90話 とある依頼とパンデピス 3


 風呂上がりに冷たいアイスティーを飲みながら、紙を真剣に見て恵真は悩んでいる。その紙には幾つかの菓子の名が書いてみたがどこかピンと来ないのだ。

 そんな様子に祖母が不思議そうに尋ねる。


 「あら、何か問題でもあるの? メインは冷たいお菓子にするんでしょう?」

 「うーん、それなんだけどね。数品思いついたんだけど、それだけじゃ物足りない気がして」


 編み物をしていた祖母はその手を止めて、恵真の元へと来る。以前より編んでいたそれはだいぶ編み進んだようだ。

 恵真の書いたメモを手に取った祖母がその内容を読み上げる。


 「ビスケット、クラッカー、ふるふるの牛乳プリン、果実のゼリー。これじゃダメってこと?」

 「うーん、果実のゼリーを二層仕立てにして季節の果物を入れて華やかにしようと思ったんだけど」

 「あら、いいんじゃない? パーティーっぽいわよ」


 祖母の言葉にも恵真の表情は変わらない。確かにそれをメインにしようと考えてはいるのだが、恵真の中でしっくりこないのだ。

 軽くつまめるビスケットやクラッカー、柔らかい牛乳プリン、そして二層仕立てにした果実のゼリー。確かにどれも問題があるわけではないのだが何かが足りない。


 「やっぱりケーキなんだよねぇ」

 「あぁ、それはわかるわ」


 華やかな場での菓子と言えば、やはりケーキが思い浮かぶ。だが、その多くは卵を使うのだ。今回、恵真が選んだビスケットやクラッカーも多くのレシピでは卵を使用する。洋菓子のレシピは卵を使うものが多いのだ。

 今回、恵真に依頼があったのもそんな難しさがあってだろう。


 「ビスケットやクラッカーは別として、牛乳プリンも果実のゼリーも冷たくって柔らかいでしょ? 何か違う触感や風味のお菓子を入れたいんだよね」

 「違う触感ねぇ。んー、でも難しいんでしょ?」

 「そうなんだよね。なんとか卵を入れないように考えてるんだけど、ケーキだとやっぱり必要なんだよね」


 そう言って恵真は再び紙とにらめっこだ。その様子を少し心配しながらも、祖母である瑠璃子は恵真の姿を嬉しく思う。好きな料理を誰かのために作る、そんな恵真の姿は瑠璃子の目に生き生きとして映るのだ。

 だが、気分転換も必要と祖母はテレビをつける。ちょうどクリスマスの特集で内容も明るいものだ。祖母は恵真に話しかける。


 「あ、ほら恵真ちゃん。クリスマスマーケットですって。この時期になると華やかな話題も増えるわね」

 「クリスマス……」

 

 そう言われて恵真がテレビに視線を移すと、楽しげな光景が目に入る。

 クリスマスマーケットはドイツなどヨーロッパの各地で開かれる。クリスマスを前に様々な雑貨や飲食品を扱った市が出るのだ。オーナメントなどのクリスマスの飾り、温かな飲み物などクリスマスを前に華やいだ雰囲気が伝わる光景は気分転換に最適だろうと瑠璃子は思う。

 だが恵真の反応は予想とは違うものだ。


 「それだ! それがあったんだ!」

 「な、何、恵真ちゃん! 急に大きな声出して、何があったのよ?」

 「うわー! おばあちゃんありがとう!」

 「えぇ?」

 「よし、作ろう。今から試作してみよう!」


 嬉しそうにこちらを見る恵真の姿とテレビの映像を交互に見る瑠璃子だが、恵真の喜ぶ理由は全くわからない。だが、悩んでいた事柄にどうやら何か案が出来たのだろうと察し、瑠璃子は安堵する。

 さっそくペンを手に持ち何か紙に書きだす恵真を見て、編み物を再開しようとした瑠璃子の目には毛糸をちょいちょいとつつくクロの姿が目に入る。都合悪そうに「みゃう」と鳴くその姿に瑠璃子はくすくすと笑うのだった



*****

 

 

 翌日、恵真は昨日準備しておいたその生地を冷蔵庫から取り出した。少し茶い色がかったその生地は今回の会でメインの菓子にするものだ。

 オーブンシートを敷いた型に流し、温めていたオーブンに入れて焼いていく。その姿をアッシャーとテオがわくわくした様子で見ている。


 「エマさん、それがお菓子になるの?」

 「うん、ホットケーキと同じで膨らんでお菓子になるのよ」

 「楽しみですね。なんて言うお菓子ですか」


 アッシャーの問いかけに恵真はにっこりと笑う。

 昨日、祖母がつけたテレビでちょうど流れていたクリスマスマーケットの光景で思い出した菓子があったのだ。それはフランスの郷土菓子の一つで卵を使わないものもある。クリスマスの市場ではこれが販売されると恵真は聞いたことがあったのだ。


 「パン・デピス。ハチミツとライ麦粉を使ったお菓子なの」

 「卵は使わないの?」

 「うん。卵は使わないでハチミツとライ麦粉、それとスパイスとあとは水か牛乳かな」


 そのシンプルな材料にアッシャーもテオも驚く。

 通常、ケーキを作るには卵やバター、粉に砂糖と様々なものを必要とする。そのため、庶民には手が届かないものなのだが、恵真が今あげた食材は香辛料以外、どれも身近な食材だ。

