115話 桃の節句とリリアの憂鬱 2


「あれ、リアムさん。今日もトーノさまから何か……?」

「あぁ、それに近いことだ」


 雪も解け、自由市は活気が戻って来た。そんな影響かアルロの表情も明るい。今日の売れ行きも上々だったのだ。

 日が暮れる時間にリアムが来たのは人目を避けたかったためである。今日、リアムが訪れた理由の1つは米粉なのだ。

 先日、恵真が拵えた米粉の現物をアルロにも見て確認して貰う必要があった。米を砕くことによって白く細やかな粉になる。

そう言ってもなかなか信じられないだろう。実際に恵真が用意したタッパーにはサラサラとした粉が入ってる。これが米から作られたと始めから伝えたのだが、アルロは何度もリアムに尋ねる。


「本当に、本当にこれが米から出来てるんですか? お貴族さまの使う粉みたいですよ、これ。ほら、ルースも見てみろよ」

「う、うん……。あ、本当だ。こんなに細かいなんて」


 リアムが来たせいか黙っていたルースが驚きの声を上げる。2人の言う通り、きめの細かい粉だが、問題があるのだ。


「だが、ここまで細かく砕くにはどうしたらいいのかという問題もある。それにこの細かさにトーノ様は納得しておられないのだ」

「これはどうやって砕いたんですか?」

「トーノ様の魔道具だ。こちらは小規模のもので、商売にするのであれば大規模な魔道具が必要になるだろう。それ以外の方法があるかどうか」


 リアムの言葉にアルロは頷く。だが、これはアルロにとって朗報だ。米の仕入れを行っているのは現在、アルロの家だけだ。めずらしさに飛びついたものの、売れずに困っていたところをアメリアを通して、恵真の知恵を借りた。

 今後、米の売れ行きが良いことで他の店が米に目をつけるかもしれないが、現状、価格自体が低い米では薄利多売なのだ。

 だが恵真の開発が進み、米粉として販売できるようになれば、現在の粉に変わって一気に普及する可能性がある。これはアルロにとっても彼の家にとっても大きなチャンスだろう。

 

「いいんですか。そんな大事なことを教えて貰って。俺が先に、米粉にする方法を考え出すかもしれませんよ」

「あぁ、それならそれで構わないそうだ。だがトーノ様から1つ頼みごとがあるそうだ」

「…………なんでしょうか」


 アルロの表情が引き締まる。これだけの情報を貰ったのだ。その対価に何を請求されるのか。不安になるのは当然のことだろう。


「もし先にアルロが開発しても、ディグル地域や信仰会に配慮してはくれないか? とのことだそうだ」

「え、それだけですか? それもお願いってことですよね」

「そうだな。強制は出来ない」


 あっけにとられた表情のアルロだが、ふとある疑念を抱く。

 喫茶エニシの店主は何も見返りを求めない。それは米の調理法を教わったときから何も変わらない。

 そして今日、このようにリアムを通じて米にまつわる有意義な情報を得られた。これもまた、何の見返りも求めることなくだ。

 確かに強制力はない。だが、侯爵家のリアムへの影響力を考えれば、恵真がアルロに強制することなどたやすいだろう。

 それを彼女はしない。そこには何かしらの意図があるはずだ。

 そしてアルロはある考えに辿り着く。

 未だ、商人として未熟な自分を、喫茶エニシの店主トーノ・エマは見極めているのでは、そんな答えだ。


「……わかりました。俺、頑張ります。商人としてトーノ様に認めて貰うために!」

「そうか。良い結果に繋がるといいな」

「ありがとうございます!」

 

 この状況からなぜそんな発言が出てきたのかは理解できないリアムだが、自分より若い青年が夢を抱いたのだ。それを否定することはない。

 恵真と日頃接することが多い喫茶エニシにかかわる人々と、それ以外の人々には恵真の人物像に乖離が生じてしまうのだ。これは恵真が黒髪黒目であることや魔獣を従えていることが大きいだろう。

 

