73話 思いがけない待ち人
秋の日差しは夏のそれに比べると随分と柔らかく落ち着いた温もりを感じるものだ。そんな穏やかな日差しが窓のレースのカーテン越しに部屋を明るくする。
テーブルには瑞々しいりんごが皿に置かれ、緑茶の香りもかすかに漂う。
そんなテーブルを囲む祖母と孫、飼い猫はその様子を高い棚の上から眺める。
孫を見つめる祖母はにこやかに会話を続けていた。
はたから見れば、なんとも仲睦まじい祖母と孫の日常だ。
だが、そこで話されている内容は非現実的な孫娘の日常の話である。
「魔法と剣があるの!?危ないじゃない!そりゃ、ちょっとは夢があるんじゃないかなって私だって思うわ。でも!それはお話でのことよ!」
「……はい。そうだと思います。あ、正確には魔術みたい!」
「もう、そんなのはどっちでもいいの!」
「ハイ」
祖母の言う通りであるため、恵真としても素直に頷く事しか出来ない。
魔術と剣に関しては恵真も聞いた話であるため、確証はない。恵真が普段過ごすのはあくまでこの部屋、祖母の家の中である。
そのため、外の世界の事は皆の会話でなんとなく把握している程度なのだ。
「あ!ドアの向こうにはまだ出てないよ!正直、初めは怖かったし」
「もう!当たり前でしょう?恵真ちゃん!」
「そ、そうですね」
リアムたちに指摘された「黒髪黒目」のこともあり、ドアの向こうには足を運ばずにいた。だが、そんな恵真の外見があちらの国では目立つということは今のところ伏せておきたい。裏庭で育てていた香草が向こうでは薬草であることも伏せておくべきであろう。
そう、物事には順序が必要だとつい先程、恵真は実感したばかりだ。
そんな会話を繰り広げる恵真と祖母をじっと見つめていたクロが祖母をじっと見つめる。テーブルの上にちょんと座り、祖母を見る姿は何か物申したいそんな雰囲気すら漂う。
「何?何か言いたい事でもあるの?」
「みゃう!」
「……自分が守るって言うの?」
「みゃう!」
「お、おばあちゃん?……クロと話せるの?」
「話せるというか、なんとなーくわかるのよ!20年近く一緒にいたせいかしらね。だからこそ腹が立つんじゃない!」
そんな祖母とクロの様子に驚いたのは恵真の方だ。
なぜか祖母と飼い猫の会話が成立しているらしいのだ。もちろん、恵真には内容はわからない。だが、目の前の2人の様子は会話をしているようにしか見えない。
クロもまた裏庭のドアからこの家に来たことを祖母から聞いていなければ、到底受け入れられない状況だ。
そこで恵真ははたと気付く。そう、クロもまた裏庭のドアからここへと来たのだ。であれば、普通の黒猫だと思う方がおかしい。
「ねぇ、クロ。クロも異世界から来たの?」
「みゃうん」
「そうみたいよ?」
何でもないことのようにさらりと答える祖母だが、どう考えても重要なことである。皆がクロを魔獣だと言っていたのもここに来て現実味を増すのだ。
「じゃ、じゃあもしかしたらクロも魔獣で魔術を使えたりするの!?」
「みゃうん、みゃうみゃう」
「なんて言ったの!?」
「なんか使えるけど魔獣だのなんだのは人間たちが勝手に言ってるだけだって。……ってなんで私が通訳しなきゃいけないのよ!この子のことはいいの!今話すべきは恵真ちゃんのことよ!」
「は、はい!!」
祖母の勢いに押され、返事をした恵真だが、内心ではまだまだクロに関して聞きたいことがある。幼い頃から可愛がっており半年ほど共に過ごしてきた猫が異世界から来た魔獣であるなど、どう考えてもするりと流せる話題ではない。
だが、祖母が言った通り、時間はまだ十分にある。自分を心配する祖母に、まず現状を説明するべきであろうと素直に恵真は従うのであった。
「そもそも、お金はどうしてるの?」
「む、むこうのお金を頂いています。物々交換も考えたんだけどね、価値が違うから難しいかなって。そこは今後考えていかなきゃなって思ってます、ハイ」
「でも、むこうのお金はこちらでは使えないでしょう?」
「はい、その通りです……」
「もう、色々危なっかしすぎるわ!」
「すみません……」
