91話 とある依頼とパンデピス 4


 「常識がないにも程があるよ! リアム、あの子どうなってるの!」


 驚きと心配で憤るオリヴィエをリアムはちらりと見て肩を竦める。

 恵真が用意した菓子は予想外ではあったが、依頼に誠実に対応しようとした結果である。何より、目の前で笑う恵真の姿や味を確かめ感涙するトレヴァーの姿を見れば、それが間違っているとも思えない。


 「……あのような方だからこそ、俺たちがお守りする必要があるだろう」

 「そりゃそうかもしれないけどさ」

 「頼むぞ、オリヴィエ」


 オリヴィエの小さな肩にリアムの大きな手がぽんと置かれる。急に置かれた手に驚くオリヴィエだが、リアムはこちらを見て微笑んだままその手をどかそうとはしない。むっとしたオリヴィエだが、その手を振り払う気にもなれないのだ。


 「別にボクはボクの意志で動いているだけだから」

 「……そうか、ありがとう。オリヴィエ」

 「?」


 リアムの言葉にきょとんとした表情のオリヴィエは、自分の言葉の意味に気付いてはいないようだ。恵真に協力するのは自らの意志、そう言っていると自覚のないオリヴィエにリアムは笑ってその小さな肩をぽんぽんと叩くのであった。


*****


 王都のグラント侯爵家の別宅には今日、人が集まってる。招宴が開かれるのが理由だが、今までそのようなことがなかったため、呼ばれた側の様子もどこかぎこちない。

 そんな会場で微笑みを絶やさないのがシャーロットだ。華やかな会場に負けないくらい人目を惹くその佇まいは同年代の子どもたちでは太刀打ちできないだろう。

 隣でにこやかに笑う当主メルヴィンも職務に誠実で、関係を今後も築いていける人物である。

 シャーロットが体が弱いという噂も一目見れば払拭できるものだ。侯爵と力が近い家の者たちはもちろん、伯爵家以下の者たちは色めき立つ。

 娘シャーロットの周辺を固める人物はまだ選ばれてはいないのだ。


 「皆さん、本日はグラント家の会に来てくださいました。幸い空も我々に味方して、冬だというのに温かな日です。きっと我々を女神も祝福してくださったのでしょう。さぁ、皆さん。共に女神に祈りを」

 「すべての恵みは女神とともに」


 父であるメルヴィンの挨拶をきっかけに人々は食事にも目を向ける。料理もまた豪勢で手が込んでおり、この会への意気込みを感じられるものだ。

 特に中央にある菓子に目が集まる。二層になったそれは季節の果実が浮かび、美しい。初めて見る菓子に驚く者たちに侯爵家の使用人が皿によそい、差し出す。

 だが、そこにはかすかな緊張感が走る。

 前回の茶会でシャーロットは命を狙われたとの噂もあるのだ。

 そんな客人の心の内を察したシャーロットが皿をとる。


 「信頼できる者たちが責任を持って作っております。今回の料理は侯爵家がすべて責任を持ちましょう。そして、それを私がまず証明いたします」


 そう言ってシャーロットは料理を口にした。少女がこくりと飲み干すのを見た客人から安心したような空気が伝わってくる。


 「そのような不信をグラント侯爵家に抱いている者はおりませんでしょう」

 「えぇ、そんな不遜なことはここにいる者は思いませんわ」

 「そうですね。私の考えすぎですわね」

 「娘が申し訳ない。さぁ、皆さんお楽しみください」


 そう言って笑うシャーロットの目が見極める側の眼差しをしていることに気付く者は少ない。出来の良すぎる娘に内心でため息を吐きながら侯爵は笑みを浮かべる。

 会場は一気に和やかな雰囲気に変わった。このすべての料理に卵が使われていないことに気付く者はいないだろう。

 集まる人々に挨拶をするメルヴィンは合間を見て小声で娘に話しかける。


 「お前も何か食べておいで。今日の料理はすべて安全だ」

 「ですが、私は招待した側。いらした方に挨拶をしなければ」


 年齢以上に落ち着いた娘にくすりとメルヴィンは笑う。そういいつつもシャーロットの視線はちらちらと菓子の方に向いていたからだ。

 娘の従者と侍女を見極めるための会ではあるが、彼女にとっては数年ぶりの華やかな場である。少しくらい楽しんでほしいという気持ちがメルヴィンにはあった。

 

