SS ナタリアと広がる世界 2


 マイクとナタリアが出会って3月程経っただろうか。

 ナタリアが週に1.2度訪ねるのが、習慣となっていた。その度にマイクの両親は笑顔でナタリアを招き入れ、マイクは少し照れくさい思いをしていた。


 この家で1番風通しの良い部屋がマイクの自室であり、そこにナタリアはいつも案内される。その際は必ずメイドが同行するため、やはり裕福な家は違うのだとナタリアは思っていた。それをマイクに言うと、困った顔をして「君も女子なんだからね」と注意を受ける。

 ナタリアは「当然だ。私は女性だから騎士のような冒険者の道を選んだんだろう」と答えるのでマイクは困った顔のまま笑うのであった。


 マイクはいつもベッドの上である。体を起こしたまま、ナタリアと会話をする。メイドが入れる紅茶を飲みながら、彼の話を聞くのがナタリアは好きだ。

 本をよく読むマイクの知識は知らないことばかりで、その話を聞くたびにナタリアは自分の世界が広がる心地になった。

 代わりにナタリアはこの小さな町のことを話した。屋台で1番安くて美味しいものは何か、森の湖にはどんな生き物がいるのか、高原から見える夕陽がどんなに美しいかをマイクに聞かせた。


 マイクは熱心に話すナタリアを見ながら、微笑んでその話を聞く。小さな頃から体の弱いマイクにとって、窓から見える外の世界は近くて遠い。

 1度勇気を出して父母に隠れて家を抜け出した結果、出会えたのがナタリアだ。町の少年に囲まれて危険な目にもあったが、あの日がなければナタリアに出会えなかったのだ。あの日の決断は正しかったとマイクは思う。

 

 「マイク、大丈夫か?」

 「何がだい?」

 「顔色が悪く見えるぞ」

 「まぁ、本当です。少し休まれた方がよろしいですわ」


 こんなとき、マイクは自身の体を思うように出来ない自分が情けなく感じる。だが体はマイクの気持ちを気にかける事はない。せっかくナタリアと過ごしていても、そんな気持ちを体は配慮してはくれないのだ。そんな不甲斐なさと焦りをマイクは1人、心の中に閉じ込めていた。


 「じゃあな、また来るぞ」

 「うん、ありがとう」

 

 ナタリアが去り、閉じられたドアをマイクは見つめる。


 「どうか、お休みになってください」

 「うん、そうだね」


 メイドの言葉にベッドに横たわり、マイクは目を閉じる。自分より年下の少女の再訪の言葉を何度も心の中で繰り返す。

 その言葉を思うとほんのりと心が温かくなる。

 ナタリアの存在はマイクの日々の生活の光であった。



 ナタリアは変わらず、マイクの家を訪れている。彼女にとってもマイクは友人と呼べるたった1人の少年である。だが変わらないのはナタリアだけ。マイクの家の雰囲気も空気も、そしてマイク自身の容態も変化していった。


 そんなマイクの家をナタリアは今日も訪ねる。メイドがマイクの部屋に案内する前に、廊下でマイクの母に会う。その瞳は涙ぐんでおり、そっとナタリアの手を包み込むように握る。


 「ありがとう。あなたが来ると家の中が明るくなるの。本当にありがとう」

 

 ナタリアは青い瞳でまっすぐマイクの母を見つめ、不思議そうに言う。


 「なぜだ?友達の家を訪れるのは当然だろう?」

 「!」


 その言葉にマイクの母ははらはらと大粒の涙を溢し、しゃがみ込んでしまう。

 メイドはマイクの母の傍らに寄り添ったため、ナタリアは軽く礼をしてマイクの部屋へと向かう。

 

 軽いノックをすると中からかすかな声がする。

 今まで聞いていた声よりずっと小さいがマイクの声だとナタリアにはわかった。

 

