83話 秋の実りの収穫祭
「収穫祭、ですか?」
喫茶エニシへと訪れたリリアたちから伝えられたのはこの国スタンテールの収穫祭が間近に迫るという話だ。恵真の住む世界でも各国に秋の実りを祝う祭りがある。国や地域によって違いはあるが、秋が恵みの季節なのは共通認識だ。
リアムにナタリアとリリア、そしてアメリアも訪れた喫茶エニシでは穏やかな時間が流れる。
「あぁ、秋の恵みとその恩恵をもたらした女神に感謝するんだ」
「その恩恵を多くの人に振舞うことで女神への信仰を示すっていうのが始まりだったみたいでねぇ、あたしらみたいな商売は店を出して普段の腕を競い合うのが定番なんだよ」
ナタリアと休憩がてら訪れたアメリアの話に恵真は賑やかになりそうだと思いつつ、紅茶を差し出す。
昼休憩の時間を過ぎた喫茶エニシではどこかゆったりとした時間が流れる。ソファーに座るクロも窓から入る秋の日差しを受け、心地良さそうである。夏と違い、秋になってクロは窓側に行くことが増えた。最近は食欲もさらに増している。秋を十分に満喫している様子だ。
そんな空間で一人頬を膨らませるものがいる、リリアである。
「教会は古い粉で作ったパンを配布するんです! 備蓄していた粉を処分するためなんですよ? 女神に最も近い場所にいるのに」
「そんなもん今に始まったことじゃあないよ。まぁ、職人として働くお前さんの気持ちもわかるけどねぇ。誰かが助かるのもまた事実さ」
自身もパン屋として働くリリアであれば、パンへの気持ちはひとしおであろう。だが、アメリアの言う通り、その支給で助かるものもいるのだ。リリアもそんな事情を知っているため、頬を膨らませつつもそれ以上は言葉にしない。恵真の入れた紅茶を一口こくりと飲んだだけだ。
「皆さんも出店するんですか?」
「はい! 私の家ではエマ様に教わったクランペットサンドを普段より価格を下げて出そうと思っているんです」
「アタシの店はじゃがいも料理を考えているんだよ。値段も手頃で皆が買えるだろう? アルロは米料理、いつもはわたあめを作ってるルースもその日は手伝いをするらしいね。おや、どれもお嬢さんの影響じゃないか」
そう言って笑うアメリアだが、恵真にはもう一つ考えている料理がある。じゃがいも料理を普及させるために考えたときは、じゃがいもの価値を上げることとその料理を普及させることが目的であった。そのため、限られた材料で作る必要があったのだ。その料理は採用されずに終わった。
だが、繁盛しているアメリアのホロッホ亭ではその点を考慮する必要がなくなる。近いうちにそれを紹介しようと考えていたのだ。
「ふふ、じゃがいも料理ならおすすめがありますよ。アメリアさんのお店は油はたくさんありますよね」
「あぁ、もちろんさ。でもこれでまたお嬢さんへの借りが増えちまいそうだねぇ」
「それで、恵真は何を作って参加するんだ?」
「え、私ですか? んー、楽しそうなんですけどね。人手や材料の問題もあるのでもう少し考えてからかなと」
ナタリアの言葉にリリアやアメリアもどこか期待したような瞳で恵真を見つめる。
なぜか皆、恵真が収穫祭に参加するものと思っているようだが、恵真としては今日初めて聞いた話である。何より大勢に振舞うだけの材料の確保は難しい。こちらの貨幣で材料を買うにしても人手も足りないのだ。
収穫祭への参加は魅力的と前置きしつつ、恵真がそう説明するとそれまで黙って紅茶を飲んでいたリアムが恵真に話しかける。
「そういえば、前回お約束した件ですが冒険者ギルドの者と狩りに行くことになっております。よろしければその際に成果を受け取って頂けますか?」
「え、いいんですか?」
「えぇ、お約束致しましたから」
「こんなに早く叶うなんて! ありがとうございます」
先日、自身が熱心に話していた恵真の代わりにリアムがこちらの肉を確保するという約束である。早々に願いが叶いそうなことに恵真は瞳を輝かせる。
そんなリアムの言葉にアメリアも賛同する。果実のサワーにじゃがいも料理と恵真のおかげでホロッホ亭には新しい風が吹いた。彼女はずっと恵真に借りを返したいと考えていたのだ。
「アタシも何かお嬢さんに差し入れたいねぇ。お嬢さんには借りがたんまり溜まってるからさ。そうさね、赤葡萄酒なんてどうだい?」