「今日はそのお話でこちらに?」

「いや、それだけではない。今日は君に用があって来たんだ」


 そう言ってリアムは紺碧の瞳をもう一人の人物へと移す。急に話題が自分に来たルースは驚き、目を瞬かせる。

 アルロもまたそんな2人を見ながら、どうしたものかと戸惑うのだった。


*****

 

 次に兵士や冒険者で賑わうホロッホ亭にリアムは訪れた。まだ、日が暮れたばかりだというのに酒を呑み交わす冒険者たちで混雑している。

 ホロッホ亭は朝早くから翌日の朝までやっている。魔物ホロッホのように休み知らずの店なのだ。


「はぁ、女の子のお祝いねぇ。そりゃあ、この国にない発想だねぇ。で、なんだって坊ちゃんはここに来たのさ」

「マダムもお誘いするようにとのトーノ様のご依頼です」

「ぶふっ! あ、あたしがかい?」


 周囲の客にも聞こえたようで皆、笑いを堪える。

 だが、リアムは恵真から手紙を預かっているのだ。これは正式な招待である。

 手紙には多忙であるとは思うが、日頃世話になっているアメリアと話をしたいこと、ひな祭りは女児の健やかな成長を願う祭りであることなどが簡易だが丁寧に綴られていた。


「お嬢さんには申し訳ないんだけど、仕事もあるからねぇ」

「そうですか。実は少し気になることがあって」

「お嬢さんかい?」

「いえ、リリアです。何かあったのだと思うのですが、そういったことはなかなかこちらからは聞けないものですから」


 リリアの様子と言われてアメリアには大体の想像がつく。そしてそれはアメリアもまた通ってきた道のりだ。今でこそ繁盛店のホロッホ亭を営むアメリアもまた、苦労を重ねてきたのだ。時を経て変わったものの、スタンテールでは未だに女性が店主として働くことは困難が多いのもまた事実である。

 だが、これはリリア自身が答えを見つけなければ彼女の力にはならないだろう。


「時代は変化を生むじゃあないか。お嬢さんも店を出したしね。未来が今の若い子にとってより良いものだと信じたいものだね」


 自らを振り返りつつもリリアたちを案ずるアメリアの瞳は優しい。そんな彼女の言葉にリアムは黙って頷くのだった。


*****

 


 帰宅しようとするナタリアをリリアは真剣な表情で止める。彼女にはどうしても相談しておきたいことがあるのだ。

 それは「ひなまつり」という喫茶エニシで行われる会食についてである。


「ねぇ、ナタリア。ひなまつりにあなた何を着ていくの?」


 問われたナタリアの方は不思議そうな顔でリリアを見つめる。


「何をって、こういう普段のような服装で行くが……私は冒険者だしな」


 ナタリアは喫茶エニシにリリアより訪れる機会が多い。それは彼女がバゲットサンドを冒険者ギルドへ卸すのを手伝っているからだ。

 そのため、どんな服装でと聞かれてもいつも通りとしか答えようがない。今まで、喫茶エニシであった催しにもナタリアはこの冒険者としての服装で臨んだ。

 服装に関して、恵真から特に何か言われたことはないのだ。

 だが、リリアは納得していないようでナタリアに訴える。


「だって、女の子のお祝いよ? 何着て行こうか考えて、私まったく決まらないの。ねぇ、どうしたらいいかしら」

「どのような服装でもいいと思うぞ」


 真剣に悩んでいるというのにナタリアの態度が素っ気なく感じられ、リリアは頬を膨らませる。そんな様子に気付いたナタリアは笑うが、リリアとしては重大問題なのだ。


「だって、せっかくエマさまの国のお祝いを私たちのために開いてくださるのよ? お呼ばれしたし、きちんとしたいって思うじゃない」


 リリアとしては恵真が開くその場にふさわしい装いをしたいのだ。そのためにここ数日、どんな服にするか、髪型はどうしようか。そんなことを繰り返し、考えるのだ。

 同席するナタリアに聞いてみようと思ったが、ナタリアは冒険者であり、その服装のままで行くと言う。聞く相手を間違えたのではとリリアは思う。

 そんなリリアにナタリアは首を傾げながら、再び話しかける。


「うん。リリアがそんなに楽しみにしているのなら、エマはそのことを喜んでくれるだろう。だから、どんな服でも問題ない」


 その言葉にリリアはハッとする。ナタリアの言う通り、ここ数日、リリアは服装を何にするかを悩んでいた。ひなまつりにふさわしい服装は、髪型はどうしようかということをついつい考えてしまうのだ。

