77話 真っ赤なりんごのタルトタタン 3

 

 いつもより少し早めに昼休憩を取ったセドリックは足早に街を歩く。

 喫茶エニシでの昨日の昼食は納得の味であったし、特にりんごの果実煮は味がしっかりと染みており美味であった。昨日の話ではそのりんごを使った他の菓子が出るというのだ。セドリックの足取りも自然と軽くなる。

 喫茶エニシの階段を上がったセドリックが洒落た細工のドアを開けると、旨そうな香りが漂ってきた。


 「セドリックさん、いらっしゃいませ」

 「あぁ、ギルド長!」

 「昨日と同じようにお願いします」

 「ワンプレートの定食ですね。わかりました」

 

 セドリックの姿を捉えた恵真がにこやかに挨拶をする。その手前にはテーブル席に座ったナタリアが軽く手を上げている。彼女もまた昨日の言葉通り、恵真の料理を食べに来たのだろう。セドリックも手を上げて、ナタリアの隣へと座る。

 昼食時間には少し早めだが、喫茶エニシはある程度席が埋まっており活気がある。

 アッシャーとテオはどうしているだろうと姿を探すと、2人で食器を拭いている。テオが食器を拭き、アッシャーが食器棚へと戻しているようだ。

 こちらの視線に気付くと2人とも頭を下げ、アッシャーが水を用意してくれるようだ。テオは作業を続けているがお互いを気遣いながらもどこかぎこちなくも見える。


 「お互いに気遣っていても上手くいくわけでもないのだな」


 アッシャーとテオの様子を見ていたセドリックに隣に座るナタリアが呟く。

 彼女の言う通り、アッシャーもテオも昨日の事を反省したようでお互いを気にかけ話しかけているようだがどうにもしっくりきていないようで、ちぐはぐな印象なのだ。

 

 「気を遣う事で相手にも気を遣わせるものだからな」

 「だが、普段もまったく気を遣っていないわけではないでしょう。親しくともそれなりに相手を思いやっているものでは?」

 「お! ナタリアにしてはよく気付いたな! 正解だ!」

 「……ほ、褒めていませんね! それは褒めてはいないんでしょう!」


 顔を赤くし、こちらを睨むナタリアにセドリックは笑いながら肩を叩く。

 からかい半分に聞こえるが、実際セドリックはナタリアの成長を感じていた。人の心の機微や様子に彼女が気付くようになったからだ。

 それは冒険者としてはもちろん、ナタリアの人とのかかわり方も変えていく事だろうとセドリックは思う。

 喫茶エニシでバゲットサンドを販売する際に、ナタリアを選んだのは腕が立ち信頼できる女性冒険者だからだ。一方で彼女には、人の言葉をそのまま受け取るような率直さがあった。それが悪いことではないのだが、さらに一歩彼女には成長して欲しいと考えていた。

 それが今、垣間見えたためセドリックとしては本心から褒めたのだ。


 「いらっしゃいませ。昨日は失礼しました。こちら、エマさんからです」

 「あぁ、すまないな。いや、問題ないぞ。今日も店に来る口実になったからな」

 「あぁ、私も恵真の作る料理が楽しみで来ただけだぞ」


 そんな2人の言葉にアッシャーは困ったように眉を下げつつ、肩を竦めて笑う。恵真からのサービスの品と氷の入った水をセドリックの前に置くと、軽く頭を下げてアッシャーはそのままテオの元へと足を運ぶ。

 2人が見ているとテオが拭いた食器をアッシャーが運ぶようだ。テオは声をかけづらかったのか、ぺこりと兄へと頭を下げる。そんな弟の態度にアッシャーも言葉をかけづらかったようで、こちらもまたぺこりと頭を下げる。

 そんな様子にセドリックもナタリアもついつい笑い出す。


 「普段は自然としていることが意識することで上手くいかなくなるんだよ。気を遣いすぎるのもまた問題だな」

 「そもそも喧嘩の原因がお互いを気遣ったために生まれたようですし、なんともまぁ仲の良いことです」

 「まったくだ」


 始まりもまたアッシャーはテオを案じ、テオがアッシャーと恵真の力になりたいと思ったことが発端だ。どちらもまた優しさから生まれた行き違いに過ぎないのだ。

 恵真からのサービス品にセドリックは手を伸ばす。

 それは昨日のりんごのジャムと昨日はなかったクラッカーだ。クラッカーにジャムを乗せ、齧るとサクッと音がなる。小さなクラッカーが生みだした可愛らしい喧嘩は時間が解決するだろう。

