SS 秘めた思いと懲りぬ男
「最近、変わられたわよね」
「先輩もそう思いますか?そうですよね、変わられましたよね」
「えぇ、それをどう受け止めたらいいのかしら」
「複雑ですよね」
冒険者の街、マルティアの冒険者ギルドはいつも人で賑わう。そんな多忙な職員が手が空いたときに少し会話しているくらい、ギルド長のセドリックも見逃す。多少の会話ならば気分転換になるし、人間関係が良好なのは業務においても有効だ。
だが、それも会話の内容にもよる。彼女達が先程から話題にしているのは冒険者であるリアム・エヴァンスのことだ。
ギルド職員が真剣に1人の冒険者について語る様子は問題である。
「何も変わらんだろ?」
セドリックからすれば昔からリアムは変わらない。その性格をよく知っているからこそ、そう思うのだ。
「ギルド長はわかってらっしゃらないわ」
「えぇ、本当に」
「なんだよ、何が違うって言うんだ?」
注意をするべき立場であるはずが、冒険者でギルド長であるセドリックは察しの悪さを指摘されている気になって、つい話を広げる方向に会話を向けてしまう。
「優しく温厚で頼もしいとリアム様の評判は非常に良いんです!」
「えぇ、私たち窓口の者にもいつもお優しいんです!」
「お、おぅ…」
彼女たちの勢いと熱に押され、セドリックは頷く。
確かに彼女たちの認識と同様の性格をリアムは持っている。だからこそ、何も変わっていないのだとセドリックは思うのだ。
だが、そう彼女たちに告げると残念な存在を見るかのような視線を送られ、セドリックはたじろぐ。
「ですが、リアム様は今までどこか遠かった存在でした。その高貴なお生まれもそうですが凛々しい姿に距離を感じる事もございました。でも、お変わりになられました」
「えぇ、自然な笑顔を私たちにまで見せてくれるんです!」
「え、いいことじゃないか?」
今まで見られなかった姿を見られることの何が悪いというのか、セドリックには理由がわからない。
「…まぁ、ギルド長は鈍いですからね、色々と」
「ですよね」
「おいおい!冒険者として数々の困難を潜り抜けた俺が鈍いとはどういうことだ!」
「そんなギルド長と職員が長話とはどういうことです?」
そんな3人の会話を冷静な声が止める。副ギルド長のシャロンである。
彼女の言葉に2人の女性職員はそそくさと業務を開始する。
だが、セドリックは気にせずシャロンに尋ねる。
「なぁ、シャロン。俺はそんなに鈍いのか?」
「…今、この状況でそんなことを言える時点で鈍いと思いますよ。さっさと業務に戻ってください!」
「お、おう!」
シャロンにせかされるようにギルド長室に向かうセドリックをちらりと見た2人の職員は、シャロンの怒りがこちらに向かなかった事に安堵するのだった。
*****
「なぁ、セドナ。ちょーっとくらいならいいよな?」
そう1人呟いたセドリックは、古樽の上の縄網をそっと外す。
以前、セドナが逃亡したことがある。そのときにシャロンにしこたま叱られ、渋々セドリックは縄網を樽にかけている。網の端には石が結わえ付けられ、セドナの力では縄網を動かせないのだ。
だが、それにはセドリックにとっては問題がある。
愛くるしいセドナの姿がしっかりと見ることが出来ないのだ。
「ギルド長」
「ひっ!!」
「『ひっ!』とはなんですか。ノックはしましたよ」
「お、おう!シャロン!元気か?」
「先程、お会いしました。ギルド長はお元気そうですが、業務はいかがなさったのですか?それに、その生き物の件はあれほど注意しましたが」
セドリックとしては言い訳の言葉も見つからない。
セドナが何度か脱走をし、その度にギルド内の業務は停止した。それ以降、こうしてセドナの樽には縄網がかけられた。だが、縄網越しではセドナの姿を確認できないため、誰もいないときを見計らってセドリックは縄網を取っていた。
その現場を副ギルド長であるシャロンにしっかり押さえられたのだ。
「いや!しっかりとこうして見張っているから大丈夫だ、なぁセドナ」
「そんなことを言ってまた逃げたらどうするおつもりですか?」
「今回は大丈夫だ!しっかり俺が責任持つから!」
そう断言するセドリックに仕方なしにシャロンは彼に任せることにした。
以前も脱走させているのだ。まさか、ここまで言って逃がすことはないだろうと思ったシャロンはギルド長室を後にする。
それが間違いであったと気付くのはそう時間はかからなかった。
セドナの脱走はさらに回数を重ねることとなったのだ。
*****
「うっ…セドナ、可哀想に。今頃、不安で泣いているに違いない」
「それはあり得ません。分類上、泣かないかと思います」
「そういう問題じゃない!心が…セドナの心が泣いているんだ、俺にはわかる」
「泣いている場所もわかれば役に立つんですがね」
「あぁ、セドナ!今どこにいるんだ!」
隣で号泣するセドリックにシャロンは冷静に指摘し、ハンカチを渡す。そのハンカチはあっという間にびしょびしょとなり、用をなさなくなる。
ギルド長であるセドリックの様子に呆れつつ、シャロンは状況を確認する。
セドナを最後に見たのはセドリックである。ドアをしっかりと閉めて部屋を出たそうなのだ。それもすぐ戻るつもりであったため、縄網を樽にかけずに。
しっかりと責任持つとはどういう意味かをシャロンはセドリックに問いたい思いである。だが、今行うべきはセドナの確保である。
セドナの脱走によって、冒険者ギルド内の業務が一時停止しているのだ。素材は質の高さや鮮度によって価格が左右される。一刻も早く、業務を再開しなければならないのだ。