 「マーサ、シャーロットを頼むよ」

 「はい、お嬢様。参りましょう」

 「え、えぇ」


 令嬢らしくだがほんの少し早足で歩く小さな後姿をメルヴィンは微笑みながら見送るのだった。

 


 「美味しい。このお菓子、どれも美味しいわ」

 「ようございました。旦那さまがお嬢さまのためにご用意されたものです」

 「えぇ、お父さまから聞いたわ。でも本当にお菓子が食べられるなんて。他のお料理も美味しいわ。お父さまやトレヴァーたちのおかげね」

 「まぁ、もったいないお言葉です。きっと厨房の者たちも喜びますわ」


 父であるメルヴィンだけでなく、使用人であるトレヴァーたちにまで気が付くそんなシャーロットにマーサは柔和な笑みを向けた。

 以前の茶会であのようなことがなければ、シャーロットには既に優秀な従者や侍女をつけていただろうと、マーサとしてはなんとも歯がゆい思いである。

 今回の料理にも飾りつけにもそんな使用人たちの意気込みが感じられるものだ。

 

 「ねぇ、マーサ。あのお菓子はケーキよね? トレヴァーが言ってたの。私にも食べられるケーキが見つかったって。本当に私でも食べられるのかしら」

 「えぇ、問題ないと聞いております。ご不安ならば料理人に聞いて参りますが」

 「いいえ。招いたこちら側がそのようなことをすれば、来客が不安になるわ」

 「かしこまりました」


 幼いながらも聡明なシャーロットの言葉にマーサは従う。

 他の菓子よりも素朴な風合いのそれに近づくシャーロットたちだが、その前には先客がいた。親子であろうその二人は些か派手だが流行を押さえた服装をして、真剣な様子で菓子を見つめる。

 

 「どう思う? エイダン」

 「どうってこんな香辛料をふんだんに盛りつけた菓子、見たことないぜ?」

 「あぁ、だが俺ら以外にそのことに気付く奴はいない。存外、貴族っていうのはぼんくら揃いなのかもしれねぇな」

 

 貴族が揃ったこの集まりでの話とは思えない言葉使いに驚くマーサだが、周辺には誰もおらずこの会話を聞いていたのもシャーロットたちだけらしい。

 他の貴族は目を引く華やかな菓子や料理に夢中のようだ。

 すると、歩いてくるシャーロットに気付いた父親らしき人物が大げさにシャーロットに礼を取る。


 「はじめてお会いいたしますわね。あなたは、ニューマン男爵家の方とお見受けしましたわ」

 「これはこれは、本日の主役でおられる小さなレディ。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私のような者をご存じとはその聡明さに驚くばかりです。ニューマン男爵家の当主フランクリン、そしてこちらは息子のエイダンです。さぁ、レディにご挨拶を」

 「……俺はエイダンです。お会いできて光栄です」

 

 仰々しいその態度を気にせず、シャーロットはちらりと菓子を見る。そんなシャーロットの視線にフランクリンは気になっている点を尋ねる。


 「こちらはグラント家の料理人が用意したものですか?」

 「えぇ、多くはそうなりますね」

 「なるほど。やはり聡明なお嬢さんですね」

 

 卒のないシャーロットの答えにフランクリンは内心で舌を巻く。

 おそらくこの菓子はグラント家の料理人が作ったものではないのだろう。だが、彼女はこの菓子ではなく、全体を指して言う事で嘘もまた言っていないのだ。言質を取られないように論点をずらす令嬢はにこやかな笑みを崩さない。