「それはいいな。私もエマに何か持ってこよう。普段、旨い茶を飲ませてもらっているからな。そうだな、リアムが肉なら私は魚にしよう。この時期には川に産卵で戻ってくる魚が採れるんだ」
「皆さん、ありがとうございます!」
それだけ食材を持ってきて貰えれば、恵真としても負担が少ない。人手の少なさも作る料理の工夫で改善できるだろう。恵真の心は収穫祭への参加へと傾く。何よりこうした楽しそうな催しに恵真自身が惹かれているのだ。
だが初めてのことであり、普段と異なる状況も考えられる。そんな中、上手く対応できるのか返答に悩む恵真にテーブルを拭き終えたアッシャーが話しかける。
「じゃあ、僕たちもきのこを持ってきますね」
「いいの?」
「うん。たくさんあるもん! このお祭り、ぼくたちも楽しみにしてたんだ」
「今年は去年までとは違うので、出来れば僕たちも何かしたいんです」
自分がして貰って助かったことを今度は自分も誰かに返したい。そんなアッシャーとテオの思いは純粋な優しさに満ちたものである。この国の女神の教えを深く知らない恵真だが収穫祭の本来の趣旨はこのようなものなのだと実感する。
そう思ったのは恵真だけではないようだ。リアムたちも優しい眼差しで兄弟を見つめている。そんな視線にアッシャーは照れくさそうに笑い、テオは皆に微笑み返している。
リアムたちが協力し、可愛い兄弟も協力してくれるというのだ。参加しない理由はない。何より、恵真自身が収穫祭というこの街の大きなイベントに心を動かされているのだ。
「皆さんが協力してくれるんです。喫茶エニシも参加しない理由はありませんね」
恵真の言葉にリリアからは歓声が上がる。ナタリアとアメリアも納得したように頷き、リアムは恵真を見てにこやかに微笑んでいる。アッシャーとテオはお互いにじゃれあいながら、持ち寄るきのこの相談を始めた。
ソファーの上に座るクロは賑やかになった様子に瞬きをしたが、大きく口を開きあくびをして眠りにつく。
秋の恵みに感謝する収穫祭という初めての催しに恵真の心は高鳴るのだった。
*****
「あら! いいじゃない。素敵な催しだと思うわ」
「え、いいの?」
夜、収穫祭の話を祖母にした恵真は思いがけない大賛成を受けた。てっきり、心配されるのではないかと思っていた恵真は少し拍子抜けした気持ちになる。
ふんわりと暖かそうな毛糸で何か編んでいる祖母は恵真の反応に、少し照れたように笑う。好きな料理の話になるとつい勢いづいてしまうのは恵真も祖母も同じらしい。カゴに入った毛糸を転がそうとするクロをたしなめながら、祖母が話すのは年末年始の昔の思い出だ。
「昔はね、年末年始になると親戚が集まるから大きな鍋で料理を作ったものよ。ほら、恵真ちゃんたちが小さい頃もここで皆でご飯を食べたでしょう」
「うん、楽しかったね」
「どこかの誰かさんのおかげで出来なくなったけどね」
「みゃう」
毛糸に夢中だったクロだが都合が悪くなったのか、一声鳴いてすっとその場を離れていく。猫アレルギーの父や兄はクロが来てから、この家に来ることが難しい。代わりに祖母が恵真たちが住む家に訪れるようになった。
それ以前はよく祖母が大きな鍋で何かを煮込む姿やトントンと聞こえる音にわくわくしながら、今恵真がいるダイニングから祖母の背中を見つめたものだ。今は自分が作る側となり、訪れた人々に食事を提供しているのだから不思議なものだと恵真は思う。
「確か、大きなお鍋も棚に閉まってあるからそれを使ったらどうかしら?」
「ありがとう。そうだよね、人数が多くても対応しやすいように煮込み料理がいいかもしれないなぁ」
「私も協力するから手伝えることがあったら言ってね。楽しみねぇ、お肉どんな味がするのかしら」
未知の食材に不安より期待が高まる祖母の姿は恵真と同じものだ。昼間の自分と同じことを言う祖母に恵真はくすくすと笑う。祖母はあれやこれやと肉料理のことを話しつつも、器用に毛糸を編み進める。
少しずつ足音が近づいてきたその気配に備えて冬支度をするのが秋の終わりだ。収穫祭というものは秋の実りに感謝しつつ、厳しい冬の前に人々の心を満たす意味合いがあるのではと恵真は思う。
再び毛糸にちょっかいを出すクロとそれをたしなめる祖母の姿を見ながら、恵真は収穫祭に作る料理を訪れた人に喜んでもらえるものにしたいと考えるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます