94話 去り行く年と来たる年 


 冬になり、夜は一段と冷える。深夜には再び雪が降るという。

 恵真は温かなほうじ茶を祖母から受け取った。ホッとするその香りを楽しむ恵真に祖母が尋ねる。

 

 「恵真ちゃん、年末年始だけどどう過ごす?」

 「年末年始か。どうしようかな」

 「皆、恵真ちゃんの顔が見たいんじゃないかしら」


 そんな恵真の目にすやすやと眠るクロの姿が映る。下にはふんわりとしたブランケットを敷いてその上でころんと丸くなって気持ちよさそうだ。

 だが、クロを連れては行けない。恵真の父や兄には猫アレルギーがあるのだ。

 

 「でも、クロがいるし」

 「そうね、じゃあ私が家に残ろうかしら」

 「それはダメだよ。おばあちゃんは皆に会ってきて? 私はお正月が終わった後の休みの日にでも顔を出すから」

 

 そう言われた祖母の瑠璃子だが、納得した様子はない。眉を下げ、困ったような表情の祖母に恵真は首を振る。祖母に気を使って譲ったわけではないのだ。

 恵真にはもう1つ、帰らない理由がある。


 「お店のこともあるでしょう? だからここにいた方がいいんだ。おばあちゃんは皆に会ってきて。旅行に行った後、お土産を渡しに行ったっきりでしょ」

 「そう? じゃあせめて食事くらいは同じものを摂りましょうよ。今年はおせちを作るわよ!」

 「え、大変じゃない?」


 おせちというのは小さな重箱に何品も作らなければならない。金額も時間もそれなりにかかるものなのだ。

 そんな恵真に祖母は笑って言う。


 「あら、迎える方はもっと大変なのよ。恵真ちゃんのお母さんばかり働かせちゃ悪いし、私も何か持って行かなくちゃ」

 「そっか、じゃあ私も何か作ろうかな」

 「あら、いいじゃない! きっとあちらのおばあさまも喜ぶわよ。私ばかり恵真ちゃんのご飯を食べてちゃ申し訳ないものね。よし、これで決まりだわ!」


 楽しそうに笑う祖母につられて、恵真もまた微笑む。

 パタパタと忙しくなる12月は師走ともいう。教師が走るほど忙しいという言葉の意味を幼い頃の恵真はわからずにいたが大人になった今、しみじみとわかる。

 だがクリスマスから年末にかけての独特の華やかさもまたこの時期の魅力だ。

 部屋に飾られたクリスマスツリーは祖母が押し入れから出してきた。幼い頃、恵真と兄のために買ったものだ。大人二人で飾り付けてクリスマスが終わった今も、可愛いしもったいないからと祖母がそのままにしている。

 そんなツリーと楽し気な祖母の姿を見ていると、恵真もほんの少し今年の年末が楽しみになるのだった。

 


*****

 

 窓の外にはちらちらと雪が舞う。

 そんな今日、喫茶エニシにはバートとリアム、そしてオリヴィエが訪れている。いつもの紅茶にハチミツを添えて出すと、バートの表情が明るくなる。

 アッシャーは食器を機材から流れ出るお湯で洗っている。その様子を見ていたリアムも内心ではまた驚いていた。かすかに湯気が出ているということは間違いなく温かいのだろう。何気なく使われた魔道具の存在にリアムは祖国での恵真の地位の高さに気付かされる。

 そんなことには気付かない恵真はにこにこと2人に尋ねる。


 「マルティアでは今年の最後をどう過ごされるんですか?」

 「そうっすね、家族と過ごす奴が多いんじゃないっすかね。オレたち兵士や冒険者は酒場で過ごすなんてのが結構多いっすけど。ね、リアムさん」

 「そうだな。ネンマツネンシという考えを女神さまがお作りになり、聖女様方が広げられたそうです。家族や友人と過ごし、その時期は新しい年に向け気持ちも新たにせよと伝えられておりますね」

 「へ、へぇ、年末年始ですか」


 ほとんど現在の年末年始と変わらない考えをかつての女神と聖女が広げたらしい。   

 確かに風習でもあるがそれは彼女たちもまた休日が欲しかったからなのではと大人である恵真は推測してしまう。

 

 「そうなんっすよ。ネンマツは華やかに、ネンシは静かに過ごすんすよ。だからアメリアさんやリリアちゃんなんかは今年最後の稼ぎ時って気合入れてるみたいっすね。ネンマツ最終日なんかは盛り上がるんすよ」

 「な、なるほど」


 どうやら商魂たくましい一部の人々は知らず知らずのうちに年末商戦の習慣まで取り入れたらしい。それは女神さまたちも予想外であっただろうと恵真は思う。

 年末最終日に盛り上がるのは恵真の知る古くからの大みそかの過ごし方とはまた違うが、最近はそういう過ごし方も増えている。どうやらマルティアの人々の過ごし方はそちらに近いようだ。

 

 「トーノ様はどう過ごされるご予定ですか?」

 「あ、実はバゲットサンドのことを聞きたかったんです。お店を開けるかどうかもこちらの習慣に合わせた方がいいかなって」

 

 この国の一般的な休みになるかの確認はもちろん、喫茶エニシで働くアッシャーとテオの予定や、冒険者ギルドへ卸すバゲットサンド、薬師ギルドへの薬草の問題などもある。恵真は自分が勝手に休みを決めることは難しいと考えたのだ。