正論が続くため、恵真はぐうの音も出ない。ただただ、祖母の言葉に同意し、平謝りするだけだ。
そんな恵真の様子に困った子を見るような視線を送っていた祖母はふと、下を見て気付く。数秒、瞬きをして床を見つめた祖母は確信する。
「……ねぇ、恵真ちゃん?床にね、傷が増えてる気がするのよ。まさか、お客様たちは土足で上がってらっしゃるのかしら?」
「ご、ごめんなさい!だって、スリッパ履いてくださいって言うのもおかしいでしょう?」
「それはそうかもしれないけど……」
床に関しては光沢のあるフローリングではなく古い板を張っているもので、実際にはそこまで汚れなどは目立ってはいない。それこそ、一般的なカフェの床のようなものである。傷に関しても古い上に、以前よりところどころに異世界から来た黒猫の爪とぎの成果があるのだ。
ちらりとその黒猫を見ると祖母を見て、こてんと小首を傾げている。可愛らしいと見える姿だが、その仕草で誤魔化されるような関係ではない。
「それで、これからどうするの」
既にその答えがわかっていても聞くべきであろう。
恵真から返ってきた答えは想像とほぼ変わらないものだ。
「私は、続けたいって思ってる。おばあちゃんに迷惑はかかるけど、でも今の私の正直な気持ち。おばあちゃん、どうかお願いします」
そう言って頭を深々と下げる孫娘の姿に。頬に手を置き、祖母は深いため息を溢す。
今、何を優先するべきか。それは恵真の幸福である。
心身ともに健康そうな彼女の今の姿を見れば、裏庭のドアがもたらした異世界とのかかわりが彼女にとって良い物であることは間違いないであろう。
だが、気がかりなのは恵真の安全だ。
「みゃう!」
いつのまにか目線が合う高さの棚にちょこんと座るクロが悩む祖母に向かって呼びかける。その鳴き声を聞いた祖母は眉間に皺を寄せるが、少しばかり考え込むとふぅと息を吐く。
「本当にあなたにはかなわないわ」
「みゃうん!」
「……わかったわよ」
頭を下げ続ける恵真の肩に、祖母はそっと手を置くと体を起こすように促す。その真摯な思いはわかるが、いつまでも孫娘が頭を下げる姿を見ているのも心が痛む。家族の誰もが恵真のことを案じていたのだ。祖母である瑠璃子とて、その思いは同じだ。
「いいわ、続けてごらんなさい」
「いいの!?」
「ただし、条件があるわ」
「条件?」
マニキュアでピンクに染めた爪先を上に向け、祖母は恵真を見る。
それは恵真が良く知る祖母の表情。好奇心に満ちた瞳が輝き、爪と同じ色に染めた唇は弧を描く。生き生きとしたその顔はどこか少女のような雰囲気さえ漂う。
恵真はどのような条件を出されるのかと緊張しながらその答えを待つ。
「私も恵真ちゃんと働くその人達に会わせて貰いましょう」
「えっと、おばあちゃんが?」
「そうよ。信頼できる人達か、しっかり見極めさせて貰うわ」
返答を聞いた恵真は目を瞬かせる。
そんな様子を見た祖母は笑いながら恵真の肩をポンポンと叩く。
先程、クロからは自分が守ると伝えられた。それは事実であろうということは感覚的にわかる。
だが、知りたいのは喫茶エニシとやらで接してきた人々の心だ。どんな人々かをこの目で見て感じるまでは、今まで通りの関係を持つのには反対するだろう。
恵真が心身ともに健康でいられる保証、それが祖母である瑠璃子が今後も恵真が活動を続ける条件であった。
自分を思う祖母の気持ち、そしてリアム達への信頼を感じた恵真はその条件に首を縦に振るのだった。
*****
翌朝、恵真はいつものようにクロに起こされる。
6時にセットされた目覚まし時計よりも前に起こすクロに、まだ働かない頭のまま恵真はその柔らかな毛を撫でる。
嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らすクロを抱き上げて、カーテンを開ける。
秋晴れの空はどこまでも広がる。少しずつ木々の色が染まり、山も色を変えつつある。そんな風景に恵真は穏やかな心持ちになる。
ずっと抱えていた秘密を祖母に打ち明けることが出来たことが、恵真の心を軽くした。祖母が案ずるのは当然の事だ。だが、彼らに会えば祖母も安心するであろうと恵真は確信に近い思いを抱く。
