97話 去り行く年と来たる年 4
ドアの外からは相変わらず大きな物音が聞こえている。
その小さな手の中に魔力をためていくオリヴィエに再びリアムが制止した。
「オリヴィエ! ここに来られる人間は限られているんだ。そのうえで―」
「そうだよ。そのうえでこんな不躾なことをする奴はボクには1人しか思い浮かばないね」
「……なら、少しは手加減してやれ。トーノ様、ご安心ください。あれはトーノ様もご存じの者です。私が鍵を開けてもよろしいですか」
「え? 私も知っている人ですか? えっと、この時間に来そうな人でお2人も知っている人……? わかりました、鍵を開けてあげてください。外はだいぶ寒いでしょうから」
リアムやオリヴィエにとっては不躾なあの男にはもう少し寒い思いをして貰っても構わないのだが、騒々しいうえに恵真も不安になるだろう。恵真の許可も下りたところで、ドアの鍵を開けてやることにする。
ため息を吐きながら、リアムが鍵を開けるとよく知る男がドアを開けて豪快に笑った。
「よぉ! 悪いな、遅れた!」
「そうか、やはり既に吞んでいたか。流石にお前でも素面でトーノ様にこのような無礼を働いたわけではなかったか。いや、安心したぞ。セドリック」
うっすらと頬が赤く機嫌の良さそうなセドリックの肩の雪を払いながらリアムが言う。オリヴィエはげんなりとした表情を隠そうともしない。
そんな2人に満面の笑顔でセドリックは話しかける。
「仕事が終わったのですぐ参ろうとしたんだが、途中でホロッホ亭にも寄ることになってな。彼らもこちらに向かっている」
「シャロンには声をかけたのか?」
ギルド長のセドリックを補佐する副ギルド長のシャロンももちろん、今日は共に職務を行っていただろうとリアムが尋ねる。
「いや、あいつはあいつで自由に過ごしたいだろ? 俺だってそのくらい気を使える」
「はは、流石だね」
オリヴィエが魔法を消滅させながら笑い、リアムはある意味で気の利かない友人に呆れる。同時にリアムは聞こえてくる声で彼が連れてきた人物に見当がつく。セドリックはホロッホ亭に寄ったというのだ。おそらくはあの2人であろう。
「トーノ様、申し訳ないのですが、どうやら少し賑やかになりそうです」
「え?」
リアムの言葉に聞き返した恵真にも賑やかな声が聞こえてくる。声の主はバートとナタリアだ。楽しそうな2人の声に恵真は冷蔵庫の中身を思い出し、今から何を
用意しようかと考えだすのだった。
*****
「いやぁ、最後にトーノ様のところにご挨拶をしたいってことになったんすよねぇ。あ、これはアメリアさんが作った料理っす。ご自身で作ったもの以外の料理も食べたくなるもんっすよね」
「うわっ! ありがとうございます。嬉しいー、あ、まだ温かい!」
もしゃもしゃと恵真が用意した食事を旨そうに口にするバートの姿からは説得力がないが、話自体は事実である。ホロッホ亭でナタリアと吞んでいたバートだがセドリックが立ち寄り、恵真の元へ行くと聞いて持ち帰り用の料理をアメリアに頼んだのだ。
アメリアの料理に相好を崩す恵真の肩を、酒のせいか機嫌の良いナタリアが抱き寄せる。
「エマ! 今年は世話になったな。お前のおかげで我々冒険者を取り巻く環境は随分と良くなった。初めは委託された仕事に戸惑ったんだが、バゲットサンドを運ぶ仕事は私にとって誇らしいものに変わった」
「誇らしい、ですか?」
「あぁ、高価で不味い携帯食に比べて、味も良く値段も買いやすい。冒険者たちは喜んでいるし、時として怪我をすることで引退せざるを得ないこともあるんだ。その可能性が低くなるバゲットサンドを運ぶことで、多くの冒険者が私にも声をかけてくれるようになった。エマのおかげだよ」
