116話 桃の節句とリリアの憂鬱 3


 夕暮れに染まる中庭を見ながら、恵真は緑茶を飲む。

 祖母を迎えに、岩間さんの家を訪れたのだ。数品のおかずを持って尋ねた恵真を岩間さんが嬉しそうに出迎えた。

 先程から祖母と岩間さんの話を緑茶を飲みながら静かに恵真は聞いている。岩間さんの方が祖母より年上なのだが、同じ時代を過ごしてきたもの同士、話は尽きない。

 

「もっとおしゃれしたり、放課後に喫茶店に寄ってみたりしたかったわ」

「それでクリームソーダやパフェを食べるのよね」

「そうそう! 学校も親も厳しかったし出来なかったわ」

「時代もあるし、昔の喫茶店は大人の場所っていう雰囲気だったものね。私も家族でデパートに行くくらいで、お友達と喫茶店はないわねぇ」


 祖母と岩間さんの話に恵真は微笑む。少女時代の話をする二人は、まるで女学生同士のように楽しそうに会話をしているのだ。

 子どもの頃に食べたもの、食べたかったものは思い出に残る。

 今のようにチェーン店が普及する前の瑠璃子たちの時代、デパートや喫茶店の外食は特別に思えたはずだ。ケーキはケーキ屋で買うもの、洋菓子は気軽に買いに行くものではなかったのではないかと恵真は思う。

 そんな時代と食事の変化を恵真が興味深く、そして少し二人の様子を微笑ましく聞いていると祖母の瑠璃子がぱんと両手を打つ。


「そうだわ、行きましょうよ! ほら、駅前にあるデパートに喫茶店があるでしょう? そこでまだパフェとかクリームソーダがあるはずよ」

「それはいいね。私が調べてみるよ。多分、置いてあるんじゃないかな」


 恵真もそんな祖母の意見に同意する。最近はレトロブームもあり、再び純喫茶やクリームソーダなどに注目が集まっているのだ。メニューに置いている店も探せばあるはずだ。

 だが、乗り気の瑠璃子に対し、岩間さんは少し困惑した様子だ。


「でも、おばあさん2人がパフェ食べてたらおかしくないかしら?」

「いいじゃない。昔出来なかったんだもの、今楽しまなきゃ。今度二人で行きましょうよ、オシャレして!」

「まぁ……どうしましょう。恵真ちゃんはどう思う?」


 少し恥ずかし気な岩間さんに恵真はにっこりと微笑んで頷く。


「絶対に行くべきだと思います。だって楽しそうですもん」

「ほら! 若い恵真がこう言ってるんだから大丈夫よ! ね、梅ちゃん」

「そう? じゃあ、行ってみようかしら」

「ふふふ、決まりね。楽しみが増えたわぁ」


 はしゃぐ二人の姿に恵真は頬を緩める。

 恵真としても不安がないわけではないし、他者と自分を比較しないわけでもない。

 だが先を行き、前を歩んできた人々の姿が身近にある。時代の変化や常識の違いの中で、彼女たちが歩んできた日々と今の姿から感じ取れるものがあるのだ。

 とびきりのオシャレをしてデパートで祖母と岩間さんがクリームソーダとパフェを食べる。そんな姿を想像して恵真はふふっと笑みが零れる。

 それは特別に幸せで、元気を与えてくれる光景であると恵真には思えたのだった。


*****


 桃の節句と言えば料理は決まっている。

 3時に店を閉めた恵真は調理を開始する。まずは刻んだ人参とレンコン、戻してかんぴょうや干ししいたけの味付けからだ。

 味付けにはしいたけの戻し汁を使う。そうすることでしいたけの旨味をしっかりと使うことが出来る。

 人参は丁寧に細かく刻むのが重要である。そうでないと食感が悪くなるのだ。他の具材も均等に細かく切っていく。レンコンはシャキッとした食感を生かすために、一口大に切った。

 そんな恵真の様子を興味深げにテオとアッシャーは見守る。

 祖母の瑠璃子も孫娘が作る様子を面白そうに見ているので、恵真としては少々緊張してしまう。


「もう、おばあちゃんはそんなに見なくってもいいでしょ。作り方も知ってるんだから」

「あら、私が作っていたのを食べていた子が、今度は作る側になっているのよ。こんなに感慨深いことはないわよ」


 そう言って恵真を見る瑠璃子は楽し気で、恵真もそれ以上注意は出来ない。

 小鍋に入ったしいたけの戻し汁に砂糖と醤油を加え、先程刻んだ具材を入れて軽く煮込んでいく。人参に火が通り、味がつく程度でいいだろう。火を通し過ぎるとレンコンのシャキッとした食感がなくなってしまうのだ。

