102話 ほろ苦く甘い柚子と約束


 冒険者の街マルティアの街は今、ある話題で持ちきりだ。数日後に迫ったその催しに誰もが期待し、どこへ行ってもあちらこちらでその話を耳にする。

 ここ喫茶エニシでも歌姫が街に再訪したというその話題で盛り上がっていた。


「歌姫ジゼルですか?」


 食器を片付けつつ、恵真はアメリアに尋ねた。

 今日、喫茶エニシに訪れたのはアメリアにバート、リリアにオリヴィエである。バートはいつものようにハチミツ入り紅茶を飲み、オリヴィエはソファーに座り、携帯食を取り出している。

 2人は歌姫ジゼルに興味はないようだが、アメリアとリリアは関心が高いようで恵真にしきりとその話を聞かせていた。


「そうさ、40年前にこの街に訪れた歌姫が再び街に来るんだよ。何やら40年前に、このマルティアに来ると約束した人がいるらしくってね。その約束を今果たそうとしてるらしいのさ」

「40年、長い年月を経た約束。それは話題にもなりますね」


 評判の歌姫が長年の約束を果たしにマルティアへと訪れる。確かにそれは皆、盛り上がるであろうと恵真も納得する。

 アメリアの隣に座ったリリアも興奮した様子でジゼルの情報を口にする。


「歌姫ジゼルは当時、『女神が与えた聖なる歌声』なんて呼ばれていたって私も聞きました。凄く可憐で可愛らしくって評判だったらしいんです」

「あぁ、そうさ。あたしも憧れたもんだよ。天才少女とも呼ばれていてね、そのときは13歳だったかねぇ。今も昔も各国を廻るスターってわけだね」


 恵真の暮らす世界にも同じように歌姫やスターがいて、各国を廻り公演を行っている。変わらない文化ではあるが、庶民では移動が素早くは行えず、情報も迅速には伝わらない。そんなこちらの世界ではさらに大きな出来事だろう。

 嬉々として話す2人の話を微笑みながら聞いていた恵真だが、バートの様子がおかしいことに気付く。何やら気まずそうに赤茶の髪を掻いているのだ。

 

「どうしたの? バート」


 グラスに水を入れに行ったアッシャーが首を傾げる。

 ちらりと恵真たちの方を見たバートは言葉を選びつつ話し出した。

 

「いや、護衛についた新人から聞いた話なんすけどね。あんまり評判良くないんっすよね、その歌姫さま」


 バートの言葉にアメリアとリリアは怪訝な表情を浮かべる。街では歌姫ジゼルは気高く高貴な女性であるともっぱらの評判であり、悪い噂など一つも聞かないのだから無理もない。

 バートもそう思ったらしく肩を竦め、また髪を掻く。


「あー、そうっすよね。でも、なんか前の街でも急に歌わないって言いだして公演が中止になったそうで、付き人も頭を抱えていたらしいっす」

「でも、ジゼルの券なら完売していたんじゃないのかい?」

「そうっすね。でもジゼルの気分次第でやらないこともしばしばあるって話っすよ。ジゼルも最近は機嫌がいつも悪いそうで、周辺はかなりピリついた雰囲気らしいっす」


 アメリアの問いにバートは頷く。彼女の人気は本物で、どこの街でもすぐに券は完売する。だが、その公演は無事行われるかは彼女の気分次第らしい。

 その話にアメリアもリリアも驚くばかりだ。


「バート、お前さんいい加減な噂を掴んだんじゃないのかい? 昔、あたしもジゼルの公演を観たことがあるけど、そりゃあ感じのいいお嬢さんだったよ。愛らしくってにこやかで」

「うーん、でも今はそんな感じらしいっすよ。まぁ、芸術家は感情豊かなものって言いますし、体調の変化に気持ちの変化、オレら素人にはわからない繊細な違いがあるのは当然っすよね」


 13歳当時のジゼルを知るアメリアは少しショックを受けた様子で、バートが気遣うようにフォローする。

 確かに40年も経てば人は変わる。芸術を生み出すものは繊細な感受性を持つとも言われることがあるのだ。

まして、その歌声で各地を巡る歌姫ならば、調子の悪さには人一倍敏感であろう。それゆえに、不調で悩むこともあるのではと皆が納得する。

 そんな話の最中に、突然今まで沈黙を保っていたオリヴィエが立ち上がる。いつもの通り料金をテーブルに置いたオリヴィエは、無言で店を後にした。

 

「オリヴィエのお兄さん、行っちゃったね」

「そうね、何か気に障るようなことあったかな」


 初めは素っ気なかったオリヴィエだが、店に足を運ぶようになってだいぶ変わった。アッシャーやテオにも話しかけ、時として笑顔を見せるようになったのだ。

 そんな彼が無言で出ていく姿は恵真やアッシャーにとっては気がかりである。

 オリヴィエが使った食器を片付けたテオは困ったような表情でキッチンへと帰ってくる。


「どうしたの? テオ君。何かあったの?」

「ううん、僕じゃないよ」

「え?」


オリヴィエが飲み終えた紅茶のカップを乗せた盆を持ったテオが、裏庭のドアをじっと見つめた。


「オリヴィエのお兄さん、凄く悲しそうだったから」


 その言葉に恵真とアッシャーは目を合わせる。

 突然去ったオリヴィエに理由もわからず、二人もまた心配そうに眉を下げるのだった。

 


