SS リリアの夢と歩む道
「大きくなったらおじいちゃんやお父さんみたいに私もパン屋さんになる!」
「そうだね。きっとなれるよ」
幼いリリアが瞳を輝かせ、そう言うと大きな手で父ポールはリリアの頭を撫でる。優しい父はいつもリリアの味方だ。いつだってリリアを応援してくれる。
母が亡くなって祖父と父、そしてリリアで暮らしてきた。いつか祖父や父のようにパン屋になるのは、いつの頃からかリリアの夢であった。
あれから何年経ったであろうか。成長と共に夢を口にする事こそ減ったが、今でのリリアの夢は変わらず、この店を継ぎ、祖父や父のようになることである。祖父が他界して数年、父のポールを手伝いながら2人で店を続けてきた。口にせずとも、リリアの熱意は父に伝わっているだろう。
薄曇りの空を見上げたリリアが父に言う。
「父さん、今日は雨になると思うの。少なめに用意した方がいいわ」
「あぁ、そうか。お前の勘は当たるからなぁ、よし、少なめにするか」
リリアは天気を読むのが得意である。何がどうであるかと説明するのは難しいが風の強さや湿度、匂いといったものから天気が予測できる。これは客の流れを読むのにも役立っていて、父の役に立てているのではと内心リリアは自信を持っていた。
天気と客の流れは関係が深い。雨が強い日には地面も泥でぬかるんでしまう。そんな日にパンを焼き過ぎたら、必ず売れ残ってしまうし、パンの焼き加減にしても湿度は大きな影響があるのだ。
いつか将来、店をやるときにもこういった感覚は役立つだろうとリリアは思う。
「おっと、雨雲が増えてきたな。流石、リリアだな」
「そうよ、いつか私も父さんみたいなパン屋になるんだもの」
優しい父は笑いながら言ってくれるだろう。
「そうだね。きっとなれるよ」と。
だが、この日の父は困ったような顔をしてリリアに言った。
「いいかい、リリア。ずっとお前には言わなかった。だが、もうお前も大きくなった。だから本当の事を言うよ。女性がお店をやるのは大変な事なんだ。もし、パン屋をするなら、そうだな。結婚してその相手とお店をやるといいよ」
「どうして?ずっと言ってくれたじゃない?私もきっとなれるって」
そんなリリアに父は困った顔を浮かべ、諭すように言う。
「そうだね。父さんがお前が小さいからわからないと思ってそう言ってきた。だが、そのときよりお前は大きくなっただろう?だから、今のこの国の現状を話しているんだ」
父の言葉にリリアは動揺する。この国の現状、それをリリアとてわからぬわけではない。マルティアの街でも、女性の店主はいないに等しい。いるとしても、夫婦やきょうだいで経営しているため、実質的には夫やきょうだいが経営を任されている。女性は補助的な役割だ。
だがただ1人、例外がいる。その人物の名前をリリアは言う。
「ホロッホ亭のアメリアさんは?女性で経営しているわ!」
「あの人には事情があるんだよ」
「で、でも、女性が出来ない理由にはならないでしょう?私にだって…」
そう言ったっきり、リリアは背中を向けてしまう。
父であるポールもリリアの気持ちは痛いほどわかる。小さな頃からリリアはパン屋を継ぎたいと言ってくれていた。その言葉を今は亡き父も妻も喜んで聞いていた。ポールとて、今でもその気持ちは嬉しいのだ。
だが、現実には難しい。この国の常識的にもまた体力的にも厳しいのだ。敢えて厳しい道を一人娘に歩んでほしいとはポールは思えない。リリアはポールのたった1人の可愛い娘であり、たった1人の家族なのだから。
小さな娘の背中には父であるポールに夢を否定された悲しみが見えるようだ。鈍色の空を見上げるとぽつりぽつりと雨が降り出す。それは娘の気持ちを反映したかのように感じられ、ポールはため息を飲み込んだのだった。
「よう!看板娘!今日はご機嫌斜めか?」
「そんなことありませんよ、ジョーイさん」
「そうかねぇ。まぁ、いい。いつものな」
「はい…」
そう答えるリリアが機嫌の悪い事は普通の客にはわからないだろう。あくまでにこやかに応対しているのだから。だが、常連客で小さな頃からリリアを見ているジョーイからすれば一目瞭然だ。原因もおそらくは予想がつく。リリアの態度にポールの困ったような表情がそれを肯定している。
ジョーイは以前からポールに話を聞いていた。そのため、いずれこうなることもわかっていたのだ。
どちらの気持ちも理解できる。だからこそ、どちらの味方も出来ない。そもそも、これは家族の問題だ。古くからの知り合いだからこそ、そっと見守ろうとジョーイは思っていた。そう、今までは。
今日、ジョーイは驚くべき情報を入手した。それを2人に知らせにここへ訪ねてきたのだ。
「でな、その女性は薬草入りのパンを売っているらしいんだ」
「薬草入りのパン?薬草ってかなりエグみと苦みがあるんだろう?」
「あぁ、だがな、それが旨いらしいんだ」
新しい形のパンとその販売法に同業であるポールは興味を示す。そんなポールの熱心さにジョーイも興が乗ったのか、店と女性に関する噂を話し出す。どうやら黒髪黒目らしい、なにやら子どもを2人雇っているらしい。おまけに深い緑の瞳を持った魔獣までいるという。
そこまで聞くと噂の信憑性が薄くなるが、リリアは気になったのは他の事だ。
「本当にそのお店の人は女性なの?」
「あぁ、どうやら高位の地位にいる女性なんじゃないかって言われているな。置かれた家具や食器、おまけに薄いグラスに入った水には氷が浮かんでいるらしいぞ!」
「なんだか噂がどこまで本当なのか信じられないところだね。さぁ、仕事仕事!」
「あぁ、じゃあなポール、リリア!」
そう言って店を出ようとするジョーイをリリアはドアまで見送り、父ポールに気付かれないように尋ねる。
「さっきのお店の名前は?」
「ん、あぁ。喫茶エニシっていうらしいぞ」
「喫茶エニシ……」
女性が経営するという喫茶エニシ、噂がどこまで真実かはわからないがリリアの胸にちいさな希望がほんのりと灯るのであった。
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