100話 滋味滋養のすり流し 3


 沈黙が続く部屋の中、ケインは黒髪の聖女の存在が事実なのだと理解した。

 貴族に向かぬまっすぐさを持つ教え子だが、どうやらその相手は彼が守るべき存在なのだろうとその師であったケインは察する。

 同時に黒髪の聖女と呼ばれる存在が実際に存在し、リアムから見ても問題のない人物であることも推測できた。

 エヴァンス家の人々は立場ではなく人を見る傾向にある。それは家庭教師時代に実感したものだ。

 

「いや、僕としては君の目から見てその女性が信頼できる方であったことだけで充分だよ。黒髪黒目の女性が現れたのは驚きだ。だが、その存在が利用されては困る。教会の元に行ってしまっては国が揺れる。いや、信仰を持つ国全てに影響を与えるよ。それもエヴァンス家であるならば安心だ」


 ほぅとため息を吐いてケインは静かに呟く。


「当家に信頼を寄せて頂いたことに感謝します。ですが―」

「うん。もちろん僕が勝手に思っているだけだよ。噂話から考えた、ただの推測だね。いや、おとぎ話に近いものだとすら思うよ」


 黒髪黒目の聖女の話はここ最近よく聞くものだ。喫茶エニシという魔道具だらけの店に、小さな黒い魔獣を従えた黒髪の聖女がいる。そして彼女は良質な食事を提供し、時として人々の悩みを聞くという。

 しかし、黒髪の聖女を求めてその店を探しても辿り着けるわけではないというのだ。それがまた店の神秘性を際立たせる。

 目の前のリアムに話しかけつつも、自分自身を顧みるかのようにケインは遠くを見つめる。


「そんな存在にはきっとおとぎ話のように夢を見て、期待してしまう。まだまだ僕は至らず弱いと黒髪の聖女の話を聞いたときに思ったものだよ。だから今日までその情報を避けてきた。怖かったんだよ、希望を失うのが」

「クラーク先生―」

「だがその御方は、君から見て守る必要があると感じられる人物なのだね。それだけで僕は今日まで歩いてきた信仰をまた信じて歩むことが出来る」


 信仰会の活動は教会のそれと比べ、地道で困難なものだ。人々に寄り添い、自分たちも共にあろうとする彼らの信仰への姿勢は、リアムから見ても清廉かつ真摯なものである。

 ケインたちを支えるのは信仰と彼らを必要とする人々の存在だけだ。そんなケインにとって突如現れた黒髪の聖女の噂は衝撃であっただろう。その存在に期待してしまうのも当然のことだ。

 期待をすれば、実際の存在がそうでなかったときに失望をする。信仰と共に苦難の道を歩んできた彼らにとって、それは絶望に近い。

 だが信頼する教え子のリアムが守るべき存在ならば、黒髪の聖女が信用に値する存在だと会わずして信じることが出来るとケインは言うのだ。


「ありがとう、エヴァンス君。恐れ、迷う僕に、君は吉報を届けてくれたんだよ。新たな食材と共にね。さぁ、厨房に案内しよう。その調理法をぜひ教えてくれるかい」

「えぇ、もちろんです。私も食べたことがあるのですが、味も良く食べやすいんですよ」


 古びた窓から差し込む冬の光は柔らかく2人を照らす。

 年月を重ね、成長を遂げたリアムと歩む道を変えた恩師ケイン。だが彼らの信頼は今、より確かなものとなっていた。



*****



「バートがそんなことをねぇ。でも、私が言いたかったことと同じよ。ふふ、気付かせてくれる人が恵真ちゃんの周りにはちゃんといたのね」

 

 帰宅した祖母に恵真が今日、喫茶エニシであったことを伝える。祖母は意外そうな表情をしつつもそのことを喜んでいるようだ。

 恵真は今、料理本を手に情報を集めている。ポタージュスープが良いのではという意見から料理を考えているのだ。

 帰宅した祖母に温かなコーヒーを用意して、恵真は再び本へと向かう。


「リゾットも消化にいいけれど、それを食べる体力や気力がない人にも合う食事がないかなって」


 恵真の言葉に祖母の瑠璃子も納得したように頷く。

 何気なく日々取っているが、食事というものは体調に好み、育った場所の習慣に日々の生活、様々な要素が根底にある。


「確かに病院食もその人の体調によって違うものね」

「体調が回復してきた人にはリゾットでもいいけれど、食事をやっと摂れるようになった人にはもっと違う料理が合うよね」


 どこかやりがいを感じている様子の恵真に祖母の瑠璃子は安心し、コーヒーを口にする。恵真が用意したコーヒーは少しミルクが入っていた。これは瑠璃子の好みに合わせたものだ。

 寒空の下、帰宅した瑠璃子にそれは確かな温かさが伝えてくれる。自分への気遣いを感じるのも食事の良さであるだろう。


「うん、バートの気持ちもわかるわね」

「ん、何?」

「ううん、ポタージュスープ。良い案だと思うわ。病気になったときにお粥を食べるでしょう? でもお粥にも種類があって全粥からおもゆまで、その人の病状や体調によって違うもの」


 一般に食べられる粥は全粥でその粒がしっかり残っている。これは健康な人が体調を崩した場合に食べられるものだ。

 だが、実際に病気になると粥の種類も段階によって変化する。胃腸の回復を徐々に進める場合には、本当に消化への負担のないものからとなるのだ。

 

「うん、リゾットをお粥に変えるのも考えたんだけど、まだお米に慣れない人だと抵抗が大きいよね。やっぱり、甘みがあって滑らかなポタージュ系の何かがいいかな。え、何? おばあちゃんにやにやして」

 