少し照れくさそうに話すナタリアにセドリックもタオルで頭を拭きながら同意を示す。オリヴィエに魔法で小さな水球をぶつけられたのだ。少し酔いも醒めたのか、セドリックも真面目な顔で頷く。冒険者ギルド長である彼もまたバゲットサンドの恩恵を受けた一人である。
「えぇ、感謝したいのはこちらの方です。トーノ様のおかげで薬師ギルドとの関係は良好となりましたからな。冒険者ギルドとしても喫茶エニシの存在は大きなものです」
それぞれ独立した組織であるギルドはその自主性も強い。言い換えれば、勝手な者が多いのだ。対立こそしないが何か有事がなければ協力することもない。
それが恵真の薬草をきっかけに冒険者ギルドと薬師ギルドの関係が深まった。
「何より、ここに来ると旨い飯が食べられるってのが大きいっすよね。ついつい足を運んじまうっていうか、安心感があるっていうか」
わしゃわしゃと赤茶の髪を搔きながらバートが恵真から視線を逸らしながら笑う。その言葉通り、バートはハチミツ入りの紅茶を飲みによく店に顔を出す。だがそれは自分たちの様子を案じてのものでもあるだろうと恵真は感じている。
「人々の食生活も少しずつ変化をしております。皆の言う通り、薬草の影響はトーノ様の思ってらっしゃるよりも大きい。ですが、何よりも私がトーノ様に感謝しているのはアッシャーとテオのことです」
その言葉に反応したのは恵真よりもバートだ。リアムの方をじっと見て、口をきゅっと引き締める。彼もまた同じ思いを抱いていたのだ。
「私やバートの力添えでは家族の状況をあれほど自然に変えることは出来なかったでしょう。でも、あなたは違う。外から来たあなたが、本当にあの子たちの力を必要としたことでアッシャーとテオの生活は変わっていけたのだと思います」
黒い瞳でまっすぐとリアムを見つめた恵真だが、その言葉に首を振る。
リアムの言葉は嬉しいが、本当に礼を言いたいのは恵真の方なのだ。
「私も、変わったんだと思います。アッシャー君やテオ君、皆さんと出会って。大人になってこんなこと言うのはおかしいかもしれないけれど、少し成長できたんじゃないかなって」
「大人になっても成長は出来るんじゃない?」
恵真の言葉に答えたのはオリヴィエだ。いつものソファーに座りながら、深い海のような緑の瞳は恵真を見つめる。その幼い外見に反し、言葉にはどこか説得力がある。
「人間は年齢で物事を考え過ぎだね。成長する機会は大人になってもなくならないよ。それに気付くか、出会えるかはそれぞれによるってだけでね」
「そうかな」
「そうだよ。少なくともボクの経験上はそうだね」
まだ幼いオリヴィエに諭されるのもおかしなことだと思う恵真だが、その言葉はすんなりと恵真の心に入ってくる。
実際に年齢によって知らず知らずのうちに求められる形とその窮屈さを恵真もまた感じていたからだ。
「オリヴィエの言う通りです。私たちは日々、成長もしているはずです。だからこそ、歳を重ねることに意義もある。経験を重ねるからこそ、学んで成長していけると私は信じたいです」
「そうですね。そうありたいと私も思います」
大人になっても成長する。少しおかしな表現かもしれないが、そう信じることで日々の中で見えてくるものも違ってくるように恵真には思える。
身近にもアメリアや祖母の瑠璃子など、先を歩む人々もそこにいる。その人々の姿や在り方に恵真もまた学ぶことが多くあった。
裏庭のドアから始まった不思議な出会いの数々にそっと感謝をしながら、集まった人々に恵真は微笑むのだった。
*****
翌日、誰もいない部屋の中で恵真はキッチンを掃除する。
祖母は昨日のうちに恵真の両親の元へと向かっており、今日は恵真1人だ。普段よりゆっくり起きようと思った恵真を起こしたのはクロである。いつもと同じ時間に起こされた恵真にとって、1人で過ごす時間は長く感じる。
そのため、大掃除は済んでいるのだがこうしてキッチンとダイニングを中心に丁寧に掃除をしている。