 相手への気持ちから生まれた行き違いの純粋さを思いつつ、セドリックはクラッカーを再び口へと運ぶのだった。



*****


 

 「旨いな。昨日も旨かったが、今日もまた旨い!」

 「同感です」

 「だが、恐ろしいことにこの続きがまだあるらしい」

 「はい、私もそれが恐ろしくもあり、楽しみでもあります」

 

 今日のメインはしいたけやしめじとレンコン、人参に長ネギを白身魚と蒸したものである。これはショウガと酢の利いたソースが良く合う。他の料理は秋ナスのそぼろ炒めとミルクスープにカットしたパンである。それだけでも秋の旨味が十分に味わえ、満足できる昼食だった。だが、彼らの期待はさらに高まる。

 恵真はりんごの果実煮のように何か菓子を作ると昨日宣言したのだ。


 「他の客には申し訳ないが、これは昨日からの約束だからな!」

 「えぇ、再訪の約束を交わした我々の特権です!」


 なぜかがっちり握手を交わす2人にキッチンから恵真が声をかける。

 彼女の手には大きな皿があり、そのうえにりんごを使った菓子が乗っているようだ。だが、その色は2人の思い描くりんごの色合いとは全く違う。

 思わずセドリックとナタリアは恵真の元へと行って、まじまじと菓子を見る。

 

 「これがお2人に準備をしていたお菓子、タルトタタンです」

 

 キャラメル色にしっかりと色合いの付いた大きなりんごがびっしりと並べられ、甘い香りが2人にも届く。色合いこそ予想とは違っているがその甘い香りは間違いなく美味であろうことがわかるものだ。

 恵真がカウンター越しにじっくりとタルトを見る2人に笑いながら席に戻るように言うと、慌てて2人は戻っていく。

 そんな2人の席ではアッシャーが新しい水を入れてくれる。隣ではテオが2人が使ったテーブルを一度拭いてくれていた。


 「前に僕らも違うタルトを食べたんですよ。な、テオ」

 「う、うん! そうだったよね! あれは苺のタルトっていうのでふんわりしてて苺が甘酸っぱくっておいしかったよね」

 「作り方が少し違うのよ」


 恵真がタルトタタンを乗せた皿を2つ、盆に入れて持ってきた。タルトタタンの乗った皿は花や鳥が緻密で繊細な絵柄で彩られたもので、その菓子の特別感を際立たせている。

 そっとテーブルに置かれた菓子を見て、セドリックとナタリアは自然と目を合わせ頷き合うと小さなフォークへと手を伸ばす。綺麗にキャラメル色に染まったりんごはスッとフォークが入り、下のタルト生地はさくりと割れる。それを小さなフォークで溢さぬようにそっと口へと運ぶ。


 「うむ……これは、旨いな」

 「……はい。これは、旨いです」

 「ふふ、ありがとうございます」


 セドリックとナタリアは一口、もう一口とタルトタタンを口に運ぶ。

 きっちりとキャラメルが染み込んだりんごはりんご本来の酸味も残しつつも、キャラメルのほろ苦さも甘さもある。そんなソースが染み込んだタルト生地もさっくりとしていながら口の中に入れるとほろりと崩れるのだ。

 絶妙な食感と風味を真剣に味わう2人はめずらしく静かに黙々と小さなフォークを動かす。

 そんな2人とアッシャーとテオに恵真は一般的なタルトとタルトタタンの作り方の違いを説明する。


 「これはね、生地を逆さまにするの」

 

 そう言って恵真は持ったお盆の上に片手を乗せ、くるりと返す。

 テオが小首を傾げ、下からお盆を覗き込む。アッシャーもその意味を真剣に考えているようだ。

 

 「タルトタタンはタタン姉妹が作ったと言われているの。タルトってね、型に入れて生地をまず焼くの。だけど、ある日お姉さんが間違えて上に乗せる果実を先に型に入れて焼いてしまったんですって」

 「間違えちゃったの?」

 「えぇ、そのあと途中から生地を乗せて焼いて出来たのがこのタルトタタンっていうお話があるのよ」

 「だから、前のタルトとは見た目も違うんですね」

 「そうね、甘く味付けした大きなりんごがごろごろ入っていて作り方も違うの」


 元々は失敗から生まれたというタルトタタン、テオもアッシャーも以前の苺のタルトとの違いを今の話で納得したようだ。


 「タルトタタンだけじゃなくって、似たお菓子にアップサイドダウンケーキがあるの。逆さまのケーキっていう意味で、これも先に具材を入れてその後に生地を入れて焼き上げるのよ」

