101話 滋味滋養のすり流し 4
冷蔵庫から恵真が取り出したのはかぼちゃとじゃがいもである。じゃがいもは薄切りにし、鍋に入れてひたひたになるまでの水を入れ、顆粒の出汁と共に火にかける。もう片方の鍋にはかぼちゃを一口大に切り、こちらも顆粒の出汁を入れ、同じように茹でる。どちらも火が通ったのを確認した恵真は、じゃがいもとかぼちゃを鍋から取り出した。
ここで大切なのは茹で汁を捨てないことだ。
「ここからが重要なんですけど、具材をすり潰していきます。私の国ではこういう道具を使うんです」
そういって恵真が取り出したのはすり鉢だ。変わった形の道具を興味深そうにリアムたちは眺める。だが、似たような器具はマルティアにもある。薬や茶葉をすり潰すときに使う乳鉢だ。
「これ、僕見たことあるよ。でも、こんなに大きくなかったし模様もなかった」
「うん。お茶の葉っぱを細かくするときに使うのに似てます。ゴヤっていう木の葉っぱをすり潰すんです」
「よかった、やっぱりあるのね。薬草があるってことはきっと乳鉢もあると思ったの! これも目的は同じ。すり潰して滑らかにしていくの」
まず、米をすり鉢に入れ粉末状にして取り出す。次にすり鉢に湯がいたかぼちゃを入れ、恵真はそれをすり潰していく。途中で茹で汁を少量ずつ加えながら、徐々にそれを滑らかなペースト状にし丁寧に濾した後、粉となった米を加え再び鍋にかけて温める。
次は茹でておいたじゃがいもも洗ったすり鉢で潰していく。粗方潰れたら、同じようにを徐々に加え、滑らかなペーストにする。
こちらも丁寧に濾して、鍋に移して茹で汁を加える。こちらは牛乳を加え、塩で味を調え温める。それをグラスの器へと注いで完成だ。手間がかかったスープを恵真はリアムたちの前に置く。
「オリヴィエのお兄さんが好きなスープと同じ?」
「そうね。でも片方はミルクが入っていないし、ミキサーも使わないの」
「魔道具を使わないんですね」
テオとアッシャーが完成した2つを見つめ、尋ねる。
リアムもまた2人と同じようにオリヴィエが日頃、携帯食と共に食するスープを思い浮かべたが恵真は首を振る。どうやら、似てはいるが異なる料理らしい。
「似てるんですけど、ちょっと違うんです。これはすり流しっていう私の国に伝わる調理法なの。食材をすり潰して滑らかにしたスープで、季節の食材を使って作るのよ。どうぞ、食べてみて」
恵真の言葉にリアムたちはスプーンを手に取り、滑らかなスープを口にする。ほのかに温かなスープは心地よい甘みと舌触りでするりと喉を通る。
かぼちゃのすり流しは触感を程よく残しつつも、甘みを感じられる。じゃがいものすり流しは牛乳のまろやかさとその甘みもあり、優しく安心する味わいだ。
「かぶやにんじん、夏ならトマトや豆もこんな風にスープに出来るんです。リゾットを食べるまで体力が回復していない方にはいいんじゃないかなって思って」
「リゾットが食べられない者のためにですか?」
恵真の言葉にリアムが驚くが、頷いた恵真は少し眉を下げた。前回のリゾットの件で恵真は自分の力不足もまた感じたのだ。
「はい、これは回復途中の方に合う食事をと考えたものなんです。アクを取りつつ、出汁で煮てそれをすり潰す。これだと消化にも良いですし、様々な食材が使えます」
今回、恵真があえてゆで汁を捨てなかったのは調理法を少し変えたためだ。
顆粒だしのないこちらの世界に合わせ、始めから出汁で煮る方法を恵真は考えた。そこにさらに煮た野菜や肉、魚などからも風味が加わる。アクさえ丁寧に取れば味は悪くならないだろう。
「私はこの国の調味料に詳しくないので、今回は使えなかったんですが、それぞれのお好みで加えても変えてもいいと思います。食べる方のお好みに合わせるといいかと。あ、すり潰すのが大変ではあるんですけど、それは大丈夫でしょうか」
恵真の問いにリアムはまっすぐに恵真の瞳を見つめて答える。リアムからすればその答えは明らかだ。病の人々を案じ、その力になろうとする信仰会の人々ならばこの料理を歓迎するだろう。
彼らだけでなく、病気や体調不良のものがいる家庭でも、用いる材料が野菜やミルクならば費用の負担も少ない。
「いえ、彼らはその手間を惜しまないと思います」
「よかった。じゃあ、この調理法も使って貰えるかもしれませんね」
「使って貰える、ですか」
恵真の言葉にリアムは驚かされる。リゾットの調理法を聞き、リアムはそれで彼らの食生活の選択肢が増えると考えていた。消化はもちろん、米の方が価格が抑えられ、信仰会の負担が少なくなるのも大きい。
だが、恵真はその先、これから食する人々の体調や心を考えている。その結果、リゾットで満足せず、新たな料理をこうして用意してくれたのだ。
「どうでしょう? こちらの方にも受け入れられる料理になっていますか?」
期待のこもった目でこちらを見る恵真は、巷では黒髪の聖女と呼ばれている。だがその内面は、姿や魔道具、魔獣を連れる神秘性とはまったく異なる温厚さだ。
この国の文化や背景にも配慮して彼女は料理を考える。それはこちらの国の配慮であり、尊重からの行動だろう。
