76話 真っ赤なりんごのタルトタタン 2
昼食時に喫茶エニシを訪れたセドリックは違和感を抱いた。いつも穏やかで柔らかな時間の流れるこの空間。
だが、今日はいつもと何かが違うのだ。
「セドリックさん、いらっしゃいませ」
「あ、あぁ! お久しぶりです、トーノ様」
「ギルド長、こちらです」
にこやかに出迎える恵真と手を振るナタリアの姿に少しホッとしたセドリックはカウンター席へと向かう。席に着いたセドリックはすぐに違和感の正体に気付く。
喫茶エニシの違い、それはアッシャーとテオ2人の様子が普段と違うことだ。いつもは笑顔で出迎えてくれる2人が、どこかぎこちない雰囲気なのだ。
もちろん、決して失礼な態度ではない。だが2人とも元気なく、落ち込んでいる様子なのだ。
「すみません、色々ありまして……」
「何があったんだ?」
「原因は私が作ったりんごのジャムなんです」
「りんごのジャム?」
昨日、恵真は道の駅でりんごを買った。
だが祖母と2人で食べてみると少し柔らかい。この時期のりんごは瑞々しいが柔らかくなるのも早いのだ。そんなりんごで恵真が作ったのはりんごのジャムとコンポートだ。
ジャムは岩間さんにも渡そうと瓶詰めにした。コンポートの方は喫茶エニシでのワンプレートに少し添えてもいいだろうと恵真は考えていた。アッシャーとテオにも休憩時間に出そうと恵真は2人が来るのを楽しみにしていたのだ。
だが、そこで事件は起こった。
「クラッカーの買い忘れ?」
「しっ! 声が大きいです!」
セドリックとナタリアは揃って恵真に聞くが、そんな2人に恵真は慌てて注意する。アッシャーとテオに聞こえてしまうのではないかと2人を気にするが、お互い距離を取りつつ仕事に集中している様子だ。
「あぁ、すまん。だが、どうしてそれが原因になるんだ」
「作ったジャムにりんごを合わせて出したらいいだろうなって思ったんですけど買い忘れてて。それでテオ君が買って来てくれるって言ったんですけど、でもアッシャー君は1人じゃまだ無理だって。きっと危ないから言ったんですけど、テオ君は自分には出来ないってアッシャー君に言われた気持ちになったみたいで……」
その言葉になるほどといった様子で2人とも頷く。どちらの言う事も一理あるのだ。アッシャーは弟を心配した上で言ったことなのだが、役に立てると思ったテオとしては自分では役に立てないと言われたように感じたのだろう。
どちらも間違ってはいないうえ、相手を思い合った結果であり、恵真としても必要以上に口を挟めないのだ。
元々、お互いを考えた結果が招いたことだ。時間が解決するのを待つしかないだろうと恵真は見守っている。
「それでも2人とも仕事は集中してやっているな。子どもだがしっかりしたものだ。俺があのくらいの頃なら絶対に放り出してたな」
「今だって、仕事を放り出す冒険者は多いですしね」
「あぁ、そいつらに比べたら上出来だな!」
そう言って2人は笑っているが恵真としては心苦しい。だがアッシャーとテオは喧嘩をしているわけでもない。ただ、どことなく気まずいだけなのだ。
「ですが、いらしたお2人に申し訳ないのでこちらを」
そう言って恵真が差し出したのは紅茶とそれに添えられた器にはりんごのジャムが入っている。これが2人の喧嘩の原因となったりんごのジャムかと思うとセドリックは少し口元が緩む。理由も含め些細な事で喧嘩となった2人の仲の良さが微笑ましくも思えたのだ。
セドリックが手を伸ばして紅茶を口にする。香りの良い紅茶とほのかな甘みを楽しんでいると恵真が妙な事を言い出す。
「私の国の近くではジャムを舐めて濃い目の紅茶を飲む国もありましたよ」
「ジャムを、それは変わった風習だな」
「料理も文化ですから、その国によって同じものでも変わるんですよ」
「ほぅ、そんなものか」
恵真の話をセドリックは興味深く聞く。隣に座るナタリアは素直に恵真に言われた通りジャムを口にし、その後紅茶を飲んでみているようだ。
こういった話を聞けるのがまた喫茶エニシの良いところであるとセドリックは思う。旨い食事だけではなく、自身の見聞も広められるのだ。
「さぁ、どうぞ。今日のワンプレートです」
「おぉ! 旨そうだな!」
