67話 喫茶エニシの夏休み 5

 

 突然の恵真の涙に皆、静かに彼女を見つめる。だが、恵真の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていく。それは皆から送られる視線の温かさに気付いたからだ。

 時として言葉にせずとも思いは伝わる。今、恵真に注がれる視線は温かく柔らかなものだ。


 「ち、違うんです、私、嬉しいんです」


 涙を溢しながらも恵真はその理由を言葉にする。


 「この街に来て、皆さんに出会ってたくさんのことに気付けた」


 「頑張ってきたけど、なんのために頑張ってきたのかわからなくなって…もう、ムリだって思ったから帰ってきたけれど、ずっと不安だった。周りと違う道を選んで…どんどん私だけ残されてしまうようで……」


 「でも、ここに来て、皆さんと出会って受け入れて貰えた。だから、よかった…私はここに来て、皆さんと出会ってよかった…ありがとうございます」


 そう言った恵真は涙を流しながらも笑顔を浮かべる。

 思いもがけぬ恵真からの感謝の言葉に、皆が驚き言葉を探す。だが、どんな言葉をかけていいのかわからず黙ってしまう。事情を深く知らぬのに不用意な言葉をかけることで恵真を傷付けることを恐れたのだ。

 そんな沈黙を破った者がいる。


 「バカなんじゃない? あんた」

 「オリヴィエ!!」


 ソファーにゆったりと座るオリヴィエに慌ててセドリックが叱責の声をかけるが、緑の瞳の少年は慌てた様子もなく肩を竦める。


 「いや、だってさ? あの鑑定結果だよ?」

 「そ、それは今、関係あるのか!?」

 「大アリだね! あの結果なんだからね」


 オリヴィエの緑の瞳が恵真を捉える。少し生意気そうなオリヴィエが今は真剣な眼差しで恵真を見る。


 「つまりはさ、あんたが今までしてきたこととその結果は、あんた自身の力なんだよ?」

 「え……」


 恵真は驚き、大きく目を見開く。オリヴィエからかけられた言葉、それは予想しなかったものであった。

 料理をする、それは恵真が好きで行ってきたことである。だが、料理を出来るようになるまでの時間や料理をすることを今、努力してきたことと認められている。


 「だから今日、ここにこの人らは集まってんじゃないの?……もっと自信持ちなよ」

 

 そう、裏庭のドアをきっかけにした出会いの中で、恵真はここの人々に合う料理を作るように考え、振舞ってきた。その結果が、バゲットサンドであり、クランペットサンドであり、オリヴィエに出した冷製スープなのだ。

 かなり不器用で不躾な言い方だが、オリヴィエなりの応援なのであろう。

 

 「オリヴィエ君……ありがとう」

 「みっともないから、さっさと涙拭いたら?」

 「オ、オリヴィエ!」

 

 その言い方に流石に止めようとするセドリックに恵真は微笑んで首を振る。オリヴィエの言葉もその真意も恵真の心にも届いている。彼の言う通り、今まで恵真が行ってきたことは周囲の人々の力を借りる事はあったが恵真もまた努力した結果であろう。

 恵真は気遣う皆を見回し、笑顔を浮かべて謝罪の言葉を口にする。


 「招く側としてお見苦しいものをお見せして申し訳ないです」

 

 その言葉を側にいたリリアが即座に否定する。


 「いえ!私は嬉しかったです! そんなふうに思って頂けて、私は……」


 リリアの瞳もまた恵真の感謝の言葉を思い出し潤んでいる。


 「あー、で!オレらはもう食っていいんっすよね!さぁ、食うっすよ!昼飯抜いてきたんすから!」

 「そうだな、せっかくの食事だ。皆で頂こう」

 「あ、オイ!何をする!」


 セドリックを強引に引き連れ、リアムとバートはその場から離れる。涙を流した恵真をあまり見つめるべきではないと気を遣ったのだ。未だ気付かないセドリックを呆れた表情でオリヴィエが見ている。

 ハンナやリリアに勧められ、恵真はキッチンの奥で少しメイクを直す。

 キッチンから食事をし、歓談する皆の姿を見る恵真は、やはり皆の姿に感謝の気持ちを深くするのだった。




_____



 

 「お隣、いいですか?」

 「……もう座ってるじゃないか」


 1人ソファーに腰掛けたオリヴィエの横に恵真も座る。恵真はマグカップに入った冷たいコーンポタージュをオリヴィエへと差し出す。

 

