74話 秋野菜の味噌汁と賑やかな食卓
祖母の作った味噌汁を恵真は久しぶりに口にする。ほろりととけるさつまいもに人参に大根、長ネギにしいたけとごぼうと祖母の言う通り、たくさんの野菜を摂れる味噌汁である。野菜の旨味も感じる優しい味わいに朝から体も温まる。
「この野菜のスープ、おいしいねぇ」
「うん、野菜の味だけじゃなくって魚の味もする。なんだか体があったまるし安心する味ですね」
「あら、お味噌汁初めてなのによくわかるわねぇ。これはね、お魚もお出汁に使ってるのよ。あ、他のお料理もどうぞ食べてね」
朝早く来た2人は朝食をまだ済ませていないとのことで、恵真と祖母が誘ったのだ。自己紹介も早々に、祖母は2人を席に座らせるとあれやこれやと準備し出した。
昨日の話では子どもであるアッシャーとテオは「見極める」対象外らしい。
ふんわりと焼けた卵焼きにレンコンのきんぴらと冷蔵庫にあった昆布の佃煮、ここまでは2人に気付くまでに用意してあったものである。そこから豚肉の生姜焼きに秋野菜のチーズ焼きをいそいそと祖母は用意した。
今も2人とにこやかに話をし、恵真が口を挟む余裕がないほどだ。そのため、恵真は静かに久しぶりの祖母の食事を味わっている。
「アッシャー君、テオ君、これも食べてみて」
「ありがとうございます」
「ありがとう、ルリコさん!」
いつの間にか名前で呼び合う仲となっている3人に恵真はただ黙って箸を進めるばかりだ。自然と会話も弾んでいるため、その流れを止めないようにただ3人の様子を見守っている恵真の足元ではクロが朝食の追加を催促している。
思いがけない2人の客人に遠野家は賑やかな朝を迎えていた。
*****
「防衛魔法? このドアに?」
「うん。だからね、エマさんに悪いことする人は来れないんだって」
「はい、それにクロ様もいらっしゃいますから」
そう言ってアッシャーはクロに視線を移す。
『クロ様』という言葉に祖母の眉間には怪訝そうに皺が寄せられるが、当の本人は得意気にしっぽを揺らす。
「みゃう」と一声鳴くクロの姿は「どうだ」と言わんばかりの表情で、クロの言葉が分からぬ恵真にさえもその感情が伝わるものだ。
そんなクロの様子は少々気に障ったものの、敢えて知らんふりをして祖母はアッシャーとテオに尋ねる。
「そう、じゃあ結構ここは安全なのね」
「うん、リアムさんもそう言ってた!」
「リアムさん……そう、それだわ! どんな人達なの? その2人は」
「もう、おばあちゃん!」
安全を知り、ほっとしたのもつかの間、恵真から聞いて気になっていたことを瑠璃子は今の会話から思い出す。
そう、異世界よりここへと訪れるという男性2人がどのような人物か見極めるという重要な任務が瑠璃子にはある。可愛い孫を守ろうという当然の意気込みだが、恵真はそんな様子を落ち着かぬ思いで見ている。
「リアムさんとバート…さんは親切な人ですよ」
「うん、リアムさんはいつも優しいし、バートもなんだかんだ言っても助けてくれてるよね」
「ほら!おばあちゃん、ね? 2人もこう言ってるでしょう?」
「でも、やっぱり実際に会ってみない事にはねぇ」
子ども達の言葉からも昨夜の恵真の言葉からも、そんなに問題のある人物ではないのであろうと瑠璃子にも想像はついている。だが、実際に自身の目で確かめない事には今後関わっていく許可を下すわけにはいかない。
そんな瑠璃子と恵真にテオが思いもがけない言葉を口にする。
「確かにリアムさん達もエマさん達と会う前は凄く気にしてたもんねぇ」
「気にする? リアムさん達が?」
それは恵真にとっても初耳であった。だが、今思うと初めてこの家に訪ねてきたリアムとバートはアッシャーとテオを案じ、恵真という人間を見極めに来たのだろうと気付く。
信頼できるような行動をとれていたか自信はないが、少なくとも彼らに危害を加える人間ではないと思って貰えていたのだろうかと恵真はあの不思議な茶会を懐かしく思い起こす。
「確かにあのときエマさんに会って、優しい人だってわかって貰えたと思います……でも、お店を開きたいって言われたときには2人ともびっくりしてたけど」
「まぁ! 会ってすぐにそんな話をしたの! それは誰でもびっくりするわねぇ」
そのときを思い出したのか笑いながらアッシャーが言うと、それを聞いた瑠璃子も目を丸くする。恵真としては気恥ずかしくなるが、あのときの熱意や思い切った行動が今日に繋がったともいえるだろう。
テオもあのときのことを思い出し、ニコニコと話し出す。
「魔道具がいっぱいあるし、魔獣のクロ様もいて、2人ともびっくりしてたよね。エマさんは料理人みたいって言われて凄く嬉しそうだった! あとね、苺のタルトがすっごく美味しかったよ。サクサクしててふわふわだったねぇ」
「本当? 最近はあんまり甘いもの作ってないから、今度また何か作るね」
「あら、いいわね。私も恵真ちゃんの作ったお菓子、久しぶりに食べてみたいわ」
アッシャーとテオが自分の料理を喜んでくれたことが、恵真の心を変えた。そしてその出会いがリアムとバート、そして喫茶エニシへと繋がっていった。
裏庭のドアから始まったこの生活で出会ったアッシャーとテオ、そして祖母の瑠璃子が笑いながら食事をしている姿を恵真は感慨深く思う。
