96話 去り行く年と来たる年 3

 その晩、キッチンで祖母が用意したおせち料理の数々を見た恵真は感嘆のため息を溢す。

 ここ数日、手間暇かけて作った料理が全て完成したのだ。

 ふっくらと炊けた黒豆はツヤがあり、煮しめの飾り切りの人参やこんにゃくも美しい。いくらの醤油漬けも味を確認したが、いくら本来の甘みを保つバランスの取れた味付けだ。他のおせち料理も良い出来栄えである。

 どの料理も祖母の料理の腕の確かさを証明する味で、側で見ていた恵真としても勉強になることばかりであった。

 恵真も家族にパウンドケーキを焼いた。しっかりと洋酒の利いたフルーツケーキは実家にいた頃もよく作ったものだ。

 出来た料理をタッパーに詰める恵真に、驚いて祖母が止める。


 「恵真ちゃん、お重あるわよ。せっかくだからこっちに詰めたら?」

 「ううん。いつも通りのタッパーの方があの子たちも安心すると思うから」

 「あぁ、そういうことね。喜んでもらえるといいのだけど」


 納得した祖母は重箱にバランスよく料理を詰めていく。

 一の重には祝い肴の黒豆や数の子、口取りと呼ばれる紅白かまぼこやきんとんを、二の重には松風焼きや紅白なます、伊達巻などを入れる。三の重には煮しめを引き詰めて完成だ。もちろん恵真の分も皿に少量ずつ飾り付けた。

 この重箱入りのおせちと恵真のパウンドケーキを持って、祖母は明日向こうの家へと向かうこととなっている。

 

 「恵真ちゃん、電話するからね」

 「もう、心配しなくって大丈夫。大人なんだし、クロもいるんだからね」

 「みゃうん」


 任せておけと言わんばかりに胸を張って鳴くクロを片眉を上げる祖母だが、1人で過ごすよりずっと頼もしい家族だと恵真は思う。

 そんな恵真の心を知ってか知らずか、足元に来る小さな家族の頭を恵真は優しく撫でるのだった。


*****

 

 翌日の夕方、不機嫌そうなオリヴィエとそんな彼の姿に微笑むリアムが喫茶エニシへと訪ねてきた。そんな2人を恵真は椅子を勧める。

 今日は年内の喫茶エニシの最終日であり、アッシャーとテオの仕事納めでもある。昨日、いくつかのおせちを詰めたタッパーを恵真はエコバッグに入れてアッシャーに手渡す。

 

 「これ、良かったら食べて。祖母が作ったものなの」

 「ルリコさんが? ありがとうございます。このマフラーも助かってるんです」

 「今度会ったらお礼言いたいねぇ」


 アッシャーとテオには今日から4日の休みを告げた。冒険者ギルドの休みがちょうどそこに当たるとリアムから聞いて合わせたのだ。

 

 「じゃあ、気を付けてね。また来年よろしくね」

 「はい! 来年もよろしくお願いします!」

 「またね、エマさん」


 赤と青のマフラーをしたアッシャーとテオはにこやかに店を後にする。

 そんな姿を見ていたオリヴィエは未だに不機嫌そうにソファーに座っている。リアムはオリヴィエの近くに立ったまま、彼の表情を見て微笑む。

 

 「お招き頂いてその顔はないだろう? オリヴィエ」

 「これがボクの普段の顔だよ」

 「そうか? 最近は随分と表情も柔らかくなったとセドリックと話していたんだがなぁ」

 「本当に余計なことしか話さないね、あの男は!」

 「さぁ、こちらにどうぞ」

 

 恵真が用意した食事がそれぞれの席の前に置かれる。

 リアムは微笑んで、そしてオリヴィエはむくれながら進められた席へと座る。

 リアムの前には量の多い食事が、同じ料理を少なめに盛ったものが恵真の前に、そしてオリヴィエの前に置かれたのはポタージュスープとパンだけだ。

 相変わらず携帯食を中心に食事を摂るオリヴィエに恵真が配慮したのだろう。


 「今回のスープは2種類、かぶのポタージュとかぼちゃのポタージュなの」

 「……かぼちゃはこの前食べたやつだね」

 「うん、味はどう?」

 「……この前と同じ」

 「そっか、よかった」


 先日の冬至の際に出したとき、オリヴィエの反応が良かったのを恵真は覚えている。当のオリヴィエ本人は自分がその味を気に入ったという自覚がないらしい。

 だが、この前と同じということは褒められたと思っていいのだろう。

 恵真はほんの少し微笑む。何気なく目が合ったリアムもまた恵真を見て微笑み、こくりと頷く。

 そんな2人に気付かないオリヴィエはパンをスープにしみ込ませながら恵真に尋ねる。

 

 「そういえば、その魔獣は何を食べてるの?」

 「あぁ、確かにそれは私も気になっておりました」

 

 そう2人に尋ねられて、恵真ははたと気づく。

 どうやら本当に魔獣であるらしいクロだが、恵真はずっとキャットフードを与えている。当の本人もまた気にした様子もなく、今もむしゃむしゃと恵真が与えたエサを食べているのだ。

 2人に何と答えてよいかわからなくなった恵真は言葉を選びつつ説明する。

 

