60話 携帯食と魔導師 2
今、喫茶エニシにはかつてない程の気まずい空気が流れている。
誰もが他国から来た黒髪黒目の女性トーノ・エマには何か特別な力があるのではないか、そんな考えを頭の片隅に置いてしまっていたのだ。実際、恵真が行ってきたことはさまざまな変化を起こした。それもあって皆、きっと恵真には何か特別な力が備わっているのだと思い込んでいた。だが、実際の鑑定結果は「生まれたての赤ん坊と同等」である。
そんな結果を皆の前で公表された恵真の背中には、どこか哀愁がある。今の彼女にどんな言葉をかければよいのだろうと皆で視線を交わしては首を振ったり、傾げたりと無言の合図を送りあう。唯一、オリヴィエだけが「だから自分は確認しただろう」と言わんばかりの表情でソファーにゆったりと座っている。
嫌な予感ほどよく当たるものだとリアムは思う。ここで声をかけるべきか悩むところである。今、どんな言葉をかけても彼女を傷付けてしまうのではないかと恵真の小さな背中をリアムは見つめる。だが、何もしないのも酷に思え、リアムは決心する。
「…トーノ…」
「よし!仕方ない!」
「…さま…?」
リアムが声をかけ終える前に、恵真はすっくと立ち上がる。
元々、恵真だってわかってはいたのだ。特別な能力など自分にはないと。だが、突然に訪れた鑑定魔法という機会に少し浮かれてしまった。魔法、エルフに獣人、心ときめく言葉の数々にほんの少し夢を見た、それだけなのだ。
何より、お客様がいらしているというのにいつまでもしょげてはいられない。恵真はくるりと皆の方に向き直ると笑顔を向ける。
「皆さん、せっかくですし何かお飲みになりますか?」
そんな恵真を見て、周りは息を呑む。成人女性が赤ん坊ほどの力しかないと言われれば、この国の感覚では絶望するであろう。だが彼女は自らを奮い立たせ、こちらを気遣っている。その優しさと芯の強さは一体どこから来るものなのだろう。セドリックは感銘を受け、リアム達は恵真の様子に安堵する。
ただ1人、オリヴィエだけが納得出来ぬように首を傾げ、恵真を見つめていた。
_____
リアムとセドリックは紅茶を注文したので、ソファーにゆったりと腰掛けながらもクロを見ているオリヴィエに恵真は声をかける。
「オリヴィエ君は何を飲む?紅茶は冷たくも出来るし、ミルクで甘くしたのもあるの。あとメニューにはないけど果実のジュースも用意できるのよ」
「…ボクはいらない。これがあるから」
そう言ったオリヴィエはポケットから何やら取り出して、恵真に見せる。それは恵真もリアムに貰い、口にしたことのあるバゲットサンドとも縁があるあの食べ物である。
「携帯食?えっと…それをどうするの?」
そんな恵真の質問にオリヴィエは小馬鹿にしたように笑って見せる。
「食べる以外に何に使うってのさ?」
「オリヴィエ!お前ってやつはさっきから何度言えばわかるんだ!すみません…トーノ様…。大体飲食店で持ち込んで食うなんて非常識だろう!」
「…ボク、客として来てるわけじゃあないし。問題ならもう帰っていい?いくら魔力量があっても、短時間での鑑定って地味に疲れるし」
「オリヴィエ!」
どちらの言うことも一理ある。オリヴィエとしては職務としてここに来たわけで、鑑定が終わった今、帰ろうというのもわからなくはない。ただセドリックの言う通り、喫茶エニシは飲食店であり、そこで持ち込みをするのを肯定は出来ない。
だが他に客もおらず、子どもであるオリヴィエが間食をするくらいである。まして、恵真のためにわざわざ来てもらい、仕事をして貰ったのだ。ここは目を瞑ってもいいだろう。
「いいですよ。でも大丈夫?皆、それをお水と一緒に食べるって聞いたけれど」
以前、携帯食の味に恵真が驚いたときにバートは少しずつ食べながら水を飲むという食べ方を勧めてくれた。確かにあの独特のエグさであれば、それがいいだろうと恵真も感じたものだ。
だが、オリヴィエは首を振る。
「大丈夫、食べ慣れてるから」
そういうと携帯食を袋から取り出したオリヴィエはそれを躊躇なく齧る。ゴリッという鈍い音がしたあと、ガリゴリという音がオリヴィエの口から聞こえてくる。
それを見た恵真はもちろん、アッシャーやテオも目を丸くする。3人とも携帯食の味は十分に知っているが、積極的に口にしたいと思うものではなかった。それを目の前の少年は顔色も変えず、ガリガリと食べ進めている。
「あの…リアムさん、あれって私が以前食べたものと同じですよね?」
「えぇ…」
「あれって、苦いですよね?」
「えぇ…」
「あれって、その…不味いですよね?」
「…えぇ、そうですね」
「あの子、なんであんなに普通に食べれちゃうんですか!?」
恵真が驚き、リアムに確認している間にオリヴィエは携帯食を食べ終えたようだ。アッシャーとテオがオリヴィエに近付き、目を丸くしながら話しかける。
「凄い!そんなに苦いの食べられるんですね!」
「うん!かっこいいね!」
苦い食べ物を表情一つ変えずに食べ切ったことで2人はオリヴィエをキラキラとした瞳で見ている。苦い野菜を食べ切れた年長の子に憧れるようなものであろうか。戸惑うオリヴィエと尊敬のまなざしで見つめるアッシャーとテオの姿に恵真は微笑ましさでにやけてしまう。