この半年間、彼らと接してきた恵真の心にはいつの間にかアッシャー達への深い信頼が寄せられていた。
身支度を整えた恵真はクロを抱きながら階段を下りる。そんな恵真に食欲をそそる香りが届く。その香りはどこか懐かしくも感じるものだ。
「うわ、いい香り!」
「恵真ちゃんと朝ご飯なんて久しぶりだから、ちょっと早起きしちゃったわ」
「お味噌汁?おばあちゃんのお味噌汁、美味しいんだよね」
「ふふ、今日は具沢山にしたわ。秋の野菜をたっぷり入れたの」
「ありがとう、私も手伝うね」
「じゃあ、おかずを並べて、お茶碗にご飯よそってくれる?」
そんな会話をした恵真は、何気なく裏庭のドアに目を向ける。そこにあるのはいつもと変わらない細工の入った茶色いドアである。
祖母が帰宅したのが土曜だ。皆に最後に会った日、恵真は祖母の説得に数日はかかるものと考えていた。
だが、実際には土曜のうちに話が済んだ。条件付きとはいえ、恵真が今後も喫茶エニシとそこに訪れる人々との交流を持つことを祖母は認めてくれたのだ。
休日である今日は冒険者ギルドも喫茶エニシも休みである。そういう日はドアは裏庭へと続くドアとなる。また喫茶エニシの営業日であっても、恵真が裏庭に用がある場合は裏庭へとドアは続いているのだ。
どのような機能かは未だ把握していない恵真だが、すっかりそういうものだと受け入れている。
そのため、裏庭のドアは今日はごく普通のドアであるはずだ。
だが、恵真はそのドアから視線を外せない。何かが違うことが感覚的に伝わってくるのだ。恵真はそっと裏庭のドアへと足を踏み出す。
ドアの向こうからは恵真にとって聞き慣れた2人の子どもの声がする。
「はぁ、やっぱり朝早すぎるよなぁ」
「うん、僕ならお休みの日はゆっくり寝てたいもん。きっとエマさんもそうだよ」
「……じゃあ、帰るか。なんか物音はするし、エマさんか誰かはいるんだと思う。明日か、明後日には店も開けるんじゃないかな」
「……でも、本当にエマさんいるのかな」
「テオ……。心配ならノックするか?朝早いから、ちょっと失礼になっちゃうけど」
「うーん、でも僕ならお休みの日にゆっくり寝てるのを起こされたらちょっとイヤだなぁ」
「……そりゃ、俺だって嫌だけどさ」
アッシャーとテオの声である。朝まだ早い時刻だが、恵真を案じて訪ねてきたのだろう。
聞こえてくる会話に恵真はついつい笑い出す。しっかりと考えて行動する弟思いのアッシャーとのんびりおっとりとしたテオの会話はよく恵真も耳にしていた。そんなやりとりを数日聞かないだけでも恵真は寂しさを覚えていたのだ。
「エマさん!?」
「テオ?どうした?」
「エマさんがね、今お兄ちゃんの事を笑ったよ!」
「なんで俺だけなんだよ!お前もだろ!……って、エマさんの声がしたのか?」
おそらくテオの方がドアの近くにいるのだろう。アッシャーにも聞こえるように恵真は少し大きめの声でドアの向こうの2人に話しかける。自分で思う以上に声が明るくなったのは予想外の2人に気持ちが弾んだせいだろう。
「アッシャー君、テオ君!そこにいるの?」
「エマさん!?」
「いつからいたの?今、ドアを開けるからね」
朝早くから待ってくれていたであろうアッシャーとテオを早く部屋に入れようと恵真は慌てる。だがそんな恵真の言葉は2人にすぐ否定される。
「ダメだよ!エマさん、ドアを開けるのは僕たちだよ」
「朝早いしお休みだから人気もないんですが、一応エマさんはドアから少し離れて待っていてください。僕らが開けますから」
「……はい、そうでした」
それは黒髪黒目の目立つ恵真の姿を喫茶エニシに来れぬ者から守るための方法である。普段はキッチンに立って出迎える恵真だが、今はドアの目の前にいるのだ。
昨日は祖母に叱られ、今朝はアッシャーとテオにも注意を受ける恵真だが、可愛い2人の予想外の登場に頬は自然とふにゃりと緩むのであった。
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