そんな会話の中でアッシャーは恵真と瑠璃子の顔を見て、しみじみと話す。
「でも会わなきゃわからない事もありますよね、僕たち貴族の方って凄く怖い人ばかりだと思ってましたし」
「うん、リアムさんもだけどお貴族様でも優しい人はいるんだなって思ったよね」
「お貴族様?」
突然2人の口から出てきた「貴族」という言葉に恵真は首を傾げる。今の会話の中で貴族が何か関係があっただろうかと思ったのだ。
そんな恵真に不思議そうにテオが尋ねる。
「うん、だってエマさんは他の国から来たお貴族様でしょう? 魔道具たくさんあるし、魔獣のクロ様もいるし」
「黒髪で黒い瞳も他の国から来た人だからですよね?」
その言葉に恵真もまたハッとする。そう、当たり前のように4人と過ごす時間が流れ、恵真も忘れていたが彼らは恵真が異国から来た貴族だと思っているのだ。当然、祖母のである瑠璃子の事も貴族であると考えているのだろう。
だがその説明を祖母にはしていなかったのだ。
もちろん、裏庭のドアが異世界に繋がっているなどとは口には出来ない。
祖母がどう答えるのか不安に思いつつ、恵真は瑠璃子をちらりと見る。
「えぇ、確かにそういう方もいらっしゃるわね。でも、恵真も私もそういった考えではないわ。こうして異国の地で孫である恵真に良くしてくださった皆さんには感謝していますのよ」
「……お、おばあちゃん?」
突然、話し方を変え、仕草まで些か芝居がかったものに変わった祖母に恵真はたじろぐ。だが、そんな孫娘を瑠璃子は視線で黙らせる。笑顔ではあるがその強い眼差しは恵真にこれ以上話すなと言わんばかりの鋭さだ。
「先程、リアムさんとバートさんにお会いしたいと言ったのもそのお礼を申したかったからなのよ」
そう言うと瑠璃子は穏やかに微笑む。その姿は凛とした姿勢と上品で華やかな服装も相まって、高貴な生まれというのも説得力が増す。それが貴族であるかは恵真にも定かではないが、何かしらの良家の生まれなのではと思えてくるから不思議である。
そもそも、祖母は幼い頃より手伝いの女性達が家にいる中で過ごしてきたという。日本には階級制度は既にないがお嬢様と言える育ちではあるのだ。
そんな瑠璃子の様子にアッシャーとテオも納得したように頷き、笑顔を見せる。
「大丈夫だよ! リアムさんもバートもちゃんとエマさんを守ってくれるよ! 2人ともここでご飯食べるの好きだし、エマさんも僕たちの事も心配してくれてるから」
「エマさんは喫茶エニシで頑張ってるんです。街の人も僕たちもそんなエマさんのおかげで助かっていて……本当に感謝してるんです! このお店もエマさんも大事な存在なんです」
純粋な言葉に恵真も瑠璃子も思わず自然と笑みが零れる。
恵真は2人が祖母に懸命に自身の事を説明する姿に胸が詰まるような思いになり、瑠璃子もまた孫娘が必要とされることを心から嬉しく思っていたのだ。
2人の言葉だけでも十分に恵真がこの半年間、信頼関係を築いてきたことが伝わるものだ。
「ありがとう、そう言って貰えて恵真は幸せね」
ぽつりと呟く祖母の表情は柔らかで、その言葉も心で思った事がふと出たような誰に言うでもない呟きである。その優しい祖母の表情と声の響きに、恵真は自身がそれ程までに気にかけていて貰えていたのだとじんわりと目が潤む。
きょとんとしてこちらを見ている2人に恵真は声をかける。
「さ、冷めちゃう前に食べましょ? ね、おばあちゃん」
「そうね! どうぞたくさん食べて頂戴ね」
「ありがとうございます!」
そう言ってフォークを持った2人はそれぞれに具沢山の味噌汁やふんわりとした卵焼きを口に運ぶ。
思いがけない2人の客人は遠野家に賑やかで心穏やかな時間をもたらしたのだった。
*****
「じゃあ、また明日、いつもと同じ時間にね」
「はい! よろしくお願いします」
「うん、また明日ね。エマさん」
あの時と違い、その会話は特別なものではない。
「明日またここで会える」それを誰もが疑わないからだ。
2人が去り、裏庭のドアが閉まったのを確認した恵真は静かに祖母の反応を待つ。
恵真がうっかり伝え忘れていたことに祖母は上手く対応してくれた。だが、いつもこのように上手くいくとは限らないのだ。
黒髪黒目であることや香草の件も、きちんと祖母に話すべきであろう。たとえ、それで喫茶エニシのことを反対されたとしても。
先程の祖母の様子を見れば、順序より感情で伝えたいと恵真は今思っていた。
「恵真ちゃん」
祖母の呼びかけに恵真は伏せていた目を上げる。
すると、祖母は興奮した様子で恵真に駆け寄ってくる。
「ねぇ、2人とも物凄くいい子じゃない! あ、私のお芝居どうだった? 女学生の頃は少女歌劇や舞台に憧れたものよー。お貴族様ですって、そんな風に見えるのかしら? やだ、なんか恥ずかしいわねぇ」
祖母はというと両手を頬に置き、照れたように笑顔で話す。その瞳は輝きに満ちたものだ。
そんな祖母の様子に、恵真は噴き出す。それは安堵もあったが、何よりも好奇心旺盛で柔軟な姿は恵真の憧れる祖母の姿そのものである。
祖母を信頼し、すべてを話そうと。
そう決めた恵真もまた祖母と同じように、瞳を輝かせるのだった。
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