そんな恵真の視線に気づいたオリヴィエは軽く彼女を睨む。
「食事は体を維持するためのものだからね。ボクは無駄は嫌いなんだ」
「無駄…」
流石に食事を無駄と言うオリヴィエに恵真は驚く。不快に思ったというよりはまだ幼さの残る少年の口からそんな言葉が出た事への戸惑いだ。食事をする時間、それ自体を彼は無駄だと考えているのであろうか。
「オリヴィエ!お前そうやって敵を増やすような言い方をする!何度言ったらわかるんだ!いいか、俺が…」
「…ボク、そろそろ本当に帰るね。なんだか疲れちゃった!」
そう言うと背中を向け、オリヴィエは帰ろうとする。だが、少し歩いたところで部屋を見回し、恵真に尋ねる。
「…ねぇ、またここに来てもいい?」
「え?」
「魔獣とか魔道具とか気になるんだよね…ま、別にイヤならいいけど…」
「ううん!全然!ぜひまたお店に来てね」
「…」
細い銀の髪が窓からの光で輝く。小さな背中を見送りながら、恵真は彼が座っていたソファーに近付く。テーブルの上に何かが光る。
「すみません!トーノ様、あいつには言い聞かせておきます」
「少し態度は素っ気ないのですが、優秀なことは確かなのです」
セドリックとリアムが申し訳なさそうに、オリヴィエのことをフォローする。そんな2人の言葉に恵真も同意する。彼は態度や言葉とは裏腹に接していても、攻撃的ではないのだ。ただ単に素直になれない、そんな思春期の成長過程を見ているような感覚を恵真は覚える。
彼が腰掛けていた窓際のソファーの向かいのテーブルで光ったものを恵真は手に取る。
それは食事の代金としては多すぎる金額のコインであった。
_____
「今日もそれなの?」
「そうだけど?」
次の日、再び現れたオリヴィエはまた携帯食を齧っている。
今は休憩時間であり、他には誰もいない。アッシャーとテオも麦茶を飲み、水分補給をしている。この時間なら、オリヴィエが携帯食を食べていても問題はないだろう。
「やっぱり苦いの平気なのかっこいいよねぇ、オトナって感じ」
「テオはピーマンも食べられないもんな」
「違うよ!鼻をつまめば食べられるようになったよ」
「…そう」
昨日と同様、ここで食事を注文しない代わりに彼は十分過ぎる金額を恵真に渡そうとした。流石にそれは出来ないと伝え、オリヴィエはアイスティーを注文する。
恵真が持ってくると、オリヴィエは驚き、アイスティーに顔を近づける。薄いグラスに入った氷をしげしげと見つめた彼はなかなか飲まず、どういう方法でこの魔道具が作用し氷が作られているのかと恵真に真剣に尋ねる。
だが、あいにく恵真にはその知識はない。正直にそれを伝えるとオリヴィエは特に気にした様子もなく、今度はクロのことを尋ねる。
「あの魔獣、あんなに深い緑の瞳、ボクでも見た事がないよ。いや、もしかしたらボクの瞳以上に深い色をしているかもしれないな…」
棚の上に座ったクロはそんなオリヴィエの視線をまったく気にした様子もなく、大きく口を開きあくびをしてみせる。猫らしい自由気ままな態度だが、オリヴィエは肩を竦める。
「これでもボク、相当な魔術の使い手なんだけど。意識してすらもらえないなんて…あっちの方が格上ってことなんだろうね」
「えっと…でもオリヴィエ君の瞳も綺麗よね」
クロとオリヴィエを比べて力がどう違うかなど恵真にはわからない。クロは猫なのだ。ここで猫という生き物について説明するのも難しい。恵真は自身が感じた緑の瞳の印象を口にする。
クロは深い森のように重厚な緑色の瞳をしている。長い間、人を遠ざけ自然の雄大さと神秘性を感じさせる深い森、そんな色合いだ。一方、オリヴィエの瞳は深い海の色合いのような緑で、どこか若さや瑞々しさを感じさせるものだ。どちらも恵真の目には美しく見える。
「それがいいとも限らないけれどね」
「え?」
「緑の色の濃さで、魔力は決まる。それは生まれたときから人生が決まってしまうってことだからね。ボクも魔獣なら、あんなに悠然として自由に振る舞えてたのかもね」
思いもかけない言葉に恵真は黙ってオリヴィエを見つめる。アッシャーより少し年上に見える、まだ若い彼の将来は既に決まっているというのだろうか。そんな恵真の思いに気付いたのだろうか。オリヴィエは少し肩を竦めて、聞こえるか聞こえないかくらいの微かな声で「話し過ぎたな」そう呟いた。
そして、また多すぎる金額をテーブルに置き、喫茶エニシを後にしようとする。
銀の髪が窓からの光で輝く。だがその背中はどこか寂しげで儚く、光に消えてしまいそうだ。
「オリヴィエ君!」
恵真の言葉にオリヴィエの肩がぴくりと跳ねる。
「また来てね」
「…うん」
「そのときは、何か私にごちそうさせて」
「…」
オリヴィエは小さな肩を竦ませて、裏庭のドアから出ていく。
恵真の問いかけにオリヴィエは答えなかった。彼にとってはまだ会って間もない関係、恵真は自身の言葉が身勝手なものだったのではと瞳を伏せる。
だが、テオがぽつりと言う。
「…きっと、あのお兄ちゃん、来てくれるよ」
オリヴィエが去った裏庭のドアを、クロの緑の瞳がじっと見つめていた。
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