 火を止め、粗熱が取れるのを待つ。冷めていく間に味がより染みていくので、この間に恵真は他の食材を準備する。

 丁寧に洗った海老の背ワタを取った後、殻ごと茹でていく。茹で上がったら、殻をむき、冷ましておく。次は絹さやの下拵えだ。パキッとへたを折ってそのままスッと筋を取る。これも食感が悪くならないための作業である。

 そんな様子をじっと見ていたテオが恵真に話しかける。


「ねぇ、エマさん。それって僕でも出来る?」

「うん、お手伝いしてくれるの? お願いしてもいいかな」

「もちろん! 手、洗ってくるね」


 手を洗いにキッチンに来たテオにアッシャーも続く。先端を折って、筋を取るこの作業は確かに楽しそうに見えるだろう。多少、筋が残っても絹さやは薄く食べやすいものなので、多少の筋は見逃してもらおうと恵真は思う。

 作ることを楽しむ、これもまた食べるときの喜びに繋がるのだ。


「ふふふ、恵真ちゃんもこんな風にお手伝いしてた時があったわよねぇ」

「はいはい、そうですねぇー」


 照れくささから素っ気なく返事をした恵真は2人が筋を取ってくれた絹さやを軽く茹でる。本当に軽く、色が変わったらサッと取り出すこと、これで色良く食感も残したものになる。冷水にさらしてそれ以上、火が通らないようにする。


 炊き上げた米に酢と砂糖、少量の塩を加えた合わせ酢を加えて切るように混ぜていく。つやが出てきたところで、先程煮て置いた具材を加えて再び切るように混ぜる。完全に冷えるのではなく、少し温かな方が味も馴染みやすくなるのだ。

 

 海老も絹さやもそして米も準備が終わり、いよいよ最後の材料の準備だ。

 ボウルに卵を割り入れ、砂糖を少量入れて切るように混ぜる。ここで白身と黄身を丁寧に混ぜないと綺麗に仕上がらないのだ。

 油を引き、熱したフライパンに卵を流し入れ、均一になるようにフライパンを回す。薄く広がった卵の表面が乾いてきたら、サッと箸を使ってひっくり返す。


「凄いねぇ。薄くてひらひらだ」

「卵にこんな調理法があるのか。いや、何個も卵を使うのも凄いな」

「あら、上手。流石、私の孫娘だわぁ」


 このマルティアでは卵は未だ高級品である。国がホロッホの家畜化に成功すればという話であったが、それ以降その情報は恵真も聞いていない。おそらく、卵が一般に普及するようになれば、もっとスタンテールの料理や菓子、食文化も広がるだろう。