 同時にアッシャーは不安にもなる。


 「食材が庶民に近過ぎると、貴族の方には受け入れて貰えないかもしれません」

 「そうね。だから香辛料も入ったパンデピスにしたの。香辛料は貴族の人にも人気だって聞いたから。あとは他にもちょっと考えがあるんだ」

 「考え、ですか?」

 「そう、パンデピスは材料はシンプルなんだけど、そのぶん香辛料やハチミツの味が楽しめるお菓子だからそこを生かしたいんだよね」


 フランスの郷土菓子であるパンデピスの材料は恵真の言う通り、シンプルなものだ。ハチミツ、粉、スパイスに水分、それを混ぜ合わせて一晩ほど寝かせ焼き上げた菓子である。

 今回、恵真が作ったのはライ麦粉を使用するパンデピスである。

 卵を使わないが、そのぶんハチミツや粉の風味、そしてスパイスの味を楽しめる菓子なのだ。アッシャーの言う通り、香辛料以外の材料は庶民でも手に入るだろう。

 今日は依頼の件でリアムとオリヴィエ、そして依頼人を代表して料理人であるトレヴァーが訪れる。数品を試作して、彼らにも試食してもらおうと恵真は他の菓子も作ろうと意気込むのだった。



*****


 

 「こ、これは……」

 「会のお菓子をいくつか試作してみたんです。ご依頼に沿うものになっているか味や見た目を確かめて頂きたくって」


 そう言った店主の声を聴きながらトレヴァーは自分の目を疑う。

 正式に当主メルヴィンの許可を貰い、依頼した料理の味を確認しに来たトレヴァーだが、依頼した菓子はどれも素晴らしい見た目だ。ビスケットやクラッカーは小ぶりでありながら焼き色も美しい。茶にも酒にも合いそうで、男女問わず好まれるだろう。

 白いふわふわとした菓子は冷たいものであろうか。そもそも冷たい菓子というのが魔道具や魔法使いを必要とする。これもまた貴族たちは喜ぶだろう。

 二層になった果実のゼリーは鮮やかで会のメインを飾る菓子になるだろう。こちらも冷たい菓子で高級感があり、今までに見たことがない。

 このどれもに卵が使われていないのだ。美しいだけでなくシャーロットは安心して口にすることが出来る。

 当主メルヴィンが見つけ出した料理人トーノ・エマの実力にトレヴァーは感嘆の声を漏らす。


 「これは、素晴らしいです。これらの一切に卵が使われていないとは! きっと旦那様もお嬢様も喜ばれます。ご店主様のご協力に心から感謝致します!」

 「ありがとうございます。でも味も確かめてくださいね」

 「あ、も、もちろんです!」

 「ふふ」


 驚きつつも喜ぶトレヴァーの姿に恵真は安心したように微笑む。

 そんな姿を見るリアムとオリヴィエは少し渋い表情だ。不思議に思ったアッシャーとテオがそんな2人に尋ねる。

 

 「美味しそうなのに何か問題でもあるの?」

 「そうだな。確かに素晴らしい出来栄えだ。だからこそ、この件をきっかけにトーノ様にご注目が集まらないか気がかりでな」

 「リアムさんはエマさんのことになると心配性だよね」

 「まったく常識がないよ! 貴族相手にそこまでしなくって良いのに」


 かつて王宮魔導師であったオリヴィエは貴族に良い印象を抱いていないようで、並んだ菓子を前に不機嫌そうに言う。

 だが、リアムが得ている情報ではグラント家は公正で高潔である。

 今回のこともギルドを通じ、正式な依頼として受けたものだ。リアムが案じているのは招宴で評判になった場合、この菓子を作ったものが誰なのかが話題になるという点である。

 その菓子を作った当の本人はにこにこと微笑みながらトレヴァーに話しかける。


 「もう1つ作ったお菓子があるんです。気に入ってもらえるといいんですが」

 「まだあるのですか!」


 驚きの声を上げるトレヴァーだが、恵真の言葉にリアムとオリヴィエは視線を交わす。最後に持ってくるというのだ。これ以上に豪華で目を引く菓子なのではないかという予感が2人によぎる。

 リアムとオリヴィエはそんな予感が当たってほしいような当たってほしくないような複雑な思いで、キッチンへと嬉しそうに向かう恵真を見送る。


 「ねぇ、まだあるってどういうことさ?」

 「わからん。だが、最後に出すという事は特別なものなのではないか?」

 「……ボク、嫌な予感がするんだけど」

 

 不安げな2人に反し、アッシャーもテオも嬉しそうである。2人は今日、焼きあったそれを見ているのだ。それが良いものだと確信を持っている。

 だが、そんな2人の表情を見るリアムとオリヴィエはさらに不安が増す。それほど良いものであれば貴族の会にも相応しいのだが、リアムはもちろんオリヴィエもまた内心では恵真たちを案じているのだ。

 そんな2人の前に菓子を持った恵真が現れる。


 「パンデピス、卵を使わないケーキなんです。これならお嬢さんも安心して食べられますね」

 「あぁ、感謝します!」

 

 嬉しそうに笑う恵真と感動するトレヴァー、そんな姿を見たリアムとオリヴィエは一瞬言葉を失う。恵真が持ってきたその菓子にはドライフルーツやナッツと共に香辛料も大胆に飾られていたのだ。 

 これが恵真の言っていた考えである。香辛料がこの菓子の決め手でもある。ふんだんに使ったスパイスを上にもドライフルーツやナッツと共に飾れば、華やかな会でもメインを張れる菓子になると恵真は考えたのだ。

 確かに華やかな場にそれ以上にふさわしい菓子はないだろう。

 そう思いながらも、毎回予想を超えてくる恵真に驚くリアムであった。

 



 


 

 


 


 

 

 

 


 

 

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