最後に磨くのは裏庭のドアだ。このドアもまたキッチン同様、恵真の生活を支えてくれている。そんな感謝の思いを込めて丁寧に拭いていく。
「いつも守ってくれてありがとう」
無論、その言葉に裏庭のドアが答えることはない。
だが、ほんの少しだけ恵真の目には誇らしげに輝いて見えるのだった。
夕方になり、恵真は1人で茹でたそばを食べる。
掃除した後は特にすることも見当たらず、新年に向けて入浴したりテレビを見たりもしたのだが時間がやけに長く感じる。
いつの間にか、恵真にとっての日常が変わっているのだ。日中はアッシャーやテオたちと喫茶エニシで過ごし、こうして夕食の時間は祖母と共に会話を楽しみながら食事をする。そんな日々を過ごす恵真にとって1人でいる時間は長く、そして少し寂しさを感じさせた。
去年の恵真であれば考えられないことである。
「それだけいつも誰かが側にいてくれるんだよね、ありがたいことだなぁ」
「みゃう」
「あぁ、ごめんごめん。そうだね、クロもいてくれるもんね」
不満げに鳴くクロを抱き上げ、恵真は笑う。クロはすぐ機嫌を直したようで恵真の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。
そんな小さなクロが与える温もりに、恵真は再び誰かが近くにいてくれることに感謝するのだった。
時刻はそろそろ0時に近づく。恒例の歌番組やお笑い番組などをチャンネルを変えながら、ぼんやりと眺めつつ時間を過ごしていた恵真のスマホが鳴る。母たちからのテレビ電話である。
画面に映る家族の顔を見た恵真は再びクロを抱き上げ、画面越しの家族に見えるようにする。
「あら、クロちゃんも元気そうね」
「うん、今日も食欲旺盛。皆はどう?」
「おばあちゃんたちはもう休んでもらったわ。あ、そうだ恵真。お母さんから聞いたわよ」
「え、何?」
内心でどんな話が祖母からいったのだろうと動揺しながらも恵真は母に尋ねる。
母は少し嬉しそうに恵真を見つめる。
「恵真がいるから張り合いが出ていいって。出来ないことは手伝って貰えるし、もう少し一緒にいてもらえると助かるって言ってたわ。お願いしてもいいかしら?」
「も、もちろん! 私も今の生活が合ってるみたい」
祖母の瑠璃子が恵真がこれからもこの家で過ごせるようにと先手を打ってくれたのだろう。恵真はそっと心の中で祖母に感謝をする。
裏庭のドアから始まったこの日々の中で恵真には様々な気付きがあった。離れたからこそ気付く家族の優しさ、共に過ごすから気付く祖母の細やかな愛情、誰かを頼ることも自分もまた誰かの力になれることも恵真は気付けたのだ。
久しぶりに見る母の顔をじっと恵真は見つめる。母の後ろには父や兄もいてこちらを不思議そうに見つめていた。
「ありがとう、いつも」
「え」
目を大きく開く母に恵真は笑って見せた。それはかつての家族を安心させるための笑顔ではなく、ごく自然に出たものだ。
そんな恵真の微笑みを見た家族にも笑顔が広がる。
「今年は凄く良い年だったんだ。来年もそうなるといいなって。うん、なる気がするんだ」
「そう、そうね。きっとなるわ」
「あぁ、そうだよ。来年はもっと良くなるんじゃないか?」
「父さんも母さんも言い過ぎだよ。恵真が穏やかに過ごせればそれでいいよ」
「ふふ、お父さんもお母さんもお兄ちゃんもありがとう。そう思う気持ちが大事だもんね」
そのとき、テレビの中で除夜の鐘が鳴り響く。
先程までの時間は昨年となり、今このとき新たな年を迎えたのだ。
「あけましておめでとう」
「あけましておめでとう」
新たな一年の幕開けに、恵真の心は高鳴る。
今年もまた良い年になるだろう。そんな予感を抱きながら、ウトウトし始めたクロを優しく恵真は撫でるのだった。
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