 「ありがとう」

 「別に」


 マグカップを無言で受け取ったオリヴィエに、恵真は感謝の言葉を口にする。そんなオリヴィエがそっとカップに口をつけているのを見て、恵真は気になっている事を聞く。


 「他に食べれそうなものってある?」

 「……わからない。ずっと携帯食しか食べてこなかったし」


 そんなオリヴィエの答えに少し考えた恵真はここにまだ用意されていないメニューを思い出す。


 「あ!冷たいものなんかどうかな?」

 「冷たいもの?アイスティー?」

 「ううん、もーっと冷たいの」

 「何?それ」





 「だあぁぁぁぁっ!!!」

 

 必死で小さなかき氷器のハンドルを回すセドリックがそこにはいる。祖母の家に古くからあるかき氷器は剣山のように幾つもの針が刺さった昔ながらのものだ。大きめのシャリシャリとした食感で良いのだが、何しろ力がいる。


 「流石っす!よ!ギルド長!」

 「素敵です!高ランク冒険者は違いますね!」

 「っしゃあぁぁぁっ!!」


 バートとリリアがセドリックをおだてて囃し立てる。かき氷器を使った事のない2人だが、それが大変であることを早々に察したのだろう。

 恵真は冷凍していた果実を取り出し、ミキサーで攪拌している。それをオリヴィエは眉間に皺を寄せながら考え込んでいる。


 「硬いものをこの小さな器具で木っ端微塵にするなんて……こわっ」

 「だから!出来るのは美味しいものだから!」


 騒がしくも楽しそうな面々を見ながら、リアムは内心で感嘆する。氷を使った菓子も冷却した果実を使った飲み物も、容易く口には出来ない貴重なものである。気軽な形態をとりながらも、出す品々は薬草、砂糖、氷などをふんだんに使用しているのだ。

 良い食材を華美に飾り立てず、誰もが気兼ねなく食べられる形で提供している点には細やかな気遣いを感じる。


 「エマさん、この箱はなあに?」

 「あー!それはくじなの!」


 果実のスムージーをオリヴィエに渡した恵真がアッシャーとテオの元に来る。用意された2つの箱は飴と菓子のくじである。縁日と言えば定番のくじ、それをはずれのない形で再現したのだ。

 

 「こっちは飴のくじ、こっちはお菓子のくじなの」

 「どっちを引けばいいの?」

 「両方!両方引いてみて!」

 

 どちらも引いていいと言われたアッシャーとテオの表情がぱあっと明るくなる。一方、くじという響きに勝負事の気配を感じた兵士と冒険者もその血が騒ぐようだ。バートとナタリアもこちらへと向かってくる。


 「もう、大人なのにムキになるなんて」

 「まぁ、勝負事に熱くなるのは職業柄あるんじゃないの?…大人げないけど」

 「冷たいのに甘い!これは贅沢な品だな!」


 かき氷を食べるリリアとセドリック、スムージーを少しずつ飲むオリヴィエはくじに夢中になる者を遠巻きに見ている。

 

 「だが、景品が菓子や飴というのも豪華だな。砂糖をふんだんに使っているだろうに」

 「そんなこと言ったら今、口にしてる物もそうだろ?」

 「でも、どちらで買われたものなのかしら?この辺りの店でああいった物って置いていないけれど」


 こちらから見ても可愛らしく包装された菓子はこの辺りの店では覚えがない。リリアの疑問にオリヴィエは肩を竦める。


 「そりゃ、彼女が作ったんじゃないの?」

 「!!」


 その言葉にガタリという音と共にリリアが立ち上がる。無言で駆けだすようにくじの元へと足を運ぶ後姿を呆れながら見送るオリヴィエの横で、セドリックがアイスクリーム頭痛と戦っていた。




 「持って帰っていいんすか?」

 「はい、ご迷惑でなければ。私の国では親しい集まりでは料理を持ち帰ることもめずらしいことではなかったですよ」

 「まぁ、普段もアッシャーやオレは持って帰ってるっすもんねぇ。いや、トーノ様のお国の風習でしたらそれに従うべきっすよね!うん、そうするべきっす!」


 食事を持って帰る風習はこちらにはないが、今回の催しは恵真の国の形に倣っている。であれば、最後までそのやり方に従うべきであろう、とバートは力強く賛同を示し、恵真から嬉々としてタッパーを受け取っている。