 そんな恵真に微笑みながらリアムは提案する。


 「そうですね。セドリックや薬師ギルドのサイモン氏にも話を伺う必要がありますね。早めに2人に連絡を取り、その結果をお伝えしますね」

 「よかった。よろしくお願いします」

 「まぁ多分、最終日は休みにしても問題ないと思うっす。冒険者ギルドも休みに入るんすよね。ネンシもそうなんじゃないっすか? リアムさん」

 

 バートの言葉にリアムも頷く。バゲットサンドの販売には魔法誓約書が関わっている。その点が恵真と喫茶エニシの休日の問題なのだが、冒険者ギルドの運営が休みであれば当然卸す必要はない。

 そのことを伝えると恵真の表情が明るくなる。


 「じゃあ、年末年始はアッシャー君もテオ君もハンナさんとゆっくり出来るね」

 「え、えっとその、いいんですか?」

 「うん、あ! お給料とか心配? お仕事あった方が良かったりする?」

 

 喜んでいた恵真は2人の給金のことを思い出して、休みが良いとは限らないのではと不安になる。アメリアやリリアのようにこの時期に頑張って働こうという者がいるのだ。2人もそう思っていたかもしれないと恵真は気付く。

 そんな恵真に慌ててアッシャーは手を振って否定する。


 「いえ! お給金を頂けるようになって生活も安定してきたんです。だからお休みもありがたいです」

 「本当? それじゃ良かった」


 一喜一憂して忙しい恵真をソファーに座ったオリヴィエは携帯食を齧りながら眺める。喫茶エニシで過ごす時間は彼にとってなかなか有意義でもある。湯の出る魔道具や無防備に隣で眠る魔獣、わたわたと忙しい店主を見ていれば飽きずに済むからだ。

 

 「それじゃ、皆さんは年末をアメリアさんのところで過ごされるんですか?」

 「そうっすね。ネンマツの数日間はオレは毎年ホロッホ亭っすね。リアムさんはどうするんすか?」

 「俺は特に予定もないし、宿で過ごすよ」

 「地味っすね。女神さまも聖女さまもおっしゃったとおり、パーっと盛り上がらなくていいんすか?」

 「俺だけじゃない。オリヴィエだってそうだろう?」


 突然振られた話につまらなそうにオリヴィエは頷く。賑やかに騒いで酒を吞むよりも、宿でゆっくり魔導書でも読んだ方がずっと良いと彼は思っているのだ。

 だが、そのつまらなそうな表情を見た恵真はハッとする。

 10代の少年が宿で1人っきりで過ごす。街が盛り上がる中で、それはきっと寂しくつまらないものであろうと。

 恵真は勢いよく、リアムとオリヴィエに提案する。


 「それじゃ、年末最終日は3人で過ごしませんか? あぁ、もちろん遅くまでじゃなくって大丈夫ですよ。オリヴィエ君は暗くなる前に帰った方がいいし。うーん、夕方くらいからでどうでしょう」

 「……え、嫌なんだけど」

 「じゃあ、最終日の前の日! それならどうかな。ほら、ちょうどお店も最後の日だしちょうどいいでしょ」

 「いや、そういう問題じゃないし。あぁ、そういうことか」


 思いついた名案に嬉しそうな恵真にオリヴィエは頭痛がするかのように指を頭に添える。恵真の勘違いに気付いたのだ。

 確かに少年であれば、宿に一人きりという事は寂しさを覚えることであろう。恵真の思いは当然だ。だが、オリヴィエにそれは当てはまらないのだ。

 それにはまず自らが156歳であることから説明を始めるしかない。それもまた、オリヴィエにとっては負担が大きい。

 恵真やアッシャー、テオはそのことをまだ知らないのだ。

 それを知って彼らの態度が変わってしまうかもしれないとオリヴィエの中には一抹の不安がある。居心地よく感じるこの空間を手放したくないという思いがいつの間にか彼の中に芽生えていたのだ。


 「……で、それって断ってもいいの?」

 「断ったら私とリアムさん2人っきりですよ? 寂しいですよ、ねぇリアムさん」

 「せっかくのことだ。お前も来なさい。オリヴィエ」

 

 そういうリアムは恵真の勘違いに気付いているのか、笑いを堪えている。10年来の友人であるリアムやセドリックはこのようにオリヴィエが子ども扱いされているのを楽しむ節があるのだ。


 「はぁ? リアムまで?」

 「決定ですね! オリヴィエ君は何か食べたいものはある?」

 「……携帯食」

 

 敢えてそう答えたオリヴィエだったが恵真は嬉しそうに笑顔を見せる。不思議に思うオリヴィエにアッシャーとテオの声が聞こえてきた。


 「じゃあ、オリヴィエのお兄さん来てくれるんだね」

 「うん、エマさん嬉しそうだな」


 深いため息を吐くオリヴィエに堪えきれなくなったリアムがついに笑いだす。

 そんな中でバートはホロッホ亭で過ごすと言ってしまったことを静かに悔やむ。ホロッホ亭の食事も旨いが、喫茶エニシでの食事もまた美味である。年末最後のその料理を逃したことに気が付いたのだ。

 頭痛がするかのように指を頭に添えるオリヴィエとバートの姿を見たリアムは、それぞれの異なる後悔の原因を察し、笑う。

 来客の予定も決まり、店の最終日にどんな食事を作ろうかと恵真は近づく年末を楽しみに思うのだった。

 

 

 

 

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