99話 滋味滋養のすり流し 2


 今日は雪も解けたようで、窓の外はしとしとと雨が降る。

 喫茶エニシに訪れたオリヴィエは今日も携帯食をゴリゴリと食べていた。

 そんな様子を自分が食べているかのようにバートは顔をしかめて眺め、ハチミツ入りの紅茶を口にする。


 「あぁ、今日も優しい味っす。まったくあんなものをゴリゴリ食べられる人はどんな味覚をしているんすかね。オレみたいな繊細な味覚の者には理解できないっす」

 「聞こえてるよ。ボクは無駄が嫌いなだけ。味覚は優れているよ。君と同様、ここの紅茶の香り高さにも気付いているんだからね!」

 「そんなエグみの塊、平然と食べてる人と一緒にされたくないっす!」


 ムッとした表情のオリヴィエに背中を向けたまま、バートは再び紅茶を口にする。体調も回復したバートはいつも通り軽口を叩く元気が出てきたようだ。

 アッシャーとテオはそんな様子を気にした様子もなく、オリヴィエの元にも紅茶を運ぶ。

 この店にきて数か月、オリヴィエは携帯食以外のものも口にするようになった。今日もまた、いつものようにソファーに座り、紅茶と携帯食を楽しんでいる。

 そんな4人に恵真は今日聞きたいことがあるのだ。


 「このまえ、バートさんは体調が悪かったですよね。そういうときって皆さんお食事はどんなものを食べてらっしゃるんですか?」

 

 ここマルティアの人々が具合の悪いときに、麦を煮たもの以外にどのような食事を摂っているのかは恵真にとって気になるところだ。日本と他の国でも体調が悪いときの過ごし方は異なる。文化の違いはこんなところにも出る。

 マルティアの人々の病気や体調の悪いときの過ごし方や食生活を知ることで、彼らに合う食の形が見えてくるのではと恵真は思ったのだ。


 「うーん、この間は軽いスープっすね。余ったものを入れただけっすけど、それにパンをしみ込ませて食べたっす」

 「しみしみのパンだね! 僕たちもそれよく食べるよ。エマさんが作ったスープにしみしみにすると美味しいんだよ」


 パンにスープをしみ込ませる食べ方は確かに体力がなくなったときにも食べやすい。海外にはパン粥などにして食べる方法もある。消化の早いパンであれば比較的胃の負担も軽いはずだ。

 良い案だと思うが、それでは栄養が足りない点が恵真は気になる。リゾットもそうだが、胃が弱い人にも食べやすく回復に繋がる食事というのはなかなかに難しいものだ。

 

 「でも、体調の回復にはもっと栄養のあるもので消化も良くなきゃいけない気がするのよね」

 

 恵真が知る、病院での食事といえば、きちんと栄養管理士が必要な栄養のバランスを計算してその人の状態に合わせたものである。そういったものを恵真が作れるかというとそれは困難であろう。

 難しい顔をする恵真にバートが不思議そうに言う。


 「うーん、そりゃ『そんな気がする』だけじゃないっすかね。なんか、オレにはトーノ様の中の体調が悪い人への食事の考えが完璧なものを求め過ぎに思えるんすよね」

 「完璧なものを求め過ぎ、ですか? でも体調が悪いならより良い食事を食べてほしいなって思って」

 「うん、そりゃ正しいっす。でもちょっと違うんすよね。なんて言えばいいのか難しいんっすけど」


 正しいけれど違うという矛盾したようなバートの言葉だが、自分と異なるその考えに恵真は耳を傾ける。

 昨日の祖母の言葉もある。ひたむきになり過ぎて自分自身には見えなくなっていることがあるのではないかと思えたのだ。


 「例えば、この前ここで飲んだほうじ茶。あのときのオレには体に沁みる優しい味と香りだったんすよ。なんだか、安心するような疲れが癒されるような。でもあれはお茶で何かしらの栄養があるっていうわけじゃないっすよね」

 

 バートの言葉に恵真はハッとする。より良い食事でなければならない。そうでなければ回復には繋がらないと思い込んでいた。

 だが、リアムから受けた話は現在食べている食事よりも、リゾットが消化に良いのであれば紹介してもかまわないかということだ。リアムは許可を貰った後、いつもと変わらぬ穏やかな微笑みを恵真に向けていた。


 「バートさんの言う通りです。私、体に良いものを作ることを考えてばかりで食べる方の気持ちを考えていなかった。自分で勝手に目標を高く持ってました」

 「いや、もちろんトーノ様は今までも結果を残してると思うっすよ!」


 慌ててバートが言うが、恵真としては気付かせて貰えたことに感謝したい思いである。料理をする楽しさは恵真にとっての根本なのだ。


 「いえ、大切なのはまず食事を喜んでもらうこと。それが私にも出来ることです」

 

 香草を使えば回復の効果が見込める。そのため病に臥せる人へ提供する料理と言われて、より完成度の高いものを恵真は考えていた。その高い目標と過度な期待は他の誰が求めたものでもない。恵真自身が無意識に自分に課したものだったのだ。

 あの日、胃には紅茶より負担が少ないだろうと何気なく渡したほうじ茶にバートが安心したように、効果で全てが決まるわけではない。

 食事は体のためだけに摂るものではないのだ。そこに楽しみや喜び、驚きがある。恵真が料理をして喜びを感じられるのは、食べた者の笑顔がその先にあるからだ。

 

