。
実のところ、恵真自身もずっとルースを青年だと思っていたのだ。背丈も恵真と同じくらいあり、声の低いルースに男性として接していた。
だが、ある人物と会話をしている中でルースについて尋ねられたのだ。
「私よ。私が、ルースっていう名前なら女の子じゃないかって恵真に聞いたのよ」
「ルリコさまがですか?」
リリアの問いかけに恵真の祖母、瑠璃子は頷く。恵真からアルロとルースの話のみを聞いていた瑠璃子はルースの容姿を知らない。そのため、ルースという名前から彼女が女性だと考えたのだ。
「そうよ、名前だけ聞けば『ルース』は女の子に付けられる名前だもの」
瑠璃子の言葉にリリアも恵真も頷く。言われればそのとおりなのだが、髪の短さやアルロと会話する姿から、二人はルースを青年だと思い込んでいたのだ。
「市場や街であなたを見かけていたし、父からもこの間の話し合いのときの様子を聞いていたのにすっかり男の子だと思い込んでいたわ」
「す、すみません」
「謝らないで。この間の冬の催しもの、あなたの考えなんでしょう? 父から聞いたの。凄いわ!」
「え、あ、あの……す、すみません」
リリアを前にルースはなぜか恐縮してしまう。だが、リリアとしては自身と同じように、年頃の少女が自由市で働いていた事実に親近感が増す。
「さぁさぁ、話は食事をしながらでも出来るわ。ひな祭りだもの。皆でお祝いしましょう」
「そうだよね。こんな風に集まる機会はなかなかないし」
そんな瑠璃子と恵真の言葉をきっかけに食事会は始まったのだった。
*****
「凄い、これが卵なんですか? ふわふわしてて違う食べ物みたい」
「米の酸味と甘みもいいな。食感も具材の変化があっていい」
「こ、この貝のスープも味が凄く深みがありますね」
ちらし寿司もはまぐりの吸い物もひな祭りには良く作られる料理である。はまぐりは貴族の遊戯にもかつて使われた。この季節の旬の食材でもある。
祖母の瑠璃子が作った煮物も味が良く染みて、良い味付けだ。料理をしていてもこういう昔からある料理はまだまだ祖母に追いつかないと恵真は思う。
「他にもひなあられやひしもちっていうお菓子もあって、ひな祭りにちなんだものなんですよ」
「お人形を飾ったり、料理を食べたり、本当にお祝いの日なんですね」
「そうなの。だから、皆を誘いたいなって思ったんだ。でも、ルースさんは迷惑じゃなかった? ずっと隠していたことだし、勇気が必要だったんじゃないかな」
リアムに渡したルースへの手紙には「決して無理をしたり、気を使って足を運ぶ必要はない」と恵真は書いた。おそらく、隠している重要な秘密を知られることはルースを不安にするだろうと考えたためだ。
それでも彼女を誘ったのには理由がある。もしもアルロがルースが女性であることを知っていたとしても、ルースには他に頼る相手がいないだろう。そのことを恵真も瑠璃子も案じていたのだ。
「……ずっと困っていたんです。アルロは僕が女性であることを知っていて助けて貰っています。でも彼に相談できないこともあって。だから、今日思い切ってくることにしました。きっと、皆さんこのことを知って驚くとは思うけど、それを口外はしないだろうなって……」
緊張しながらも自身の気持ちを打ち明けたルースを瑠璃子がぎゅっと抱きしめる。
突然のことにおろおろするルースの頭を瑠璃子は慈しむように撫でる。孫娘の恵真よりも幼い少女が、友人のアルロ以外に頼ることなく暮らしてきた事実に瑠璃子の胸は締め付けられる。
「よく来てくれたわね。頑張ったわ、ルースちゃん」
優しく労わるようなその言葉と伝わるぬくもりに、ルースの目からはぽろぽろと涙が零れる。決して知られないようにと隠しながら生きるのは、誰かと親しくなることが出来ないということ。
ただでさえ、控えめで大人しいルースとしては今日ここへ足を運ぶこと自体に大きな勇気が必要だったはずだ。
瑠璃子の「頑張った」という労いの言葉は今日のことだけではない。彼女が今まで抱えて来たであろう不安や怖さも指しているのだろう。
「で、でもだいぶ変わったんです……環境とか気持ちとか。酒風水もありますし、それにアメリアさんやトーノさま、リリアさんがいるから、私も頑張れるんです」
「え、私? エマさまやアメリアさんはわかるけど…………私?」
「は、はい。街で見かけてもいつも元気で明るくって皆さんと笑顔で会話していて……僕とはまったく違っていて、その、年齢も近いのに凄いなって」
目を瞬かせ、戸惑いながら尋ねるリリアにルースは頬を赤く染める。
アメリアはもちろん、女店主であり、酒風水に再び脚光を与えてくれた恵真にもルースは特別な思いを抱いている。だが、年も近く女性でありながら実家を継ごうと努めるリリアはより身近な憧れの対象なのだ。