他国の異なる習慣に敬意を払えるのは高い教養と精神性の証であるとリアムは考える。このどちらをも持ち合わせているのは貴族の中でも多くはない。
人は皆、自分の環境を判断の基準として物事を見てしまうのだ。
「リアムさん?」
「えぇ、きっと喜ばれると思います」
「良かった! アッシャー君とテオ君はどう?」
問われた2人はうんうんと首を縦に振る。甘みが強く滑らかな食感のすり流しは、普段ポタージュを飲んでいる2人の好みにもあったようだ。
「凄い、ミキサーっていう魔道具を使わなくってもポタージュが作れるんですね」
「うん、ミルクを入れたらポタージュみたいになるの。少し時間はかかるけど、おうちでも作れるよ」
「ふふ、じゃあ皆もおうちでしみしみのパンに出来るね」
病や怪我で食事が摂れなくなれば、体力もそれに伴い低下していく。リゾットや麦を煮たものを食べられるようになるまでに回復せねば、彼らは食事を満足に摂ることが出来ずにいた。
だが、この料理はそういった者たちにも合い、費用もかからない。
「これでしたら、薬が入手しにくい者も回復へ近付くことが出来ます。食べる者に寄り添ったお考えですね」
薬草が手に入る立場でありながらそうでない者を想い、自国の料理を変え、新たな形を考えた恵真にリアムは感銘を受ける。
だが、恵真の次の言葉はリアムの想像していなかったものだ。
「薬草を使うことも考えたんですが、もし私がいなくなったら薬草が手に入らなくなりますからね」
「っ!」
「今後も料理が残るように。マルティアの人々に受け入れられて伝わっていくように、それが大事ですから」
そう微笑んだ恵真はドアの方に視線を向ける。どうやら、新たな客が訪れたようだ。アッシャーとテオはパタパタと接客の準備をし出す。
いつも通りの喫茶エニシの3人だが、リアムだけは予想外の恵真の言葉に戸惑うのだった。
*****
くつくつと小鍋で煮えているのは七草粥である。
七日を数日過ぎてはいるが、せっかくの行事だからと用意したのだ。
「はい、恵真ちゃん。春の七草はなんでしょう?」
「え、えっと。セリ、ナズナ、ゴギョウにハコベラ、ホトケノザ。あとは、スズナにスズシロ! これで7つだよね?」
指折り数えながら春の七草を言う恵真に、祖母の瑠璃子は頷く。
今回用意したのは、セリとスズナ(カブ)にスズシロ(大根)、そして大根の葉を入れた七草粥もどきだ。七日を過ぎて、スーパーにも七草は扱われていない。
仕方なく市販しているもので作ったのがこの七草粥もどきである。
「はい、正解。じゃあ、秋の七草は?」
「え、えっと、ちょっと待って! 秋、えーっと」
「冗談よ。さぁ、お箸と器を用意して」
七草粥、大根おろしをかけた豆腐のステーキ、白菜のおかか和え、漬物と健康的な食卓には理由がある。無病息災を願って作る七草粥は、正月の食事で疲れた胃を休めるためだとも言われる。
そのため、他の料理もそれを意識して作ったのだ。
「で、どうだったの? すり流しは」
「うん。信仰会の人にはリアムさんが伝えてくれるって。気に入って貰えるといいんだけどね」
「あちらの方の生活に合うかどうか。これはもう、どうなるかはわからないわ。やるべきことはしたのよ。それを誇ればいいのよ」
言い切る祖母の姿は長年の経験を感じさせるもので頼もしい。
確かに祖母の言う通り、恵真が作ったすり流しがマルティアの人々の生活に馴染むかは恵真の努力とはまた違うところにある。
料理がそこの生活に馴染み、広がっていくかは時代や人々の状況があるのだ。あとはもう恵真が出来ることはないだろう。
「ん、この和え物、味が薄くないかしら」
「ううん。ちょうどいいくらいだよ」
祖母の言葉に気が楽になった恵真は箸も進む。小さな黒猫は温かな部屋でウトウトとまどろむ。祖母と囲む食卓は今日もまた、いつものように和やかに穏やかに過ぎていくのだった。
恵真がリアムに伝えたリゾットは信仰会の配給で頻繁に使われるようになる。
その時々にある食材で作れる点や価格が抑えられ、温かな食事が多くの者に支給できるのが大きい。
そしてすり流しはその口当たりの良さで、別棟の人々にも好まれた。それまで固形の食事を受け付けない人々には、刻んだ野菜や麦を煮たものを出していた。だがそれは、回復途中の人の胃腸には些か負担が大きいものでもあったのだ。
すり流しはポタージュと呼ばれ、子どもや老人のいる家庭では重宝されるようになっていく。どの家庭でも作れることが広がっていった理由である。
体調不良や病で食事が出来ない人々が減り、病状の回復、何より食事を楽しむことで気力の面でも大きく変わっていった。
その功績を信仰会の者たちの行いだと信じている者は多い。
だが、彼らは口を揃えて言う。
「聖女が我々に力をお貸しくださったのだ」と。
その言葉を皆、比喩だと思うのだがそれは違う。
この街、マルティアには黒髪黒目の女性が今日も人々のために自身の力で創意工夫を凝らした料理を振舞っているのだ。
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