 この菓子は他のどの料理よりもグラント侯爵家の力を現している。そして、事前に仕入れた情報など当てにならないほど、その娘は優秀だ。


 「私の息子はあなたさまと同い年です。正直、あなたさまほど聡明ではありませんが使える男になるでしょう。そして、貴族として歴史の浅い我が家ですがその分、しがらみもなくそして商売にも長けております。そんな我々をお近くに置くのも悪くはないかと」

 「私ではなく、お父様におっしゃればいいわ」


 シャーロットの言う通り、父メルヴィンの前には大勢の貴族たちが息子や娘を取り入って貰おうと囲む。

 そんな姿をちらりと見たフランクリンは鼻で笑う。息子のエイダンもまた同じように呆れた視線を彼らに送る。


 「私たちは先程のあなたの行動や発言を見て、あなたではなく侯爵さまに話をしに行くような奴らとは違う」

 「!」

 「おい、口には気をつけろ。……ですが、私も同感ですな。さて、エイダン。その菓子を切り分けなさい」


 そう言ってフランクリンは息子に菓子を切り分けさせる。慌てたマーサを止めて、シャーロットは二人の様子を観察する。くせっ毛で華やかで洒落たこの親子は貿易で名を挙げた新興貴族だ。そんな彼らを揶揄する言葉も貴族たちにはあるようだが、シャーロットもまた噂とはあてにならないものだと思う。

 この華やかな会でもっとも贅を尽くした料理がこの一見地味な菓子、パンデピスなのだ。そのことに気付くだけの才が彼らに、まだ同年代であるエイダンにもある。そして何より彼らは父メルヴィンではなく、自らの主人がシャーロットだという本質に気付いているのだから。

 エイダンから手渡された皿に入った素朴な菓子をシャーロットは口にする。

 質の良いハチミツの豊潤な甘さとライ麦の素朴な味わい、そして数種類の香辛料の風味が一体となった菓子はその見た目以上に重厚な味わいである。


 「凄いな。こんな菓子、食べたことがない。一体どれくらい香辛料を使ってるんだろう」

 「教えては貰えないだろうけど、また作って貰うことは出来ると思うわ。……あなたが今後も私の元にいればね」

 「え! それって……!」

 「バカ! 確かめるな! ありがとうございます! 我が子エイダンがシャーロット様につかせて頂けるとは何たる幸運でしょう。あぁ、これも女神のお導きでしょうな!」


 あえて周囲に聞こえるように息子が従者に選ばれたと言うフランクリンに呆れるシャーロットだが、この男が優秀なのは違いない。そして驚きつつも嬉しそうに笑うエイダンの姿は邪気がなく好ましいものだ。

 優秀で計算高いがわかりやすい男と側に置いておきたいと思える素直な少年、敬遠していた会を開いた価値を見つけたシャーロットは父メルヴィンを見て微笑む。

 男爵家の息子エイダンはメルヴィンも目を止めていた人物で、シャーロットの判断に問題はない。シャーロットとエイダンがパンデピスを食べて微笑む姿に、メルヴィンは安堵するのだった。



 この会をきっかけにグラント侯爵家とその娘シャーロットの評判は一変する。侯爵家の今後の安定はシャーロットの健康が証明したのだ。

 何より、彼女の聡明さとグラント侯爵家の財を示した料理の数々が話題となった。冷たい菓子や香辛料をふんだんに使った菓子は侯爵家の財力や人脈あればこそだろう。侯爵家は優れた料理人を抱えていると評判になる。

 この会の成功には王都に程近いマルティアの街の小さな店が関わっているのだが、そのことを知る者は少ない。グラント侯爵家の人々は恩人を守るため、真実を伏せたのだ。

 そして恩人トーノ・エマもそんな評判を知りもせず、今日もまた喫茶エニシで人々を笑顔で迎えている。

 

 

 

 

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