見聞を広めるのも大事だが、空腹の胃袋を旨い食事で満たすのは何よりも優先すべきだとセドリックは思う。隣に座ったナタリアも同様の考えらしく、料理に目を輝かせている。
そう、すっかり忘れていたが2人は落ち込んだ気持ちを紛らわせるために今日、ここへと足を運んだのだ。
旨い食事は気持ちを慰め、体を癒す。既に落ち込んでいる事を忘れていた2人だが喫茶エニシの食事の旨さには変わりはないのだ。
どちらかというと物事をシンプルに考える2人はこうして腹も心も満たしたのだった。
「いやぁ、りんごの果実煮は旨かったな! 生のままでも旨いが、しっかりと冷えた果実煮は美味だったな!」
「まだ、りんごはあるんで明日はまた違う物を作ろうかと思ってるんです」
「エマ!それは本当か! なら私は明日も来よう!」
「それはいい! 俺も明日また来るぞ」
そう言って笑う2人の元に、おずおずとアッシャーとテオが歩み出る。
「すみません、僕ら……」
「うん、ケンカはしてないよ」
だが、今すぐ普段通りに戻るのも難しいのだろう。そのため、どことなくぎこちない雰囲気になってしまうのだ。普段を知らないものにはわからない、ちょっとした違和感に気付くのもセドリックとナタリアが日頃の彼らを知るためだ。
セドリックは2人の頭をわしゃわしゃと撫でて笑う。
「あー、もういい! 気にするな! 俺もナタリアも実は落ち込んで今日、ここを尋ねたんだ。旨い飯を食べて気が紛れたぞ。ありがとうな! 明日もまた来るからな」
「うむ! 私も来るぞ。明日の恵真の料理が楽しみだからな」
2人の明快な答えにアッシャーもテオも安心したようにぺこりと頭を下げる。そんな頭をセドリックはわしゃわしゃと撫でて笑う。
ぐしゃぐしゃになった髪でアッシャーとテオは顔を見合わせ、照れたように笑うのだった。
*****
秋になると日が暮れるのも早くなる。
夕食を終えた後、祖母の瑠璃子は本を読んでおり、クロはソファーで丸くなり、ウトウトと気持ちよさげに微睡んでいる。
祖母の手元には恵真が用意した温かなほうじ茶と小さなチョコレートが置かれており、時折祖母はそれらを口に運ぶ。ふわふわとした淡い色合いのひざ掛けを使う祖母は熱心に本を読みふけっているし、クロはと言えば、なにやら口元をむにゃむにゃと動かして良い夢でも見ているように見える。
夕食後の穏やかなこの時間は、会話がなくとも不思議と居心地が良い。祖母も恵真もクロもそれぞれが自由に過ごしているのだが、そこには不思議な調和があるのだ。
「2人とも喧嘩をしてるわけじゃないんだけどなぁ」
少し柔らかくなった赤いりんごを手にした恵真はぽつりと溢す。
アッシャーもテオも喧嘩をしているわけでもなく、ただお互いに少し意識しすぎているだけなのだ。元々仲の良い兄弟でもあり、時間が解決する事でもある。
では、自分に出来る事はなんだろうと思った恵真が思い出したのは昼間のセドリックの言葉だ。2人の頭を撫でながら、彼は「落ち込んでいたが旨い飯で気が紛れた」そう言って笑っていたのだ。
「旨い飯で気が紛れるか……。うん、私にはそれくらいしか出来ないよね」
セドリックの言葉を思い出した恵真はキッチンから見える祖母とアッシャーとテオの会話も思い出す。それは初めて3人があった時の会話だ。
恵真が作った苺のタルトの味を絶賛していた2人に、久しぶりに恵真が作った菓子が食べたいと言った祖母の姿。セドリックにもナタリアにもりんごで何かを作ると約束したのだ。皆で食べられる菓子が良いだろうと恵真は思う。
「りんごで作るなら、アップルパイにケーキにタルト……苺のタルト美味しいって言ってたしなぁ。うん、あれにしよう!」
秋の日が暮れるのは早く、夜も長くなる。
相変わらず読書に夢中な祖母に深い眠りへと落ちたクロ、艶やかな真っ赤なりんごを手にした恵真は、明日のためにりんごの菓子を作る準備を始める。
三者三様それぞれの時間を過ごす祖母とクロと恵真。だが、その時間は穏やかで柔らかく、それぞれが心地よく過ごせるものだ。
少し冷える日、同じ空間で2人と1匹はのんびりと長い秋の夜を楽しんでいた。
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