「私が? えっと、その……ありがとう?」
「リリア、なんで疑問形なんだ?」
「だって、そんな風に思って貰えてるなんて知らなかったし! 頑張ってても出来てないこともたくさんあるから、その、『男の子だったらなぁ』そんな風に思われたりもきっとしてるはずだから」
その言葉に部屋は静かになる。今のマルティアの街では確かに男性が家を継ぐのが当然という考えが定着しているのだ。そんな環境でリリアが窮屈さや悔しさを感じずに来られたはずがない。
「でも、私自身は男の子だったらなぁって思わないんですけどね」
「そうなのか? まぁ、私も思わんが」
ナタリアの問いかけにリリアは肩を竦め、楽しそうに笑う。
「だって、今日来るまでに何を着ようか悩んだり、母さんのストールをつけたり、こんな風にお祝いしたり……楽しいことだってたくさんあるもの」
リリアはストールを大事そうに見つめる。そんなリリアのいつもより少し背伸びした服装は愛らしい。ストールは成長した娘を守り、包み込むようにも恵真の目には映る。
「だって、これからも私は私ですから」
その言葉に恵真と瑠璃子は目を合わせ、微笑む。
家の仕事に懸命で情熱を持つリリアは、二人の目にはもうすでに立派にその職務を果たしているのだ。
「そりゃ、悔しいこともあるけど……行動で私の仕事を認めて貰うしかないんです」
スタンテールの常識や習慣を今すぐ変えることは困難である。
だが、アメリアがそうであったようにリリアがやがて店を継ぐ時代が訪れ、それが普通のこととなる日がいつか訪れるかもしれない。
「女の子に生まれたことをこんな風にお祝いして貰えるし、困ったときは相談できる先輩たちがいるんだもの。ね、ルースさんもアメリアさんやエマさまを頼っちゃいましょう」
「は、はい! よ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると再び頭にフードがかかり、ルースは慌てて頭を上げる。皆がその様子を微笑ましく思い、笑うとルースも照れくさそうに笑った。
するとルースは思い出したかのように恵真に告げる。
「あ! お米のこと、アルロが喜んでいました。エマさまのおかげです!」
「お米? あぁ、恵真ちゃんがお米の可能性がどうとか言ってたことかしら?」
「は、はい! そうです」
瑠璃子も話には聞いていたが、それがどんな内容か具体的には聞いてはいない。恵真をちらりと見ると、首も手もぶんぶんと振り、ルースの言葉を否定する。
「お米は購入するし、考えてもいるけど、絶対に成功する! っていう保証があるわけじゃなくって! あくまで可能性だからね?」
高い評価と期待に顔を赤くする恵真に、ルースはそれでも嬉しそうに語る。
「アルロがたまに言ってたんです。『もし、長男じゃなければ、どんな人生だったろうな』って」
「そうか、長男であれば嫌でも家を継がなければならないからな」
ナタリアの言葉にルースは頷き、リリアはハッとする。
家の仕事を継ぎたいものばかりではないのだ。長男であるからこそ、家を守り継がねばならなくなる。そんな者もいるはずだ。
向き、不向き、家を継ぎたい者と継がねばならぬ者、思うようにならぬ中でそれぞれの葛藤や不自由さもまたあるのだろうとリリアは気付いたのだ。
「でも、お米が売れるようになって……アルロはやりがいが出て来たみたいで」
「それは二人が頑張ったからだよ。お米のこともアメリアさんに相談したり、この前の屋台の催しもルースさんが意見を出したって聞いてるよ」
恵真の言葉にルースは慌てて首を振る。
「意見を出しただけで……それを実行に移してくださったのは皆さんで……」
「まず、意見を出せたことが凄いんじゃないかな」
「…………ありがとうございます」
つい先日、ルースは同じようなことをリアムから言われたのだ。
この二人の考え方が似ているのか、それとも親切さから来るものなのかはルースにはわからない。
だが、勇気を出して真実を打ち明けてみれば、すんなりと受け入れ、受け止められた。魔力の弱い風の魔法使いであることはもちろん、少女であることも認められ、ひな祭りという女子に生まれた祝いの食事を共にしている。
昨日までと変わらない今日という日が、リリアにもルースにも気恥ずかしくも嬉しい一日となったのだ。
その後、親しくなっていくリリアとルースの様子に、リリアの父ポールだけが気を揉んでいたのは彼だけの秘密である。
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