 「ありがとうございます、バートさん。私、大事なことを忘れていたようです。食事は体だけじゃなく、気持ちにも影響しますもんね。私、もう一度考えてみます」

 「そ、そうっすね! トーノ様ならきっと出来るっす」

 

 率直な恵真の感謝に照れたように笑ってバートは赤茶の髪を掻く。出過ぎたことを言ったとでもいうように目を逸らす姿に恵真もアッシャーもくすくすと笑う。

 そんなアッシャーの隣で、テオは目を輝かせながらオリヴィエに尋ねる。


 「オリヴィエのお兄さんもしみしみのパンとスープが好きだもんね。僕も好きだよ。エマさん、あれは病気の人でも食べやすいと僕は思う。それに美味しいんだもん」

 「オリヴィエのお兄さんでも食べられるなら、確かに食が進まない人にも食べて貰えるかもしれないですね」


 バートが体調不良でスープにパンをしみ込ませて食べた話から、テオとアッシャーがポタージュスープの可能性について話し出す。ソファーに座ったオリヴィエは紅茶のカップを手に肩を竦める。


 「……ボクを基準にして考えるのはやめてほしいんだけどね」

 「まぁ、無駄が嫌いで優れた味覚を持った方にも気に入って貰える食事なら確かにいいかもしれないっすね」


 自身の言葉をそのまま返され、渋い顔でオリヴィエはバートを睨む。バートは先程までの照れた様子はなく、いつも通りの軽口を叩く余裕さえあるようだ。

 そんな2人の様子を気にもせず、恵真はアッシャーとテオの案に目を輝かせる。


 「確かにポタージュスープは甘みも強くって滑らかで、お子さんでも食べやすいですね! いつも作ってるから気付かなかった……。うん、そうですよね。食事は楽しむことも大事ですもん。私に出来ることは料理を作って美味しく食べて貰うことですよね」


 日頃、恵真の料理を食べている彼らからの言葉で彼女の中にも新たなイメージが湧いていく。麦を煮た料理では消化もそうだが味の変化はない。味の変化、食感の変化は料理をより楽しむために必要なことだろう。

 誰のために、どんな料理を作るのか。病に悩む人々の治療に繋がることを恵真は考えていた。だが、それ以前に食事を摂る気持ちにさせることが出来なければならないのだ。

 恵真に出来ることは料理である。出来ることの中で最善を尽くすこと、それが裏庭のドアから始まったこの日々の中で続けてきたことなのだ。

 

 「そうっすよね。オリヴィエさんみたいなお子さんでも食べやすいっすよねー」

 「いいかい? 君、ボクはね、こう見えても王宮魔導師を―」

 「ふふ。エマさん、僕とお兄ちゃんの案を気に入ってくれたねぇ」

 「よかったなぁ、テオ」


 年明け早々、いつも通りの賑やかさを見せる喫茶エニシの面々、そしてその彼らに新たな意欲と変わらない自身の在り方に気付かされた恵真がいる。

 そんな彼らをちらりと深い緑の瞳で見つめた黒い魔獣は大きく口を開け、あくび一つして再びウトウトと眠りに落ちていくのだった。

 


*****


 

 信仰会の集会所に来たリアムをケインは笑顔で迎えた。小さく古いこの集会所に、先日再会して以来、彼は食料を持って足を運んでくれることがある。

 今日もまた食料を持ってきたリアムだが、それはケインも初めて見るものだ。


 「これが米かい。市場で話題になっていましたが実際に手にするのは初めてだよ」

 「リゾットという調理法があるので後ほど調理の方に説明を致します。柔らかく消化に良いので別棟の方にも食べやすいのではと聞いております」


 袋を開けると細長い白い粒が見える。脱穀してあるさらさらとしたその粒を触るケントは袋を閉じて、リアムに視線を移す。

 紺碧の髪と瞳を持つ少年は、立派な青年へと成長した。だが、その誠実な人柄と心は今も変わらない。

 こうしてわざわざ足を運び、新たな食材とその知識を伝えてくれたのだ。


 「―この知恵を与えてくれたのは黒髪の聖女と呼ばれている御方なのかい」

 「それは一体、どちらの情報でしょうか」

 「確かに、市場でも販売する際に作り方を教えてくれるそうだが、喫茶エニシという店でも食べたという人がいるらしいんだ。実際に存在するという噂を僕も聞いたよ」

 「噂というのは信憑性のないものです。先生はそのお話を聞いてどのように感じられましたか」


 リアムは恩師をじっと見つめる。信仰を持つ彼、ケインにとって黒髪の聖女と呼ばれる恵真の存在はどう捉えられるか、それがリアムにとっても気がかりであった。恵真のその姿や魔道具、側にいる魔獣クロによって神聖化される可能性もある。

 それは恵真はもちろん、リアムにとっても望むことではない。

 彼女と出会ったときより、周囲から利用されることも神聖視されることもないようにと願い、配慮してきたのだ。

 恩師であるケインと、特別視される黒髪黒目である恵真、どちらもリアムの中では信頼できる存在である。

 リアムはただ恩師であるケインの答えを静かに待つのだった。

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