 卵を引いて、ひっくり返す、この繰り返しを続けて出来上がった薄焼き卵を今度は錦糸卵にしていく。薄い卵を細く切っていくことで、ふんわりと華やかな錦糸卵になるのだ。

 錦糸卵があることによって料理が一層華やかになる。この料理は様々な祝いの席で食卓に並ぶ。家庭においての祝い料理の1つだ。

 混ぜた酢飯を皿に盛り、錦糸卵を乗せ、その上に配色を考えながら具材を散らしていく。そう、この料理の名前の由来でもある。


「はい、出来ました! ちらし寿司の完成です」

「うわぁ! 綺麗な色ばっかり。卵もふわふわだね」

「具材の並べ方にもセンスが出てるわね」


 ふんわりとした錦糸卵が乗ったちらし寿司は春らしく華やかな料理である。海老の色、絹さやの色も彩り良く並ぶ。


「ひとつひとつ丁寧に切っているからこんな風に綺麗に見えるんだな」

「ふふ、僕とお兄ちゃんも手伝ったよ!」

「ちょっとだけな」

「でも、二人とも手伝ってくれたもんね」


 完成したちらし寿司はお祝いの食卓に良く映えるだろう。恵真は残った酢飯をタッパーに入れ、卵や海老、絹さやを飾り付ける。


「これは二人がお家に持って帰ってね」

「いいんですか? 僕ら少ししか手伝ってないですよ」


 そんなアッシャーの問いに恵真は微笑む。桃の節句は女の子の生まれと健やかな成長を願う祭りである。二人に持って帰って貰うのには理由が二つあるのだ。


「ひな祭りは女の子のお祝い。お家に一人いるでしょ?」

「ふふ、お母さんだね」

「正解。ちゃんと伝えてね、ひな祭りなんだよって。本当は招待しようかと思ったんだけど、家族でゆっくり食べた方がいいから」


 その言葉にぱあっと二人の表情が明るくなる。

 今回、ハンナを招待しなかったのにはせっかく早めに帰るので、家族でゆっくりと食事を楽しんでほしいという恵真の考えがあったのだ。


「ありがとうございます、エマさん。母に伝えます」

「ふふ、僕とお兄ちゃんも手伝ったんだよって言うね」

「ちょっとだけだけどな」


 恵真はテーブルの上にちらし寿司、昨日のうちに用意していた料理を並べる。祖母の瑠璃子にも手伝って貰って、新じゃがの煮物にほうれん草と人参の和え物などは作って置いたのだ。

 今から他の料理をしようと、恵真は再びキッチンへと向かう。

 そんな孫娘の様子に幼い日を思い出し、祖母の瑠璃子は恵真の成長と今、心身ともに健康であることに感謝するのだった。



*****



 恵真と祖母の瑠璃子でテーブルの上に食事を並べていく。

 ちらし寿司、新じゃがの煮物にほうれん草と人参の和え物、茶わん蒸し、蒸し鶏の香味ソースがけ、はまぐりの吸い物が並ぶ。

 一足先にアッシャーとテオは帰宅している。ちらし寿司ともう1品、食後のデザートを手渡してある。

 

「でも、さっきの二人可愛かったわねぇ。ふふ、私たちもお祝いして貰えるなんて思わなかったわ」


 タッパーを受け取ったアッシャーとテオは恵真と瑠璃子を見て、「おめでとうございます」と二人声を合わせて祝いの言葉を述べたのだ。おそらく、ひなまつりのお祝いなのだろう。そんな二人の言葉と姿を思い出し、恵真と祖母は微笑む。

 そのとき、裏庭のドアからノックの音が聞こえた。恵真と祖母が行くよりも早く、クロがテトテトとドアに近付き、大きな声でみゃうみゃうと鳴く。

 するとその声が聞こえたのかドアがそっと開く。


「失礼する。エマ、ルリコ殿! この度は招待頂き、ありがとう。これを受け取ってくれ」

「あらあら、素敵なお花ね。どうぞ、お二人とも入ってらして」


 現れたのは花を持ったナタリアともじもじとその後ろに隠れるリリアだ。中に入ったリリアはいつもとは違い、どこか恥ずかしそうな様子である。


「いらっしゃい、リリアちゃん。そのストール、良く似合ってるね」

「あら、本当。素敵ねぇ」

「あ、ありがとうございます! 今日はお招き頂き、ありがとうございます!」

「そんなに固くならないでいいわよ。さぁ、お二人とも座ってくださいな」


 髪をふんわりと下ろしたリリアはストールとワンピースドレスに身を包み、愛らしく春らしい。この日のための気持ちがその装いや緊張した姿からも伝わってくる。

 ナタリアから貰った花は可憐なもので、祖母は早速、花瓶に生ける。


「エマ、私たち以外に誰が招かれているんだ?」

「ふふ、きっともうすぐ来ますよ。あ、ほら!」


 かすかに聞こえたノックの音は、先程のナタリアのと比べると小さい。遠慮しているのだろうと恵真は思う。控えめな性格である彼女を思い、恵真はドアまで近付いていく。


「今、開けますね」


 恵真がドアを開き、姿を現した人物にリリアは驚く。それはリリアも知る人物ではあるが、今日がひなまつりという女性の祝いの日だと聞いていたからだ。

 フードを深く被り、前髪はその薄い緑の瞳を隠すように長い。おずおずと室内に入って来た人物にリリアは驚きの声を上げる。


「ルース、あなた女の子だったの!?」


 フードを目深に被り、前髪をその薄く淡い緑の瞳を隠すように伸ばしたルースがそっと頷く。

 リリアの驚きように、先日まで同じようにルースを男性だと思っていた恵真は困ったように笑いつつ、ルースを席に座らせるのだった。

 



 


 




 

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