当然、冒険者たちからは不満が出るかと思ったが、今回もそこまで不満が出る事はなかった。それどころか、多くの冒険者はギルド内でのセドナ探索に協力を申し出てくれたのだ。
「どうしてでしょう、皆さんギルド長を慰めて笑ってますね…。先輩、理由わかりますか?」
「わからないわ…。だって、これで何回目なの?怒るべきよ、いい加減怒っていいはずよ!あんな気味の悪いのがその辺をウロウロしてるのよ!」
「ですよね!なんで皆さん、好意的なんでしょう?」
女性職員の一部から不満が出ているが、これはもっともであるとシャロンは思う。そもそもがセドリックの不注意であるのだ。職員の指摘通りである。
だが、冒険者の多くがセドリックのミスを笑って許すのには理由がある。セドリックは日頃から冒険者だけでなく、人々に力を貸しているのだ。
子どもが見つからないと聞けば、冒険者に特徴を教え、街中で見かけたら連れてくるように声をかける。怪我をして働きにくくなった冒険者に新たな道を探す協力をする。そんな彼の活動は多くの者の支持を集めていた。
何より大きな支持を集める要因となったのは10年前、マルティアの街が魔物に襲われた出来事。王宮魔導師であったオリヴィエ、まだ10代であったリアム、セドリックはあのとき彼らと共に中心となり、街を救った男なのだ。
冒険者であるセドリックがマルティアのギルド長となったのもその貢献、何より彼の人柄を多くの冒険者が信頼しているからである。
その事を知るシャロンと知らぬ職員たちとではセドリックの印象も異なるのだ。
「ねぇ、気味の悪いのがウロウロしてるんだけど」
そう言って現れたのはオリヴィエである。
不機嫌そうに冒険者ギルドの奥から出てきた彼の斜め上には、ふわふわと浮く水の球体がある。その中にはにゅるにゅると気味の悪い動きをする謎の生き物が漂う。
「セドナだ!!」
「うわっ!何するのさ!」
「あぁーっ!オリヴィエ!流石だ!俺の友人、お前は最高だ!」
大柄なセドリックに飛びつかれ、小柄なオリヴィエは床に転ぶ。だが、そんなことを気にもせず、オリヴィエに抱きついたセドリックは大げさな感謝の言葉を繰り返す。
「10年来の親友よ!」
「ボクにとっちゃ10年なんてあっという間だからね!」
「俺にとっては長い!あぁ、友よ!ありがとう、ありがとう!」
旧友同士が仲を確かめあうのを冒険者たちは安堵したように眺める。
職員たちは呆れたように自分達の上司であるセドリックを見たが、それぞれに業務へと戻っていく。
こうして無事にセドナ脱走事件は幕を閉じたのである。
*****
「やっぱり、リアム様よね」
「ですよね!…ギルド長なんて論外ですねぇ」
「この間は酷かったものね…」
この間のセドナ脱走号泣事件以来、一部女性職員のセドリックの評価はさらに下がった。
冒険者ギルドの長として、人に慕われ、頼りにもなり、親しみの持てる男であることは間違いがない。だが、如何せん情けない姿を見ることが多いため、そういった印象になってしまうのだ。
「あなた達、この間も同じことを注意しましたよ」
仕事中、そんな話をする職員を冷静な声が止める。副ギルド長のシャロンである。
彼女の言葉に2人の女性職員はそそくさと業務を開始する。
その姿を確認したシャロンは背を向け、歩き出す。
「…副ギルド長ってどうしてここで働いてるのかしら?」
「あんなに若くて優秀なんだし、他の冒険者ギルドなら歴代最年少ギルド長!なんてこともあり得ますよねー」
「実はこの街じゃなきゃいけない理由でここの冒険者ギルドに入ったらしいんだけどね」
「あります?そんなの?」
「さぁ、聞いた話だからね」
そう、シャロンがこの街の冒険者ギルドで働くには大きな理由がある。
だがその理由に気付いている者はいない。
1人、ギルド長室に向かうシャロンはぽつりと呟く。
「…皆、わかっていないわ。あんなに素敵なのに」
彼女がまだ10代であった頃、偶然訪れていたマルティアの街が魔物に襲われた。怪我をして動けなくなったシャロンを救ったのが、後に冒険者ギルド長となったセドリックなのだ。
彼を慕う冒険者の気持ちがシャロンには痛いほどわかる。普段、情けなく人間味のある姿を見せる者がいざというときに誰よりも頼りになるのだ。マルティアの街に来てからも、その姿にシャロンは何度となく心を動かされた。
彼女がここで働く理由、それがセドリック・グレイ、その人にある。
ギルド長室のドアをシャロンはノックする。数度ノックしたが、返事はない。
仕方なく声をかけてドアを開けたシャロンは、しばし黙る。
だが、目の前の事実を本人に確認するため、仕方なしに声をかける。
「……ギルド長?」
「ひっ!!!」
「『ひっ!』とはなんですか!あなたという人は!また逃げたらどうするおつもりですか!」
懲りもせずにセドリックはセドナの樽の縄網を外していたのだ。
前回の逃亡より数日、彼女の怒りも当然である。シャロンの表情にうろたえながら、それでもセドナの様子を眺めていたいセドリックは良い案を思いつく。
「だ、大丈夫だ!シャロン。俺の側に君がいてくれればいいんだ!」
「…私が、いてくれればいい…」
「そう!この場に君がいてくれれば、セドナが逃走する事もないだろう!」
名案が浮かんだと子どものように笑うセドリックに呆れつつ、かけられた言葉を心の中でシャロンは噛み締める。
女性職員たち2人のセドリック評に同意できなかったシャロンではあるが、「鈍い」という点には大いに同意するのであった。
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