 リリアは「親しい集まり」という箇所に心を打たれたらしく、なぜか1人感動して再び瞳を潤ませ、そんな姿にナタリアがオロオロしている。

 アッシャーとテオはくじで引いた飴玉をオリヴィエに見せにいく。


 「これ!同じ色でしょ?」

 「……飴玉?」


 アッシャーとテオはそれぞれ糸の付いた緑の飴玉を持っている。アッシャーの方が濃い緑、テオはそれよりは薄いがはっきりとした緑色の飴だ。


 「俺の持ってるほうがクロ様の瞳、テオのほうがオリヴィエのお兄さんの瞳!ね、似てるでしょう」

 「どっちも綺麗でしょ?」

 「……ふぅん」


 確かにそう言われれば似ているかもしれないとオリヴィエも思う。この瞳が綺麗かは意見が分かれるところだと経験上感じるが、嬉しそうに見せに来た2人には悪い気がしない。そんな思いもまたオリヴィエの中にある。

 するとテトテト近寄ってきたクロがアッシャーの飴の方にちょっかいを出そうとする。ゆらゆらと揺れる緑の飴に興味をそそられたのだろう。慌てたアッシャーはポケットの中に隠す。


 「食べてしまえばいいのに」

 「ダメですよ!これは料理にもお茶にも使えるじゃないですか」

 「……そう」


 確かに砂糖は高価であり、そういった利用法もあるだろう。すると、テオは飴玉のひもをオリヴィエに差し出す。


 「何?」

 「こっちはオリヴィエのお兄さんにあげる」

 「……なんで?」

 「オリヴィエのお兄さんと同じ、きれいな色だから。おそろいでしょ?」

 「……」

 「うん、それがいいな!似合うもんな!」


 にこっと笑った2人は母であるハンナに呼ばれ、そちらの方に向かっていく。掌の中の小さな飴玉、それをじっと見る同じ色をした瞳が揺れていた。



_____



 「本当に片づけをお手伝いしなくてもよろしいんでしょうか?」

 「はい、皆さんはお客様ですから」


 リリアとナタリアは先にバートが送っていき、アッシャー達はリアムが送っていくこととなった。


 「夏休みをありがとうございました!」

 「うん、夏休みおいしかったねぇ!」


 少し勘違いもしているようだが、2人とも満喫してくれたらしい。可愛い2人の笑顔に恵真も笑みを浮かべる。


 「どうぞご無理をなさらないでくださいね」

 「明日はお休みですし……私こそ情けない姿を見せてしまって……」

 「いえ、こういっては失礼に当たるかもしれませんが安心しました」

 「え」


 リアムの紺碧の瞳が優しく恵真をとらえる。


 「事情はわかりません。ですが、トーノ様がここでの生活を気に入ってくださるのがわかりましたから。それを私も嬉しく思います」

 「……はい。私、皆さんに出会えて本当に良かったです」


 そう言って微笑む恵真に嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべたテオが言う。


 「うん!ぼくもエマさんに会えてよかった!」

 「こら、テオ!す、すみません!!」


 慌てた様子のハンナに恵真は首を振る。


 「私もテオ君にアッシャー君に出会えてよかった。気を付けて帰ってね、また今度」

 「うん!またね、エマさん!」

 「今日はありがとうございました!またよろしくお願いします!」

 「本当にありがとうございました」

 「では、失礼します」

 

 ドアが閉まってしまうのがなぜか今の恵真には寂しく思えてしまう。

 「また」と次回の約束をして会える関係がこんなにも嬉しいものとは恵真は忘れていた。皆が帰った部屋の中で、恵真はぐんと伸びをする。


 「うん、皆に会えてよかったな、私」

 「みゃおん」


 恵真のぽつりと溢した言葉にクロが賛同を示す。それにくすりと笑う恵真に聞こえてきたのはスマートフォンからの着信音だ。音からそれが家族からのものとわかる。

 手に取り、着信を受ける恵真に母の声が聞こえる。


 「恵真?元気にしてる?」

 「大丈夫だよ、どうしたの?」


 今の今までパーティーを開いていたのだ。母に言えはしないが、体も心も元気である。

 そんな恵真に母も明るく会話を続ける。


 「おばあちゃん、もうすぐ帰ってくるって!…………恵真?ちょっと聞いてるの?ねぇ」


 

 クルーズ旅行に行っていた祖母がこの家に帰ってくる。その連絡に恵真は固まり、言葉が見つからない。

 深い緑の瞳がじっとそんな恵真を見つめていた。


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る