 「えっと、その専門の食事が開発されていてそれを食べてますね。うん」

 「そこまで魔獣の研究が進んでいるのですね」

 「えぇ、まぁ健康は大事ですから。この食事もこの子に合わせたものなんです」

 「みゃ」


 嘘を吐かないように事実を述べた恵真の答えにリアムは驚く。

 魔獣という希少な存在の研究がそこまで進んでいるのは、恵真の国では魔獣が他にもいるという事なのだろうか。与える食事も希少な魔獣であれば、手をかけるのは当然だとリアムは思う。

 実際のところ、その希少な魔獣クロが食べているのは、スーパーで買った低脂肪タイプのエサである。小柄な割に食欲旺盛なクロの健康を危惧した恵真は、最近はそちらを購入している。

 そう、恵真は嘘は言っていないのだ。


 「で、いつこの魔獣と出会ったの?」

 「私が小さい頃だね。あ、名前も私が付けたんだよ」

 「名前も君が!?」

 「え、うん。真っ黒だからクロって付けたの」

 「それは凄いね……」


 てっきり安直な名前を付けたことを揶揄われると思った恵真だが、オリヴィエは真剣な表情になる。魔獣に名を付けられるのは魔獣が自分より上位と見なした者、あるいは自分にとって価値があると思った場合のみだ。

 前者はオリヴィエが能力を診断したときに赤ん坊と同じ程度の力しかない恵真では当てはまらないだろう。では、後者のこの魔獣にとって恵真が価値のある存在という事になる。

 そのどちらかだと考えたオリヴィエだが、もう1つ当てはまる条件に気が付く。それは、オリヴィエの診断に現れなかった能力が恵真にある可能性だ。

 魔獣であるクロの瞳を見れば、オリヴィエとの力は明らかである。守るべき対象である彼女の能力を隠すことも出来るだろう。

 

 「みゃう」

 「ダメです。ごはんはもうありません」

 「みゃう、みゃう!」


 追加の食事を強請る魔獣を恵真が軽くたしなめる。その様子は完全に魔獣を使役しているように見えた。不服そうにしながらも魔獣は恵真の指示に従っているのだ。

 

 「この関係性は興味深いね」

 「え?」

 「いや、まぁ今日来た意味はあったと思うよ」


 魔獣と恵真の関係、恵真に秘められた恵真の能力の有無、どちらもオリヴィエにとっては来た価値があると言えるものだ。

 オリヴィエの言葉にぱあっと恵真は表情を明るくする。渋々訪れたオリヴィエから来た意味があったという言葉が聞けたのだ。

 そんな2人のほんの少しの行き違いに気付いたリアムだったが、嬉しそうな恵真の姿と喫茶エニシに関心を持つオリヴィエ、その関係性を好ましく思うのだった。



 窓が曇っているところを見ると、だいぶ外は冷えるのだろうと恵真は思う。

 温かな部屋の中でいつのまにかクロはソファーの上でごろんと丸くなっている。祖母と一緒に飾り付け、せっかくなのでと片付けなかったクリスマスツリーは部屋の中に華やかさを加えていた。

 そしてその隣にあるチェストの上に飾られているのはアッシャーとテオが描いた恵真の絵だ。それを見たリアムがアッシャーとテオのそのときの様子を恵真に教えてくれる。


 「2人とも真剣な様子で、私にもどう描くのがいいか教えてほしいと」

 「なんて答えたんですか?」

 「見たものを感じたまま描けばいいと言いました。あれはあの子たちが見て感じ取ったトーノ様のお姿なのでしょうね」

 「そう、でしょうか」


 飾られた絵の中の恵真は微笑んでいる。そう、アッシャーとテオと出会ってから笑うことが増えたことに恵真は気付く。

 去年の今頃、自分がどう考えどう暮らしてきたか、恵真はそれを明確には思い出せない。おそらく仕事に追われていただろうというぼんやりとした感覚しかない。

 だが、この春からは違う。アッシャーやテオに教わり、リアムとバートの手助けがあり、喫茶エニシという場所が出来た。

 その思い切った決断も、料理が好きだということを思い出させてくれた2人の兄弟や周囲の人々のおかげだと恵真は感じている。

 今年の春からあった出来事はどれも鮮やかに思い出すことが出来るのだ。


 「まぁ、子どもの目は正直だって言うしね。あの2人なら尚更なんじゃない?」


 背伸びをした発言をするオリヴィエはスープの皿を空にした。

 初めは携帯食しか口にしないと言っていたオリヴィエは、パンと共にスープを完食したのだ。今日、この場で携帯食を口にしていないことに彼は未だ気付いていないらしい。

 思わず驚いてオリヴィエを見つめる恵真だが、そのときドアの外でがたんと大きな音が立つ。念のため、鍵をかけたドアを何者かが無理やりこじ開けようとしているのか、ガタガタとドアが動くのだ。


 「下がって」


 普段より低い声を出すオリヴィエの深い緑の目がドアを睨む。

 その手には静かに魔力が込められていく。


 「待て! オリヴィエ、落ち着くんだ」


 制止するリアムの声も低く、高まる緊張感に恵真は何が起こったのかと不安を抱き、裏庭のドアを見つめるのだった。

 

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