*****

 


 華やかな装いの女性は椅子に座ると、疲れを一気に吐き出すかのようなため息を吐く。その苛立ちは部屋にいるすべての者に伝わるものだ。

 マルティアの街に着いた歌姫ジゼルは不機嫌であった。40年前とは変わった街並みは同じようにすっかり変わった自身と重なる。外見も声も心も、すべて変わった自分にジゼルはうんざりしていた。


「あぁ、気分転換に何か飲んだ方がいい! 喉にも乾燥は悪いっていうしね。お茶か何か頼めるかな、君」

「はいっ、今すぐに……」

「お酒にして頂戴。それも強めのがいいわ」

「ジゼル。それは、ほら、公演もあることだし」


 付き人サシャの言葉をジゼルは鼻で笑う。彼女は今の自分の歌声に満足がいかないのだ。

 「女神の与えた聖なる歌声」はとっくの昔に失われた。それでも、世間はかつての面影を彼女に求め、ジゼルは各国で歌い続けてきたのだ。

 だが、もう体も気力も限界が来ている。それが最近の彼女の評判の悪さの理由だ。感情的になり、自暴自棄に振舞う彼女を付き人のサシャがなんとか宥め、こうして興行を続けているが、成果は上々とは言えない。先の街では興行は中止となった。

 「今日は歌えない」そう言った彼女が楽屋に閉じこもって出てこなかったからだ。


「そうだね、仕方ない。君、お酒にしておくれ」

「は、はい。お持ちします」


 折れたのは付き人の方だ。彼女の機嫌を損ね、再び同じようなことが起きたらまた損害が出る。興行主に頭を下げるのは彼なのだ。

 深いブラウンの髪に手をやるジゼルの姿からは苛立ちが滲み出る。


「でも、ジゼル。皆、君の歌声を楽しみにしてるんだ。体には気を付けた方がいい。それに今回の公演は君にとっても思い入れの深いものだろう? なにせ幼い頃に約束した街に再び戻ってこれたんだから」


 そんな付き人サシャのそんな言葉にジゼルは形の良い眉をしかめる。彼女も人々の期待を知っている。問題はその期待される自分がもうすでに過去のものだという事実だ。

 40年前に再び会うと確かに約束した。だが、時は残酷だ。かつての自分を覚えている相手は今の自分を見て、歌を聴いてどう思うのか。それはジゼルの頭を離れず、街に訪れてからというもの、更に不安は募っていく。

 付き人のサシャと冒険者ギルドからの警護が同じ部屋にいることにすら、苛立ちを感じてしまうのだ。


「出て行って。お酒を呑んだら少し、眠るから」

「あぁ、長旅の疲れもある。ゆっくり休むといいよ」


 そう言って付き人サシャと警護の青年が出ていき、1人になった部屋でジゼルは鏡に映った自分を見つめる。映りの良い鏡は魔道具だろう。くっきりとジゼルの顔を映し出す。

 華やかな化粧と高価な装飾を身に着ける自分自身が、不快そうにこちらを見つめる姿に眉間の皺も深くなる。


「なによ。あたしだって大嫌いよ、あんたなんて」


 吐き捨てるように呟いたジゼルは首に巻いたストールを鏡に投げつける。広く贅沢な造りの部屋の中、ソファーに小さく丸まって歌姫ジゼルは眠りにつくのであった。



 

*****



 袋の中から恵真はころんとした小さな果実を取り出す。少し手の中で揉むと爽やかに香る。夏は青いものが、冬になると黄色くなったものが出回る柚子は冬至の柚子湯でも有名だ。

 

「あら、たくさん貰ってきたのね。いいのかしら?」

「うん。あまり多くっても使いきれないからって岩間さんは言ってたから。今度、お礼におかずを持っていこうかな」

「それがいいわね。でも爽やかな香りねー」


 香りと酸味を生かし、特に外皮を和食などに使われる。さっそく柚子を手に持ち、恵真は何に使うか考え出す。

 皮をすりおろして薬味に使ったり、汁物の椀に浮かべても良いのだが、酸味もほろ苦さもある柚子は加減も難しい。それにこれだけの量を貰ったのだ。他に出来る料理もあるのではないかと手の中の柚子を見ながら恵真は考える。


「どうせなら、皆で食べられるものがいいよね」

「あら、何かいい案が浮かんだの?」

「うん、甘いものにすれば皆が食べられるんじゃないかなって」


 柚子の爽やかさは格別の香りだが、そのほろ苦さはアッシャーやテオの口には合わないだろう。ちょうどこの時期に合う料理が幾つか恵真の中で思い浮かんだのだ。

 岩間さんから貰った袋を持って、キッチンへと向かう恵真の楽し気な後姿を見た祖母の瑠璃子は温かな紅茶を一口飲む。

 恵真の話から何か甘いものが欲しくなった瑠璃子がガサガサと棚を探すと、テトテトといつの間にかクロが隣にいる。ちょこんと座ったその姿は自分も何か貰えると信じて疑わないものだ。

 仕方なくクロのおやつも用意した瑠璃子は、ちょんとクロのおでこをつく。

 

「みゃう」

「あら、おやつはいらないのね」

「みゃう、みゃううん」


 キッチンからその姿を見た恵真は、いつの間にか親しくなった祖母とクロの様子に安心して料理へと取りかかるのだった。


 



 

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