 だが、リリアがこの会を楽しみにしていること、それ自体を恵真は喜ぶだろう。大事なのはどんな服装をまとうかではないのだ。


「そうね、ナタリア。私、気付いたわ」

「そうか。では、もう悩まなくっていいな」


 白い歯を見せて笑ったナタリアに、リリアもまた笑顔を見せる

 そう、リリアは重要なことに気が付いたのだ。


「いいえ! もっと悩むわ。だって何を着るか、どんな髪型にするか、そんなことを考えるのもわくわくして楽しいの! これは幸せな悩みだったんだわ!」

「そ、そうか。どちらにしても問題は解決だな」

「えぇ、明後日はナタリアも楽しみましょうね!」


 嬉しそうに自身の手を取り、ぶんぶんと振るリリアの姿に、よくわからないがどうやら解決したのだと助言したナタリアは安堵するのだった。



 その晩、リリアは一番好きな服を壁に付いたフックにかけて置いた。淡い生成りのワンピースドレスは裾に小さなフリルが付いている。華やかなフリルではないが、清楚なフリルはリリアが縫い付けたものだ。

 ワンピースドレスは木綿のシンプルなものだが春らしい。これを母が使っていたストールを肩からかけて、結んで留める予定だ。髪は編み込むか、そのまま流したままにするか、これは明後日の朝の髪の状況で決めようとリリアは思う。湿気で膨らんだら編み込むしかないのだ。

 ノックの音にリリアは返事をする。ドアをそっと開いた父は壁にかけられた服とリリアを見て、驚いたように立ち尽くす。


「父さん、どうしたの?」

「あ、あぁ。母さんのストールを出したんだな」

「ドレスに合わせたらいいかなって思ったの。変じゃない?」

「変なもんか。きっと可愛いぞ」

「もう、からかわないでよ」


 ポールが驚いたのは、リリアのワンピースドレスと妻のストールの組み合わせに、かつての妻の姿を思い出したからだ。

 壁にかけられたこの服のような組み合わせをリリアの母アマンダもよく好んでいたのだ。そのストールはかつてポールがアマンダに贈ったものだ。

 そんな装いを出来るようにまで、娘が成長したことをポールは感慨深く思う。


「ひなまつりっていって、女の子の健やかな成長を願うお祝いなんですって。お祝いして貰うなんて、なんだか少し恥ずかしいけれど、でもこんな機会ないから」


 そう言ってはにかむ姿は愛らしく、ポールはしみじみとリリアを見つめる。弱音を吐かないリリアが、どんなに努力をしているか、一方でどれだけ悔しい思いをしているか。それを一番近くでポールは見ているのだ。

 出来れば辛い道を選んでほしくない。そんな親心はリリアの意志の前に根負けした。リリアが望むこと、努力していることを見守ることにしたのだ。

 こちらを見つめる父の姿に、リリアはふっと笑ってポールに近付いてくる。エプロンのポケットに入れたハンカチを取り出し、父の頬をぐいと拭く。


「なんだい、急に」

「だって、父さんったら泣いてるんだもの」


 いつの間にか、ポールの目からはぽろぽろと涙が溢れていた。

 娘が無事に成長していること、母アマンダのストールが似合うだろうこと、葛藤を抱えながらも仕事に取り組むこと、そして明後日、その成長を祝って貰える。様々な感情がいっぺんに押し寄せ、気付かぬうちに涙となって溢れ落ちていたのだ。


 「ありがとう、父さん。私、父さんの娘で幸せよ」


 そんなリリアの言葉に、ポールは再びぽろぽろと涙を溢すのだった。



 









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