 「……やぁ、ナタリア」


 ドアを開けて入ると横たわるマイクの姿があった。細く小さかったその姿は触れれば壊れてしまいそうな繊細な印象になっている。マイクは困ったような笑顔を浮かべるとナタリアに問う。


 「僕の顔色、どう?」

 「悪いな。また少しやせたのか?」

 「ふふ、ナタリアはいいな」 

 「ん、何がだ?」


 マイクの言葉に不思議そうにナタリアは首を傾げる。

 そんな姿を微笑ましいものを見るように、優しい眼差しでマイクは見つめる。


 「ナタリアは嘘をつかないだろ」

 「当たり前だろう。友達には嘘など言わないものだろう」

 「うん、でもね。優しさからも嘘は生まれるんだ。傷つけたくないから嘘をつく、そんなこともあるんだよ」


 ナタリアには、そう話すマイクはどこか大人びて見える。

 ベッドに横たわるマイクは儚げで消えてしまいそうだとナタリアは思う。


 「きっと僕はもう少ししたら、体がもっと軽くなって遠くに行ける。最近、そう思うんだ」

 「本当か?」

 「……うん」

 

 そうマイクが答えた瞬間、ベッドの横に立っていたナタリアがマイクの手を握る。驚いたマイクがナタリアを見ると、その青い瞳から涙が流れていた。ぽろりぽろりと零れ落ちていく涙をマイクは見つめる。

 窓の外の光を受け、きらきらと輝きながら涙は2人の掌に落ちる。


 「そしたら!そしたら、一緒にいろんなとこに行けるな。私はお前に見せたいものがたくさんあるんだ!町の屋台も森の湖も高原から見える夕陽も全部、全部一緒に身に行けるな!」

 「……ナタリア」

 「もっと、もっとたくさんの景色をお前と観に行きたいなぁ」

 

 そう言って涙を溢しながらも満面の笑みを浮かべるナタリアをマイクは心から美しいと思った。だがこのまっすぐな心を持ち、生きていくのは様々な困難があるだろうということも、少し年上の彼にはわかっていた。そしてそんな彼女を守りたくても、そのときには既に自分は側にいない事も。

 だから今、言葉にして伝える必要があるのだ。

 自分の手を握りしめるナタリアの手を、マイクはぎゅっと握る。その力は今の彼のほっそりとした指からは信じられない強さだ。


 「ありがとう、ナタリア。君は僕にとって特別だよ」

 「大丈夫か?あまり無理するな」


 ナタリアの言葉にマイクは首を振る。無理をしてでも伝えなければならない思いがある。今、無理をしなければマイクはそれを後悔するだろう。


 「ねぇ、ナタリア忘れないで」


 「君は誤解される」


 「だけど、嘘のない君だからこそ、誰かを救う事があるんだよ……僕みたいにね」


 「きっとわかってくれる人はいる。決して多くはないけれど。だから……」


 「だから、大丈夫なんだよ」



 そう言ってマイクはふんわりと笑う。

 ナタリアはこくりと頷いた。

 マイクの言葉の意味はわからない。だが、それは信じられる言葉だ。

 友達であるナタリアにマイクが嘘をいうわけがないのだから。



 1週間後、マイクは旅立った。

 

 言葉の意味を、意図をもっと汲み取れていたら、あのときもっとマイクの気持ちに寄り添えたのだろうかと何度となくナタリアは考える。

 その答えは今も出ない。


 そして、ナタリアは夢を叶え、冒険者となった。




 今も時折、マイクの言葉をナタリアは思い出す。



 「きっとわかってくれる人はいる。だから、大丈夫なんだよ」



 心の中で、ナタリアはマイクに呟く。


 マイク、流石だ。お前の言う言葉は正しかった、と。


 マイクの言葉を心の支えに歩んできたナタリアは、あの頃よりずっと自分の世界が広がっているのを感じている。良い事も悪いことも分かち合う友がいる。ナタリアに仕事を任せたいと思う人もいる。


 ナタリアはこれからも騎士のような心で、冒険者として誰かを守るのだ。

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