 向かい側に座ってコーヒーを飲みつつ、祖母は恵真の方を見て笑っていた。

 悩んでいた恵真が一転、いつものように意欲的に料理に取り組む姿に安堵したのだ。その姿は恵真らしさを取り戻したように瑠璃子の目には映る。

 

「食べる人のことを考える。ええ、料理を作る上で大事なことよね」

「うん。私、それを忘れてたなって。私に出来ることは料理で、それを喜んでもらうことが大事なのにちょっとブレてたなって思うの」


 そう言いながら恵真は料理の本のページをめくる。今回はスープを中心に和食、洋食の本を調べているが、そのなかで恵真は気になる料理を見つけていた。


「おばあちゃん、すり流しって和風のポタージュスープっていう考えでいいのかな?」

「すり流し。それはなかなか渋いとこに目を付けたわね」

 

 すり流しとは野菜や魚介をすりつぶし出汁で伸ばして、とろみをつけた汁物である。和食の伝統的な調理法の一つで懐石料理などでも提供される。ポタージュスープと違うところは野菜だけではなく、肉や魚など動物性のたんぱく質も材料となることだ。

 丁寧にすり潰すことで豆類など繊維質を含むものでも、消化の負担は軽減する。   

 滑らかな喉越しと食材の自然な風味を生かすその味わいは老若男女に受け入れられるだろう。


「すり流しの味付けはお出汁かお味噌なんだけど、シンプルにお塩かしら。でも恵真ちゃん、とろみをつける片栗粉はどうするの?」

「それはお米をすり潰したらどうかなって思ってるんだ。リゾットもリアムさんが紹介してくれているなら、信仰会の方にお米も食材としてあると思うの」

「お米、それはいいわね。消化にもいいし、甘みもあって使いやすいわ」


 すり流しから始め、リゾット、そして徐々に固形の食事にしていくことで負担が少なく回復に繋がる食事となるだろう。寒いこの時期は温かく、暑さで食欲も落ちる時期には冷たくすれば、より食べやすいはずだ。

 だが、もう一点祖母の瑠璃子には気になる点がある。それは野菜を滑らかにするための道具だ。今ここで作るのならばミキサーやフードプロセッサーが使えるが、向こうの世界ではどうなのだろうかと疑問が浮かんだのだ。

 それを尋ねると恵真もまた、その点は考えていたようで頷きながら答える。


「そこなんだけどね、日本だとすり鉢を使うみたいに海外でもそれに近い道具があるの。スパイスや薬、ペースト状にしたいときにはそれを使うから。きっと、香辛料や薬があるマルティアにもあるはずよ」


 そう言った恵真はキッチンへと向かい、冷蔵庫の中を確かめ始める。早速、試作品作りを始めたようだ。

 恵真が入れた自分好みのコーヒーをこくりと飲みながら、パタパタと動き出したその姿を眺める。楽しげな恵真の横顔に、瑠璃子もまた口元を緩める。

 裏庭のドアから始まった恵真の新たな生活は今年もまた、彼女を成長させていくのだろう。そんな予感に瑠璃子もまた胸を躍らせるのだった。



*****


 

 木々も葉を落とし、空もどんよりと曇った冬の日はいつのまにか心まで憂鬱にする。休暇明けで活気のない街並みを歩く人々もまた影響を受けているようで、いつものような賑やかさを感じることはない。

 そんな通りをリアムは1人歩く。その眼差しはまっすぐと前を見据え、目的の場所へと少し足早に向かう。

 先日、ケインに伝えたリゾットは信仰会で行う定期的な食料の配給にも適していると修道士たちも新たな料理として加えると意欲的であった。

 その報告をリゾットの調理法を教えてくれた恵真に早く伝えたいと、リアムは喫茶エニシへと向かう。

 数日ぶりに訪れた喫茶エニシのドアをリアムはそっと開く。昼をだいぶ過ぎた店内は客はおらず、後片付けをするする兄弟の姿と何やらキッチンで考え事をしている恵真の姿がある。

 

「あ、リアムさんだ」

「いらっしゃい、リアムさん」


 いつものように笑顔で声をかけてくるアッシャーとテオに笑みを返しながら、リアムは恵真へと視線を移す。熱心に何かを考えていた恵真はリアムを見て、満面の笑顔を向ける。

 黒い瞳は輝かせながら、リアムの訪れに喜びを示す恵真は彼の元へと駆け寄った。

 

「リアムさん! 来てくださったんですね。お待ちしてました」

「私を、ですか?」


 その理由がわからず戸惑うリアムだが、恵真は嬉しさに口元を綻ばせる。新たな料理をまずはリアムに確かめて貰い、その意見を聞きたいと思っていたのだ。

 

「はい。リアムさんにぜひ確認して貰いたいと思ってて。ここ何日かずっとこの事ばかり考えてたんですよ。あ、ここ座ってください!」

「え、えぇ。ありがとうございます」


 いつもより砕けた様子の恵真だが、伝えたいことはどうやら良い報告らしい。背中を押し、早く座らせようとする恵真の勢いに笑いつつリアムは席へと腰かける。

 そんな2人の姿にアッシャーとテオも笑って、2人の近くへと移動した。何やら恵真が新しい料理を披露する気配をアッシャーもテオも察したのだ。

 ブラウスの長袖を捲り、キッチンへと立った恵真は得意げに笑う。

 

「今、作りますからね!」

「えぇ、楽しみに待っておりますね」

 

 先に温かいほうじ茶を用意した恵真は背中を向け、キッチンに立つ。その背中を見つめつつ、恵真が今度は何を思いついたのかとリアムは口元を緩めるのだった。

 

 

 

 


 


 



 

 

 

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