 「ふふふ、『逆さまの』って面白い名前だね」

 「うん、でも作り方も面白いな」

 「……そうか、発想の転換だな」


 3人がにこやかに会話する中、セドリックがぽつりと呟く。テーブルの皿はもちろん空である。隣のナタリアも同じようにもう少しで食べ終わるようだ。

 

 「失敗から得られるものもある。失敗にくじけることなく、再び挑戦する事への可能性、そしてそこから生まれるものの価値をトーノ様は我々に教えてくれようとしてくださったんですね!」 

 「そうか……。エマは失敗で落ち込む我々に料理を通して、『失敗から学べ』と教えてくれようとしたのか!」

 

 何やら盛り上がる2人だが、もちろん恵真にはそのような意図は全くない。困惑した恵真がちらりとアッシャーとテオを見ると2人揃って首を振る。

 料理を喜んで貰えたのには違いないと恵真はセドリックとナタリアの満足げな様子に困ったような笑顔を浮かべるのだった。



*****


 秋になると日が暮れるのも早くなる。

 夏より少し早めの時間に帰り支度をさせた恵真はアッシャーとテオに小さな紙袋を渡す。

 

 「タルトタタン、お母さんとお家で食べてね」

 「いいんですか、ありがとうございます!」

 「うわぁ、お母さん喜ぶね!」


 そう言ってテオは笑顔でアッシャーの顔を見る。

 そんなテオにアッシャーは紙袋を大事そうに抱えたまま、何かを言おうと迷っている様子だ。恵真は黙ってその様子をじっと見守る。

 

 「……テオ、あのさ」

 「うん?」

 「ごめんな。心配だからって言い過ぎた」

 「あのね! お兄ちゃん、ぼくもね、心配してくれるのにごめんね」

 

 お互いに照れくさそうにしながらも笑みを浮かべるアッシャーとテオの顔は夕日で赤く染まる。本当はタルトタタンの話をしていた頃にはすっかりいつもの2人であったのだが、気持ちを言葉にするのもまた大事なことである。

 

 「さぁ、暗くなる前に帰らなきゃ」

 「うん、エマさんありがとう!」

 「ありがとうございます!」

 「うん、またね」


 2人が帰り、裏庭のドアが閉まるとそこはもう喫茶エニシではなく祖母と過ごす部屋だ。

 だが、恵真には夕焼けの空の下を笑いながらかけていくアッシャーとテオの姿とその長い影がなぜか思い浮かぶのだった。

 

 「みゃう」

 「おいで、クロ。ごはんにしようか」

 「みゃうん」

 

 しっぽを揺らしてテトテト歩くクロの影もまた長く伸びる。

 季節の小さな変化を噛み締めながら、恵真は秋の実りでどんな夕食を作るのか考え始めるのだった。



*****



 「発想の転換が大事だな。失敗もまた新たな発見につながることを昨日学んだ」

 「……ふぅん、そうですか」

 「旨いものを食べて気持ちを紛らわせ、再び立ち上がり努力する! これが大事だな」

 「……へぇ、そうなんですね」

 

 冒険者ギルドで昨日、感銘を受けた話を熱心にするセドリックだが副ギルド長のシャロンはいつも以上に素っ気ない態度を崩さない。

 確かに失敗をしない者はいない。そこから学ぶ姿勢は大事である。

 またセドリックは他者の失敗を許せる人間でもある。それは彼もまた多くの失敗から学んで今があるからだろう。

 だが今、書類を見るとまたセドリックは同じような失敗をしている事にシャロンは気付く。

 

 旨いものを食べて落ち込まないようにしているのではなく、旨いものを食べた事で気分が高揚して失敗したことそのものを忘れているのではとシャロンには疑念が浮かぶ。

 だが、そんな考えをシャロンは頭を振って打ち消す。

 それこそが大らかで柔軟な対応ができるセドリックの良さなのだと。

 物事は様々な見方が出来るのだと自分自身に言い聞かせるシャロンだが、次回セドリックがミスをした際には必ず自分が喫茶エニシへと同行しようと決意したのだった。

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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